第13話 囚われの剣士

 アーツ軍の夜営地を抜けると、オウエンはアーマメントを乗り捨てた。もちろん危険な機材を捨て置くわけにはいかない。オウエンの剣によって、見事に真っ二つになってから、である。


 その日は野宿となった。だだっ広い草原は、日が落ちると真っ暗だ。たまたま見つけた木の根本にテントを張り、その近くに焚き火の用意をする。

 度重なる野宿に、現代人だったアネットも幾らか慣れてきた。けれど何度経験しても、翌朝は必ず身体が痛くなる。鍛え方なのだろうか、いつも座ったままでも眠れ、翌日もよく動くオウエンをアネットは尊敬の眼差しで見ていた。

 オウエンはキビキビとした動きでテントを組み立てた。今はイーノックが拾ってきた石や岩を積み上げて、かまどを作っているところだ。

 力仕事ではまるで出番の無いアネットは、街で調達していた野菜を切っている。野菜を鍋に移していると、水を汲みに行ったイーノックが戻ってきた。


「どうしてアーマメントの操作法を知っていた? あんな技術、俺には想像もつかん」


 イーノックはしゃがんで作業するオウエンの隣に、彼と同じようにしゃがんだ。傍らに置かれている手頃な石をオウエンに手渡しながら、不思議そうな顔をしている。


「前にも奪った事がある。その時に色々試した」


 イーノックはギョッとした顔でオウエンをじっと見つめた。オウエンはそれをさして気にもせず、もくもくとかまどを作り、和石を積み上げてゆく。


「強いとは思ってたけどさ、大したもんだな。アンタ」

「それほどでもない」


 またまた、と言ってオウエンの横腹を軽く突くと、イーノックはため息をついた。


「故郷では、治安維持部隊を召し抱えていたんだ。皆、腕の立つ者ばかりだったが、その中でもひとりだけ特に抜きん出て強い男がいた。今は生死もわからんが」


 せめてそいつも生きていればなあ、とイーノックはため息をつく。彼はそれきり黙ってしまった。



 翌日、アネット一行はオーツ領へ入った。街には近づいていないのに、焦げ臭い臭いが漂い始める。未だに何かが燃えていて、火がくすぶっているかのような不快な臭いが鼻につく。それがオーツの街の惨状を物語るようで、アネットは既に倒れそうな気分だ。

 ダミューに乗っているアネットからは、ダミューを引いて歩くオウエンと、彼と並んで歩いているイーノックの表情は見えない。けれど、イーノックはまるで泣いているかのように背中を震わせていた。


 オウエンは厳しい顔付きであたりを警戒している。アネットもイーノックも、アーツ軍からすればお尋ね者だ。なるべく街には近付かず、大きく迂回して兵士達に見つからないよう進む予定である。

 ここまで来れば、マルコワまであと一息だ。とにかく無事に辿り着かなくてはならない。アネットはダミューの手綱を強く握りしめた。


 一方、アドルフはアーツによって占領された街のひとつ、ミブにいた。アドルフもまた仲間とはぐれ、マルコワを目指している最中である。リケユ川に落ちた時、流されながら必死で泳いでいるうちに気づけば一人きりになっていた。

 ミブはマルコワを挟んで、アネット達のいるオーツとは反対側に位置する街である。


 アドルフは軽業師のように身が軽い。さらに諜報は彼の得意分野であった。今はアーツ軍の鎧を着て、何食わぬ顔をし、天下の往来を堂々と歩いている。

 ちなみに、アドルフが着ている鎧は本物である。裏道を一人で歩いていたアーツ軍の兵士に奇襲をかけ、文字通り身ぐるみを剥した。中身を軽々と始末し、初めからそうであったかのように振舞っている。

 だが、アドルフは少し焦っていた。街に辿り着いたものの、既に占領されている。早く脱出したいのに、なかなか抜け道が見つからない。

 そして、アドルフを焦らせる問題はもうひとつある。何でも、オーツで捕らえられた剣士がこの街に護送され、どこかに囚われているらしい、との噂話を耳にした。

 街を歩き回るうちに聞いた話をつなぎ合わせると、その剣士はたいそう腕が立つとい事。そして、アーツ軍の兵士を大勢斬った事を理由に、近いうちに処刑されるらしい事がわかっている。


 剣士の特徴はわからない。しかし、アドルフはオウエンがオーツの方向へ流されて行ったのを見ている。初めに剣士と聴いた時はまさか、と冷たい汗が流れるのを自覚した。

 仮にオウエンでなくとも、剣士の立場はアドルフと似ている。もしも助ける事ができたなら、少なくともミブを脱するまでの協力関係にはなれるかもしれない。さらに、あわよくば仲間に引き入れられるかもしれないと思うと心強かった。

 しかし、まだ情報が足りない。肝心の、「どこに」がまだ分からないのだ。


 アドルフは酒場の扉を開けた。占領下にあっても、真っ昼間でも、ここはむしろ活気に溢れている。人ではない、つまりアーツの魔物の兵士ばかりで勝手に盛り上がり、店主は青い顔をしてカウンターに突っ立っていた。まともな支払いなど期待できそうにないのに、気の毒なことである。

