白さんの思い出 2/2

 「白さん」


 と呼びかけても勿論白さんは反応しないのですが、時々私の言葉を解してくれたみたいに私のことをじっと見下ろします。


 「白さんは口が聞けないの?」

 「………」


 「白さんはどこから来たの?」

 「………」


 「白さんは私のことが分かるの?」

 「………」


 白さんに色々なことを尋ねましたが、白さんはいつも無言でした。三点リーダーでさえ、本当に返してくれたかは定かでありません。けれど私は、とりわけ「どこから来たの?」の質問をしつこくしました。

 なぜかというと、私は白さんの存在に、死後の世界の可能性を見出していたからです。


 「白さんは死後の世界から来たの?」

 「…………」


 「天国や地獄はあるの?」

 「………」


 「地獄より天国の方がいいけど、私は善人じゃないから二択ならきっと地獄に堕ちるわ」

 「………」


 私はいつのまにか目をつむって、学校の昼休みを想像していました。私は自分の席に座って、隣の子と額をくっつき合わせて秘密の話をしているのです。その子が白さんです。


 「あのね、白さん。私は痛いのも苦しいのも嫌いだけど、まったく全部が無になるより、痛くて苦しいのが永遠に続く方がいいと思うの。だって苦しいのも痛いのもいずれは慣れるけれど、無になったら苦しいとも痛いとも考えることができなくなるんだよ。考えることも、思うことも、考えることができないってことすら考えられなくなるんだよ。そりゃあ苦しいのも痛いのも嫌だけれど………苦しいや痛いは思い出にできるでしょ。過去に苦しかったことや痛かったことを思い出して、胸が窄んだり背筋がぞわぞわしたり頭を抱えたくなったりするのは、苦しいとか痛いとか以外の感情だよね。私、そういうのは嫌いじゃないの」


 想像の中の白さんは、「ふうん」とか「へぇぇ」とか何気ない相槌を打って聞いてくれます。聞き上手の友達。昔から私が、何より欲しかったものです。


 「それにね、苦しくても痛くても、何を考えているかは自由じゃない?私、授業中とかマラソン中とか叱られているときとかはずっと頭の中で好きな音楽を流したり、見たアニメのシーンを思い出していたり、漫画の展開の続きを考えたりしているの。何よりも一番楽しいときだわ。そんなとき、肉体はむしろ邪魔じゃないかって思うの………授業が終わったら、マラソンが終わったら、説教が終わったら、また考えていることは中断されちゃうでしょ。ずっと考え事をしているわけにはいかないの。だって、マラソン中でもない限り、ずっと考え事をしていたら、体がお留守になっちゃうから………」

 「じゃあ、来る?」

 「………」


 その言葉は、果たして私の想像の中の声だったのでしょうか。白さんが声らしきものを発したのは、これが最初で最後です。

 私は目を開けて、未だじっと私を見つめる白さんを見つめ返しました。白さんの顔は、やはりどこが目なのか口なのかも分かりませんけど、そもそも顔があるのかどうかすらも分かりませんけど、白さんはぐっと私の顔に額をくっつけるほど接近していました。

 じゃあ、来る?って………私は声を出せませんでした。いいえ、意図的に出さなかったのかもしれません。声を出したら、これから行われるの神聖さが失われる気がしたのです。

 白さんは体を起こして伸びをしたかと思うと、風に煽られ後ろ向きに屋上から落ちた少女のように儚く霧散し、代わりに凝縮し現れた一本の腕が、私の腕を心臓の位置から掴みました。

 魂を引きずり出すノブは心臓の位置にあるらしいのです。するすると、するすると、皮を脱がされるように体に纏っていた熱が引くのを感じました。いつのまにか布団の圧力もなくなり、私は布団の中にいながら、上体を起こしていました。私の魂だけが、上体を起こしていました。肉体を置き去りにして。白さんに引っ張られて。


 やらねばならないとき、というのが誰にでもあります。それが私には今です。私は決断を迫られていました。

 決断にはリスクを伴います。痛みを伴います。決断して、進んでしまったらしまったらもう二度と戻れないからです。


 来るって。どこへのでしょうか。

 あの世でしょうか。天国でしょうか。地獄でしょうか。

 ただ一つ言えることは、私がを受け入れたら、もう二度と戻ることはできないということだけです。

 それは死ぬのと同じ。


 「やっぱり行きたくない」

 いつの間にか口を衝いて出てた言葉は、白さんを消滅させました。私は体が自由になったことを悟って体を起こしました。白さんを探しました。が、白さんの気配を微塵も感じませんでした。

 煙のように霧散するのでなく、水のように流れていってしまうのでもなく、まるで夢から冷めたようにパタリといなくなってしまったのでした。


 以来、白さんらしき残滓がたまに私を金縛りに遭わせますが、私は簡単に金縛りを抜け、眠って、そのような夜を数ヶ月繰り返しているといつのまにか白さんは全く現れなくなりました。


 なくなったのは白さんだけでなく、私の死への異常な恐怖も一緒でした。

 死ぬのは依然怖いですが、私は以前ほど死を意識していません。だけど私は、時々今でも白さんの気配を探して眠ります。誰か、白さんを見かけた人がいたら、私に教えてくださいね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白さん 木野春雪 @kinoharuyuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