第2話 一晩泊まりにくる関係

 異変に気付いたのは、奏多のアパートに近づいた時だ。

 彼女の居住地は駅からは歩いて15分ほど。住宅街ど真ん中にある。

 それにしては辺りがざわついていた。

「なんか、パトカーめっちゃおるんやけど」

「せやね、マスコミの車も多いなあ」

 奏多は剥き身のスマートフォンを取り出して、電源を入れた。

 持ち主の顔が青白く照らされる。

「あ」

 間の抜けた声が奏多から出たのと、僕が警察官に止められたのは同時だった。

 窓を開けると、人の良さそうな顔が近づいてくる。

「ごめんねー、ちょっとここ通行規制してるんだわ」

「え、この道通って家に帰りたいんですけど……」

「ちょっと厳しいかもなー、今立てこもり事件が起きててね」

 ピンときた。

 嫌な予感も。

「……それって、松野荘だったりします?」

 助手席からの声に、検問担当者は驚いたようだった。

「なんでわかったの」

「なんとなく、です」

 察したように、警察官の顔が気の毒そうになる。

「あー、もしかしてそこの住人さん?だったら今日は帰れないね……」

「わかりました 」

「ありがとうございます」

 礼を言って車を走らせる。

 奏多がカーラジオのチャンネルを変え、立てこもり事件についてのニュースをつけた。

 住民を人質にとった立てこもり事件で、犯人は銃を所持しているとのこと。これは当分近づけそうにない。

 ーー研究領域と学費の面から、奏多は東海の院を選んだだけだ。

 地縁はない。

 真面目に研究をしようとすると、生活は厳しい。研究時間の確保と生活費の捻出の両立は無理ゲーだ。ましてや一人暮らしならなおのこと。

 シンプルな服で固めた姿が目に入る。

 予定外の出費をする余裕なんてない。

「八城」

「ん?」

「ラブホは遠慮したいんだけど、うちくる?」

「……」

「一応断っておくと、なにもしないしする気はないし。ネカフェよりは健康的で、ホテルに泊まるよりは財布に優しいでしょ」

 彼女はなおも考えているようだった。

「広瀬は」

「うん」

「迷惑かけない?」

「飲み会あるし、今日の夜はあけるよ。彼女とかもいないし」

「……わかった。一晩お願いします」

「おっけー」

 あとはひたすら、ラジオニュースだけが流れていた。



 先に下ろした奏多は駐車場で佇ずんでいた。

 だんだんと言葉少なになっていって、マンションの階段をうつむき加減に上り、後ろをついてくる。

「ここ、エレベーターなくてさ。今度住むなら六階建てにしよっかなって。六階以上なら絶対エレベーターあるしさ」

「うん」

 他愛ない話を振るうちに4階の角部屋に着く。

 鍵をポケットから出して、差し込んだ。

「荷物置くから先はいるよー」

 返事を聞かず、廊下にビニール袋を置く。

 振り返って見えた奏多は、ためらっているようにも見える。

「八城」

「あ……」

 奏多が持っていた荷物をそっと持つ。

そのときの距離は、今までよりも15センチ近い気がした。

 奏多はなにも言わず、小さくうなずいて部屋に入ってきた。

 揺れていた瞳も、僕に対しての態度が違うことにも、全部気づかないふりをした。

 彼女の性格上、経験値を積んでいるオーラを振り撒くことはないだろうけど。

 男の部屋に入ったのは、これが初めてなんだろうか。

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