 アドルフはカウンターの端に陣取ると、酒を頼んだ。酔わないようにちびちびと、しかし決して目立たぬように胚を傾ける。

 しばらく呑んでいると、足元の覚束ない兵士がアドルフの後ろのテーブルにドカッと座った。


「おい店主。燗をしてくれ。こんな細っこいもんじゃたりねえぞ」


 兵士は銚子を店主に投げつける。が、軌道がそれてアドルフの頭へ向かって飛んで来るのを、アドルフは片手で受け止めた。

 投げた兵士の機嫌は決して悪く無さそうだが、粗暴だ。よく見れば、店のあちこちが壊れている。金銭的な問題よりも、物理的に潰れる方が早いかもしれない。


「ひ、ひい。あいにく銚子はこれしか……」


 店主は可哀想なほど震え上がっている。彼は足を縺れさせるようにして、店の奥へと引っ込んで行った。


「若いの。呑んでるか」


 銚子を投げた兵士がアドルフに絡んで来た。上機嫌で肩を組もうとするのを、アドルフはそっと手を添えて阻む。しかし、酔っぱらい兵士はそれをさして気にする事もなかった。


「お前、知ってるか? オーツの若造を遂に捕らえた! 散々仲間を殺られたが、これで奴も仕舞いよ」


 嬉しくて仕方がない、といった風に、兵士はがははと大笑いする。耳元で大声を出されたアドルフは、不機嫌そうにジロリと兵士を睨みつけた。しかしこれも、兵士は全く気にしていない。


「そうらしいな。これで怨みが晴れる」

「こんな喜ばしいことがあるか! 飲め! 」

「そいつのご尊顔を、是非とも拝みたいもんだな」


 アドルフは彼の兜をなで回すご機嫌兵士を見上げる。すると、兵士は得意気な顔で、アドルフの耳元に顔を寄せる。


「奴は街外れの……いや、そいつは言えねえ。けどよ、言いたくてウズウズするぜ。でも言えねえ。くそったれ」

「言っちまえよ。奢ってやるぜ」


 言えば楽になるぞ、と付け加えて、アドルフは自分の杯を兵士に持たせてやった。もう一押しだと言わんばかりに、グイグイ飲ませる。


「しょうがねえなあ。ここだけの話しだぜ、兄ちゃんよう」


 ベロンベロンに酔っ払った兵士から聞きたいことを聞いたら、アドルフは銚子も口に突っ込んでやった。すっかり出来上がりである。

 やがて兵士はアドルフが座っていたカウンターで、気持ち良さそうに鼾をかき始めた。


 アドルフは酒場を出ると大通りを抜け、街の奥まで歩き始めた。膳は急げ、である。兵士から聞き出した通り、街の中心部から外れるとすぐに目的の屋敷が見えた。

 瓦屋根の木製二階建て。窓はあるが、全面に細い格子が付いていて中を伺う事はできない。二階の窓も1階と同様、アネットの世界で言う虫籠窓になっている。

 日本の伝統的な家屋とそっくりだ。アネットがここにいれば、驚きつつも懐かしさに喜んだことだろう。そして、先ほどアドルフが兵士を酔わせて掴んだ情報とも一致していた。

 ちなみに、エズメの故郷・ヤマシロとは文化こそよく似ているが、それぞれ別の国家である。


 その屋敷は、見た目には他の建物と変わらない。しかし、そこを出入りする兵士は総じて身なりが良かった。ちょうど戸口から出てきた兵士も、立派なマントをはためかせていて、胸には勲章が光っている。警備兵が緊張気味に敬礼していた。


「おっと、あの屋敷だな」


 目的の建物であると確信すると、アドルフはさりげなく辺りの様子を伺った。見張りは戸口に二人。向かいの道路にアーマメントが一台、無人でちょこんと座っている。アドルフは裏路地へ回ることにした。


 占領された街はどんよりとした空気が充満している。そこに住んでいる人びとは今も生活をしているが、皆一様に怯えている。アドルフとすれ違う際、着物のたもとを使ってさりげなく顔を隠して歩く人さえいた。この街の人の衣服は、日本の和服とよく似ている。

 とはいえ、なるべく家に居るようにしているのか、人の気配はまばらだ。特に女子供の姿は、ここまでほぼ見かけなかった。


 アドルフは路地裏に入ると、着ていた鎧を脱ぎ捨てた。着なれない重い鎧では、思うように動けない。


「あーらよっと」


 身体を躍動させて、屋敷の長い庇に飛び掛かった。両手で掴んだ庇を軸にひらりと身体を回転させると、1階の屋根の上に立った。さらに一階部分よりも低く作られた二階の屋根へよじ登る。

 アドルフは屋根の上から、そろりと窓の中を覗き見た。障子が張られていないのが幸いだ。誰も居ないことを確認すると、アドルフは腰から短剣を抜いた。

 窓の鍵に届くであろう部分の窓ガラスをなるべく静かに、最小限の範囲を割ってゆく。窓をそっと開けると、アドルフは音もなくするりと中へ入って行った。

 戸口にいる見張りの兵士たちは、遂に侵入者の存在に気が付かなかった。

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