第47話 竹取(婚約破棄するかもしれない)物語3

『私をお探しなのですか?』

『え……――』


 リンロンと鈴を転がすようなカグヤの声に、振り返った王子はしばし呆けた。爺やも。


 良かった竹っぽくなかった……と思ったのはおそらくは爺やだけだろう。

 王子は王子で、十五と言う年相応にアオハルを始めようとしていた。

 何故なら、白い胴着を着た絶世の美少女がそこに立っていたのだから。

 王子だって普通の男だ。汗も滴る美少女にときめかないわけがなかった。

 どうしてドレスではなく胴着なのか、誰も即座に突っ込める人間はこの場にはいなかった。

 それ程にカグヤの美貌は彼らを圧倒したのだ。


『あの、貴女がカグヤ姫……?』


 真っ先に我に返ったのは王子だった。

 彼は我知らず高鳴る胸と赤くなる頬をそのままに、カグヤへと意識の向くままに訊ねていた。


『ええ。伯爵家の養女のカグヤです。貴方は?』


 先程の会話から正体は知れていたが盗み聞きしていたとバレるのは体裁が悪かったので素っ惚けたカグヤだ。


『僕はこの国の王子で、貴女の婚約者です。こっちは爺や。離れた所に護衛も待機しています』

『まあそうでしたの』


 カグヤは念のため驚いて見せ、その勢いのままに手近な所の竹をかち割りにかかった。

 親兄弟姉妹竹なのだが、所詮は竹だ。竹でしかない。時々竹炭にだってする竹だ。その際の副産物の竹酢液は伯爵家の庭師には好評だ。

 故にカグヤに躊躇はない。パリッと小気味の良い音と共にその竹は見事に真っ二つに裂けた。


 人間業とは言えないような強烈な手刀に、王子は頬をより紅潮させ陶然とカグヤを見つめる。


 一方で爺やは「素手で!?」と度肝を抜かれたように絶句した。その目は恐怖に満ち満ちている。あと何十年もない寿命がだいぶ縮まったかもしれなかった。


『ああつい……驚いてしまって加減を誤りましたわ』


 そう言って軽く手首を捻るカグヤ。


 これは試金石でもあった。


 こんなカグヤの姿を見ても、可憐な外見だけに惑わされず付いて来られるかと相手を測ったのだ。


 これがカグヤの普通でもあるので、これでドン引くようなら将来もやってはいけない。


 故にその時は婚約など破棄してしまえと思っている。


『婚約を解消されるのなら今のうちですわよ?』


 それまで言葉もないような面持ちだった王子が、突如カグヤの手を取って両手で包み込むようにした。


『いいえ、僕のお嫁さんは貴女だけのようです。式の当日まで顔も知らないままは嫌だったので今日ここに会いに来ましたが、改めてきちんと言わせて下さい。――僕と結婚を前提にお付き合いして頂けませんか?』


 普段ふわっとしているほのぼの系王子が実は意外にも即決の人であり、一目ぼれ同然の恋をするや猪突猛進する情熱的な一面があるのを爺やは初めて知った。

 心底驚き、そして、二人は既に公式に婚約者同士だが、もしそうでなかったのならすこぶる展開早いなと思ってもいた。若さに感服だった。


『……どうしてそのようにお考えに?』


 しかし、カグヤは超絶冷静かつ慎重だった。

 しかし、王子はどこまでも純情だった。


『白い胴着姿がとても眩しくて目を奪われました。貴女は格闘技をなさるのでしょう? 是非ともその姿をこの目で見たいとも思っていたんです。それが叶いました。とても美しかったです。その反面、そんな汗光る美しき武神のような姿を、自分以外の誰にも見せたくないとも思ってしまいましたけれど』

『……そう、ですの』


 最後の方は王子なりの照れ隠しなのか口調には茶目っ気を滲ませていたが、異性からそんな事を言われたのは初めてだったので、カグヤはちょっと感動し照れていた。

 いつもはこの男顔負けの武芸を見るや、それまでのデレはどこへやらで薄らとした畏怖と共に「かち割り姫」や「サイボーグ姫」なんて呟かれるので、本当の性格を知った上でレディ扱いをされ、大いに戸惑ってもいた。


