第38話 おむすびころりん

ある所に善良なお爺さんとお婆さんがおりました。


お爺さんは仕事で木をりに行く時は必ずお婆さんの手作りおむすびを持って行きます。

人もうらやむ愛妻弁当です。

同じ村の仕事仲間と一緒に食べたりもしますが、いつも隠すようにして食べ、決して誰にも一口だってあげる事はありませんでした。周囲は「相も変わらずラブラブだな」「この嫉妬魔め~」などとやんやしましたが、お爺さんは「はは…は」とぎこちない笑みを精一杯ほおに貼り付けていました。


知らないって幸せ!……とお爺さんは思います。


お爺さんいわく「おばあさんはおむすびチャレンジャーなのじゃ」でした。


おむすびチャレンジャーとは、おむすびの味付けや中身を日々試行錯誤して突飛で新たな味覚を人類にもたらすのが使命!!……みたいに生きてる人だとお爺さんは勝手に思っています。作者も知りません。


ただ、お婆さんはおむすびを握る時、ごはんを炊く時、寝言ですら「今日こそ究極の新商品できたわ!」と叫びます。強迫観念なのでしょうか、それとも何かに取り憑かれているのでしょうか。それもお爺さんにも作者にもわかりません。


とにかく一つ言える事は、連日のように持たされるおむすびに戦々恐々とする日々を送る程には食感も味も――激不味まずい……のでした。


味蕾みらい滅亡も近い、とはお爺さんのとある日の呟きです。

ちなみに味蕾とは人間の舌にある味を感じる器官の事です。


ある日、日課のきこり仕事の昼食の時間、今日もごくりと覚悟を決めて包みを開けるお爺さんです。


今日のお米は青緑色に炊かれていました。


何で炊いたらそういう色になるのでしょうか。純粋なものは顔料としても使われるクジャク石とかでしょうか?

お婆さんは鉱物から植物からバクテリアまで幅広く様々なものをおむすびにします。

ある日などは隕石の一部を具に入れて寄越しました。歯が欠けました。

今日も今日とて見た目からして食欲減退必至です。


「おぅふっ……」


食べる前から血反吐を吐きそうになったお爺さん。手が震え、うっかり一つおむすびを取り落としてしまいます。


ようやく本編の始まりです。


「ああっ」


ちょうど坂でしたのでおむすびはころころ転がっていき、とうとう地面に開いた小さな穴に転げ落ちていきました。

急ぎ追いかけたお爺さんですが穴の傍に力なく四肢を着きます。


「何と言う事じゃ。折角愛する婆さんが作ってくれたおむすびがー」


表情だけは悲愴ひそう感が漂っていましたが、感情の籠らない棒読みでした。


……いえ少し声が弾んでいました。


昼飯で冒険するなら多少の空腹に耐えた方がマシ……お爺さんは最早そのような境地に達していた模様です。

幸いこの初夏の時期、森にはたくさんの木の実や山菜が生えていましたので、まあ腹を満たす抜け道は色々ありましたし。

反対に冬は寒さと不味さで胃も凍りつきます。地獄です。


一個目のおむすびは諦めるしかないのは一目瞭然でしたが、まだ試練はもう一個あります。

どうしたもんか、ちょうど良い地下ダストシュートが見つかったのでもう一つもうっかりを装ってしまおうか、なんてじわじわとダークサイドよりの思考をしていると、穴の中から声が聞こえました。


「あなたの落としたのは金のおむすびですか銀の…」


お爺さんは問答無用で穴を塞ぎました。

上に板を乗せてその上に更にでっかい石でがっちり穴口を閉じます。

もう新手のおむすびは見たくなかったのです。


「ごごごめんなさいちゅー! ちょっと悪ふざけしただけちゅー! 出口塞がないでちゅー!!」


穴の奥からネズミたちの必死な声が聞こえて来て、お爺さんは穴を開放してあげました。

穴奥を垣間見ると反省した白ネズミたちがいます。


「わしにとっておむすびでふざけるのはNGでな。じゃがちと過敏になっとったわい。わしもすまんかったなあ」

「いいえいいえ。おむすびを恵んで下さったき方に、ついつい嬉しくて軽はずみな行動を致しました私共の方がいけなかったのですちゅー」

「善き方などと、大袈裟じゃよ」

「いいえ、とんでもない。とても美味しかったですちゅー」


お爺さんは疑いの眼差しを送ります。


「私共白ネズミ一族はネズミ界でもグルメで通っておりまして、その舌を唸らせた此度のおむすびは美味中の美味でしたちゅー」

「……これが、美味?」


包みに残ったおむすびをじっと見つめるお爺さんです。


「まだ手元に残っているのでしたら、どうか騙されたと思って一口!」


ネズミの味覚が人間にも通用するのか甚だ疑問でしたが、お爺さんは駄目元で信じてみる事にします。

そして鼻をつまんでパクリ。


――!?


