賢木(さかき)

 御息所の娘が伊勢に出立の日が近づき、御息所はまだ迷いを残していた。

 目障りで憎くてたまらなかった葵の上が亡くなり、ひょっとしたら自分が正妻となり、光源氏が(今まで左大臣邸に生活に必要なあれこれを置き、一応は本宅としていたように)六条邸に住まいを移してくれるかもしれぬと、浮き立ったし、世間も当然そうなるだろうとみていた。六条邸の方が広大で趣味よく整えてあるが、その方が宮中への出仕に便利だというのなら、若紫を蹴り出して二条邸に移り、家政万端を取り仕切ってもよいと思っていた。しかし実際のところは、光源氏の訪れはぱったりと絶えて、冷たさの透けて見える手紙だけがくる。

(あの事をご存じなのだ。私が生霊になってたたったことをご存じなのだ。)

 もう望みはない。

 御息所はきっぱりと自分の思いを断ち切り、出発することを決心した。

 世間では斎宮とともに親が伊勢に下る例がないではない。しかし一人きりの娘が心配なのにかこつけて、もろもろの物思いから逃れたいのだということが、光源氏には分かる。もう今までのように恋人関係に戻るつもりはないがそれでも御息所の字、センス、美しさ、さすがに惜しい気がして、心のこもった手紙だけは何度も送った。しかし一度も訪れはしない。

(もう私の顔は見たくないとお考えなのだ。)

 手紙をやり取りしながら御息所は正確に察した。

(あの方は私のことで含むところがあるし、私もお顔を見ればまた悩みが深くなる。お会いすれば面白くないことが増えるだけだ。)

 

 御息所は今娘とともに野の宮に住むが、ここは人目が多くて光源氏が気軽に通えない。六条邸にたまに戻るときもあるが、とても人目を忍んでいたので光源氏は気づかなかった。桐壺院が病気で、時々倒れるようになったので、彼にも余裕がないのであるが、「このまま冷たい人だと思われて別れてしまうのも気の毒だし、そういう噂を立てられるのも困る。」と、忙しい合間を縫って、野の宮を訪れた。葵の上が亡くなってから1年ほどたっていた。


 伊勢への出発が明日明後日にひかえて、女房達も女主人も気ぜわしくて仕方ないのだが、「立ち話をするだけでも」と光源氏が何度も手紙をくれるので、「どうしたものか。」とわずらわし気にしながらも、内心心待ちにしていた。



 都を離れ、嵯峨野の野辺に踏み込めば、初冬の風情に満ちている。

 秋の花は色あせ、浅茅の原も枯れ、虫の音も途絶えがちで、強い風が吹きつける。

(『琴の音に 峯の松風 通うらし いづれのをより 調べそめけむ(拾遺集・斎宮女御:琴の音に峯から吹く松風が響きあう。琴のどの緒から、峯のどの尾根から、吹き鳴らし始めたのか。)』)

 光源氏がこの歌を思い出したのは、野の宮から風に交じって琴の音が漂ってくるからだった。光源氏が来ると知っていて、出迎えの代わりに曲を聞かせるため、管弦の遊びをしているのだ。こういう演出をして見事なので、六条の御息所を捨てられないのである。お供に連れているのは10数名、お忍びなので目立つ格好はしていないが、光源氏は身をやつしても美しく見える服装を選んでいて、その場のわびしさにぴったりとくる。彼らも色好みの風流好みなので、このもてなしと光源氏の美しさにしみじみと感じ入った。

(ああ、今まで通わなかったのは失敗だった。)

 光源氏は後悔した。御息所は逢っても美人で衣装も素晴らしいのだ。


 壊れそうな小柴垣で周りを囲い、板屋が何軒か立ち、どれも仮の設備である。木の皮のついた鳥居が立ち並び、神官がここかしこでひそひそと話しているのは、珍しくて神聖な感じがする。護衛の者が夜のたき火をしてかがり火小屋がかすかに光り、人気はなく、わびしさをかきたてられる。

(こんなところにあのすぐに悩む人が長い間住んでいたのか。)

 光源氏は憐れんだ。一年前、葵の上をとり殺されたのはもはや過去の話である。


 北棟のしかるべきところに立ち寄り、来たという知らせを送ると、管弦の遊びはぴたりと止んで、大騒ぎするのでない、しめやかなざわめきが伝わる。

 返事が来るが、手紙のやり取りばかりで逢える気配がない。

「このような出歩きは難しくなっているのです。それでもお会いしに来た私の気持ちが分かるでしょう。こんな風にしめ縄の外に出されるのはおやめになって、申し上げたいこともある。この思いを晴らしていただきたい。」

 まめまめしく順序立てて思いを伝えると、女房達がまず光源氏を口々に弁護した。

「立たせているなど申し訳ないです。」「本当に恥ずかしいです。」

 それは御息所も同じ思いだった。本当は逢いたいのだ。ただ、「人に見られてまた噂されるのか」とか、「娘の斎宮は私のことをその年でと思われるだろう」とか、「顔を見せるのが恥ずかしい」とか、いろいろ悩んでしまい、出られないのだ。しかし惚れた弱さで、とうとう光源氏に逢いたい気持ちが勝って、ためらいながらそっと膝を進める気配、奥ゆかしくやはり源氏の風流に沿うのだった。


「簀の子は上がってもいいね?」

 縁側に座ると、夕月夜の明るい光に照らされた光源氏の姿は二人といないほどの美しさで、御息所ははっとした。

 彼は持っていた緑の榊を御簾の内に差し入れた。

「私の思いもこの賢木(さかき)と同じく変わらない。だからこそ神社の囲いも乗り越えてきたのだ。


 『ちはやぶる 神の斎垣(いがき)も 越えぬべし 今は我が身の 惜しけくもなし(伊勢物語:神聖な神の斎宮の垣もあなたのために越えたのだ。神罰が下るとしても今は我が身も惜しくはない)』」


 大勢の妻を持ってしかも不満を抱かせまいとすれば、たとえ重たくてそれほど好きでない暇な時用の女性にも、このくらいのことは言えなくてはならない。


「『わが庵は 三輪の山本 恋しくは 訪い来ませ 杉立てる門(古今集:私の庵は三輪の山本 恋しければ 杉の立ててある門を 訪れてくださいませ)』と申します。


神垣は    神の垣には

しるしの杉も 目印の杉も

無きものを  ございませんが

いかにまがへて どう間違えて

折れる賢木ぞ  賢木を折ってこられたのですか」


 御息所が賢木にケチをつける。じゃれあいのはじまりである。


「乙女子が     かわいい人の

 あたりと思へば  いるあたりだと思ったので

 賢木葉の     賢木葉の

香を懐かしみ   香を懐かしんで

止めてこそ折れ  足を止めて折ったのだ


『賢木葉の 香を懐かしみ とめくれば 八十氏人ぞ まどいせりける(拾遺集:賢木葉の 香りを懐かしんで 足を止めると 大勢の人が 集まりをしている)』

と申しますからね。」


光源氏は歌を返すと、簀の子に座ったまま御簾の内に上半身を入れて御簾近くにいた御息所の手をつかんだ。

 

 好きな時に逢えて、御息所も自分に惚れ抜いていると分かっているときには、それほど愛していなかったし、生霊になって葵の上を取り殺されてからはその愛情も冷めて仲も途絶えた。しかし久しぶりに顔を見て肌を合わせれば、昔の愛情がよみがえる。御息所は忘れようとし、忘れかけていたところに無理やり愛情を呼び戻されて、昔、今、これからのこと、悩みが深くなって泣き続けている。泣いているところを見られまいとしているが絶えきれず涙がこぼれ落ちる。こういう感情の繊細さ、むきだしさが、御息所の長所だと、光源氏は愛情を感じた。

「今からでも伊勢行きはおとりやめになるがよい。」

 光源氏はささやいた。出ていた月が山の端に入り、真っ暗になってますますわびしい空を眺めつつ御息所の冷たさ(どっちが冷たいのかは明らかだが、光源氏は必ず「私はいつもあなたを愛していたがあなたの方が冷たくしたので遠慮した」と言い、女性もそう言ってもらうと嬉しい。)を恨む言葉をつらつらと述べた。

(このくらい言えば今までの恨みも晴れただろう。)

 そう思ってからやっと離れて帰っていく。

 美しい後姿を見ながら、今までと同じく心がかき乱されて、御息所は悩みに沈んだ。


 光源氏クラスになると、お供も殿上人である。それなりの血筋、位、身分のある若者を連れて話をしながら庭を散策する姿、口で説明するのも難しい、心に食い込む色っぽさである。その上ゆっくりと夜が明けてくる。わざとその時間を選んだかと思うほど朝日を浴びる姿は美しい。

 いよいよ出立と言う時、御息所の手を握って、源氏は別れを惜しんだ。


「暁の     夜明け前の

 別れはいつも 別れはいつも

 露けきを   露に濡れて涙にくれるものだが

 こは世に知らぬ これほどの別れはなかった

 秋の空かな   秋の空だ」


 冷たい風が吹き、鈴虫までがのどを涸らしたように鳴く。まるでこの別れのために伴奏をしているようだった。御息所は思いが乱れて返歌に手間取ったが返した。


「大方の   それでなくてもたいがいの

 秋の別れも 秋の別れは

 悲しきに  悲しいものであるのに

 鳴く音な添えそ 鳴いて歌を添えないでほしい(=辛くなることを言わないでください)

