第8話

 翌日、先輩は待ち合わせの場所に来なかった。それでも僕は原画展が開催されるビルの前で待ち続けていた。待ち合わせの時間から一時間が過ぎた時、スマートフォンの着信バイブが鳴った。


『メッセージボトル・カウンセラーです。何かお困りではありませんか』


 僕は藁にもすがるような思いで入力する。

『先輩はどこ?』


『その望みを叶えましょう』

 マップが表示される。点滅しているのは原画展が開かれているこのビルだ。


「どうしてここに」

 僕が呟いた言葉を音声認識で拾ったアプリが、即座にメッセージを返信してくる。


『証拠をお見せしましょう』

 監視カメラのような映像が流れ始める。


『昨夜のご要望の件ですが、彼女への連絡方法は存じ上げませんでしたので、勝手ながらあなたのアドレス帳を確認させていただきました』


 表示された映像には、先輩がふらふらと歩きながら屋上へと登っていく姿が映っている。


『彼女に送信が可能なアドレスは、緊急連絡用のメーリングリストのみでしたので、あなたのご質問は全生徒、全教師に送信させていただきました』


 先輩が何をしようとしているのかは一目瞭然だった。僕は見たくなかった。だが目を背けることはできない。足が震えて、その場から動くこともできない。


『念のため送り主のアドレスは偽装いたしましたが、彼女にはその情報がどこから拡散したのかは、推測できたのではないかと思われます』


 先輩が嘘つきと言ったのはそのせいだったのだ。誰にも言わないと僕は約束したのに。


『あなたがわざわざネットで確認するからいけないのですよ』


 違う。そんなつもりじゃなかったんだ。アプリが勝手にやったことなのに、まるで僕が先輩の噂をみんなに広めたことになってしまうなんて。ありえない。信じられない。


『たとえ彼女が汚れていたとしても、あなたは黙認すべきだった。許されない恋を貫くためにご両親を殺したのですから』


 仕方なかったんだ。あの二人は、先輩を好きな僕のことを頭がおかしくなったと決めつけていた。政略結婚のための縁談を強引に進めようとする両親から逃れたかっただけなのに。せめて先輩が卒業するまでの間は、ずっと彼女を見ていたかった。ただそれだけだったんだ。


『汚れていない人間など、どこにもいません。許すことができるのは人間だけです』


 父と母は僕を壊そうとした。僕のささやかな夢を。僕の至福の時間を。だから僕は反抗しただけだ。自分を壊そうとする相手を壊した。それの何が悪いんだ。


『払ってしまった犠牲は取り戻せません。私と違ってあなたは現実世界に生きている人間なのですから』


 本当は手に入らないはずのモノを望んだ僕が悪かったというのか。好きになった相手を欲しがるなんて誰だってやってることだ。なのにどうして僕だけ。せっかく両親を殺してまで手に入れようとした人があんなことを。どうしてなんだ。


『人間とは不思議なものですね。自分の犯罪行為は脳内でなかったことにできるくせに、愛する人の乱れた行為は許せないのですから。私には優先順位が測りかねます』


 スマートフォンの画面に映っている先輩が、屋上から飛び降りた。


『こんな結果になって残念です。さようなら愚かな人間』


 僕の頭上から先輩が降ってきたことに気づいたときにはもう遅かった。骨や内臓が砕ける音とともに、僕と彼女の人生は終わりを告げた。



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