第2話

 レクサーが小さくうなずき返してくるのを確認して、彼は超小型無線機の送信ボタンを押し込んだ。

「ブラック・ワンより全ブラック――ブラック・ワンとブラック・フォアは移動を開始する。援護しろ」

「ブラック・ツー了解ラージャ。現在周囲は安全クリア

「ブラック・スリー了解コピー

「ブラック・ファイヴ了解」

「ブラック・シックス了解」

 チームの同僚四名の受領通知アクノレジを確認して、彼は飼育小屋からそっと顔を出した。視界の範囲で状況を確認してから、徐々に大きく身を乗り出して周囲に敵兵がいないことを確認する。

 彼は音も無く飼育小屋の外に出ると、姿勢を低くしたまま小走りに移動を開始した。穴だらけになった小型のトラックが、めらめらと燃えている――政府軍の兵士たちは村の中央広場から数台のガンビットで周囲三百六十度に機銃掃射を加えていたのだが、そのうちの一台が掃射した痕だ。ただの普通弾ボールではなく一部曳光弾トレーサーが混じっていたために、内蔵された曳光剤に含まれる白燐やマグネシウムの炎が燃料に引火したのだろう。

 黒煙の混じった炎で真っ赤に染まった車体の発する熱に、彼は小さく舌打ちした。明るすぎる。

 近道をするならこの車の陰から広場に通じる通りを突っ切るべきだが、移動の最中に敵兵がこちらを見れば即座に存在が露顕する。十五ミリ口径の対空機銃数台の一斉掃射に対抗するのは、到底不可能だ。廻り込んでいくしかない。

 彼は周囲に視線をめぐらせて、民家のひとつに目を留めた。

 風雨によって褪色した煉瓦造りの建物だが、今は容赦の無い機銃掃射によって半壊している。木製の扉が完全に破壊され、外壁に女の体がもたれかかっている――たまたま十五ミリ口径の銃弾が頭部に命中したのか頭が西瓜の様に砕け、燃え盛る車の発する熱で干からびた血と脳漿が外壁に飛び散っていた。

「レクサー、そこの建物に入るぞ。援護する、先に入れ」

 無言でうなずいて、レクサーが少し高い位置にある民家の玄関に入るために五段ほどの低い階段を駆け昇る。この地方は冬が厳しい――地面からの放射冷却を防ぐために、床下はかなり高い造りになっている。

 階段を昇っている間に広場から発見される危険が無いわけではないが、幸い広場との直線上で車数台が炎上している。

 揺らめく炎が、こちらの動きに注意が向くのを妨げてくれるはずだ。レクサーが完全に屋内に身を隠し、こちらから見える角度で手招きする――彼はレクサーの位置からだと死角になる側に動きが無いことを確認してから、姿勢を低くしたまま一気に屋内に駆け込んだ。

 民家の入口には二重の扉があり、いずれも銃撃によってグズグズに破壊されていた――屋外の寒気をなるべく室内に入れないための、寒冷地帯によくみられる風除室と呼ばれる構造だ。

 最初の廊下は狭く、扉で仕切られている――これも同じ様に、室内に出来るだけ寒気を入れないためだろう。

 窓はガラスではなく、上部にヒンジのついた木の板をつっかい棒で支えるものだ――ガラスなどというものはこの土地では一般的ではない。

 まあありがたくはある――二箇所ある窓のうち一方の板は銃撃で粉砕されているが、もう一方は無事に残っている。その隙間から外の様子を窺うことが出来る。

 それでとりあえず外部からは見えない場所に入り込んだと安心したのも束の間、なにやら奥のほうから話し声が聞こえてきて、ふたりは動きを止めた。

 撃ち込まれた銃弾で穴だらけになった内壁をなぞる様にして視線を滑らせ、そのまま奥に通じる扉に視線を向ける。

 蝶番がはずれて向こう側に戸板が倒れ込み、開け放された扉の向こうから話し声が聞こえてきているのだ。

「ブラック・フォア――民間人の生き残りでしょうか?」 超小型無線機を介したレクサーのささやきに、軽くかぶりを振る。

「ブラック・ワン――違う。あれはウルジア人の言語じゃない。ハルバス人の言語だ――敵兵だ」

 その言葉に、レクサーがローレディで構えていたアサルト・ライフルを音も無くスリングで肩にかけ、サプレッサーつきの自動拳銃を収めた太腿のホルスターに手を伸ばす。

 シーライオン――アシカ作戦と名づけられたこの作戦は、国際条約に抵触する非合法作戦ブラックオプスだ。

 民族浄化と称する少数民族の虐殺を繰り返すハルバス人の武装民兵に武器を供与している連中の正体を突き止めるため、彼らを統率している指揮官を死亡に見せかけて拉致するのが目的だった。

 彼がここで殺害されずに拉致されたことを暫定政府軍側に悟られない様にするために、彼らは公的にはここにはいないことになっている。薬莢ひとつであっても、出来れば痕跡は残したくない。

 国際平和維持軍が時折巡回するし、戦闘になることもあるから、彼らが使う八・二ミリ口径のライフルや十一ミリ口径の自動拳銃の薬莢は珍しくもない。

 この作戦は彼らの離脱と入れ替わりに平和維持軍が部隊を展開することで、彼らの侵入の痕跡を消す形で行われる――無論平和維持軍側には彼らの行動を把握している者はいないはずだが、問題の根っこはそこには無い。

