第22話

 翌日。

 僕は学校で里香と話し、篤に肩を小突かれ、岡倉先輩(その日のフェイスペイントはショッキングピンクだった)にからかわれながら、特に何事もなく帰宅した。それから向かうのは、もちろん祖父の家だ。


 鍵を開けながら、自分の存在を祖父に知らせる。


「爺ちゃん、今日も来たよー」

(おう、竜太。入ってくれ)


 ん?

 僕は祖父の声に、僅かばかりの違和感を覚えた。声のトーンが、いやに落ち着き払っている。祖父らしくないな――。どこか不安に引きずり込まれるような感じがする。

 いや、そんなことを言っていても始まらない。僕は靴を脱いで廊下に上がり込み、書斎に入って小さな本箱に手を伸ばした。


「今日はどの季節だい、爺ちゃん?」

(いや、今日はどこにも行かんで構わん。話がしたい。この話は、里香にも通じている)


 そうか。では拝聴しよう。

 僕は剣道をやっていた時の癖で、その場に正座した。


(お前の父さん――竜平は、中間霊域のことを知っているな? というより、信じているな?)

「うん。あんなに現実的な父さんが、どうして中間霊域のことを信じているかなんて、すごく不思議だけど」

(それはな、竜太。お前の父さんも、中間霊域に来たことがあるからだ)

「!?」


 突然の展開に、僕は息を詰まらせた。


「父さんがここに!? どうして……」

(ここではない。竜平は婆さんの――母親の中間霊域にいざなわれて、話を聞いたのだ)


 僕は中間霊域の仕組みを思い返した。

 死者一人一人に与えられる空間であること。任意の人物が誘い込まれることがあること。そして、時折それは明確な記憶として、いざなわれた人物の記憶に残るということ。

 だから父は、あんなにあっさりと僕の話を信用したのか。


(突然ですまんがな、竜太。これは父さんに直接、お前が尋ねてほしい。一体、婆さんの中間霊域で一体何が起こったのか)

「父さんをここに連れてきて、中間霊域に入るわけにはいかないの?」


 すると、唸り声と思しき思念が僕の脳内に反響した。こんな深いため息をつく祖父は初めて見た。否、聞いた。


(あやつは頑として拒絶するだろうな、そんなことは)

「あやつって、父さんのこと?」

(そうだ。だからこそ、お前に訊いて来てほしいのだ)


 なんだか随分と重い任務を背負わされてしまった。僕なんかで大丈夫だろうか? そもそも、父さんが爺ちゃんの中間霊域に入りたがらない理由は何だ?

 まあ、それも含めて訊いて来いということなのだろうけれど。


(頼めるか、竜太?)

「分かった。爺ちゃんがそれでいいって言うなら」

(うむ。頼む。里香も、また中間霊域に誘うことがあるだろうから、無理のない範囲で竜太を助けてやってくれ)

(分かりました)

(では、今日はこれで解散)


