第32話 慣れれば大抵のことは受け入れられる

 東条の母親が37才とは思えないくらい美人だったことは驚いたが、それも初見の時だけだ。知ってしまえばただの事実になる。どんなに面白い映画も何度も見ているうちに飽きてしまうように物事はいつか慣れる。東条母の直子なおこさんがわざわざ夕食を振舞ってくれた時には現実を受け入れていた。

「智樹く~ん、遠慮しないでどんどん食べてね~」

「はい……」

男子高校生が家に来ることがわかっていたから、唐揚げやフライドポテトなどカロリー高めの揚げ物がおかずの大半だ。腹がいっぱいになっていても食べるように催促されるのは育ちざかりの男子高校生が友達の家に行った時のパターン。確かに料理は上手いから多少我慢してもたくさん食べたい気持ちはある。

 だが、問題は東条母の距離の詰め方だった。酒の影響もあるのか妙に初対面のはずの俺と密着しているような気がする。酒臭いと言えばそうだけど、それ以上に大人の女性の香りというか香水の匂いが漂っていて変な気分になってくる……。

 落ち着け、俺!この女性は東条の母親。この人に欲情してしまったら親友の東条に顔向けできない。もし逆の立場なら俺はそのダチと縁を切る。そして俺には茜という恋人もいるんだ……。

 だから俺は食事に集中する。腹がはち切れそうになる苦しみと吐き気を堪えながら東条母に気を取られないように(ちらちら胸の谷間を見てしまうのは男の子だしご愛敬)。

 

「悟もたくさん食べなよ~。私の唐揚げ好きだよね~」

「うん。おいしいよ」

距離が近いのは俺だけじゃなくて息子の東条も同様だった。この距離感と見た目だと母親と息子と言うより恋人同士と形容した方が適切だ。直子さんの息子への接し方は母親の域を超えているような気がする。


 

 あっけにとられるもてなしをされたが、仕事が終わった後すぐに料理を作って来客の俺にも振舞ってくれて、近所迷惑になるんじゃないかと思うような声量でカラオケを熱唱した後直子さんは眠ってしまった。二人掛けのソファで横たわる直子さんに東条が毛布を掛けていた。

「……なんかすごいな。お前の母親」

「酒が入るとどうしても人懐こくなっちゃうんだよ。迷惑だったろ?」

「いや、そんなことないけどさ……。それにしても東条って母親想いなんだなぁ。今だって毛布掛けてあげてるし、酔った母ちゃんにベタベタされても全然嫌な顔しないしさ」

「……母さんがこんな風になったのは俺にも責任があるからさ……」

「……えっ?」

「俺……小学5年の頃に病気になってさ……俺の父さんは俺が4歳になる前に死んでるし、息子の俺まで病気になって寂しくなっちゃったんだと思う。結構な大病だったから簡単には完治できないし手術も難しかった。俺の病気を治すためにたくさん苦労させてしまったから……」

「……そんなことがあったのか」

全然知らなかった……。今の東条を見たら病気を患っていたなんて毛ほども感じられない。正に健康そのものといった完璧な体の持ち主。

「俺が体を鍛え始めたのも母さんに余計な不安を掛けないようにするためだった。……今はほぼ趣味でやってるけどね」

「そうなんだ……。やっぱりお前はすごいよ。母親想いじゃなきゃ病気がちの体で筋トレなんかしないだろうし」

東条が体を鍛えるのはそんな理由があったなんて知らなかった。東条が母親に心配を掛けないよう筋トレに勤しんでいる間、俺は気晴らしに悪ガキ達と取っ組み合いをしていた。そこに正義はなかった。まして誰かを気遣う余裕なんて無くていつも自分のことで精一杯だった。東条のことを改めてすごい奴だと思う反面、最近はあまり感じていなかったが、東条と友達になったばかりの頃に頻繁に感じていた嫉妬や劣等感が久々に蘇ってきた。


「なんで理央を呼ばなかったかわかるだろ?」

「まぁ…なんとなくわかるよ」

「当分は女子を家に連れてくのは無理そうだよ」

「女子を家に連れてきたりなんかしたら母ちゃんがどんな癇癪を起こすかわからないから、か。いくらなんでも心配しすぎだろ。息子に彼女ができるのは母親としてむしろ祝福するべきなんじゃないのか?」

「そうかもしれないけどさ…。もう少し時間が必要なんだよきっと。俺も母さんと10年以上2人だけで暮らしてきたのにいきなり別な子と付き合ったら裏切ってるみたいで嫌だしさ」

「お前が頑なに彼女作らないのってそういう理由だったの!?」

てっきりこいつが筋肉バカで女子に一切興味がないだけだと思っていたのに……。

「母さんにはそばにいてくれる人が必要なんだよ。俺が付いてないと」

「そうは言ったって何十年もって訳にはいかないだろ。学校卒業して社会人になってもずっと一緒にいるのか?親子の仲がいいのは結構だけど母親の為に子供のお前がそこまでするのは健全じゃないんじゃないのか?……いや、悪い」

「えっ?」

「家庭の事情に首突っ込むなんて良くないと思ってさ……。東条がそう決めたんなら責任を負うのは東条自身だし俺が何言っても仕方ないよな」

「別に悪いなんて思ってないよ。智樹は俺のことを想って言ったんだろうし」



 直子さんがぐっすり眠っている間に俺は東条家を後にしようとしていた。本当は帰りの挨拶をしたかったが熟睡してる中起こすのも悪いので。

「今日は色々話せてよかったよ。今度来る時は理央には内緒でな」

「そうしてくれると助かるよ」

「この際だから聞きたいんだけどさ…理央のことどう思ってんだよ?」

「………」



「えっ!?何て言ったんですか!?」

「まぁ…その…」

東条家を訪れたお土産話を聞かせたら(東条母と東条の関係についてはプライベートなことなので伏せておいた)東条が理央をどう思っているかの答えを催促された。

「ここまで話したんなら教えてくださいよ!」

「イイコッテイッテタヨ」

「何で片言なんですか!?でも東条様が『いい子』って言ったんですよね?」

「まぁ…うん」

「やったー!!東条様が私を褒めてくれるなんて嬉しいぃぃ!!じゃあ早速お母さまに挨拶しにいかなきゃ」

「気が早いぞ。物事には順序ってものがあるだろ?いくら東条がお前に気があってもいきなり母親に紹介するのはな……。そんなに急かさなくてもそのうち理央の魅力を自慢したくなってくるはずだぜ」

「なるほど…じっくり時間を掛けてアピールすればいいんですね!石川先輩もたまにはいいアドバイスしてくれますね」

「そういうことだ」

そう。東条は理央に対して決して悪い印象は持ってないが、こういう勢いのせいで気後れしてしまうのだ。その結果がストーカー行為であり……。こいつは自分の行動をセーブするブレーキを用意するべきなのだ。

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