『武道を志す者は日々の鍛錬によって、自身の心身の痛みは当然の事、他者の痛みも理解できるようになると思うんです。そして自身を律する術を心得ています。貴女のような人が花嫁に来てくれるなんて、僕は幸せ者です』

『まあ、まあ……ッ』


 心に響く言葉と共に正面切って嬉しげに微笑まれて、カグヤは初めて異性へのトキメキに赤面したものだった。


 狼狽の余り、更に五本手近な竹をかち割った。

 青くなった爺やが泡を吹いて卒倒しかけたが、彼を支えた王子は平然としてにこにこしていた。

 気絶しかけながら、王子の胆力もすげえな、と爺やは思ったものだった。


 恥ずかしくなったカグヤがそそくさとその場を辞してこの日の二人の邂逅は終わったが、それが結婚相手としてしか存在を知らなかった王子との思い出深い初対面だった。


 それ以後、夜会でも劇場でも、或いはサロンのお茶会やそれ以外でもよく会うようになっていった。

 二人でダンスを踊ったり談笑したりと、交際は傍目にはとても羨望視されるくらいに順調に見えていた。


 しかし、実際は王子はカグヤを見ていない。


 月ばかり見ている。


 きっと段々と自分に飽きたのだろうと、そうカグヤは思ったものだ。

 美人は三日で飽きるなんて言われるくらいだ。超絶美貌の主たるカグヤは、自分がそうされても何ら不思議ではないと感じて今日までずっと落ち込んでいた。

 きっと養父が見兼ねるくらいに酷い顔をしていた。


 だからきっと養父はこんな無礼とも言える行動に出たに違いなかった。


 全部自分のせいだと、自分に嫌気が差す。


「もう一度訊きます、カグヤ姫、貴女は僕を想ってくれてはいないのですか?」


 何て傲慢な問いなのだろうとカグヤはささくれるような滑稽さに笑いたくなった。


 ここで投げ槍な態度を取ってしまえば、伯爵家に障りが出るのは必至だ。


 どう答えるべきか?


 そんなものは誰に言われるでもなく決まっている。


 それでなくとも、カグヤは誰に愚かと言われても、気持ちを偽るつもりはなかった。


 皆の前で笑い者にされようと、笑った奴後で三倍返し……という黒い感情は今は置いておくにしても、他者の嘲りなど意に介してはいられない。心にそんな事を悩んでいる余裕などないのだ。

