第39話 青髭(あおひげ)

※第27話ピーターパンとどこか関わりがあります。




 結婚した歴代何人もの妻が行方知れずになっている、きっとあの残酷な領主に殺されてしまったのだ……と囁かれる男――青髭あおひげがいました。


 そんな青髭は目下、心底悩み中でした。


「俺……ひげ剃ったんだが」


 なのに周囲からの青髭呼びは変わらないのです。

 ぶっちゃけ赤でも青でも黒でも髭呼びはいい加減やめてと思っても、この呼称は一生自分に付き纏ってくる、そんな気がしました。


「ふう、世知辛い。受け入れるしかないか。まあ、ワイルドな感じもするしな」


 と気休めを言いつつも実は心が折れ、何人目かは忘れましたが、新しくめとった妻にその事を愚痴ると妻は無言で鏡を差し出して来ました。


「顔を見ろと?」


 こくりと頷く妻です。

 った部分の髭の跡が夏の盛りの木々のように青々と見えていました。


「え……もしかしてだからまんま青髭なのか?」


 こっくりと頷く妻です。

 とうとう原因を突き止めた青髭でしたが、今まで気付かなかった自分に脱力しました。

 青髭はこの日から試行錯誤の日々です。

 如何にして青髭を消すか。

 無論自分あおひげをこの世から消す方法を探るとか自虐的な話ではなく、剃った跡の方の青髭です。


「いててて、深剃りし過ぎて赤髭になりかけた」


 ある日は血まみれで。


「くっ、地道に毛抜きでやってたら手が腱鞘炎けんしょうえんに。しかも抜く時痛いし」


 ある日は精神的に疲れ果て。


「レーザーで脱毛処理か。しかしレーザーとは何だ?」


 ある日はメタ発言なのか微妙な言動を零します。

 結局方法は見えず青髭は残ったままです。


「ふふ」


 そんな様子に妻が可笑しそうに小さく微笑みました。


「あなたはそのままで十分です」


 結婚当初から控えめな妻は、シャイなのか時たま一人寝室で文字盤のようなものの上に硬貨と手を置いて何やら黒魔術的な何かを行っている模様でしたが、


 ――妖精さん妖精さん、私はこのままでいてもいいの? ……え? ――オケッ!……って、いいって事? オケオケッ……って、そう。ああ良かったあ。


 と、そんな場面を垣間見ても稀代の暴君と恐れられる領主青髭は気にしませんでした。

 何か不可思議な存在と会話しているなんて、むしろ残酷と評判の自分にちょうど良いとさえ思ったものです。

 これまでの妻たちとは自分との結婚が財産目当てだと端からわかっていたので、繰り返された離婚劇に然程傷付く事はありませんでしたが、女性に対するある程度の達観というか諦観を抱くようにはなっていました。

 それでも世間体と子孫を残さなければならない立場上、独り身は許されず、結婚は避けられません。正直面倒でしたが、そんな彼の元に今の妻がやってきたのは何の因果なのか、皮肉なのか。


 彼女は、一目見た時から……、


「幼なッ!!」


 相当年下と思われる妻でした。


「えー絶対に二十は離れてるだろあれー。十代前半とか、正直、手を出せない……」


 妻として微妙な相手でしたが、意外にも人としては分別があるのか、金銭には特段興味を示しませんでした。

 ただ、その代わりのように歳の離れた若妻は何故か青髭の顔をいつもじっと見て来ます。

 どうしてかは知りませんがかつてない凝視の嵐に青髭は毎日たじたじでした。

 今までの妻たちは自分を見ても、指に付いた特大の宝石か金銀のアクセサリーにしか目が向きませんでしたので、この新妻は青髭にとって不可解ちゃんでした。

 正直、妖精さん会話よりもそっちの方がびっくりでした。

 誘えば観劇でも食事でも公園の散歩でも否やを言わずどこでも一緒に過ごしてくれるので、いい子だとは思うのですが……。


 そんな青髭は一つだけ、妻には立ち入らせたくない小部屋がありました。


 普段は固く鍵を掛け、妻も使用人も誰も入れないようにしている一室です。

 なので、領地の視察で家を何日も空ける時にも、鍵の管理とともにその旨をしつこいくらいに言い付けていきました。


 ――絶対にあの小部屋には入るな、と。


 わかったと頷く妻を信じて青髭は視察に赴きます。


「あなた、気を付けて下さいね」


 馬車に乗り込もうとした際、見送りに出ていた妻が服の袖をちょんと引っ張って、小さな声で告げて来ました。まるで出掛けて欲しくないと言わんばかりの上目遣いです。


(な、何この愛くるしい生き物……!)