 野辺の鈴虫   野原の鈴虫」


 光源氏はお供を引き連れ、朝露の道を夜が明けきる前に帰っていく。その後ろ姿を見ながら、若い女房達は興奮気味にほめ続けている。

「本当にあの方と別れて伊勢に行かれるのですか?」

御息所も行きたくないが、すでに決まっていた。もうちょっと前に来てくれたら残っていたのに。


 その朝の「後朝の文」は素早く届き、書き方も情がこもっていた。

(今度ばかりは本当に愛情があるようだ。)

 御息所は本当に心が動くが、直前過ぎて残りようがない。

 光源氏はどんな女性にも良いことばかりを言うが、御息所に対しては愛憎ふくめて少しは情が深かったので、伊勢に行かれるのは本当に残念だった。

 彼はお供の女房から娘の斎宮、御息所にいたるまで餞別の衣装を送った。それだけで一財産だが、御息所の心は晴れない。ふたたびうかうかと誘惑に乗って陰口をたたかれる我が身の浅ましさに、寝ているときも起きているときも悩んでばかりいた。出立間際、主婦の仕事は多いのだが、光源氏がかかわると、彼女は何も手につかなくなった。娘の斎宮は若いので、いつ帰ってこられるとも分からない伊勢行きを喜んでいる。地位も身分もあれば、一挙手一投足見張られて話のタネになるのは世の常である。世間は御息所の思っている通り、御息所のことも、娘の斎宮のことも、悪く噂していた。気にしない者もいるが、御息所はそういう噂がすべて気にかかって耐え難いのだった。


 10月16日(旧暦9月16日)、桂川でお祓いがあり、長奉送使(斎宮を伊勢まで送る勅使)や上達部の同席のもと、厳かに桂川でお祓えが行われた。これほど豪華なのは、桐壺院の後ろ盾があるからである。光源氏も来ている。木綿の布につけて斎宮に歌を送る。


「『天の原 踏みとどろかし 鳴る神も 思う仲をば 裂くる者かは(古今集:天の原を踏みとどろかせて鳴る神(雷の神)も、思いあう者同士を裂くことはできない。)』

 

 国つ神も心があるなら離れたくない我々の気持ちを思いやってください。」

 

 母親を置いていってくれと無理なのを承知で詠みかける。斎宮は忙しい中、歌を作り、官女に書き取らせた。


「国つ神     国つ神が

 空にことわる  空から是非を見極める

 仲ならば    仲だったなら

 なほざりごとを やはり嘘を

 まずや糺さん(たださん) まず咎めるでしょう」


 光源氏は斎宮の歌が手に入って。にやついた。

(年は14歳だと聞くが、なかなかの詠みぶりだ。大人のようだ。)

この際宮中に挨拶に行くのについて行って顔も見たいところだが、大勢の取り巻きの一人として斎宮を見送るのも捨てられた気がして嫌なので思いとどまって返事を何度も眺めていた。

(幼いうちに顔を見ておくんだったな。しかし斎宮交代の時にまた見る機会はあるのだから。)



 夕方6時、御息所と斎宮は後宮へ挨拶に向かった。何かと評判の高い二人なので、見物の車が多い。輿に乗せられ、かつて過ごした後宮に向かうと、御息所は思うことがたくさんあって胸に迫った。

 父大臣がいずれ皇后にと思い、16歳で皇太子の元に上がり、娘を生み、20歳で先立たれた。30歳になった今、権力に届くことのない身分となって、宮中を見る。いつ来ても悲しいのだ。


「そのかみを   昔のことを

 今日はかけじと 今日は口にするまいと

 しのぶれど   こらえているのですが

 心の内に    心の内は

 ものぞ悲しき  もの悲しい」


 14歳の美しくうら若い娘を、御息所は見惚れるほどセンス良く装わせていた。美女を見慣れている朱雀帝さえ一目惚れするレベルであり、「別れの櫛」の儀式を行いながら、櫛を挿す手が震えて涙がこぼれた。


 官庁の前に駐車して主のお戻りを待つ斎宮一行の車からは、女房達の凝って他では見られない珍しい色合いの華やかな袖口がのぞき、殿上人たちはこの間に恋人との別れを惜しんだ。(野の宮の一番の魅力は女房達だったようだ。)


 暗くなってから宮中を出て、二条大路を進み、二条邸のところで一行は曲がった。光源氏はその未練たっぷりの心を良しと思って賢木につけて歌を送った。


「ふりすてて 今日は行くとも 鈴鹿川 八十瀬の波に 袖は濡れじや

(私を捨てて 今日は行くだろうが 鈴鹿川の(鈴鹿山→伊勢湾の川) たくさんの波に 袖が濡れるだろう(=泣くだろう)?)」


 忙しすぎるので返事は返ってこない。引っ越しの前々日に逢いに来たうえ、直前で無理なのに「残ってくれ」と言ってせっかくあきらめて平穏を取り戻しつつあったのにいたずらに心を惑わせ、やらなければならないことがたくさんある引っ越しの最中に手紙をくれても、移動中にろくな返事など書けない。御息所は自分の一番の魅力は字=手紙であることを知っているので、下手な手紙なら返さない方がいいのだ。大阪に着いてから御息所の走り書きの返事が来た。


「鈴鹿川 八十瀬の波に 濡れ濡れず 伊勢まで誰か 思い起こせむ

(鈴鹿川 たくさんの波に 濡れたかどうか 伊勢まで誰が 思い出してくれるでしょうか)」


 走り書きだが筆跡は光源氏がくらっとくるほど良い。

(これでもう少し優しさのある字だとよいのだがな。)

 光源氏はしばらくの間御息所一行の向かった方角を見て若紫のところにも行かず一人で暮らし、霧がかかっているのを見ては「この秋はそちらを見て過ごしたいから逢坂山に霧よかかってくれるな。」などと恋情に沈んで過ごした。彼は恋のハンターだ。逃げられると追いかけたくなるし、そっぽ向かれると振り向かせたくなる。今は若紫が一番であることは揺るがないのだが逃げていく御息所は気になって仕方なかった。



 桐壺院の体調の悪さは悪化し、斎宮を見送った1月後、11月(旧暦10月)には危ういような状態になった。天皇もお見舞いに訪れる。桐壺院は繰り返し皇太子にした藤壺の息子と、同じく最愛の息子の光源氏のことをくれぐれもよろしくと頼んだ。皇太子に据えてある息子は仮にも皇太子だから追い落とすのは難しいが心配なのは皇太后に嫌われている光源氏だった。

「私の世でなくなっても大小何にかかわらずこの者にご相談ください。年は若いですが政治に長けております。世を安泰に導く大臣の相と言われたのです。だからこそ帝を支える人材にしようと思って皇太子にせず、臣籍に降したのです。その気持ちを無になさいますなよ。」

 桐壺院がこの世から消えれば、朱雀帝の一存で光源氏を干すこともできる。死んだ後のことまで命令できないので頼むしかないのである。

「決してお言葉に背きは致しませぬ。」

 何度も何度も言われる桐壺院の遺言に、朱雀帝は悲しみながら何度も何度も約束した。何を約束しようが権力がある限り反故にもできることを桐壺院は当然知っていたのだが、口に出して遺言で頼むくらいしかもうできることがないのだ。

 朱雀帝は光源氏の陰にかすみ、父母の憎しみあいにはさまれて父の愛情も薄かったのだが、年とともに貫禄も出て立派になっていた。桐壺院は末頼もしく思いながら遺言を終えた。



 朱雀帝の次には皇太子も親子の別れをせねばならない。皇太子は5歳である。帝と別の日に連れてこられた。長い間会わなかった父に会えてうれしげである。桐壺院はこれからのことをいろいろと教え聞かせるが、よく分かっていないようである。一緒に来た藤壺もまた悲しみに沈んでいる。子供はどうなるのかと心配であるし、愛する藤壺を頼りない身にして置いていくのもまた心残りでならなかった。

 皇太子一行は早めに別れを終えると、朱雀帝に劣らぬにぎやかさで帰っていく。皇太子側についている殿上人たちが大勢いるのだ。桐壺院は短すぎる別れを残念がっていつまでもその後ろ姿を眺めていた。後に冷泉帝と呼ばれることになるので、冷泉と呼ぶことにする。


 弘徽殿も見舞いに来ようと考えるのだが、いつも藤壺が付き添っているので行きたくないと思っているうちにたいして苦しむ間もなく、桐壺院は身罷った。

 譲位はしていたが政治の実権は桐壺院が握っていたので、いよいよ新しい朱雀帝と母親の弘徽殿の一族の右大臣の世になった。悲しいことはもちろんだが、朱雀帝はまだ若く、右大臣は気短で気に入らないものをいじめる傾向がある。政治手腕はどうか分からない。かといって皇太子の冷泉と母親の藤壺、後ろ盾の源氏の君も将来やはりどうなるか分からない。殿上人たちはどちらにつくべきか思いまどっていた。


 藤壺と光源氏は、特に愛されて頼りに思っていた桐壺院を亡くして、他の人以上に嘆くのはもちろんだが、しっかりした二人なので、法事のことは万端準備を執り行った。その立派な態度は殿上人たちの評価を高めた。喪服姿でやつれ、気丈にふるまう光源氏は、去年の本妻に続く身内の不幸で、またぞろ出家を考えたりして、そんな殊勝な態度も宮中の評判を上げた。とはいえ、藤壺と光源氏の立場は、浮舟のように不安定だった。二人を目の敵にしていた弘徽殿の一族が、第一権力者の世の中となったのである。雌伏の時のはじまりである。

