第10話 山本には愛が、ハーデスには試練が?

 月曜日、教室はちょっとした騒ぎとなった。さもあらん、美紀が山本にべったりひっついていたのだから。実のところ、美紀も男子に意外と人気があったのだ。山本は「黙っていればかわいいのに」と言うが、そんなバカなところもかわいいと思う男子も居ると言う事だろう。もっともドジっ子や、ちょっとバカ……いや、お茶目な事ばっかり言う女子が可愛いのは平面の世界だけで、リアルでだと腹が立つだけの存在でしか無いのだが。

 にもかかわらず、山本に纏わり付く美紀の姿を見て嘆き悲しむ男共の嘆きの声は、あちらこちらから聞こえてくる。


「まさか美紀が山本とくっつくとはな……」

「実は俺も狙ってたのによ……」

「体育の時の短パンから伸びる足が好きだったのに……」


 もちろん彼等は「狙う」とか「好き」などと言いながらも行動を起こす事は無かった。だから美紀を山本に取られたのだ。

もっとも実際のところは山本が美紀を口説いたわけでは無く、ハーデスの為とは言え女子を海に誘い、美紀が溺れるというアクシデントに対しても即座に助けにいくという行動を起こした結果、美紀が一方的に好意を示しているのだが。


 そんな声を聞いて美紀が山本に耳打ちする。

「聞こえてる? 私、結構人気あったんだね。嬉しい? 自慢の嫁ですよ、自慢の嫁!」

「自慢の嫁? 誰が? 誰の?」

 トボけた様に山本が言い返す。もちろん彼も悪い気はしないでも無い。しかしそんな事を言われると、ついつい意地悪な事を言ってしまう。何故男という生き物はこんなにバカなのだろうか? それを聞いた美紀は涙を流しながら山本に喰ってかかる。

「もらってくれるって言ったじゃない! あんな事になって、私、もうお嫁に行けないわ!」


 美紀の声が響き渡ると共に、教室の空気が凍りついた。そして、あちこちでヒソヒソ話す声が聞こえ出した。

「美紀、あなた、いったい山本に何されたの?」

 心配した女子数人が美紀の元へやってきて説明を求める。もっとも心配したというより好奇心の方が勝っているかもしれないが。

「海でね……口を塞がれて……抱き締められて……肌と肌が触れ合って……」

 恥ずかしそうに途切れ途切れに話す美紀。


「誤解を招く様な喋り方をするなぁぁぁ!」

 まるで襲われたかの様な口ぶりに、たまりかねた山本が割って入って一から十まで説明する。美紀が溺れたところから始まって、山本が助けに行って一緒に溺れそうになった事、通りかかったゴムボートの子供に助けてもらった事……


 すると美紀が不満そうな声を上げる。

「なんでそんな事言っちゃうのよ~!」

「そりゃ言うだろ! 黙って聞いてりゃ俺、犯罪者みてぇじゃないか!」

 もの凄い形相で山本は言い返す。無理も無い。確かに美紀の話し方では山本は完全に性犯罪者にしか聞こえない。


「あなたはとんでもないモノを盗んだ犯罪者です。それは私の……」

「人を稀代の大泥棒みたいに言うな」

「ちぇっ、つまんないのー」

 口を尖らせる美紀を山本はジト目で見ながら言う。

「大体、彼氏が犯罪者のレッテル貼られて良いんかよ?」

 すると美紀は話の要点をまるっきり無視し、ひとつの言葉に目を輝かせて食いついた。

「今、彼氏って言った? 私の彼氏って認めた?」


――墓穴掘った――


 山本は思ったが、もはや後の祭りである。嬉しそうに飛び込んできた美紀を受け止め、自他共に認めるカップルが今ここに誕生したのだった。

美紀と山本が付き合う事となり、一部の男子共の慟哭が聞こえる中、女子達の興味は望美と優子、そして玲子の三竦み、いや、三つ巴の戦いにあった。

 ハーデスと仲の良い山本が美紀とくっついたという事は、当然望美がハーデスと一緒に居る時間が増えるだろう。と言う事は、弁当作りで一歩リードしている望美が更に有利な展開になるというのが自然な考え方だろう。しかし、定石通りに行かないのが人生と言うヤツである。