 うっかり萌えました。

 今までは仮にも妻に向かって可愛いけどちょっとまだ無理とか思っていた青髭です。


「で、では行ってくる」

「はい、行ってらっしゃいませ」

「う、うむ」


 どうにも調子が狂う青髭なのでした。





 青髭が出払った屋敷内。

 彼の若妻はよく家を護っていました。

 てきぱきと使用人にも的確な指示を出し、夜の見回りも自分でしました。

 そこで毎日気になっていたのは言いつけられた例の小部屋でした。


「あの人はどうして頑なにこの部屋を開かずの間にしたがるのでしょう。そうだ、妖精さんに占ってもらいましょう」


 妻は文字盤に硬貨を置いて妖精さんを召喚。

 小部屋に関する質問をすると、硬貨が勝手に文字を紡いでいきました。


「覗いてオケ? ……まあ、そう。じゃあちゃんと把握するべきなのね」


 見えない妖精さんは「オケオケ! イケイケ!」と硬貨を動かしてメッセージをくれます。妖精さんに勇気づけられた若妻はその細い指にジャラリとした鍵束を握り締めました。

 夫と約束した手前後ろめたいものはありましたが、遠慮していては望む物は手に入らない、妙にぎらつく目で思い直します。


 そういうわけで彼女は夜、見回りがてらこっそり小部屋を確かめに行きました。

 厳しく何度も入室禁止を言われていた部屋の鍵は、思いのほかあっさりと回りました。


「少しは難関を感じさせてくれれば良かったのに……」


 とは呟きますが、無事に開いてくれてホッとします。


「さあ、行くわよ」


 一人頷くと扉を開け足を踏み入れました。

 暗い室内。

 目が慣れてくると部屋の驚くべき全容が明らかになりました。


「こ、これは………うっ……!」


 目の前の光景に、妻は全身を大きく震わせ極限まで目を見開いたまま絶句です。

 カラン、と小部屋の鍵が握力を忘れた指先から滑り落ち、場違いな程に軽やかな音を立て床に跳ねました。


 そして……流れてきた血に濡れてしまいました。


「やだ、どうしましょう!」


 慌ててハンカチで鍵を拭きますが、いくら拭いても取れません。妻は小部屋に入った事がバレると心を凍りつかせます。

 しかも翌日、様々な洗剤や薬品を試そうと思っていた矢先、愚かな思惑を砕くように予定よりも早く青髭は帰還します。


「屋敷の管理は滞りなかったみたいだな。重畳だ。では鍵を返してくれ」

「は、はい」


 沢山の鍵がある束なので、血の付いた小部屋の鍵を見えないように一番下にして渡した妻は、心の中でバレませんようにと祈ります。

 しかしここはさすが青髭、甘くはありません。

 小部屋の鍵の血を目敏く見つけ詰問します。


「お前、あの小部屋に入ったな!? あれほど駄目だと言ったのに!」


 明確な証拠の付着した鍵を突き付けられ、言い逃れができないと悟った妻はあっさり認めます。


「ご、ごめんなさいどうか許して下さい!」

「くそ、やはりお前も今までの女たちと同じか!」

「ほ、本当にごめんなさい!」


 何度も何度もどうか許してと懇願されますが、青髭は無情にも妻の縋る手を払い除けます。


「俺が許すとでも思うのか? お前には前妻たちと同じ末路を辿ってもらう!」

「そんなッ、あなたは酷い人ですねッ、だってあの部屋のあれは、あれは……ッ」

「それ以上言うな!」


「――腐女子のものじゃないですか!!」


「くっ……」


 妻はくだんの部屋の内部を思い出したのか急に血を噴きました。両の鼻の穴から……。

 鍵の血は妻の鼻血だったのです。


「今まで知らなかった世界に頭がくらくらしました。あんな濃密なBL趣味を隠してたなんて! あなた本当は男が好きなのですか!?」

「あれは俺の趣味ではない!」

「下手な言いわけですね。どうせ美少年×美中年とか美青年×美中年で胸がトゥンクするんでしょう! それにあなたは攻めに見せかけての受け担当なんだわ!」

「言わせておけば……ッ。俺は百合が好きだ! 女子同士でわちゃわちゃきゃいきゃいちゅっちゅしてるのがな!」

「往生際が悪いですッ。厳重に隠してたのがいい証拠じゃないですかッ。ゲイならそうとハッキリ言って! それ次第で今後の私たちの夫婦生活が仮面になるかどうかが決まります。子供は欲しいからもしもそうなら嫌でも……シテ頂きます!」

「お前……っ」


 その見た目でそっち系の話すんなーッ、と言いたかった青髭でしたが、そこはぐっと堪えます。


「だから俺は女性が好きだと言っている……! あの部屋のは皆――前妻たちの負の遺産だ!!」

「――!? 前の奥さん達の……?」

「そうだ。大体あんな部屋一杯の膨大なボーイズラブをどう処分しろと? 捨てるにしても俺の屋敷のゴミだと広まればどんな噂を立てられるか知れない! 俺はこれ以上ホモ疑惑を持たれたくないんだ!」


