第21話 花を摘む少女

「古戸君、一緒に帰ろう」

 放課後、玲子がハーデスを帰りに誘った。『彼は私のもの』と言い切った彼女が遂に動いたのだ。


「どうしたの? 突然だね」

 ボケた事を聞くハーデス。女の子が男の子を帰りに誘うって事は……察しろよ。これだから女性慣れしていない男は……これだけ女子と接しているのだから「そろそろ慣れろよ」と説教してやりたいぐらいである。


 歩いて駅に向かう二人の間に会話は無い。玲子はどういうつもりなのだろう? かと言ってハーデスには沈黙を破るスキルなど無い。並んで黙々と歩く二人。不意に玲子が口を開いた。


「古戸君、ちょと寄り道しても良いかしら?」

 来た! 学校帰りに二人で寄り道。これは何か話があるに違い無い。告白か? それにしても絶対的自信を持つ玲子はいったいどんな行動に出るのだろう?


玲子はハーデスを駅から少し離れた公園に誘った。公園の花壇には色とりどりの夏の花が咲いている。


「わーっ、綺麗!」


 彼女は唐突に花壇の前にしゃがみ込み、花を摘み始めた……って、おい! それ、やったらダメな事。もしかしたら玲子は痛い女の子なのだろうか? 絶対の自信も、痛さから来ている何の根拠も無い自信なのかもしれない。


 花を摘みながら、時折ハーデスに上目遣いで微笑む玲子。その笑顔は花なんかよりも遥かに綺麗だが、やっている事は軽犯罪である。何度か上目遣いでハーデスに何かを訴える玲子だったが、ハーデスはキョトンとするばかり。玲子は深い溜息を吐いた。


「はあ~っ、これだけやってもダメか……」


 悲しそうな玲子。彼女は本気でこの行為が有効だと思っていたのだろうか? 見かねたハーデスが注意しようとしたところ、玲子はとんでもない事を言い出した。


「古戸君……あなた、ハーデスでしょ?」


「!!」


 ハーデスの顔に緊張が走った。人間ごときに何故バレたんだ? 冷や汗をかきながらハーデスは答えた。

「な、何を言ってるんだい? ハーデスって、ギリシャ神話に出てくる神様だよね。一介の高校生のボクがそんなワケ無いじゃないか」

 ハーデスの答えに玲子は溜め息をまた一つ吐くと、悲しそうに言った。

「バカ……まだ私がわからないの?」


 ハーデスの頭に?マークが浮かぶ。その顔を見て、玲子は呆れ返った素振りを見せる。

「しょうがないわね。じゃあ、もう一つヒントをあげる。私の名前、玲子って何度も続けて言ってみて」


「玲子……レイコ……レイコレイコ…レイコレイコレイ…コレイコレイ…コレー…」


 玲子の言う通りに彼女の名前を繰り返したハーデスの顔が蒼ざめた。


「お、お前……もしかしたらペルセポネか?」


 ちなみにコレ―とはペルセポネの別名である。


「うん。やっとわかった?」


 悪戯っぽく笑う玲子、いやペルセポネ。わかる訳が無い。そもそもペルセポネがこんなオリンポスから遥か彼方の地に居るだなんて誰が想像するだろうか。


「あーあ、あなたが私を冥界に連れ去った時のシーンを再現してあげたのに、わからないなんて……」


 玲子が花を摘み出したのは、ハーデスに対する第一のヒント。コレ―と呼ばれていたペルセポネが花を摘んでいた時にハーデスは彼女を冥界へと連れ去った。彼女はその時の自分を再現する為に花を摘んでいたのだ。


「転校初日にいきなり抱き着いたでしょ。びっくりした? アレはあなたが私をいきなり冥界に連れ去った事へのお返し。私、あの時本当にびっくりして、怖かったんだからね」


 ペルセポネは立ち上がると、ハーデスの目を見ながら言った。ハーデスは目を逸らそうとしたが、吸い込まれたかの様に彼女から目を離す事が出来ない。


「しかし、なんでお前、俺がここに居ると?」

 震えながら尋ねるハーデスにペルセポネは遠い目をしながら答えた。

「ちょっと冥界に忘れ物しちゃったんで、取りに帰ったらあなたが居なかったのよ。それでタナトスが怪しい動きをしてたから、ちょっと締め上げたら教えてくれたの。あなたが人間の国で高校生やってるって」


