第27話 マラソン② 強制参加イベントに参加賞もクソもない

 ついにやってきたマラソン当日。天気は晴れでも雨でもなく曇り空。だがただの曇天というわけではなく、普段と比べて霧が濃い。マラソンコースは車の通りも少ないので事故の可能性は低いが、注意しながら走るようにと担任教師の朝のホームルームで通達があった。

 マラソン大会はまずお約束の校長先生の長ったらしい挨拶から始まった。マラソンは辛く険しいものだがこの経験が諸君らの励みになるとか、自分たちが住んでいる街を走ることで改めて感謝の気持ちが芽生えるとか、学業だけでなくたまには体を動かす習慣を若いうちにつけておけば健康が維持できるとか色々言ってたけど、いざ自分が走るんなら絶対に口先滑らかに喋ってる余裕はないだろう。

 ちなみに基本的には全校生徒が強制参加するこのイベントだが、生徒会のメンバーだけは見回りをすることになるのでマラソンには参加しない。その特権の為に生徒会に入る奴はいない……とは思うが、この時だけは生徒会の奴らが羨ましいと思う連中もいる。でも彼らも場合によっては炎天下の中で全生徒が走り切るまで突っ立ってなきゃいけないからそこそこ大変だろう。開催にあたって事前に地域の人たちに許可を取るのも彼らの仕事だ。

 

 スタート地点に着く。全校生徒が一度に走るから人数は相当多い。3位までに入賞すれば記念のメダルがもらえるけど、400人以上が参加するイベントなので当然ほとんどの生徒は参加賞のスポーツドリンクしか貰えない。ようやく苦行を乗り越えても報酬が小さすぎるのでやる気のある奴はほとんどいない。

 まして、ほとんどの女子が去年も1位を獲った東条に注目している。各々おのおの黄色い歓声をあげて東条にエールを送っている。

 極めつけは早くも学校1のマドンナとも呼び声高い理央りおが東条に熱烈にアピール。ありとあらゆる励ましの言葉をぶつける。今日の理央の髪型はいつものロングの黒髪を下したものではなく、一本のポニーテール。制服姿ではなく襟の部分だけがピンク色の白のTシャツ。普段の彼女とは違うスポーティな恰好に見惚れる男子生徒達。そして憎悪にも似た嫉妬の目が東条に向けられるが、気にしていない…東条。

 

 濃霧、長くて退屈な校長の挨拶、葛原くずはら理央りおの熱烈アピール。耐えがたい三重苦。ここまで条件が揃うと俺まで嫌な気分になってきた……。

 それにしても、東条もだけど理央も全然周りの視線気にしないタイプだな。まるで見せつけるように東条と話してる。

 ………よく見ると理央の胸って大きかったんだな……。制服のブレザー

 着てる時は気にならなかったけど、Tシャツだとよくわかるな……


 そんな事を考えていたら理央と目が合った。途端に理央が俺の方に近づいてきた。

「なんかすご~くいやらしい目で私を見てませんでした?」

「な…なに言ってんだよ…自意識過剰だろ」

「きもっ」

「はぁ!?興味ねぇよお前の乳なんて!…あっ…」

「やっぱり私の胸に興味津々でしたか……広咲さんに言っちゃおうかなぁ~」

「やめろ!…いや、やめてください…」

「冗談ですよ。石川先輩も頑張ってくださいね」

理央はにやにやしながら離れていった。あいつ茜と仲良くなってるから、下手を打つと何を言うかわからない……。

 

 今のやりとりでも一応応援はされている。今度はクラスの男子の嫉妬心が俺に向けられる。

「ずりぃぞ!」「お前もかよ!」「葛原のおっぱい見てんじゃねぇよ!」

「誤解だ!ていうかなんで俺だけ責められんの!?」

「お前はだろうがよ!抜け駆けすんなよ!」

「やかましいわ!」



 一悶着はあったがそろそろスタートだ。ああ……なんかスタート前から無駄な体力使っちまった……。

 生徒会長のピストルの合図でマラソンはスタート。全校生徒が一斉にスタート地点の校門前から走り出すが、男女でコースは別なので込み合うのはこのタイミングだけ。それにほとんどの生徒にとってこのレースは走り切りさえすれば結果なんてどうでもいいので勢いのあるスタートを切る奴はほとんどいない。基本は譲り合いの精神だ。だが、運動部の連中は顧問の教師にノルマでも課せられているのか必死に走っている奴もいる様子。

 学校から離れると住宅が密集している地区を抜けて山道に入る。生徒会の連中が事前に許可を取ったこともあり誰も文句は言わない。それどころか住んでる人が応援している。この行事は生徒にとっては苦行だけど、地域の貢献には役に立っているのかもしれない(いい迷惑だ)。


 俺は本気で走るつもりだけど最初はゆっくりとスタートした。そうだ、マラソンは焦っちゃだめだ。先のことは考えず今の一歩一歩を噛みしめるように確実に走る。「人生はマラソンだ」なんて誰かが言ってた。山あり谷ありのコースを落ち着いて走り切る。

 最初は走者の列の中間ぐらいで走っていたが、体も温まってきたのでそろそろペースを上げる。一人、また一人と抜いていくがトップ集団とはだいぶ差を付けられた。多分今回も1位を取るであろう東条の姿はもう見えない。まぁ、本気で走るつもりではいるけど結果にはこだわらない。上位争いなんかせずに自分のペースを保つ。

 住宅域を抜けて山道を走る。このあたりは霧も濃くて視界が悪い。ちゃんと歩道はあるし車の通りも多くはないけど気をつけて走らなきゃいけない。

 そして第一の難関、上り坂。傾斜は緩めだが100mは続いている。去年は快晴という条件もありここで一気にペースダウンする走者も多かったらしい。今回は濃霧だから体の負荷は前回程ではないけど、先が見えないつらさがある。これはきついな……こういう時は別なことを考えよう……。

 

 広咲茜ひろさきあかねと付き合うようになってからもう1か月が過ぎた。あいつとは中学生の頃から付き合いがあるが、まさかこんな関係になるとは思わなかった。いや、付き合いたいって願望が全くなかった訳じゃない。あの頃から俺は茜に恋してた。でもお互いのことなんてほとんど話さなかったし、一緒に喧嘩するだけの仲だった。

 茜と過ごす時間が増えて楽しい。もっと茜と話がしたい。あの頃の俺に言ってやりたい。「もっと素直になれ」と。

 

 考え事をしていたら上り坂は終わり下り坂に。荒くなっていた呼吸が少し楽になる。風が心地よく感じられる。

 

 俺にとって中学時代のあの頃は黒歴史だけど、あの時間があったから茜に出会えた。嫌なことばかりに思えたが、いいこともあった。上り坂の後にやってくる下り坂を走る風の心地よさは、自暴自棄な生き方をしていた俺にとっての茜との時間――一縷いちるの希望のようだった。

 


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