 49日がすむまでは、藤壺も仕えていたほかの妃達も、そのまま院御所に住むことを許されたが、1月20日(旧暦12月20日)、さっそく弘徽殿は藤壺たちを追い立て始めた。住み慣れてまだ夫の面影の残る宮中の住まいを離れることは悲しいが、弘徽殿の性格を考えると、そこにとどまるのは「いじめて追い出してください」と言うに等しかった。藤壺は自分から宮中を出ることを選んだ。ほかの妃たちもそれぞれ里へと戻っていく。追い出されていく藤壺を、光源氏は悔しさに震えながら見送らなければならない。


 藤壺は実家の三条邸に下ることが決まり、兄の兵部卿(若紫の父でもある)が迎えに来た。

 院御所の中は人気が少なかった。風が激しく、雪が吹き付ける。光源氏は藤壺をなぐさめようと、そばについて思い出話をしていた。兵部の卿は庭の松が雪をかぶって枯れているのを見てふと言った。

「影が広いからと頼みにしていた松が枯れて下の葉も枯れたのだな。年が変わるな。」

 「松」は院のことを言ったのである。光源氏は袖が濡れるほど泣いた。頼りを失って雪に耐えているのは彼自身である。光源氏は池の氷を見て『池はなお 昔ながらの 鏡にて 影見し君が なきぞ悲しき』(大和物語:池は昔ながらの鏡なのに姿を映していた君が今はいないのが悲しい。平兼盛)をふまえて言った。

「まったく冴えわたった池の鏡に見慣れたお顔が映らないのが悲しくてなりません。」

「年が暮れますと岩清水も氷に閉ざされるせいか、来ていた人々も来なくなりますね。」

 王命婦が調子を合わせた。藤壺と光源氏の周りからは取り巻きたちが潮が引くように消えて、昔ながらの忠実なものだけが残っている。桐壺院の後ろ盾がなくなればそうなることは光源氏は分かっていたが、藤壺の気持ちを思うと平静ではいられない。

 退出の儀式を行い、藤壺は里へ下っていく。儀式は普段とまったく変わらないのに藤壺の胸には万感の思いが迫った。今は里よりも宮中の方が住みなれて、里の方が仮の宿のような思いがするのだった。



 年が明けても世間ではとくにイベントもなく、静かな年明けである。光源氏は二条邸に引きこもって宮廷にも出なかった。面白くないのだ。後ろ盾の桐壺院が亡くなり、政敵の朱雀帝が実権を握り、今の彼に発言力はない。身分は「大将」早すぎる出世は妬みを買っているし、弘徽殿の女御ににらまれるのが嫌で、誰も表立って味方になろうとする者はいない。左大臣は娘が亡くなったころからすでに引きこもりがちであったし、彼もやはり実権を奪われて力を亡くしていた。

 定期異動の時期になっても貢物を持って光源氏の所に日参するものもない。

(去年までは牛車が門のところに立て込むほど来ていたのに。)

 古くからの執事など、傘下の忠実なものだけが変わらず屋敷内で用事を片付けているばかりだ。

 16歳の新妻の若紫は、事情は分からないが光源氏が面白くなく日を過ごしているので笑顔で寄り添っている。


 光源氏との結婚を望んでずっと彼を待っていた右大臣家の朧月夜は、「御櫛笥殿」からついにもっと朱雀帝に近い「尚侍(ないしのかみ)」となった。桐壺院のころの尚侍が桐壺院崩御とともに出家したので職が空いたのである。これで朱雀帝との関係があるのかないのか分からないグレイな存在から公式な妃の一人となった。光源氏との結婚はもうない。

 美しくあだっぽく人柄もよい朧月夜はたちまちとびぬけた寵愛を受けるようになった。正式な本妻は梅壺に住んでいるがよく里帰りして朧月夜の前では寵愛もかすんでいる。朧月夜は尚侍に過ぎないかもしれないが、弘徽殿の女御の妹である伝統にのっとって、弘徽殿に部屋をもらい、数知れない女房が仕え、殿上人が集まり、大変なにぎわいだった。「光源氏とのことで傷がついているせいで身分が尚侍だ」ということを除けば「御櫛笥殿」として登花殿で暮らしていたころと比べて一族を上げた女御待遇であり、あとは皇子が生まれることを右大臣一族は心待ちにしていた。

 しかし本人はいつまでも光源氏を忘れられなかった。朱雀帝の妃になるより光源氏の妻になりたかったのだ。登花殿にいたころと変わらず今でも光源氏にこっそりと手紙が送られてくる。「これが誰かの耳に入ったら大変なことになるぞ」と思いながら光源氏も手紙を送るのがやめられない。むしろこんな障害が出てきたことで前よりももっと好きな気がしていた。


 権力が移り変われば人の上下も入れ替わる。それは世の常であり、今が上でも将来下になるのかもしれないのだから、それも皇太子が冷泉でやがて自分たちが風下に立つ日が来ることは明々白々なのだから右大臣一族は光源氏陣営ともうまくやっていこうと考えるのが、普通である。しかし弘徽殿はそう思わなかった。憎たらしいのを桐壺院のために我慢してきたことをすべて仕返ししようというのが、彼女の考えだった。光源氏の一派にはとてつもないあからさまな冷遇が待っていた。宮中のそしりに慣れて覚悟もしていた光源氏でさえ、ひどいいじめかたに出仕拒否をして家でごろごろしているようになった。有力なカードも財産もある彼は無理して耐え抜く必要はない。嵐が過ぎ去るのを待つだけでいいのだ。

左大臣一家も例外ではない。弘徽殿は「朱雀帝にほしいにと望んだのに娘を光源氏にやって光源氏を盛り立てた」ことをまだ忘れていなかった。その娘が産後すぐに死んだことも少しも恨みを薄めることにならなかった。左大臣一家にも人を人と思わない耐え難い宮中いじめが待っていた。傘下の土地持ち達は陰に陽に圧力を受けて貢物を差し出さない。経済的にも今までのようにいかなくなった。左大臣は桐壺院の時代には実権を握り何でも思った通りになっていたのにここに来て右大臣がその実権を握って何でも思った通りにしているのを見て面白くない。

 光源氏は娘が生きていたころと変わらずよく左大臣邸を訪れ(もともと左大臣のために通っていたようなものだったので変わらないわけだが)夕霧の女房達にこまごまとした指示を与え、大事に世話をしてくれる。「なんと情の深い方だ。こんな方はめったにない」と大事にお世話するのも娘の婿だったころと変わらない。結局娘がいないだけで何も変わっていない。

 光源氏は出仕拒否をしている身の上で大っぴらに女性たちのもとに通うわけにもいかず、そのうえ光源氏があまりにも冷遇されているのを見て方々の女性たちも自然と切れていった。何人かの女性たちが残り、心のどかに過ごす光源氏は「今が理想的じゃないか」とすら思っていた


 光源氏が若紫を一番寵愛していることは世間でも認められるようになっていた。身分も低くない、父親は由緒正しい皇族だということが分かったので表立って非難する人は誰もいない。乳母の少納言は「これもひとえに尼君が一生懸命にお祈りなさったからだ」と思っていた。父親もあの金も力もある色男、都いちの美男子の光源氏にこれほど寵愛される得難い娘を誇らしく思ってしげしげやりとりをする。正妻は面白くない。自分の娘はそんな幸運を少しも引き当てていないのだ。しかしいくら恨んで害をなそうとしても昔若紫の母親をいじめ殺した時のようにはやすやすといかなかった。傘下の土地の人々に圧力をかけて貢物を止めさせるというわけにもいかない。若紫は自分の土地はなく光源氏の財産100%で暮らしているので、凋落しても光源氏の土地に下手に手を出せば自分の方がつぶされてしまう。



 六条の御息所の娘は桐壺院の崩御によって、斎宮を代わることになった。選ばれたのは朝顔の姫君である。帝の孫が斎宮に選ばれることもないではないのだが珍しく、光源氏は長年変わらず口説き続けている朝顔の姫君が口説けない職についてしまうことを残念がったが、手紙だけは絶やさないように姫君の女房に渡りをつけていることも変わりはない。仕事がない今は女性のことがことさら気にかかり、気にしている。


 朱雀帝は父の遺言もあり、光源氏のことを頼りにして重用したいと思うが、若くて気も弱いので母弘徽殿と祖父右大臣に逆らえず、言われるがままに光源氏を外していた。そのほかのことも彼の意向は全く反映されないまま、粛々と世は動いていくのだった。



 朧月夜の尚侍とはこっそり関係が続いていた。(御櫛笥殿だったころから続いていたのかもしれない。)心が通じているので人目にさらされやすくなっても逢うことは可能である。大きな法事があって朱雀帝が女性関係を絶っているすきを狙って、女房の中納言が、昔二人がはじめて逢った西の廂の間に光源氏を引き入れた。真夜中、人気のない時の逢引は夢かと思うほど現実味がない。それでいてこれほど人目の多い弘徽殿での、それも縁側の人の出入りの多い場所での逢引は空恐ろしさも加わった。

 朱雀帝が朝昼呼び出して寵愛しても飽きない美しい方が、それも久しぶりの逢瀬で、自然と光源氏の愛情は深くなった。朧月夜は色っぽさの盛りのころで奥ゆかしさはないが幼く感じられるほどに光源氏を愛していて、それはそれで逢いたくなる女性である。

 午前3時、そろそろ帰らなければならない頃、近くで「宿直しているんであります。」という言い訳している近衛府の役人がいる。

(近くに逢引している近衛がいるようだな。同僚が意地悪して暴いたのだろう。)

