葵(あおい)


 朧月夜の女性の事件があってから2年がたった。

 桐壺帝は後顧の憂いなく、東宮に譲位した。東宮は朱雀帝と呼ばれることになった。そして弘徽殿の女御の息子に帝位を継がせると同時に、藤壺の皇后の息子を、皇太子に据えた。藤壺の皇后の息子が大人になったら譲位するという約束である。これで弘徽殿の女御の息子の時代が終われば、次の帝は必ず藤壺の皇后の息子ということになる。

 光源氏は位が上がって大将になった。左大臣と兄弟たちの心づくしが実を結んで葵の上もめでたく懐妊し、秋過ぎ出産予定で、左大臣もご機嫌である。しかし位が上がったせいで今までのように遊び歩きができず、ここかしこの女性から怨嗟の声が上がるが、本人はひたすら藤壺の皇后を慕い、つれなくされるのを、自分が大勢の恋人をつれなく捨ててきた報いかもしれないと思っていた。

 桐壺帝は今や弘徽殿の女御に気を遣う必要はまったくなくなったので、藤壺の皇后だけを身近に置いて、女御に用はないらしい。女御は女御で桐壺帝をしのぐ勢いを見せつけるべく、新帝のもとで大掛かりな管弦の遊びを何回も開いている。

 光源氏も宮中で居場所がないわけではない。今や自他ともに認める新東宮の後ろ盾で、何かというと頼りにされ、万事の手配を引き受けていた。絶対に名乗り出るわけにはいかないが、実の息子に頼られていることが後ろめたくもあり、嬉しくもあった。


 ただし波風がないわけではなく、光源氏が手を付けたせいで、右大臣の六の君は、入内をせず、「御櫛笥殿(みくしげどの)」という女官の役職について、入内するのかやめるのか、宙ぶらりんのままの状態だった。御櫛笥殿は、女官の地位ではあるが、高位の貴族の娘が、諸事情で妃にはなれない場合につく、お手付き待ちの職である。


また、光源氏が間遠に訪れることに耐えきれず、六条の御息所は娘を追って伊勢に下る決意を固めつつあった。六条の御息所は桐壺帝の亡き弟の一番愛した妻で、しかし今は夫のない不安定な身の上の上、子供も娘しかない。だから立場の弱い皇女の常として、伊勢に下って神宮を守る「斎宮」に選ばれ、伊勢に行くのである。「斎宮」は未婚の皇女が天皇に代わって伊勢に下り、祭祀を行う。大変重要な任務で誰でもなれるわけではない責任ある立場だが、だからと言ってなりたい職務でもない。決まってから宮中の初斎院で1年、嵯峨野の野々宮で1年精進潔斎して3年目に帝から「別れの櫛」を挿してもらい、伊勢に行く。天皇の交代や本人の過失など、よほどの変事がない限り解かれない。下手をしなくても、恋愛の時機が祭祀に費やされ、婚期を逃すことは明白である。

 

彼女は何かと気を遣ってくれる桐壺院(「帝」から譲位して「院」になった。)にあいさつに来た。弟の死の床で「御息所と娘を頼む」と言われている桐壺院は怒った。

「あの人は亡き弟がことのほかかわいがっていた妻なのに、気の毒ではないか。それにあの姫宮もわが子同然に思うから斎宮に選んだのだ。粗末に扱うな。粗末に扱うのなら最初から通うな。

 どの女性にも均等に通って女の恨みを買うではない。」

 と経験者は語り、ご機嫌の悪さもすさまじく、光源氏は一言も言い返さずかしこまっていた。内心、もっとひどい罪を犯しているが、それが分かったらどれほど怒られることかと思わずにはいられなかった。


 お叱りがあったのだからそれまでよりは通いはした。これ以上ほったらかしにしたら、六条の御息所の評判も、自分の院および世間からの覚えも両方悪くなってしまう。しかし愛人以上の扱いをしようとはしなかった。もうとっくに二人の関係は噂になって奥まったところに住まう桐壺院ですら知っているくらいなのに。妻にしてもらえないうちは、六条の御息所は「愛人風情」から抜け出せず、世間の扱いも軽くなってしまうと悩んでいた。しかし年齢のことがあるので、自分からは「妻にしてくれ」と言い出せない。内心で光源氏の愛情の薄さを嘆くしかない。

 

この噂はあちこちに伝わっていて、他に光源氏の言い寄っている高位の姫君の警戒心を高めた。その一人、皇女の「朝顔の姫君」は、「六条の御息所のようにはなるまい」と固い決心の上、光源氏の手紙に返事を一切出さない。そして、冷たくなりすぎないように何かの折りには丁重にもてなしてバランスをとる。それが「心憎い」と光源氏の評価を高めていた。


正妻の葵の上は細い体で身ごもって、苦しんでいた。その様子がいたわしいので、光源氏はたびたび見舞いに訪ねていた。左大臣一族は総力を挙げて縁起の悪いことを避けて、出産に向けて万全の態勢で臨んでいる。訪ねなければと思いつつ、自然と六条の御息所は後回しにされて、訪れはどんどんと間遠になっていくのだった。


その時の斎院は弘徽殿の女御の娘で、帝がことにかわいがっている妹だった。選んでほしくなかったものを、選ばれてしまっていた。準備が整えば、六条の御息所の娘が、代わりに伊勢に行くはずである。