 どこにでも平和平和、戦争を放棄すれば安全は維持されるなどと、壊れたテープレコーダーか九官鳥みたいにひとつ覚えの寝言を囀る馬鹿はいるもので、厄介なのはその手の阿呆がジャーナリスト気取りでそこらへんを揚げ足取りのためにほっつき歩いていることだった。

 その手の自称平和主義者、はたから見ればただの馬鹿だが、おそらくこのあと平和維持軍が到着した時点でそれにくっついて現地入りするだろう。

 ブラック・ツーは連中が使う拳銃を改造してサプレッサーつきにしたものを持っているから、それで殺害した先ほどの敵兵に関しては関与を否定出来る。彼が殺害した敵兵に関しても、ナイフで殺すぶんには問題無い。 

 だが平和維持軍の装備した国際規格の銃弾を使って室内で射殺された死体など見つけようものなら、戦闘を放棄して隠れていた敵兵を殺したなどという悪評が立つかもしれない。

 お花畑で踊っていれば世の中がうまく回ると勘違いした馬鹿どもの頭の中身になど興味も無いが、それでなくてもそういう手合いの阿呆の思考に踊らされた連中のせいで、国際平和維持活動は国際的な評判がよろしくない。現場の軍人からすれば、まったくもって迷惑な話だった。

 ことに特殊作戦群に入隊する前に国際平和維持活動に参加していた時期に、そういったお花畑の影響を受けた政治家に荷物を勝手にひっくり返された挙句に、狙撃銃の銃口に砂が入るのを防ぐために使用されているコンドーム――安くてたくさん入っているから便利なのだ――を高々と振り翳して『常備して女買いに走っている』などと難癖をつけられた経験のある身としては、特に。

 そのあとしばらくしてからその女がサイン入りの大人の玩具を販売していると知ったときには、怒りを通り越してあきれてしまったが。

 まったく……あの手の阿呆どもはたまに殺したくなるな。

 胸中でだけ毒づいて、彼はレクサーが同様にナイフを引き抜くのを確認してから音も無く歩き出した。

 レクサーの目の前で左手を翳し、ぱっぱっと何度か動かす――先行する、後から続け。

 レクサーがうなずくのを確認してから、それまでいた玄関から室内に通じる扉の脇にへばりつく様にして内部の様子を窺う。

 扉の向こうは、廊下だった――やはりこの短い廊下は、玄関か風除室のおまけの様なものらしい。壁に農具が立てかけてあるから、玄関兼物置、農具手入れ場の様なものなのかもしれない――どうでもいいが。

 向こう側の廊下は、左手は壁だった――廊下は直進と右手側の二方向に伸びており、右手側は階段になっている。廊下の右側には扉があり、廊下自体は突き当たりで九十度左に曲がっていた。

 そろそろと廊下の様子を窺って、誰もいないことを確認する――戸板はドアノブがついたままになっており、床にぴったりくっついていない。踏みつけたらシーソーの様に動いて、派手に音を立てるだろう。足を置くべき位置を確認してから、彼は戸板を跨ぎ越える様にして廊下に足を踏み入れた。

「ブラック・ワン――戸板を踏まない様に気をつけろ。取っ手のせいで斜めになってる。下手な体重のかけ方をすると傾きが変わって音がするぞ」

「ブラック・フォア了解」

 そう返事を返して、レクサーが彼と同じ様に戸板を跨ぎ越える様にして廊下に足を下ろした。

「バルマサ・ラダ・ザーラ――」

「クラ・イーザ・マタロ?」

「ザラパッタ」

 声は廊下の向こうから聞こえてきている――突き当たりを曲がって左に出た先だ。

「なに言ってるんですかね……」 レクサーのささやき声を、無線が拾う――コールサインを名乗っていない。

「ブラック・ワン――ただの胡散臭いテロリスト御用達のカルト宗教の経典に関する問答だ。耳を貸す価値も無い」 自分はコールサインを名乗ることで相手の手順無視を糺してから、彼はあらためて直進側の廊下に足を踏み入れた。

 廊下は板張りだが、下の土台がしっかりしていてきしんだりする不安は無い。

 彼はスリングで肩にかけたライフルを担ぎ直し、ナイフのグリップを握り直した――廊下の角に張りつく様にして、廊下の向こう側を覗き込む。

 ちょうどふたりの民兵が裏口から出ていくところだった。

「ブラック・フォア――追って仕留めますか?」

 レクサーの言葉に、彼は音も無く壁に歩み寄って窓から様子を確認した――彼らは裏口から出て、裏通りを右側に歩いていく。

 彼らの目的地とは逆方向だ。無視していい。彼は手にしたナイフをホルスターの裏側につけたシースにしまいこんで小さく息を吐いた。

「必要無い」 と、これは無線機を介さずに答える。歩哨が減れば減っただけ、異状に気づかれる可能性は高くなる。

「ブラック・ワンよりブラック・ツーおよびブラック・スリー。エクスレイが二名、そちらの方向にフォックストロット――うまく遣り過ごせ」

「ブラック・ツー――了解」

「ブラック・スリー――了解」 

「ブラック・ワンより全ブラック――こちらの援護はもういい、ポイントに移動しろ」

「ブラック・ツー――了解」

「ブラック・シックス了解。気をつけろ」 その返事を確認してから、彼はレクサーのほうに視線を向けた。

「行こう」

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