 珍しいことかもしれないが、光源氏には隣から人の声がして邪魔されることがわずらわしかった。

「寅一つ。(午前三時)」教える声がした。


「心から かたがた袖を 濡らすかな 飽くと教ふる 声につけても

(心から涙を流します。明ける(=飽きる)と教えてくれる声に。)」

 朧月夜が歌を詠む。その姿、さすがに美しい。


「嘆きつつ 我が世はかくて 過ぐせとや 胸のあくべき 時ぞともなく

(嘆きながら人生を過ごすようにというつもりかね。夜が明けて胸の明るくなる時がないのに。)」

 光源氏も歌を返した。そして心を乱しながら帰った。

 夜はまだ深いが月は明るく、霧の中だが思い悩みながら帰る光源氏の忍び歩きは美しく見間違えようがない。そしてその人違いするはずのない姿を、近くの承香殿の女御のもとにお仕えしにきて塀の影になった所で外を眺めていた承香殿の兄の藤の少将がたまたま見ていた。一度見られたらそのうわさが広まるのはあっという間だった。


 光源氏が危ない恋に走るのも、藤壺が恋しいからだった。

 夫が亡くなった今でも、彼女は光源氏を拒み続けて、その態度は「立派な方だ」と感心はするが光源氏にしてみれば辛い以外の何物でもない。藤壺と皇太子の後ろ盾である彼は、今までより藤壺と会える機会は多いのだった。彼女と(実は息子の)冷泉とに会いに出かけて様々なことを手配するのが仕事と言ってもよかった。

 皇太子である冷泉は宮中に住み、里住まいの藤壺は宮中に上がらなければ息子の顔を見ることはできないのに弘徽殿の怒りを買うので上がれない。光源氏が教えてくれなければ息子の様子が分からないのだ。それなのに会えば口説かれるので困っていた。

(桐壺院はこのことを何もご存じないままに逝かれた。)

 それも胸が苦しくなるほどつらいが今はもっと辛いことがある。

(光源氏と噂がたてられて皇太子の父親に疑いが持たれたら大変なことになってしまう。)

 冷泉の父親が光源氏だということは、冷泉の顔に書いてある。そっくりなのだ。

(もし今このことが問題にされたら、私も皇太子も、光源氏も絶対に無事ではすまない。) 

彼女は「光源氏が私のことを忘れてくれますように。」と祈祷をさせてみた。

 あらゆる機会をとらえて愛情を訴え、御簾の内に入り込もうとする彼から一切の油断なく逃げていた。

 しかし光源氏の深謀遠慮は彼女の用心を上回り、ある日誰も知る人のないまま光源氏は御簾の内に入り込んだ。

 藤壺は彼女ができる最大の意地悪な態度を見せてみた。誰に対してもここまで本気でかき口説いたことのないほど光源氏が思いのたけを訴えるのを何とか逃げようとしたがかなわず、心労のあまり心臓発作を起こした。近くに控えていた命婦と弁が驚いて手当をする。どう考えても光源氏に言い寄られたことが原因だった。

(そんなにも私がおいやか。)

 光源氏は辛くて目の前が真っ暗になり、出て行かなければならないという分別も消え失せた。将来などもうどうでもよかった。夜が明けてもそのまま藤壺の部屋にとどまっていた。女房達が出て行かない彼を必死で隠して奥の塗り籠め(着物や調度品などの貴重品置き場)に押し込めた。光源氏本人だけでなく光源氏の脱いだ服まで人目を避けてすべて隠している女房達の心労は一通りのものではない。藤壺の病のため、兄君をはじめ屋敷の人々も集まって、誰かに衣の切れ端一つ見つかっただけでも身の破滅である。光源氏や藤壺も凋落するかもしれないが、手引きした女房の首などあっさり飛んでしまうだろう。


 藤壺は胸の痛みが治まっても熱っぽく、兄の兵部の卿、お仕えする中宮職の長官も駆けつけて「僧を呼べ」(医者ではない)と指示が飛び、読経が始まる。それを塗り籠めの中で、光源氏はわびしく聞いた。夕方ごろ藤壺は少し良くなって、光源氏がまだ潜んでいるとは思わず、「昼の御座所に出ます」と、寝所から昼の御座所ににじり出る。詰めていた兄たちも「よくなったようだな。」と退出して、藤壺の部屋は普段通りになった。彼女の召し使う女房は多くなく、ここかしこの物陰に控えている。

(源氏の君がまだいらっしゃるとお伝えした方がいいのかしら?)

(そんなことをしてまた熱を出されてはいけないし。)

(どうにかしてあの方を人目につかないようにお出ししなければ。)

 女房達の思惑に反し、心臓発作を起こさせる光源氏は今日こそ藤壺としっかり話したいと思っていた。


 彼は細めに開いた塗り籠めの戸をすっと開けると、屏風の物陰を伝い、誰にも見られず藤壺の近くへ忍び寄った。彼女は「果物だけでも」と美しく箱のふたに盛り付けられた果物にも手をつけず、思い悩んでいた。その姿を見て、光源氏は涙を流した。明るいところで藤壺の姿を見るなど何年もなかったことだ。

「まだ苦しいわ。このまま死ぬのかしら。」

 外を眺める横顔、誰とも比べられないほどに心惹かれる。悩み(主に光源氏が原因だが)を浮べて苦しんでいる表情を見ると、誰よりも愛していると思う。

 その頭の形、額の髪の生え具合、髪の垂れ下がり方が、どれも若紫が生き写しであることだけが、やや光源氏の心を晴らした。

(長い間お姿を見ていなかったが、やはりどこまでも似ている。)

 少なくとも家に帰れば、そっくりの新妻が彼のことを心から愛していて誰に気兼ねすることもない彼の妻なのだ。


 優しい気高さ、気後れしそうなところも若紫と似ていた。ただ長年思い続けてきたせいか、藤壺にかける愛情は特別だった。

(昔より美しくなられた。)

 光源氏はのぞき見だけにとどまるのをやめて几帳の内に入り込み、後ろから裾をとらえて注意を引いた。声や物音はしなかったが、ただよってきたかぐわしい香りだけで、それが光源氏であることを、藤壺は一瞬にして悟った。どうやってまた入ってきたかまでは分からなかったが、とにかくそこにいるのだ。

(どうしてこんなに何度も…。)

 都一の美男子のストーカー行為に精神的に追い詰められた藤壺は突っ伏した。

(私と顔を合わせることさえ嫌なのか。)

 光源氏がとらえた上着ごと藤壺を引き寄せようとすると、藤壺は上着をすべり脱いで膝を進め、光源氏から離れようとした。(貴人は立たずに移動するのである)声を上げて人に知られるわけにはいかない。しかし何の因果なのか藤壺が離れようとしたとき光源氏の手には長い藤壺の髪がかかるのだった。光源氏はその髪をとらえて引いた。結局藤壺は光源氏の腕の中に引き寄せられるしかない。

(ああこれも前世からの因縁なのか。)

 藤壺はどういうわけなのか用心してもしても繰り返し光源氏の腕の中に引っ張り込まれる自分のねじ曲がった運命が恨めしかった。光源氏は泣きながら支離滅裂に恨み言をささやくが、藤壺は顔をそむけて返事をしない。

「私は具合が悪くて。よくなったらお返事をいたします。」

 演技なのか本心なのか、冷たく言うのだった。何時間でもささやき続ける光源氏の言葉に、時には心が揺れることもあったかもしれないが、それを表には出さずに、かわし続けて2日目も明けていく。

 本心から愛しているので他の女性にするように無理強いはできなかった。今までと違う藤壺のかたくなな態度もそれを許さなかった。

「何もなくても今夜のようにお話ができるだけでもよいのです。心が晴れるようです。」

 光源氏は髪を手放して藤壺を解放した。

 こうしてただ語らうだけの攻防も悪い物ではない。ましてや藤壺が相手であれば、光源氏はそれだけで心が鎮まるのだった。


 明けたので光源氏が再び忍び込んだことにすでに気が付いていた命婦と弁が頼むから出て行ってくれとせきたてる。藤壺は心臓発作を起こした昨夜に続き、今夜も光源氏の激情をかわし続けて半ば死んだようになっている。光源氏も藤壺がなぜそこまで自分を拒もうとするのか分かっていた。嫌いだからではない。知られれば息子が無事ではすまないとか、そんなことを考えているからだ。分かってはいるが、拒絶されたことが許せないのは別物だった。悔しいので彼は言った。

「このまま私が生きていると耳にされるのも恥ずかしいから死のうと思います。ですがそんなことをすれば来世の障りになるのでしょうから。」

 女房達はこれで終わりではないと感じ、その執着心の深さに戦慄した。


「逢う事の かたきを今日に 限らずは 今いく世をか 嘆きつつ経ん

(逢うことが 難しいのは今日に 限ったことではない。 何世でも 嘆きながらあなたを思って生きていく)

 恨みを買ったあなたの往生の障りになるかもしれませんが。」

 光源氏は歌を詠みかけた。顔を見て言葉をかわせただけでも苦労して入り込んだ値打ちがあった。


「長き世の 恨みを人に 残しても かつは心を あだと知らなむ

(たとえ長い世の 恨みを人に 残したとしても それでも今世でそのお心は 無駄に終わるとお分かりください)」

藤壺は返した。

 今にも消えそうな様子で言われたつれない言葉に何も言い返そうと思わなかった。藤壺が息子を守ろうとする意志は固い。言い返せば苦しくなるばかりだ。

 光源氏は呆然自失の有様でやっと出て行った。


 光源氏は家に帰ったが、藤壺の冷たさが許せなかった。

(このままお目にかかることはできない。手紙も出さないぞ。かわいそうだったと後悔していただこう。)

 光源氏はふてくされて、藤壺の元だけでなく皇太子の冷泉のもとにも一切行かなくなった。ひたすら屋敷にこもり、寝ても冷めても藤壺のことが恋しくて悲しくてならなかった。

(冷泉様のもとに行かなければそのうちあの方も謝ってこられるはずだ。)