 ハーデスの頭にタナトスがペルセポネに締め上げられている姿が浮かび上がった。ペルセポネは母(ハーデスにとっては姉でもあるのだが)デーメーテルに似て、気性の荒いところがあり、怒るともの凄く怖いのだ。


――タナトス、怖かったろうな……次は儂の番だ……ペルセポネに締められる……――


絶望的な顔のハーデスに彼女は微笑みを浮かべながら言った。

「まあ、浮気はしなかったみたいだし、今回は許してあげようかな」

「浮気はしなかったみたいって……見てたのか?」

 ハーデスは驚愕して震え出した。ペルセポネはいったいドコで何を見ていたと言うのだろう?


「うん。タナトス、もう出て来て良いわよ」

 ペルセポネの呼びかけでタナトスが姿を現した。その手にはハーデスの隠れ兜が抱えられている。


「コレって便利ねー。あなた、まったく気付かなかったもの」

 隠れ兜をタナトスから取り上げ、弄びながら笑うペルセポネ。

「コレ被ってこっそり見せてもらったわ。メンテ―の時とは違ったからちょっと嬉しかったな」


 被れば姿が見えなくなる隠れ兜。冥界の王ハーデスの象徴的武具であり、ティタノマキアではコレを被ったハーデスが敵の武器を奪い、戦闘力を削ぐという作戦が大成功したと言う代物である。時折ハーデスが感じた視線。それはこの隠れ兜を被って姿を隠したペルセポネのモノだったのだ。


「ハーデス様、申し訳ありません。ペルセポネ様に……」

 平身低頭で謝るタナトスをハーデスは笑って許した。

「うむ、わかってる。すまなかったな、タナトス。ペルセポネ、怖かっただろ?」

「そりゃもう。死を司る私が死を覚悟しましたからね」

 ペルセポネに締め上げられたのを思い出したのか、タナトスはわなわなと震え出した。


「さあ、わかったところで冥界に帰るわよ。タナトスはタナトスで仕事があるんだから、冥界の王はやっぱりあなたが努めないとダメでしょ」

 ペルセポネがパンパンと手を叩いて言う。しかしハーデスは浮かない顔。

「そんなん言うても……儂が冥界に戻っても、お前はまだオリンポスにおるんやろ? 冬が来るまで……」

 喋り方が古戸君から愚痴る時の冥王ハーデスに戻ってしまっている。


「ペルセポネ様、ハーデス様はお寂しいのです。春になり、あなたがオリンポスに行かれている間の寂しさを何千年も我慢されてきたのですよ。それが遂に限界を越えてしまってこの様な事態に……」


 タナトスがハーデスを庇う様に言う。『自分が居ない間、ハーデスは寂しい思いをしている』ペルセポネはそれを聞いて嬉しく思ったが、決まりは決まり。春から秋の間はオリンポスで過ごさないと母デーメーテルの機嫌を損ねて地上がとんでもない事になってしまう。ペルセポネはペルセポネで冥界に連れ去られた当初は泣いて帰りたがっていたが、ハーデスと長い時間を過ごす事により、ハーデスの優しさに触れ、今では心から愛しているのだから。だが、とりあえずこの場を収めなければならない。


 考えたペルセポネは制服のポケットからある物を取り出した。

「あなた、コレがあるじゃない。あなたも持ってるわよね」

 彼女がポケットから取り出した物は人間の便利グッズ、スマホだった。


「もちろん持ってるさ。あんまり使わなかったけどな……あっそうか!」

 ハーデスもスマホを取り出すとペルセポネは笑顔で言った。

「コレがあればいつでもお話が出来るでしょ」

「……まあ、そうだな。それだけでも良しとするか」


 納得した様なそうでない様なハーデスにタナトスが問いかける。

「ハーデス様、それでよろしいので?」

「ああ。コレがあれば離れていてもペルセポネの声が聞けるからな」

 片手でスマートフォンを弄ぶハーデス。だが、タナトスには理解出来るわけが無い。まあしかし、ハーデスが良いと言っているのだからそれで良いのだろうと追求はしないでおいた。


「名残惜しいが、冥界に帰るとするか」

「その前に、あの子達の記憶は操作しないとね」

 ハーデスが腹を決め、冥界に帰ろうと言うと、ペルセポネはハーデスが人間の高校生達の生活を引っ掻き回してしまった事の後始末をしなければならないと言い出した。それはそうである。何もせずに帰ってしまっては古戸真守と泉玲子が行方不明となり、大騒ぎになってしまう。また、ハーデスは望美と優子に対する申し訳なさを感じていた。


