第7話

 放課後になるまで僕は気もそぞろだった。授業の内容なんてこれっぽっちも頭に入らない。どうやって先輩に声をかけようか。そればかり考えていた。


 すべての授業が終わって、部活が終わるまでの間は図書館で時間を潰す。南側の窓からちょうど弓道場が見えるから好都合だった。しばらくすると袴姿の生徒が数人出てきた。どうやら部活が終わったようだ。僕は読んでもいないのに読んでいるふりをしていた本を棚に戻すと、カバンを持って弓道場へ走った。


「先輩、あの」


 僕が声をかけると、袴姿の先輩が振り返った。一つに束ねた後ろ髪が少し遅れて揺れる。心なしか目が赤い気がする。泣いていたのだろうか。


「これ一緒に行きませんか」


 スマートフォンの画面を見せる。原画展のサイトが表示されていた。先輩は驚いたように僕の目を見た。


「君、どうして」

「知り合いが行けなくなって。チケットがもったいないので誰か行ける人がいないか探してたんですが。先輩がこの漫画家さんのファンだと聞いたので」


 すべて嘘っぱちだった。自分でも驚くぐらい口から出まかせの言葉がスラスラと出てくる。だが先輩は困ったような顔をしている。

「明日は予定が。気持ちは嬉しいんだけど、ちょっと難しいかな」


 どうやら切り札を使うしかないようだ。

「お願いします。ファンなんです」


 僕はスマホの画面を先輩に見せた。『イケない地下アイドル』というウェブサイトのタイトル画像を見た先輩は、目を見開いて固まった。


「ちょ、ちょっと、これどこで」

 真っ赤になっている。照れた顔も素敵だった。


「僕はただ先輩と一緒に原画展に行けたら嬉しいなと思っただけで。ダメでしょうか」


 先輩の表情は引きつっている。後輩に突然デートのようなものに誘われて困惑しているのだろうか。


「それ、絶対に誰にも言わないって約束してくれる?」

「言いません」

「じゃあ、明日十時に」

「あのこれ、僕の電話番号です。なにかあったら連絡してください」


 僕は先輩に番号を書いたメモを手渡した。先輩は素早くメモを受け取り、走り去っていった。袴姿で走る先輩を目で追う。揺れる髪、姿勢のいい背中、ずっと見ていられる。


 学校では制服や袴姿しか見たことがないが、先輩は明日、どんな私服を着てくるのだろうか。シックなお嬢様風か、可愛らしいパステル系か、きっと何を着ても先輩は輝いていることだろう。楽しみで仕方がない。

 明日までは何があっても生き抜こう、僕はそう心に誓った。


 家に帰ってから僕は、ふと何かが気になって『イケない地下アイドル』というタイトル名を検索した。実際に同じタイトルのサイトがヒットする。だが、十八歳以上でないと登録できないらしく、詳しい内容は確認できなかった。仕方なくほかの検索結果を調べていると、レビュー記事をいくつか発見した。それはとても信じがたい内容だった。


 未成年の僕には実物を確認するすべはないが、記事に使われているキャプチャー画像を見る限りは先輩にとてもよく似ている女性が出演しているチャットサービスのようだ。


 地下アイドルになりきっている複数の女性たちとチャットできるというもので、先輩によく似ている女性は一番人気らしかった。モザイクがかかっているが、髪飾りが先輩がしているものと同じに見える。利用者が払ったおひねりの金額によっては、かなりきわどい姿を見せてくれると評判になっているようだ。


 きっと何かの間違いだろう。必死にそう思い込もうとした。だが僕はあの日、先輩のためにあんなことまでしたのだ。なのにこれがもし本当に先輩がやっていることだとしたら。耐えられない。


 スマートフォンの着信バイブが鳴った。

『メッセージボトル・カウンセラーです。何かお困りではありませんか』


 僕は思っていたことを入力した。

『あれは本当に先輩なのかどうか調べて』


 すぐに返事が返ってきた。

『その望みを叶えましょう』


 メールが勝手に立ち上がり、どこかに送信されたようだ。僕は先輩のメールアドレスを知らない。いったい誰にメールをしたのだろう。送ったはずのメールは瞬時に削除されたようで見当たらない。数分もしないうちに、非通知の番号から電話がかかってきた。不審に思いながら僕は電話に出る。


「嘘つき!」


 それだけ言って電話は切れた。その声は先輩の声に似ていた。だが僕は先輩の連絡先は知らない。折り返そうにも非通知で確認のしようがなかった。クラスメイトや知り合いの誰にも電話番号は教えていないのだから、先ほどの電話はやはり先輩だったのだろう。


 結局アプリにお願いしていた真相もわからずじまいだった。なぜ先輩に嘘つきと言われなければならないのかよくわからないまま、僕は眠れない夜を過ごす羽目になった。




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