 光源氏はそう思いながらも苦しみ、病気がちになって出家も考え始める。もちろん思いとどまる。光源氏だけを頼りきりの若紫を残していけない。


 悩んでいるのは藤壺もそうだった。光源氏の忍び込みがあって以来、体調がはかばかしくない。光源氏が当てつけのように藤壺の所にも冷泉の所にも来ないのにも心を痛めていた。あらゆる手配、儀式事を行うのが彼の仕事なので、本来ならしげしげとやってきて控え、目を光らせるはずなのだ。命婦は「藤壺様がお冷たいからだ」と光源氏を憐れんでいる。それは気にならないが、彼の思惑通り、冷泉の後見の仕事さえ放棄していることは気にしないわけにいかなかった。

(私に対してはともかく、冷泉に対してまで冷たい感情を抱かれては冷泉のためにならない。それにあんなご様子で、一時の気の迷いから出家してしまわれたりしたら、冷泉は後ろ盾を失ってしまう。)

 藤壺は板挟みになって苦しんだ。本当に光源氏があきらめさえしてくれればよいものを、冷たくすれば息子のためにならず、かといって愛情を受け入れたりしたらそれも息子のためにならないのだ。それも光源氏の息子である。原因を作っておいて、なおも彼女を追い詰めるのだ。それでも突き放せはしない。今は彼が後ろ盾であり、唯一の頼みであり、藤壺はただの女性にすぎないのだから。

 藤壺は何日も悩み、考えた結果、決心した。

(こんなことが続いてはどこかで噂が漏れて、口うるさい世間に広がらないとも限らない。弘徽殿がいつも「ありえない」とおっしゃっている皇后の座を退こう。出家するしかない。あの方にあきらめていただくには。)

 自分がこの先一生女性を捨てて生きていくことになることより、「藤壺の立場が少しでも強くなるように、皇太子の立場を守れるように」と苦労して自分に皇后の位をくださった桐壺院の遺言に背くことになることだけが心苦しかった。

(仕方がないわ。世の中は移り変わっていくもの。このままでは弘徽殿に復讐の武器を与えてしまう。中国では后の恨みを買って、帝の死後、息子を殺されたうえ、手足を断ち切られ、目と耳を奪われた寵妃もいた。まさかそこまでの扱いは受けないとしても、弘徽殿は何をなさるか分からないお方だ。私の身の上も、冷泉の身の上も、今はどうなるか分からないのだ。そうするしかない。)

 藤壺は世を捨てる決心をした。ただ息子の顔を見ずに髪を切ってしまう事だけが心残りだったので、息子に会いに宮中へ行くことにした。



 いつもはもっとささいなことでも光源氏は万事世話を焼いてくれたが、藤壺がお忍びで宮中に上がると知らせても、「病気でうかがえません。」とありきたりの断りの手紙が来るばかりだった。「ずいぶんとご機嫌を損ねていらっしゃるわね。」と事情を知る女房は光源氏に同情気味である。お金で篭絡されているのか色気で篭絡されているのか藤壺のことより光源氏の方が気になるのだ。

(もう私の女房でない。きっとまたあの方を引き入れるだろう。)

 藤壺はそう思ったが事情を知りすぎているのでそのまま身近で使うしかない。彼女は聞き流した。

 冷泉はとてもかわいらしく大きく成長していた。久しぶりに会う母親に嬉しがってまとわりつくのを「かわいい」と思うと出家の決心が鈍る。出家すれば建前上親子の情もたたねばならないので、気軽に会いに来られない。冷泉の方から会いに来てくれることもできない。見渡せば宮中の内装は自分がいたころとすっかり変わって、「やはり世の中は移り変わっていくものなのだ」と藤壺をしんみりさせた。

 こんなところに、弘徽殿の恨みを買っている息子を一人残しているのは、自分が宮中に出入りすると弘徽殿を怒らせるからだ。このまま無理してでも皇后の座にとどまる方がこの子のためだろうか。しかし「実は光源氏の子です」などと噂が立てば、本当に殺されてしまうかもしれない…。藤壺は迷った。

 藤壺はにっこりして6歳の息子の顔を見つめた。

「長い間お目にかからないでいる間に、私の姿が醜く変わってしまったらどうお思いですか?」

「式部のようになるのか?どうしてじゃ?」

「式部は年を取って醜くなったのです。私はそうではなく、髪をもっと短くして、黒い服を着て、加持祈祷をする僧侶のようになろうと思います。そうなったら、もうめったにお会いできなくなります。」

 藤壺が涙を落とすと冷泉もまじめな顔になった。

「長い間来てくださらないと恋しいのに。」

 冷泉も泣きだしたが、泣いているのを見られるのは恥ずかしがって顔をそむけた。

 髪が美しくゆらゆらと揺れて、目元はりりしくきらりと光っている。育つほどに光源氏の顔を脱ぎ捨ててかぶせたかと思うほど似てくる。虫歯ができて歯のふちが黒く、お歯黒のようになっているのでほほ笑んだところは女の子かと思うほどかわいらしい。

(こんなに似ているのでは心配だ。)

 藤壺は世間の目に触れることを恐ろしく感じた。男の子で皇太子なので、どうしても人前に顔を見せることになるのに。



 光源氏は藤壺に会いたかったが、「時々は思い知らせなければ。私が普段あんなにお仕えしていたのはあなたを愛していたためで、冷たくされてまで尽くすわけではないと分かっていただこう。」と我慢して家に引きこもっていた。しかし引きこもって何もしないのは悪く言われるし退屈なので、秋の野を見るついでに雲林院に参詣に行った。亡き母の兄がここで律師(僧正、僧都に続く地位)をしているので、その住居で法文を読んだり読経したりするのである。2~3日いると心が洗われるようだった。

 雲林院は今でも紅葉の名所である。紅葉が美しく色づいてぐるりと取り囲み、秋の野には花々が咲き乱れる。都を忘れそうである。法師たちの教養があるのを残らず呼び出して仏教論議を戦わせるのを聞いてみる。世の無常さが身に染みるようだ。明け方には藤壺が恋しくなる。そんな明け方に月の光の下、僧侶たちが仏様にお供えしようと水を供え、菊の花や紅葉を折って飾る。今世では心を安らがせ、来世では功徳になるだろう。

(私の悩みはきっとつまらないことなのだろう。)

 律師が朗々と「念仏衆生摂取不捨」と唱えるのを聞くと出家に心が動くが、若紫のことを考えて引き戻された。長い間会わないでいるからさぞ不安がっているだろうし、光源氏も会いたかった。手紙を何度もやり取りする。


「出家を考えたが心細くなった。ありがたいお話を聞くので心が安らいだよ。

 浅茅生の 露の宿りに 君を置きて よもの嵐ぞ 静心なし(浅茅の涙にぬれた場所にあなたを置いて嵐の心は鎮まるときはない。)」


 美しい筆跡で丁寧に書かれたその手紙を読んで若紫は泣いた。彼女は光源氏が誰かのことを思い詰めていることに気が付いていて、捨てられるかもしれないと思わずにはいられなかったのだ。光源氏が寺へ行くと言って出かけてから、若紫には平穏な時が一時もなかった。幼いころに引き取られ、いつも光源氏の愛情を頼みにして生きてきた彼女は、光源氏がそばにいて愛されていると思えるときだけが幸せだった。しかし自分が正妻の地位を、望めないことは分かっていた。光源氏には、もっと有力でもっと高貴な血筋の女性がふさわしいのだ。その方が彼は幸せになれるだろう。捨てられるとしても、引きとめることはできないのだ。

 だが少なくともこの手紙を書いていた時には、光源氏は若紫を変わらず家に置くつもりであり、世をはかなんで彼女を見捨てて出家するつもりもない。安心して若紫は涙を流した。それでも次の手紙の時にはどうなるか分からないのだ。

 彼女は白い色紙を選んで歌だけを書き付けた。


「風吹けば まずぞ乱るる 色変わる 浅茅が露に かかるささがに

(風が吹けば すぐに折れてしまうような細い枝の 色も変わった 浅茅の露に 巣をはるクモが私です。(すぐに心変わりするあなたを頼みにして、泣きながらもいつもあなたをお待ちしています。*「クモ」は男性の訪れを知らせる前兆))」


(字が上手になったな。)

 光源氏はほほ笑んだ。手本として彼の字を与えてきたし、いつも手紙をやり取りするために光源氏の字にそっくりである。ただすこしなよやかで女らしいところが違う。

(うまく育てたものだ。欠点がまるでない。)

 光源氏は自分の作品を嬉しく眺めた。


 朝顔の姫君がこもる野の宮がすぐ近くにあったので、斎院にも手紙を送る。

「こんな秋の旅空にまで恋しくてさまよい出てきたのだ。分かるだろう?」と女房をせっつき、恋愛御法度の斎宮に歌を送る。


「かけまくは かしこけれども そのかみの 秋思ほゆる ゆふだすきかな

(口にするのも おそれおおいのですが 昔の あなたとの秋の思い出が思い出される 夕暮れの木綿(ゆう)だすきです)


 伊勢物語にもありますね。

 『古の しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな

(いにしえの 貧しい者が麻糸を紡ぐオダマキを ほどいて球を糸に戻すように 昔を今に呼び戻す 方法が欲しい)』

私も昔を取り戻したい。ですがもう難しいようです。」


朝顔の君とは逢ったことはないのに馴れ馴れしく中国の黄緑の紙に手紙を書き付け、見た目は斎院にふさわしく神々しくサカキに木綿を結びつけたものを添えた。

女房からは丁寧な返事が届き、朝顔の君の返事は送った木綿の端に書き付けてある。


「そのかみや いかがはありし 木綿だすき 心にかけて しのぶらむゆえ

(むかしのこととは なにかありましたか 木綿だすきを 心にかけて 思い出されるとはどんなわけでしょうか)」


(繊細ではないが気品ある字だ。草書は特に見事になられたな。朝顔のお顔の方も美しくなられたはずだ。)