ある日、始業のチャイムギリギリに教室に入って来た美紀を見て、山本が声をかけた。

「おう美紀、今日は遅かったな……って、その手、いったいどうしたんだよ?」

「うわっ、痛々しい…… 日高さん、大丈夫?」

 ハーデスも心配そうな声を上げる。美紀の両手の指には何枚もの絆創膏が巻かれていたのだった。彼女は隠す様に両手を後ろに回すと誤魔化す様に笑って答えた。

「えっ、ああ、何でも無いよ。大丈夫大丈夫!」

 訝し気な視線を送る山本を何故か望美が笑顔で見ていた。


 昼休み、いつもの様に弁当を持って望美がハーデスの席に歩いて来た。もちろん美紀も一緒だ。だが、今日は美紀も弁当箱を二つ手にしている。

「山本君…… 今日はお弁当、作って来たの。よかったら私のも食べて」

 恥ずかしそうに弁当箱を差し出す美紀。絆創膏だらけの指の意味を理解した山本は今まで見せてきたどの笑顔より良い顔で答えた。

「ありがとな。もちろん喜んでいただくぜ」

 望美もハーデスに弁当を渡すと座った。伊藤は羨ましそうな目で二つの女子の手作り弁当を眺めていた。


「やっぱりこっちからいただくとするか」

 美紀が作った弁当の包みを開けた山本の目が点になり、一瞬動きが止まる。

「み、見た目は悪いけど……」

 悲しそうな美紀の声。山本は彼女のそんな声を吹き飛ばす様に笑いながら箸を取った。

「何言ってんだよ、俺の為に作ってくれたんだろ? それだけでも嬉しいぜ」

 初めて女の子に弁当を作ってもらった男なら間違いなく同じ言葉を言うであろう。もし、「そうだね、見た目は良くないね」などと本音を口に出す様な男が居たらお目にかかりたいものである。もしかしたらハーデスならポロっと言ってしまう様な気がしないでも無いが……


 見た目はともかく味は良いのだろうか、山本は一品一品美味しそうに食べていく。その姿を見てほっとした様に美紀も自分の弁当に箸を付ける。玉子焼を口にした時、ガリっという嫌な感触。お約束とも言える卵の殻である。お約束と言えばもうひとつ、砂糖と塩を間違えるというのもあるが、そっちは回避出来た様で、味は問題無かったのが救いである。


 美紀がおそるおそる山本を見ると、相変わらず美味そうに食べていた山本が美紀の視線に気付き、顔を上げ、目が合うと良い笑顔で言った。

「美味いぜ。お前、料理上手いじゃねーか」

 その言葉に美紀が微笑んだ時、彼女の耳にガリっと嫌な音。美紀はビクッとしたが、彼は何事も無かった様に食べ続けた。


「ふぅ~、美味かった。ごちそうさん」

 美紀の弁当を食べ終えた山本は続いて母親が作った弁当に手を付けるかと思われた。しかし彼はそれを机にしまい込んでしまった。


「あれっ、もう食べないの?」

 不思議そうな顔でハーデスが声を上げる。それはそうだろう、美紀の作った弁当だけでは山本の腹は満たされる筈が無い。なぜなら美紀は、フルサイズの弁当を渡して母親の弁当を食べられなくなったら彼の母親に悪いという考えで小ぶりの弁当箱を使ったから。弁当作りに挫折するのを恐れ、前もって「明日は弁当を持って来なくて良い」と言えなかった彼女のセーフティネットである山本母の弁当、それが使用されず、机にしまい込まれようとしている。


「ダメよ、山本君。お母さんのお弁当も食べないと。お母さんに悪いわよ」

 慌てて言う美紀に照れた様な顔で山本が言い返す。

「だってよ…… 今、お袋の弁当食っちまったら、お前の弁当の味が消えちまうじゃんかよ」

「な、何言ってんのよ。だいたいこんなちっちゃなお弁当で足りるわけ無いでしょ。すぐまたお腹空くわよ」


 美紀は、嬉しいやら恥ずかしいやらで顔を真っ赤にしながらも彼を諌めてちゃんと食べさせようとする。そんな彼女の頑張りも虚しく山本は机にしまおうとした弁当箱を美紀に見せると涼しい顔で言い放った。

「ああ、その頃にはお前の弁当の味も無くなってるだろうから、そん時にコイツは喰う事にするぜ」

 もはや美紀には返す言葉が見つからなかった。


「山本の勝ちだね」

 二人のやり取りを黙ってみていたハーデスが苦笑いしながら判定を下す。続いて望美も言葉をかける。

「良かったわね、美紀ちゃん。そこまで喜んでもらえて」

 羨ましそうな望美の表情。ハーデスも望美の弁当を喜んで食べているのだが、それはあくまで弁当が美味しいからという理由だけで喜んでいる風にしか感じられない。山本の様に愛情が垣間見える言葉はハーデスの口からは出ていないのだから。


――古戸君、全然振り向いてくれないな――


 少し感傷的になってしまう望美だった。もちろん望美以上に感傷的な伊藤はこんな事を考えていた。


――望美と美紀はなんで二人で一組なんだよ……もう一人友達が一緒だったら、女子が三人だったら俺にも一人回って来た筈なのに…… 望美、美紀、今からでも遅くは無い。次からはもう一人誰か連れて来てくれ。ってか、それぐらいの空気読んでくれよな…… 


 こんな事を考えているから伊藤はダメなのだろう。


 そんな感じで五人が弁当を食べ終わり、何と言う事も無い話をしていると、優子がニコニコしながら何やら包みを持って近寄ってきた。

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