むっはあああ~っと両の鼻の穴から魚介と磯の香りが噴き出しました。


「何と、今日のおむすびは本当に美味じゃ!」


そうです。おむすびチャレンジャーのお婆さんの開発努力は、千回に一回の割合で成功しているのです。


お爺さんはドモホルンリ○クルの貴重な一滴にも似たその一回を求めて、他のゲテモノ味を我慢していたのでした。

感涙にむせぶお爺さん。ネズミたちは泣く泣く語るお爺さんとおむすびの歩んだ壮絶な半生を聞くと皆落涙し、こう言いました。


「それでは私共が毎日おむすびチェックをしまちゅー」

「何故にそこだけ赤ちゃん言葉なんじゃ……」


ネズミたちは人間ほどわがままな食生活をしていないので、お爺さんが無理な物は始末してもくれるようでした。残飯処理ネズミです。

ネズミたちとしても餌がもらえるので大助かりと言います。

双方利害が一致しての有意義な取引でした。


そういうわけで翌日より、おむすびをネズミ穴に落とし、お爺さんが耐えられる味なのか判定をしてもらう運びに。


おむすびころりん。


「ぢゅー……」

「ああ、今日は駄目じゃな」


おむすびころりん。


「ぢゅううううぅぅー……」

「今日も南無三……と」


おむすびころりん。


「ちゅちゅーちゅー」

「食えないこともないんじゃな」


そんな感じで日々は過ぎていきます。


冬場は逆にネズミたちから差し入れをもらって凌いでいたお爺さんです。

自然界の持ちつ持たれつとはまさにこの関係でしょう。


そんなある日、雪でうっかり足を滑らせ穴に落ちてしまったお爺さん。


「す、すまん、邪魔するつもりはなかったんじゃが」


いそいそと出て行こうとしましたが、ネズミたちは折角だからとお爺さんを持て成し、土産にツヅラまで寄越します。大きいのと小さいので小さい方を選んだお爺さんは家に帰りツヅラを開けてびっくり。


「こ、これは……! これがあればどんな不味い物でも一緒に包んで難なくごっくんできる!! スルンと呑み込めて老人の咽にも優しい!!」


中にはゼリー状のオブラートセットがぎっしり詰まっていたのです。

ネズミたちの優しさを肌で感じたお爺さんでした。

――いつも刺激あるおむすびをくれるお礼でちゅー。

またもや赤ちゃん言葉と紙一重のそんな台詞が蘇ります。


一方、隣の意地悪お爺さんがそれを盗み見ていました。


「何と……。じゃあわしもおむすびをころりんして穴に落ちればあの至宝にも似たセットを手に?」


誤嚥ごえんの結果肺炎を起こす事もあるので、咽と食物のスムーズな関係は老人にとっては重要な問題なのでした。

故に物欲から早速試しました。

何の変哲もない塩おむすびを無理やり穴に押し込みます。


「何だ、ふちゅー」「冒険心が皆無ちゅー」「塩分過多は高血圧のもとちゅー」


とかネズミたちの白けた声が聞こえ、以前隣の善良お爺さんが「このおむすび普通に美味しいッ美味しいのじゃッ!」と感激してくれた自信作への評価に、意地悪お爺さんは聞き捨てならないと反論します。


なのでそのまま穴に乗り込むと厨房を借りて今できる最高のおむすびを作りました。


「――お上がりよ」


ネズミたちに一皿を差し出します。


「こ、これは……」


驚愕したネズミたちはそれ以上は絶句しました。


「どうだ? わしの渾身のまたたびおむすびだ!」


猫がめっちゃ好きそうなおむすびでした。


猫寄せも同然でした。


猫が来るぞーっと集団パニックに陥ったネズミたちは、身を護るためにどこかへと姿を消し、意地悪お爺さんは何も得られませんでした。


「え? マジでえ?」


答える声はありません。


誰も居なくなった穴ぐらで、旅の途中だったのかどこかの長靴を履いた猫がうっかり匂いに釣られて落ちて来ましたが、「このまま退学……?」とか意味不明に呟くお爺さんを見てそっとしとこうオーラ満載でそそくさと出て行きました。


「そんな所で何をやっとるんじゃ?」


見上げれば、隣に住む善良なお爺さんが顔を覗かせています。


「なるほど、ネズミたちは去ったのか」


ネズミも民族大移動するんじゃな、とか真実を知らないお爺さんは一人納得します。


「いや、その……」

「お隣さんや、はよう上がって来んかい。今から家で婆さんの新作おむすび発表会を兼ねたおむすびどれが一番決定戦をするんじゃが、お主もどうじゃ、飛び入り参戦してみんか? 不味いもんはゼリーと一緒に流し込めばいいしの。もらいもんじゃが沢山あるからお主にも分けたろ思うて探しとったんじゃよ」

「――ッ! ……ううっ」

「ええと何じゃ急にー……」


困惑する善良お爺さんの視線の先で意地悪お爺さんは泣き崩れました。

色々な嫌な感情が涙と一緒に流れていくようでした。


「ほらはよう立て」

「うぅ、……かたじけない」

「……何故にさむらい語なんじゃ」


のちにその村は「おむすびの事なら右に出る地はない」と言われるおむすび村に発展したそうな。

その陰には飽くなき探求心を胸に秘めた一人のおむすびチャレンジャーと、その開発を支えた二人の助手の活躍があったとか。




おしまい

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