 光源氏は好奇心をかきたてられる。

(ああこの季節だったなあ。御息所と逢ったのは。よく似ているな。不思議だ。)

 光源氏の朝顔への執着心はかなり深かった。もっと昔の、恋愛のはじまりに強引に口説いて恋人にしておけばこれほど思い悩まずにすんだと悔しがり、斎院はその執着心の深さを知っているのでその気持ちを変に憎しみに変えないため、時には見事な返事をよこすのだった。


 光源氏は恋人に手紙を送る合間に「天台60巻」と言われる仏教経典を読み、僧侶たちに解説させた。光源氏のような大貴族の光臨に、「光が輝き出る」「寺の名誉」と近隣の僧侶たちは乞食僧にいたるまで一目だけでも見ようと喜んで集まってくる。光源氏は長期滞在してもよかったのだが、若紫が気にかかるので帰ることにした。

 来世の功徳を積むため、読経をこれでもかというほどさせて、上は学問僧から下は乞食僧にいたるまでもれなく施しをし、やつれて桐壺院の喪中の喪服姿、黒の牛車に乗り込む様まで語り草となりながら、大貴族の面目を施して二条邸に帰った。


 数日間逢わないでいるうちに、若紫もまた少しやつれていた。泣きつくし悩みつくした数日間の苦しみが、痛々しく表情にあらわれ、しかし光源氏のお帰りに、美しく化粧して出迎える姿、美しさは前以上だった。手紙で光源氏の心変わりをいじらしく恐れ、案じているのを知っていたので、なおさら愛おしい。光源氏はいつも以上に優しく言い聞かせて若紫を安心させた。



 光源氏は雲林院から紅葉の枝を切らせて持ち帰っていた。庭の紅葉と比べても鮮やかさが違う。

「このところご無沙汰しているから、仲が悪いと思われては困る。藤壺様に差し上げよ。」

 すでにすっかり光源氏の味方の命婦にこまごまとそれらしい手紙をつけて届け、命婦はそれをそのまま藤壺に伝える。

「『藤壺様が宮中に入られたことは存じ上げ、珍しいことだと、お二人の間のことも気になっておりましたが、仏道修行を思い立ち、願を立てた日数を勤めあげないわけにもまいらず、気になりながらご無沙汰しておりました。紅葉は一人で見ていたのでは夜の錦です。


『見る人も なくて散りぬる 奥山の 紅葉は夜の 錦なりけり

(古今集:見る人も ないまま散った 奥山の 紅葉は例えるなら夜の (人目に触れることのない)錦だ)』


 お時間のある時にどうぞご覧くださいませ。』

とのことです。」


(確かにとても美しい。)

 雲林院は今でも紅葉の名所である。藤壺の目に留まる鮮やかさだった。しかし見とれて見入っていると紅葉に小さな手紙が結び付けてある。藤壺は心から嫌になってしまった。

「甕に活けて、外の廊下の柱の所に置いておいて。」

「しかしそこではご覧になれないのでは。」

「そうしてちょうだい。」


(いつもの思慮深さはどうなさったのだ。こんなことを続けられては誰かに勘付かれてしまうと思われなかったのだろうか。)

 藤壺は心からうとましかった。結び文は活けるときに命婦が処分するだろう。


 返事は丁寧で美しい筆跡の直筆だが事務的なことしか書かれていない。光源氏は恨みをつのらせたが、このまま不参を続けては人の噂になりかねないので、退出の日はお供しなければならない。

(まったく頭のいい方だ。私はあの方の後見人だからな。)


 まずは朱雀帝に会いに行く。異母兄弟はなごやかに語り合った。

 気の弱い朱雀帝は顔かたちは桐壺院に似て、ただもう少し穏やかである。

 彼は一番寵愛する朧月夜の尚侍がいまだに光源氏と関係が続いているという噂を知っていたし、今やそのことで弘徽殿一派(母親)が(朱雀帝もその一員だが)荒れ狂って光源氏を敵視していることを知っていたが、自分も一緒になって光源氏を責めようと思わなかった。

 激烈な母親からは過干渉、絶対権力者の父親からはネグレクトを受けて、何事も思い通りにいかない状況で育った彼は我慢強く、文句をつけるという発想がないのだった。それに彼は有能で財産もある光源氏が無能でお飾りの自分よりも権力があることを分かっていて、遠慮していた。光源氏もそれが分かっているので、四面楚歌の宮中で、朱雀帝との仲の良さを周りに見せつけに来たのだった。

(昔からの恋人なのだから、今始まったというのならともかく。心が通じているのだろう。)

 朧月夜が光源氏があきらめきれない恋人だからと言って腹を立てる気にならない。むしろ朧月夜の値打ちが上がっている気がしていた。


 思い出話、漢文の分からないところ、色恋沙汰の和歌の話などを楽しく語り合ううち、朱雀帝が六条の御息所の娘(斎宮)に「別れの櫛」を挿した時に、顔の美しかったことを話せば、光源氏もつい六条の御息所との野の宮での風雅なアバンチュールについて詳しく語って聞かせた

 話し込んでいるうちに20日の遅めの月が昇ってきた。

「月の美しい時間になったな。合奏をしたくならないか?」

「申し訳ありませんが、藤壺の皇后さまが今夜退出なさるので、お仕えしに行かねばならないのです。桐壺院がご遺言で私に後見するようにとおっしゃいましたし、他にお仕えできる者もおりませんので。冷泉皇太子のお母上ですから、なおざりにするのはおかわいそうでして。」

「冷泉か。父上は私に冷泉を養子にするようにとご遺言なさったので、心にかけてはいるのだが、冷泉だけを特別に扱うわけにもいかなくてな。

 6歳でもう字を上手に書くと聞いている。優秀なようだから何もうまくやれない私の鼻が高いよ。」

 光源氏はほかに冷泉がどれほど有能かを宣伝して、朱雀帝の覚えがめでたくなるようにした。朱雀帝の養子になれれば確かにこれほど盤石な後ろ盾はない。


 帝のもとを出ると、弘徽殿の甥で帝の秘書頭(=「蔵人の頭」)の頭の弁がすっと後を追いかけてきた。弘徽殿一派が権力を握ってからと言うもの、涼やかな美青年の彼は若者の出世頭で、かつての光源氏のように、評判をほしいままにしていた。

「『白虹日ヲ貫ケリ 太子怖ジタリ』

 とか申すなあ。おやおやこれは謀反の前兆か?帝がお優しいのにかこつけて誰かが帝位を乗っ取ろうとしているのではないか。」

 追い越しざまにゆっくりと聞こえるように独り言をのべる。光源氏はむっとしたが強いて聞こえないふりをした。帝の側にすでに上がった朧月夜に手を付けたことに弘徽殿の怒りがすさまじいと噂で聞いているし、弘徽殿陣営の誰彼が当てこすりを言うので、最近はめずらしくない。光源氏はそんな扱いは承服しかねたが、知らないふりをしていた。宮廷は見た目は美しいが実際は陰湿な陰口といじめの場所だ。今はその対象が光源氏というだけなのだ。


「帝のもとに参上しておりまして、今退出してきたばかりでございます。遅くなりました。」

 光源氏は藤壺に深々と頭を下げて詫びを述べた。

 朱雀帝のもとでもそうだったが、藤壺の元でも月がとても明るかった。

(昔はこんな月の夜は合奏をしたものだ。)

 今の藤壺にも光源氏にも、「管弦の遊び」をできる権限も自由もない。今は昔とは違うのが悲しかった。


「九重に 霧や隔つる 雲の上の 月をはるかに 思いやるかな

(九重に 霧が隔てているのでしょう 雲の上には 美しい月があることを 思い出しています)

(=朱雀帝に害意はないけれど周りの方たちがそのご好意を隠しているのです。話をしてきた源氏の君はご存知ですよね。)」


 藤壺の歌が命婦から伝えられた。光源氏にうっかり声は聞かせるまいと思っているらしいが、すぐ近くなので気配を感じ、光源氏は辛いことも忘れて涙をこぼした。


「たしかに月の姿は昔と変わりませんでした。しかし霧が辛いです。」


 冷泉は早く寝るのをやめ、藤壺が出て行くまで起きていようと頑張っている。もうたやすくは会えないと思うと、藤壺はこまごまといろんなことを教えようとするのだが、6歳の子供なのであまり深くは考えず、忘れてしまうらしいのが心配だった。藤壺が出て行くのも、そういうものだと引きとめずに見送ってくれるのがいじらしい。

 決心がゆらぐが彼女はもう心を決めていた。


 光源氏は当てこすりを言われてからさすがに数日間は朧月夜に手紙を送らなかった。すると待ちかねて朧月夜の方から手紙が来た。


「木枯らしの 吹くにつけつつ 待ちし間に おぼつかなさの 頃も経にけり

(木枯らしが 吹くにつけお手紙が来るかと 待っている間に 待ち遠しさも ずいぶん長くなったわ)」


 人目もある中、どれほど苦労してこの手紙を書いただろうと思うと、光源氏は喜んで使いの者を待たせ、輸入物の紙を入れてある箱を開けさせ、筆も特に選んでうきうきと手紙を書くので、「いったい誰なの」とおつきの女房達はささやきあった。