 そうなのです。

 その頃はそうと気付きませんでしたが、青髭のせいで青春時代はホモ疑惑が持ち上がっていたのです。自分はノン気なのに何故だと嘆いていたあの頃の自分に髭跡を消せと言ってやりたい気分です。

 しかも何故か自分の周りにはやたらと美形メンズが集まっていました。

 何の嫌がらせだッと内心憤っていたら、彼らからその体に触れたいとか言われて迫られる事もしばしばでした。

 青髭の鍛えられた全身はその手の者たちを惹きつける何かがあったようでした。


 まあその、新妻の言うように全くの受け属性でした。


 幸い何かされる前に逃げ出していましたので被害には遭っていませんが。

 全く望みとは違った方向でモテていたあの頃。


「黒歴史……ッ」


 結婚した前妻たちは「あなたを見てるとこっちに走りたくなっちゃって」と財産を湯水のように使ってBL趣味全開になる始末。

 結局は「私二次元メンズと生きてくわ」と離婚され、醜聞を避けるためにも皆遠方で暮らしてもらいましたので、行方不明、果ては彼に殺されたと思われるに至ったようです。


「お前もどうせ腐女子に目覚めたんだろう? どうせこの先は青髭がキショイとかで俺を避けるのだろうな」


 吐き捨てるように言うと、妻は不思議そうに青髭を見てから、何故か頬を赤らめました。


「BLは嫌いじゃないですけどあなたには勝りません! 私別に青髭は気にならないです! むしろ男らしくて素敵です! 大体髭跡などと関係なくずっとずっとお慕いしていました!!」

「え? いやでもずっととは?」

「あなたが視察で巡回していた時に、道端で転んで泣いていた私を手当てしてくれた時からです。当時はお髭姿でしたけれど、今のお姿も大好きです。ですからあと五年……いえ三年だけ待っていて下さい。私、見た目も心も立派なレディになりますから」

「お、お前もしやオジ専…「――運命です!」


 噛みつかんばかりに強く言い切られ、青髭は言い返せません。そうかと納得しそうにもなります。

 こじつけって不思議!


「しかし言っておくが俺はロリコンじゃな…「浮気したら妖精さんにお仕置きしてもらいますね?」


(出た! 妖精さんとやら!)


 内心突っ込んでいた青髭でしたが、現在の正式な妻は紛れもなく彼女でしたのでとりあえずは新妻の主張に折れました。


(きっともっと年頃になれば周りが見えてどっかのイケメンに惚れるだろう)


 ちょっと自分で言ってて凹みましたが、青髭はそう思う事にします。


 しかし、彼の予測は大きく外れます。


 ある時も、妻のシスコン兄たちが「いざ最愛の妹を連れ戻さん!」と意気込んだ様子で屋敷を訪れましたが、


「人の恋路にごちゃごちゃ五月蠅いわ。帰ってうざお兄様方?」


 とわざわざ愛馬に蹴らせ、兄たちは一発退場させられます。長兄なんかは危うく池の鯉の餌になるところでした。


「え……、え……?」


 知らなかった妻の暗黒の一面を目の当たりにして若干頬が引き攣った青髭でした。

 最早残酷なのは誰だと言いたくなります。

 結果的には、青髭の根負け。

 日々どんどん綺麗になり女子力をこれでもかと磨いていく隠れ肉食だった妻からの猛烈なアタックに、宣言通り三年の月日の後、とうとう応じてしまった青髭でした。

 思い返せば、押せ押せで迫られっ放しの日々でした。


(俺は男女の恋愛においても受けなのか……)


 遠い目をしました。


 人も羨む完璧な淑女に成長した妻と青髭は、大家族特集で取材が来るくらいの子宝に恵まれ幸せに暮らしましたとさ。




「――実は疑問だったんだが、何故俺は今でも皆から恐れられているんだろうか?」


 生まれてこの方、財力を鼻に掛け悠々自適に暮らしてきた自覚はありますが、誰かを害したり無下に扱った記憶はありません。

 今の妻との生活はもう十年以上続いているので、以前のような妻殺しの噂はとうに聞かなくなっていました。

 なので未だ残虐非道だとかの悪評が流れているのが解せません。

 青髭はその点がずっとずっと心に引っかかっていました。


 すると自慢の美しい妻は、先月生まれたばかりの末っ子をあやしながら自身の掌上を眺めて、おっとりと微笑みました。


「ああ、それでしたら私がやりました。妖精さんに頼んで悪い虫が寄りつかないようにしてもらっていたんです」

「え……」


 確かに実際金目当てに言い寄って来る女性はいませんでした。


「私があなたと結婚するまでも、前妻たちが遠方に暮らしているのを利用して恐れられるように噂を流してもらいましたし、あなたと別れるようにって妖精さんに頼みもしました。でもまさか全員がBL趣味に走るなんて予想外でしたけど、うふふふ」

「え……、え……?」


 青髭は剃り跡だけではなく顔色全体を青くしました。




おしまい

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る