         ※


「あら竜太、悩み事?」

「え?」

「だって、好物のハンバーグ、全然手をつけてないじゃない?」

「あ、うん……。何でもないよ」


 三時間後、高峰家の食卓にて。

 時計は既に、午後八時近くを回っている。父さんからは、『先に晩ご飯を食べていてくれ』という旨のメールが母さんに届いたらしい。


 一緒に食卓を囲めば、話を切り出しやすいかと思ったのだが。今日も父の帰りは遅い。

 僕は似合いもしないのに大きくため息をついて、少しずつハンバーグを切り分け始めた。

 あれ? 母さんのハンバーグって、こんなに薄味だったっけ……? 緊張で味覚が麻痺しているらしい、ということを悟るのに、大した時間はかからなかった。


         ※


「ただいま。帰ったぞ」

「あらお父さん、お帰りなさい」

「ん」


 玄関に、父を出迎えにでる母。時刻は午後九時半を指していた。僕は二階の自室で物理や化学と取っ組み合いをしていたのだが、父の声を聞いて立ち上がった。


「おや? 今日はいるんだな、竜太のやつ」

「ええ。今日はあんまり遅くならなかったようね」


 などなど、他愛のない遣り取りを耳にしながら階段を下りていく。


「父さん、お帰り」

「おう、竜太。勉強はどんな調子だ?」

「ん……。まあまあ、かな」

「もうじき高校初の期末試験だな? 気を抜くなよ」


 挑戦的な笑顔を見せてくる父。機嫌はいいようだ。話し出すなら今日だろう。


「父さん、少し物理で教えてほしいところがあるんだけど、お風呂上りにでも質問しに行っていい?」

「ああ、大丈夫だぞ」


 僕の言葉は無論、嘘だ。祖母の中間霊域でのことを尋ねるのに、母を巻き込むのを防ぐための処置だ。


「おお、今日はハンバーグか!」

「お父さんも竜太も本当に好きねえ」


 母は片頬に手を当てながら微笑んでいる。もう少し待つために、僕は自室へと戻った。


         ※


 軽いノックを二、三回。


「父さん、僕だけど」

「おう、竜太。入ってくれ」

「失礼します」


 僕は慇懃な態度で、父の書斎の扉を引き開けた。床の絨毯や本棚の配置は、祖父のそれとあまり変わらない。やはり親子だから、か。


「ん? どうした、竜太。テキストも持たないで……。質問があるんじゃなかったのか?」

「ごめん父さん、さっきのあれは嘘なんだ。ちょっと……相談事が」


 その直後、ぐっと父の眉間に皺が寄るのが見て取れた。


「竜蔵さんのこと、だな?」


 僕は無言で頷いた。


「まずは聞かせてもらおうか。お前が何を吹き込まれたのか」


『吹き込まれた』なんてあんまりだ、と思ったがここは耐える。父には冷静に話を聞いてもらわなくては。


「父さんが中間霊域のことを信じたのって、自分が婆ちゃんの中間霊域に入ったことがあったから、だよね?」


 無言で頷く父。


「その……。爺ちゃんが気にしてたんだ。父さんが、婆ちゃんとどんな会話をしたのか」

「お前に教えてやるのは構わん。だが、竜蔵にその権利はない。さしずめ竜蔵が、孫であるお前に『婆さんのことを父から聞き出して来い』とでも言ったんだろう?」


 う。図星だ。


「そうであれば、お前にも教えてやるわけにはいかん。さ、勉強に戻れ」

「で、でも、爺ちゃんはもう葉巻なんてやってないよ? 中間霊域で、葉巻を吸ってるところなんて見たことがないもの!」

「お前の婆さんがあの男の葉巻のせいで亡くなった過去は変えられん。あの世で詫びろとでも伝えておけ」


 カチン。僕の頭の中で、感情のギアチェンジが為される音がした。『怒り』モードへと。


「それが自分の父親に対する態度か!!」


 僕は足の裏から跳躍し、思いっきり父に殴りかかった。しかし、父は腕をかざして頭部をガード。軽く僕を掴みこんで突き離した。


「うっ!」


 僕は呆気なく尻餅をついた。しかし、呆然としていたのは父の方だった。

 肘掛け椅子から立ち上がりながら、


「お前、一体どうしたんだ?」

「お前、じゃない! 僕の名前は竜太だ!!」


 唾を飛ばしながら、僕は喚く。すると父は、急に脱力したような声で言った。


「竜太がここまで強気になれるとは、正直父さんも思っていなかったぞ……」

「だったら何なんだ!?」


 すると何を思ったのか、父はこちらに背を向け、デスクの棚を漁り始めた。取り出したのは、片手にすっぽり収まる程度の小さな機械。


「竜太、これをお前に預ける」

「これって……デジタルカメラ?」


 首肯する父。


「使い方は分かるな?」

「ああ、うん」

「なら、それ以上は言わない」


 え? 父は何を言っているんだ? その意図するところがさっぱり分からない。


「父さん、これをどうしろって……」

「質問はなしだ。相談も終わり。父さんは明日の会議の資料を作るから、早めに出て行ってくれ」


 すごすごと部屋に戻った僕は、ベッドに大の字に横たわって考えた。

 父さんは、何某かのチャンスをくれたのだと僕には思える。そのチャンスをくれる直前、僕は父さんに食ってかかっていた。その時、父さんは驚いていたのだ。『竜太がここまで強気になるとは』と言って。


 では、僕は何を訴えていたのか? 『祖父は祖母や父のことを大切に思っていたかもしれない』、すなわち『祖父は反省しているかもしれない』ということだ。

『かもしれない』のならば、それを確定的にする証拠が必要となる。


「そうか!」


 僕は跳ね起きながら声を上げた。

 祖父が反省しているという証拠映像を録画して、父に見せればいいのだ。

 父もそれを見たがっているに違いない。でも、頑固者の父が、祖父の謝罪映像だけで矛を収めるとは思えないのも事実。

 明日、里香や祖父と三人で作戦案を練ろう。

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