「お手紙を差し上げてもお返事がないので甲斐がなくて疲れてしまったので、

 私の方こそ辛い思いをしている。

 お逢いできず長い間忍んで堪えている私の涙は並の長雨とは違う。

 心が通っているなら手紙がない位で忘れたりはしない。」


 とふたたび細やかに手紙を送るようになり、反省は少しもしなかった。

 光源氏に恋文を送ってくる女性は多いが、返事を書きたいものは少ないのだ。



 12月1日(陰暦11月1日)、桐壺院の一周忌である。続いて法華八講の会を開くべく、藤壺はこまごまと手配していた。当日は大雪である。

 悲しみがよみがえった光源氏が藤壺に手紙を送ると、めずらしく返事があった。


「ながらふる ほどは憂けれど ゆきめぐり 今日はその世に あふ心地して

(行き遅れてこの世に永らえる 間は辛いけれど 昔に返り 今日はその御代で お会いする気持ちがします)」


(素晴らしい字だ。気高くて。当世風なところはないのにすばらしい。なかなかこう書ける方はない。)

 と手紙のことを考えがちになるのを強いてやめて、雪のしずくに濡れながら法事に励んだ。



 1月10日過ぎ(陰暦12月10日過ぎ)。やっと藤壺の念願の法華八講が開かれる。

 ほかの法華八講とはちがい、並々ならぬ心遣いがなされていた。八講のために写経された巻物は軸に宝玉が飾られ、表紙が薄絹、経典の包みもこの世のものとは思えぬほど立派に飾り付けしてある。藤壺は万事立派で人が感心するように手配する人であったが、心を込めて準備したのでなおさらだった。仏像、経典を置く机の覆いまで見事で、極楽ではこのようなのではないかと思う姿を表現していた。

 1日目は先々代の帝で藤壺の父の、2日目は藤壺の母の追善が行われ、3日目に桐壺院の追善が行われた。法華経第5巻を講読するこの日ばかりは弘徽殿の目を気にしておられず、上達部が大勢やってきた。講師も立派な人を特別に選んだので言葉の端々にまでありがたさが伝わる。「法華経を わがえしことは たきぎ樵(こ)り 菜つみ花つみ 仕えてぞ得し(拾遺集:法華経を 私がどうやって体得したかと申しますと 薪を切って 野菜をとり花を摘み 御仏にお仕えして得たのです)(法華経の5巻の一節を和歌にしたもの)」という歌が伝わってくるようだ。桐壺院の皇子たちが供物を掲げて堂内をめぐるが、光源氏は進物も様子も並外れて豪華だった。

 そして4日目、最後の日に、藤壺は「世を捨てることを仏様にお誓いいたします」と何の前触れもなく宣言した。

 周囲の動揺も、会の途中の兄の説得も、光源氏の混乱もむなしく、藤壺の意思は固かった。彼女は比叡山の座主を呼び出して受戒を引き受けてもらい、叔父の横川の僧都に髪を下ろしてもらった。(身分が高いので身内以外に髪を触らせるわけにいかないのである。)すべて藤壺が手配を考えていて、それを実行した。誰にも止める暇はなく、噂をとめてなかったことにする術もなかった。若いうちの入道に同情して泣きながら、列席した貴族たちは会から帰っていったのだった。

 藤壺が美しく桐壺院から特別に愛されていたことを知る皇子たちはことに同情したが、光源氏の混乱には及ばなかった。人が見ているのですぐに問いただすわけにもいかず、皇子たちが全員帰ったのちに、藤壺の御簾の前に参上した。


「どうしてこう急に思い立たれたのですか。」

「今日思いついたわけではないのです。前から考えていました。ただ皆さまがお止めになって決意が乱れるといけないと思いました。」

 直接ではなく命婦に伝えさせる。本人の気配や御簾うちの女房達の絹ずれの音がする。光源氏を陶酔させるいつもの気配だが、今日は勝手が違う。身じろぎの中に抑えがたい悲しみを感じる。

 御簾の外には中に入れるほど身分の高くない女房達があちこちに群れて泣きつつ鼻をすすっている。雪に月が照り輝く庭の有様はかつての桐壺院在位中の華やかさを忍ばせていたたまれない。なぜ藤壺が入道しなければならないのか、それほど弘徽殿の圧力がすさまじかったのか、光源氏のかばい方が不十分だったのか、彼はふがいなさに歯ぎしりする思いだった。入道すれば藤壺の「皇后」という盾は消えてしまう。冷泉皇太子の立場も少し弱くなるし、何より藤壺自身の身が今まで以上に危うくなるのだ。傘下の土地も守りにくくなるし、おつきの者たちに官位を融通してやることもできない。仏道に入った者は政治に口を出せないからだ。藤壺は賢いのでそれを分かっているはずだった。


 御簾の内からは黒方が、仏前の名香、光源氏の身体から漂う匂い、そんなものが合わさって陶酔を感じるような香りになっていた。

 冷泉から使いが届く。藤壺は冷泉に出家することを教えたときのことを思い出し、たまらない気持ちになって返事ができなかった。もう会えなくなると分かっていて出家したのだから、年端も行かぬ幼子にひどいことをしたのだ。

 光源氏がその場を代わって返事をした。


「とにかく世をお捨てになられたことはうらやましい。私は親子の情に引かれて捨てられません。」

 人が多くてそれ以上のことを言えないのだ。光源氏の言葉は人から人へと伝わって藤壺に伝えられた。光源氏の悩みも心の乱れも伝わらなかった。



 二条邸に帰り、若紫の西の対に行かず本棟に横になったが、光源氏は眠れなかった。

(もう手の届かない方になってしまわれた。)

 尼僧には言い寄ることも情をかわすこともできないと思うと、衝動的に自分も世を捨てて出家しようと思うが、冷泉のことを考えて引きとめられた。

(桐壺院は冷泉の立場を考えて藤壺様を皇后にした。それを世の中の辛さに耐えかねて出家なさったのでは。今でさえ冷泉の立場は不安定なのに、私まで出家して見捨てるわけにいかない。)

 夜が明けるころには気持ちも固まった。

「とにかくこうなったからには、入道に必要なお道具はすべて私が手配する。年内に用意せよ。」

 藤壺と、一緒に出家した命婦も見舞い、光源氏はふたたび彼女のために手配を整えた。命婦の調度品も忘れなかった。

 藤壺は入道となっても寺にこもったりはせず、宮廷に近い実家の三条邸にお堂を作ってそこに住むことになった。たとえ尼僧でも、生きている母親が目を光らせておくことが少しは冷泉のためになると、彼女は考え、宮廷の使者は今まで通り受け入れ、情勢に疎くならないように気を付けていた。正月が過ぎ、内宴だ、男踏歌だと騒いでいるのを聞いても今までほどむなしくならない。

(来世の事ばかり考えていられるのは楽なこと。)

 そう思いながら念誦に励む。千人の来客があった今までと異なり、誰も訪ねては来ない。皆向かいの右大臣邸に詰めていた。

 来客がなくなっても光源氏は今まで通り誠実に訪ねて不自由がないかを見ている。色恋は片端ものぞかせなかった。藤壺もその誠意をありがたく感じ、色恋沙汰を封印してくれた光源氏とは親しく言葉も交わした。慕いたくなくても惹かれてしまう光源氏は時にほろりと涙を流すが、それまでのように涙を見てもらおうとはせず、すっと席を立って帰る。


 藤壺が入道して皇后位を辞退したことは、すぐに影響が出た。

 まず春の人事異動で、藤壺に仕えていた中宮(=皇后)側の人々には加増・加階がいっさいなく、藤壺の政治的影響力はもうなくなったのだとあからさまに示された。藤壺の皇后手当も急になくすことはないはずなのに支払われない。仕えてくれる人々ががっかりして落ち込み、とげとげしくなるのを見てもかわいそうだが、「私のことはどうなっても、冷泉の地位を安泰にしなければ」と藤壺は自分に言い聞かせる。


 その影響に耐えられず、左大臣は大臣辞職を願い出た。朱雀帝は桐壺院の遺言で「左大臣を頼りにするように」と言われていたので何度も引きとめたが左大臣があきらめずに辞表を提出し続けるのでついに受理された。その息子たちもそれなりの位についていたが、自動的に後ろ盾を失った。今や栄えているのは右大臣の一族だけである。


 光源氏の悪友、頭の中将(今は位が上がって三位だが、名前がないと不便なので「頭の中将」とよぶことにする。)は右大臣の四女の婿で右大臣一族に入るはずだが、あまりにも訪れ方が少なく、気に食わないという態度をとるので、一族の中に入れてもらえなかった。頭の中将についている中小貴族たちも人事異動で一切加増から外されてしまった。その人事の裏には右大臣の「ちょっとは思い知れ」という意図が透けていた。

 当の本人はへこむどころかますます強情になって、四の姫の所ではなく光源氏の所に入り浸るようになっていた。

「あなたでさえ御加階がなかったのですから、私になくてもおかしいことじゃない。」

 と二人して不出仕を決め込んで学問に遊びに二人で励んだ。ちょっとしたことでもやたら対抗心をむき出しにするのも昔と変わらない。光源氏もまだ24歳なので、ふざけるのも楽しかった。仏教の勉強も熱心で春秋の経典の講読のほかに臨時で経典の解説の会を催すし、暇そうな漢文の博士を呼び出しては漢詩づくりや韻ふさぎといった貴族のゲームに戯れる。夜は遊ぶのでなければ酒宴である。さすがに眉をひそめたり悪く陰で言う者もあったが、二人とも思うようにならない世の中が不満で不安で、その憂さを忘れていたいのだった。