 もうこれ以上自分を殺すのは性格的に無理だった。


 何せどう足掻いても変わらない、竹から生まれた一本気の女なのだ。


 こうと決めたら心は一途。


 未だ差し出されていた王子の手を取って立ち上がりながら、カグヤはふふふっと笑った。

 養父が立場を投げ出す危険を冒してまで思いやりを向けてくれたから、いじけていた自分を反省できた。

 そうでなければこのまま鬱屈をため込んでいたかもしれない。

 反り返りの竹よろしく感情を振り回して周囲を傷付け、取り返しのつかない騒動を引き起こしていたかもしれない。


 何を告げる事も問う事もしないままに。


「私がこの目を蕩けさせて見つめるのも、照れて顔を赤く染めてしまうのも、胸が高鳴って痛さに泣きたくなるのも、貴方にだけです」


 だけど王子はそうではない。


 そんな事実を思い出せば、鼻の奥がツンとしたけれど、少しだけ赤くした両目を自分の弱さに負けて堪るかと王子へと向け続ける。


「一度決まったこの結婚は破談には致しません。貴方が私に大して興味がなくとも」


 王子は驚いたように瞠目したが、カグヤは彼が何かを言う前に艶めく黒瑪瑙めのうのような濡れた目に力を込めた。


「ですが私は貴方を……月などよりも余程綺麗だと夢中にさせてみせますわ!」


 あたかも宣戦布告のような発言に、一層大きく目を見開いた王子は、何を思ったかふっと柔らかに相好を崩した。


「わざと焦らされているのかとも思いましたが……やはり、貴女はわかってはいなかったんですね」

「何をです?」

「いいえ、もう良いんです。下手に文学的表現でカッコを付けようとした僕も悪いですしね」


 カグヤが困惑を滲ませると、王子は冴えた月のような銀髪をさらりと揺らして誰もが見惚れる笑みを湛えた。


「カグヤ姫……いいえ僕のカグヤ、僕は貴女を愛しています」

「は!?」

「もちろん、月よりもずっとずっと深く、この上なくも」

「うそ……」

「本当です。嘘だったら僕の所蔵する書物を全て真っ二つにかち割って火にくべてもらっても構いません」


 彼が自身で所蔵する書物は彼の宝とも言える物だ。

 それを全て賭けた発言に会場の誰もが驚きを隠さない。王子は本気なのだと悟った。

 本気モードの王子はカグヤの腰に両腕を回すと正面から彼女を見つめ下ろす。


「僕の心を信じて下さい」


 そしてそっと唇に触れた。


 衆人環視でのキスなど、責任はしっかり取るという王子の決意の表れだ。


 それを理解するカグヤは抱きしめられたまま、ほんの少しの間だけ呆然としたが、ここまでされては信じないわけにはいかない。


 我に返ると自分も相手の背に両腕を回して、控えめに触れるだけだった王子の唇を割った。彼女は竹や板やスレート石以外の物だって当然割れるのだ。


「――!?」


 逆に今度は王子が驚いたものの、彼は嬉しそうに目を細め、周囲に見せ付けるように二人はしばらく口付けを続けたのだった。


 この日、とある爺やと伯爵が手を取り合って涙した日、カグヤはもしかするとあったかもしれない婚約破棄を見事に真っ二つにした。


 そうしてその後、晴れて愛しの王子と結婚した。


 婚約破棄をすっぱり割ったのだから、当然と言えば当然だった。


「――月が綺麗ですわね」


「ええ。今夜もとても月が綺麗ですね」

「月を手に入れたいと思ったことは?」

「いいえ。僕はもう月よりも尊いものをこの手にしていますから」

「まあ。ふふ。私も月明りを直接見て愛でるよりも、その光をちりばめたようなこの銀の髪に触れている方が、断然ドキドキして幸せを感じますわ」


 隣で手を伸ばしたカグヤから髪を梳かれて撫でられて、王子は擽ったさにくすりとした。


「ああ、本当に月をかち割らずに済んで良かったですわ」

「あはは、そうですね。けれど、もしそうなっていたらどうなっていたでしょう。僕はまた違った表現を探していたかもしれません」

「まあ、貴方ったら呑気なんですから」


 彼女が嫉妬していた当時、どうにかして月を破壊してやろうと考えたことは実は一度や二度ではなかった。今だから笑って言える。

 調査の結果、本当は竹ではなくて月の姫だったカグヤがその気になれば、帰還し手に入れられさえする月は、カグヤの手で真っ二つにすることもできたのだ。


「この子もあなたに似てのんびり屋さんになるかもしれませんわね」

「……えっ? 本当に?」


 お腹を撫でるカグヤがどや顔で頷けば、王子は彼女を抱き締めた。


「ああ、カグヤ……! 今夜は最高の月夜だよ!」

「……」


 こんな時まで月を持ち出す夫に、やっぱりちょっと月を空から消したくなったカグヤだったが、何とか堪えた。

 もしかしたら将来、自分たちの子が月を使った愛の言葉を誰かに囁くかもしれないからだ。その時に木っ端になっていては使えるものも使えない。


 そんなわけで、運良く見逃してもらえた月は、依然として王宮のバルコニーに仲睦まじく並んで立つ二人の上に、いつまでもいつまでも白銀の清くあえかな光を降らせていた。

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