#3

 授業が一つ終わると、俺は教室を出て、自動販売機の前に立った。

 財布から小銭を取り出し、自動販売機に数枚入れると、ボタンを押す。

 取り出し口から出てきた缶コーヒーを取り出すと、近くにある校舎の日陰に入って缶の口を開ける。缶を口に当て、コーヒーを口に含む。乾いた喉を潤し、それでいて心が落ち着くような味がした。


「なーに考えているの?」


 俺がほっと一息ついていると、横に見知った一人の女子生徒が現れた。


「西尾か」


 西尾は人懐っこく、こちらに寄ってきて、シャンプーの香りを漂わせる。


「ねぇねぇ、朝はなんであんな思い詰めた顔をしてたの?」

「お前も、なんだ。わかるのか?」


 板倉と同じで、人の感情の起伏には敏感なようで、心配して聞きに来たようだ。


「まぁね、私たち中学からの仲じゃん。わりと経験則からわかる」

「そっか……」

「で、どうなのよ?」


 彼女は悪魔のような笑みを浮かべながら、俺の心境を聞いてくる。

 何か面白いことがあるのだろうか、面白ければそれをネタにして、楽しむのだろう。

 西尾は、楽しいことには手を抜かず、そこの一生懸命さはすごく頼もしいところではある。また、友だち思いではあるが、やはりその人がどう考え、どう行動するのかを楽しんでいる素振りがあるのも事実だ。

 俺は自分自身が考えていたことを、つまり、幼馴染が告白するということを、彼女に伝えていいのかを考えた。よく付き添っている仲ではあるし、放課後ぐらいには知っていることであろうと判断した。


「お前になら、話しても大丈夫なのかな」

「いいよ、話してみてよ」


 さすがに、他の人には言うことははばかられるため、俺は周りに人がいないことを確認すると、西尾の耳元に近付く。西尾のボブヘアーから、より強く女性らしい匂いがしてきた。


 西尾は俺が顔を近づけてきたことに驚いているようではあるが、それでも動じまいとそのままの姿勢を保ってくれている。身長差は15センチもないだろうが、俺は少ししゃがみ、小声で呟く。


「実はさ、今日、あいつが板倉に告白するって言ってきたんだ」


 それを言うと、西尾は少し俺から距離を置いた。少し顔を赤らめていたが、それも一瞬のことであり、それよりかは考え深く、俺の発した言葉を咀嚼していた。


「なるほどね」


 西尾の表情が、いつものそれとは違っていた。まるで、獲物を見つけたかのように、捕らえようとする眼差しが、そこにはあった。それは話題のネタにして、みんなを楽しませることを考えているいつもの彼女とは異なっている。ただ、純粋に、単純な好奇心だったのかもしれない。 


「でも、そっか。ついにあの子、告白するんだね」


 西尾はあっけらかんと何事もなかったのように、明るく振る舞う。

 俺はその態度の豹変にため息を付きつつ、少し胸の思いを打ち明けることにした。


「それを決めたのが、今日の登校中だったから、なんていうか、自分の気持ちの整理が付かなかったっていうか」

「なるほど、それでなーんか難しそうな顔をしてたのね」


 西尾は俺のこれまでの行動に納得したようで、俺のことを興味深そうに見つめてくる。


「……それほどまでに?」

「それほどまでに。あなた基本は無表情っていうか、物事にあまり関心がないのよね」

「それはひどい言われようで」


 無表情という言われ方は、なんだか癪ではあるが、それよりむしろ、物事にあまり関心がないという言われようのほうが、俺の心は傷ついた。

 確かに、俺は感情表現が上手ではないため、無表情と捉えられてしまうことはあるのかもしれない。それでも、これでも人間だ。何か面白いことがあったりすれば、それに熱中だってするし、その話を板倉とか幼馴染とかにして盛り上がったりする。関心がないわけではない。

 そう言い返そうと思った矢先、西尾は声を上げた。


「だってそうでしょう? あなたはどこかの集団に自ら飛び込もうとはせず、ただ、今ある関係を頼りにして、その関係を壊さないよう大切にしてるじゃない」


 的を射ていた。俺は自分からコミュニティには属さず、今ある関係を大切にし続けてきた。それは、親友と呼べるくらいの関係を築き上げることに重点を置いていたに過ぎず、他の子と会話しようと思えば会話することはできる。ただ、自分からは積極的に行動しないだけだ。


「きついことをおっしゃる」

「ええ、何回も言ってあげるわよ?」

「それは遠慮します」

「今ならお買い得価格にしてあげるのに?」

「金取るのかよ」

「冗談だって」


 西尾は数歩先に歩み、校舎の影から日向へ出た。少し、眩しそうな表情をしてから、手で日差しを遮った。彼女はそのまま、その場に立った。


「それじゃ、あなたも覚悟決めないといけないわね」

「というと?」


 俺は呆けたように尋ねる。俺は知らない――知っていいはずがない。

 西尾がこちらに振り向く。彼女の表情は、日差しに照らされていて、よくは見えなかった。しかしながら、俺は思う。彼女はきっと、深刻な顔をしているのだろう。それは、俺に真実を突き詰める役回りをしているからだ。


「だって、あの子と板倉、それに私だって、今までと同じ関係でいられるわけじゃないでしょ」


 俺は突きつけられた言葉に、ただ、無言で佇んでいた。知っていた、気付いていた。ただ、その真実を知ることが怖くて、目を逸していた。

 俺は真実を突きつけた彼女と目を逸したかった。でも、彼女の真剣な眼差しに、答えなければいけなかった。


「あの子と板倉が付き合ったら、私たちはその関係を邪魔してはいけない。少しはちょっかい出してあげてもいいけれども、新しくできた関係を私たちが壊すなんてことはしてはいけない。だって、それをしていいのは、当事者のあの子たちなのだから」


 彼女はさらに俺に真実を突きつける。確かに俺達は部外者だ。彼女たちの変化を止めることなんてしてはいけない。それでも、俺たちは今まで通りにすることだってできるはずだ。


「べ、別にいいじゃないのか。今まで通りにしゃべって、遊んで、それで――」

「あなたは別にそれでいいのかもしれない。けど、変わるのは、変化するのはあの子たちなのよ」


 俺の会話を妨げるように彼女は言い放つ。彼女のほうは、俺とは違い、変化を受け入れる覚悟ができているようだった。


「あなたは今まで通りに接したいのかもしれないけど、少なからずあの子たちは変わるわよ」


 彼女はただ淡々と告げる。


「それを受け入れる覚悟というか、あの子たちを祝福するための準備はしておいてよね」


 彼女は友だち思いの良い奴だと思う。でも、それでも、俺はまだ戸惑っている。


「お前は、それでいいのか」


 俺の迷いを、西尾は気付いているのだろうか。気付いているのあれば、答えてほしい。そういう思いを込めた問いだった。


「いいの悪いも、それはあの子たち次第でしょ。私が関与するものでもない――変わらないのは私たちだから」


 その発言を聞いて、俺は確信した。彼女は俺の迷いを気付いていて、同じものを共有しておきながら、彼女は前に進んだ。それはある種の変化なのだと、俺は思う――そして、変わらないのは、自分だけなのだ。

 西尾は校舎へ戻る。ただ、校舎に入るドアの前で立ち止まる。


「ただ、あなたがどうしてもっていうのであれば、考えはあるわ」


 そう言って、西尾は教室に戻っていった。

 俺は飲みかけの缶コーヒーを口に入れる。

 その苦さは、全身に染み渡っていった。

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