「そうだな。島本さんと川上さんには悪い事をしてしまったな」

「でも、美紀ちゃんと山本君には良い結果になったじゃない。あの二人にとってあなたは冥王じゃ無く、愛の神、エロースよね」

 決して二人がエロい仲になったという意味では無い。エロースとはローマ神話で言うキューピッドのギリシャ神話での呼び名である。


「伊藤君はただのバカだったけどね」

 更にオチの様に付け加えるペルセポネ。しかしハーデスはそれを善しとしなかった。

「いや、アイツはアイツで良いところもあったんだぞ」

「ドコに?」

 ペルセポネの問いに答えようとハーデスは伊藤の良いところを考えてみたが、どうにも見つからない。そこで究極とも言える答えを導き出した。


「……うーん、バカなところかな」

「何よソレ」

 呆れるペルセポネ。しかしハーデスはきっぱりと言い切った。

「男はそれで良いんだよ」

 男なんて幾つになってもバカなもの。実際、今回の騒動も何千年も生きてきたハーデスが引き起こしたものだ。男なんてバカなぐらいが良いのだ……きっと。


「あの子達の記憶はムネモシュネにでもなんとかしてもらいましょう」

 そんなハーデスの持論を置いといて、事の収拾を図ろうとするペルセポネ。やはり男はバカで女がしっかりしているのが良いのだ。


「姉さんに頼るのかよ。まあ、しょうがないか」

「パパの彼女だもの。きっと手を貸してくれるわよ」

 ムネモシュネとは記憶を司るという神である。ゼウスが手を出した女神の一人で、ペルセポネからすると父の愛人(愛神?)という事になるのだろうか。


「って事は……兄貴に今回の事がバレるんじゃないか?」

 ハーデスが気にしたのは、今回の騒動がゼウスに知れることにより、文句の一つも言われるのではないかと言うこと。なにしろ自分は天空の神となり、ハーデスに冥界を押し付けた男である。おまけに本来は弟だったのに今では兄、更には義理の父とまでなってしまったややこしい関係なのだ。何を言われるかわかったものでは無い。


「それは私が上手い事言っとくから安心して」

「頼むぞ、マジで。兄貴が絡むと面倒臭いからな」

「任せといて。じゃあ、行きましょうか」

 今度こそ人間界から去ろうとしたペルセポネをハーデスは呼び止めた。

「あっ、ちょっと待ってくれ」

 彼はタナトスにスマホを渡して説明を始めた。


「……わかったな。儂が『はいっ』と言ったらここをタッチするんだぞ」

 タナトスはわかった様なわからなかった様な顔でスマホのカメラをハーデスとペルセポネに向けた。

「はあ。この状態でハーデス様の合図でココを触ればよろしいのですね」

「うむ。じゃあいくぞ。ちゃんと二人は画面に入っているだろうな」


 頷いたハーデスは大事な事、二人がちゃんとフレームに入っているかどうかを確認した。もし失敗したら、それこそ後で何を言われるかわかったものでは無い。タナトスはあらためて二人がしっかりと画面に収まっているのを確認した。

「はい、もちろんです」


 それを聞いたハーデスはペルセポネの肩に手を回すとカウントダウンを始める。

「それじゃ行くぞ、3・2・1・はいっ!」

 静かな公園にスマホカメラのシャッター音が響いた。玲子と古戸、最後の記念撮影。これで人間界ともお別れだ。


「あばよ、瑞鳳学園。短い間だったけど、楽しかったぜ」


 ハーデスの頭を瑞鳳学園での楽しかった記憶が駆け巡る。

 まずは山本の人好きのする笑顔。

「山本、日高さんと仲良くな」


 続いて望美の弁当と優子のマドレーヌ。

「島本さん、川上さん、こんな事に巻き込んですまなかったな」


 そして、伊藤。

「伊藤……お前は……やっぱりバカだな。少しはちゃんとしろよ」

 やっぱりオチに使われる伊藤だった。


――お前たちが冥界に来たら、ムネモシュネに頼んで記憶を戻してもらって……また楽しくやりたいもんだな――


 ハーデス、ペルセポネ、タナトスの姿は公園からかき消される様に消えた。

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