 6月の梅雨、長い雨が続いた時、中将は由緒ある漢文の書籍を土産に携えてきた。光源氏は「大々的に韻ふさぎをやるか」と、書庫を開けて誰も見たことのない古い漢籍の本を出し、漢詩に詳しい博士、学生、貴族たちに大号令をかけて呼び出した。右座と左座に分け、左の光源氏陣営と右の頭の中将陣営で、「韻ふさぎ合戦」をやろうというのである。物も賭ける。知られていない漢詩の韻の部分を隠し、音だけで漢字を当てるのである。昔から賭け事はあり、すごろくやサイコロだけでなく、こうして和歌や漢詩を物を賭けて勝負することもあり、高貴な人でさえ白熱する遊びだったのである。

 あまりにも難しい漢字が出て、学識のある博士さえ悩むところを、光源氏がふっと答えをつぶやく。そのたびに感嘆の嵐である。(今はこれが聞けないので光源氏は宮中に出入りしたくないのである。)光源氏の活躍もあり、2日かかった勝負はついに頭の中将陣の負けに終わった。

賭け物といっても大げさなものではなく、頭の中将は酒宴を開いて皆をもてなすことになった。折敷に入った食べ物が大量に出され、それを食べながら階段のもとに咲いたバラを見て今度は呼び出した者たちに漢詩を作らせ、管弦の遊びをする。

 頭の中将と四の姫の間には、不仲ではあったが子供は何人もいた。次男が9歳になり、今年から殿上童を勤めるが、ことに可愛らしく目を掛けられている。この次男坊が笛を吹き、賞賛を集めている。座が乱れてきたころこの子が催馬楽の高砂を謡った。


「高砂の さいさごの 高砂の尾の上にたてる白玉玉椿玉柳 それもがと さん ましもがと 練緒さみをの みそかけにせむ 玉柳 何しかも さん 何しかも 心もまたいけん 百合花の さゆり花の 今朝咲いたる初花に あはましものを さゆり花の」


 光源氏は着ていた服を脱ぐと素晴らしい歌の褒美に次男に与えた。

 薄着になった光源氏はさらに光るような美しさで老いた博士さえ遠くから見て涙を流す。

 頭の中将は戯れかかって無理に酒を勧めた。そして口では「そろそろやめた方がいいのではないですか」と言いながらさらに酒を飲ませた。周りにいる誰もが光源氏をほめたたえる。ほめたたえるような位の低い人々しか呼んでいないのである。光源氏はいい気になり、思い上がった漢詩を作るがそれもまた出席者たちは口を極めてほめるほめる。

 光源氏も頭の中将も、少しすさんでいるのだった。こんなものたちに褒められたところで宮中での評価が変わるわけでも、去っていった傘下の土地持ち達を呼び戻せるわけでも、飢えながら耐えてくれている部下たちの生活が楽になるわけでもない。しかしそういった一切を二人で協力してやり過ごしていた。今では二人に藤壺の兄の兵部の卿も加わって、貴族らしい高尚で風雅な遊びに3人で打ち込んでいた。少なくともそうしていれば、「知識人だ」「風流人だ」という評判だけは上がっていく。



 そのころ朧月夜の尚侍は、長い間マラリア(わらわ病み)に悩まされ、「実家で治療に専念したく存じます」と許しを得て宮中を下がっていた。加持祈祷を行い、少しマラリアが収まって右大臣一族はほっと胸をなでおろしていた。


「珍しいことにお会いできそうですのよ。」「それはいい」

 朧月夜は光源氏と示し合わせて右大臣邸に彼を引っ張り込んで、夜な夜な逢瀬をかわしていた。

 あだっぽい美人の盛りの美しさに、病のために少しやせて嫋々たる魅力も加わって、光源氏は飽きることなく熱心に通い詰めた。

 同じ右大臣邸には弘徽殿もいる。恐ろしいが光源氏にはそこがまた良いのである。

 事情を知って引き込んでいるのは女房の内二人だけだが、あまりに毎夜通い続けるので、どれだけ用心してもおそばの女房達には「ひょっとしたら」「いや間違いない」と勘付いているものもいたが、弘徽殿の理不尽な怒りを浴びるのが嫌さに他言しなかった。

 

 とある夜、ひどい雷のなった夜明け、右大臣邸は大騒ぎとなった。右大臣の息子たちも、弘徽殿付きの官人たちも浮足立って人の出入りが激しい。光源氏はいつものようにこっそり出て行けず、そのまま部屋の几帳の後ろに隠れていた。

 何も知らない右大臣が一族の繁栄をもたらしてくれる大事な娘の所に、お見舞いにやってきた。右大臣一族にとって一番大事なのは皇太后の弘徽殿、次に大事なのが次の皇太后になってくれそうな朧月夜である。ので、彼はこの順序でお見舞いにやってきた。

「どうしている?昨夜の雨はひどくて様子を見に来たかったのだが来られなかった。中将(右大臣の孫)は来たかね?お前についている官人たちはちゃんとお世話したか?」


 光源氏はその言葉遣いを聞いて馬鹿にしてほほ笑んだ。左大臣の貫禄のある様子とはまるで違う。

 朧月夜は発覚の危機に困ってしまい、すぐに膝を進めて父親の前に出た。

「お前、顔が赤いじゃないか。まだ病が治らないのかい?物の怪が難しいやつなのだろう。調伏させよう。」

 と言いながら娘の着物の裾に青紫色の男物の帯がまとわりついているのに気が付いた。

「怪しいぞ。」と思ってよく見まわすと、几帳の下に懐紙になにやら書き付けたものが落ちている。

「おい、これはいったい何だ。これは誰の物だ。よこしなさい。怪しいぞ。誰のかわしが確かめてやる。」

 右大臣のつもりとしては、こっそり送られてきた光源氏の手紙を発見したつもりだったのである。しかし几帳をめくった拍子に光源氏本人を発見した。

朧月夜には止める暇もなかった。懐紙を発見されたときにもう逃れようがないと観念して、右大臣が「子供といっても身分も高くなったのだし、持ち物に触れてはならないな」という良識を発揮してくれることを願うばかりだったが、そんな人ではないことはよく知っていた。

生白い肌をあらわにして朧月夜に添い寝している男は、ふてぶてしく扇で顔を隠した。右大臣は驚きのあまり心臓が止まるかと思ったが、大声で人に教えるわけにもいかず、懐紙をつかんだまままっすぐ弘徽殿のもとに行った。

朧月夜は生きた心地がしない。かつて入内前に光源氏と情をかわした時、彼女が受けた扱いは大変なものだった。それが今は入内後で、まったく言い訳できない姿を見られたのだ。これで身ごもっても光源氏の子ではないかと疑いを掛けられて皇太子にはできない。真っ青になって震える美女を、光源氏は優しく慰める。

(ついにしなくてもよいことを続けてしまった結果が出たな。また人の批判を受けることになる。)

 彼が考えるのは我が身のことだけだ。そうは見えなくても大変計算高く、生き残るためにはいろいろと考えだす男なのである。



 右大臣は弘徽殿のもとに行き、もともとのこらえ性のなさと老いのひがみも加わって、光源氏を徹底的にこき下ろした。

「こんなことがありました。こうこうこうでした…。これは源氏の君の筆跡です。むかし朧月夜とかりそめの契りがあった時は、その人柄のために重い罪を許し、婿に迎えようと言ったのに何とその申し出を断ってきました。この時もよほど我慢ならないと思いましたが、まさか穢れたくらいではお見捨てになるまいと帝に差し上げて、ただそんな事情があったので『女御』にできず、尚侍です。そのうえこの仕打ちです。なんてことだ!あの男は朝顔の斎宮ともこっそり手紙のやり取りをしているというし、男の常とは言いながら身勝手すぎる!世の賢人、知識人ともてはやされているから疑いもしていなかったのに…ぶつぶつ」

 弘徽殿は皆まで言わせなかった。

「朱雀帝のことを皆が見下すのもあの男のため、朱雀帝にと望んだのに皇太子妃の地位を蹴って左大臣がまだ元服したばかりだったというのに娘を差し出したのもあの男のため、わが一族の命運をかけて妹を盛り立てようとしているときに水を差したのも、すべてあの男が悪いのです。それなのに誰もあの男を非難しようとしない。みんなあの男の肩を持つのです。あの男は一族の疫病神です。

 それでも妹がかわいそうで位はともかく人に負けないようにしてあげよう、あの男にも目にものを見せてやらねばと思えばこそ、朧月夜を盛り立てているのに、こっそり自分の好きな方に通じていたんでしょうよ。(事実)

 斎宮との噂は本当でしょう。怪しからん振舞のふさわしい男です。何事につけても朱雀帝の時代が気に入らなくて、冷泉の時代になることを望んでいるから、たてついて邪魔ばかりするのです。まったく気に入らない。」

 あまりにひどい激昂ぶりに、右大臣は「言うんじゃなかった」と思い始めた。

「とにかく、しばらくこのことは他言してはいけない。帝にも言ってはいけないぞ。どんな罪を犯しても帝が許してくださると思って朧月夜は甘く見ているのだ。まずは言い聞かせ、それでも治らなければ父がその罪をかぶろう。」

 冷静になって諭してみたが、火のついた弘徽殿の恨み節は消えなかった。

(これだけ近くに私がいるのにのこのこ忍んでくるとは、私を甘く見ているのだ。)

 弘徽殿はこれをいいきっかけにできないか謀略を巡らせ始めた。

(むしろよかったかもしれない。これだけのことをすれば浮かび上がれない。ただしあまり公にすれば朧月夜の方も傷つくから…これであの男をやっとつぶせるのだ。)

 弘徽殿はうれしくて笑ったが、それは周りの者から見たら醜悪で邪悪な笑みだった。

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