おりしも斎宮の中心となる祭り、葵祭の時期である。

葵祭は3日ある。

初日は「斎宮の御禊」斎宮が賀茂河原でみそぎを行う。

2日目は斎宮が下社上社で安寧を祈る。

3日目は上社から斎院御所に戻る。

どれも大勢の貴族を従えた華麗な行列が見どころである。光源氏ももちろんその行列の一人に選ばれていて、選ばれたものは皆、上着はもちろん、下着の襲の色目、袴の紋、馬の飾り付け、鞍に至るまで、前々から念入りに整えていた。ここでだらしない格好をしていれば、軽蔑されるのだ。堂々とした姿を見せられれば評価も上がる。そしてそれを見物しようと、今日の街の人々は、上から下まで街に繰り出して見逃すまいと大変な混雑ぶりである。その見物客の装束もまた、祭りの見どころなのだった。

今年の葵祭は帝の妹が斎院のため、帝も弘徽殿の女御もことのほか力を入れて華やかだという前評判があった。遠い国からわざわざこのために家族を連れて京に上ってくる者もある。


左大臣家では、女性たちをめったに外に出さない。祭り見物などもってのほかである。

しかし今年は、葵の上があまりにも苦しそうなので、母親が急に触れを出し、行きたいものは行けることになった。光源氏も行列の一人であるその衣装は葵の上たちが用意したものだ。


 日が高くなってからそれと気づかれないように質素な牛車で出る。しかし見物の牛車がすでにぎっしりと立て並んで、停める場所がない。左大臣家ではそんなことは承知の上だった。みすぼらしい下層民の牛車を押しのけて見物するつもりで出てきたのである。しかし明らかに身分のあると思われる女房達の車ばかりで、なかなか場所はなかった。やがて、牛車が並んではいるが供回りの少ない空き地を見つけ、供回りの大勢いる左大臣家はそこに場所をさだめて、すでに停まっている車をぎゅうぎゅうと押しのけ始めた。


 押しのけられる車の中に、檜板を格子に張った安っぽい車があった。しかし車の内部はと見ると、すだれの中に下げられた目隠しの絹は高価なものであったし、ほんのわずかに袖が出ているその袖口、裳裾、童女の上着などすべて清潔で新しい物ばかりだった。色も鮮やかで並の人とは思われない。新しい清潔な着物が着られるということ自体、石鹸のない当時からしたら、贅沢な暮らしをしている証明である。お供は少ないがそのお供たちは大変な忠義ぶりで、「このお方はおしのけてよい方ではない。」と両手を広げて車に触れさせない。


人数の多い左大臣家の供回りは、主人を待たせていることもあり、だんだんと激高し始めた。若い人は血気盛んで、年寄りが止めても聞かない。多勢を頼んで供回りを押しのけると、けんかが始まった。そのうちに、知り合いの顔や口ぶり、どう見ても並の身分ではできない装束から、この車が「六条の御息所の車だ」ということが分かり、「やあこれは、源氏の君を当てにしていらっしゃるらしいぞ。」「そうはさせるか。」と日頃の正妻・愛人の対立もあって、とうとう六条の御息所の車を車置きの台も壊れるほど隅に押し付け、その前に葵の上の女房達の牛車が駐車された。ほとんど何も見えない。左大臣家の供回りの中には、光源氏の召使も交っているのであるが、下手に止めるより、知らん顔をしている。


 中に乗っている六条の御息所はそれをすべて牛車のすき間からのぞいて見届けていた。

 日頃逢いに来てもらえない光源氏を、せめて一目だけでも見れば心が落ち着くかと思って、祭り見物のようなはしたない真似を普段はしないのであるが、忍んで出てきたのである。お忍びの牛車が、粗末であっても高貴な人間が乗っていると分かるように前々からしつらえを考え、美しい角度で上品に駐車していた。早くから場所を取り、光源氏の行列を待っていたのに、後から正妻の車がやってきて、気が付いたらちゃんと整えて轅を置いていた車置きの台を壊されて、粗末な隣の牛車に轅を立てかけさせてもらっているみじめな有様で、正妻の女房風情の車の後ろに押し込められてしまった。

(帰りたい。)

 そう思っても帰るのに牛車が通るすき間がない。光源氏のお供が混じっているのに、六条の御息所にこの扱いをする非道を誰も止めない。せめてもの慰めに、彼女は少しでも光源氏の姿を見たいと思い、行列を待った。

 光源氏はいつも以上に威風堂々の装束を整え、いつも以上の美しさで六条の御息所の前を通っていく。我も我もと車から身を乗り出す女性たちに、通りすがりに、こちらの女房に微笑み、あちらの女房に視線をじっと向ける。お姿を見て泣いている女房もいた。捨てられたのに未練を断ち切れないでいるのだ。空き地では顔なじみのお供たちがずらりと膝をついて見送る。葵の上の車は明らかだったので、まじめな顔でゆっくりと前を通り過ぎた。


六条の御息所はみじめすぎて息もできなかった。

いったい自分は何なのだろう。美しく、才たけて、教養もあり、センスもよいとたたえらえれていた自分はどこに行ったのか。そしてその自分がこれほど愛しているのにどうしてこんなにも粗末にされているのだろう。光源氏の部下は正妻の暴挙を止めてくれるわけでもない。つまり主の光源氏にとって、自分はその程度の存在なのだ。当然正妻並みの扱いを受けてしかるべきなのに。それに引き換え正妻の葵の上は、入内せずに最初から光源氏の妻であったというだけで、牛車もお供も威光を放つほど堂々として人から一目置かれている。それこそ以前、東宮妃だったころの六条の御息所の受けていた扱いだった。誇りにし、心の中心に置いていたその評判が、今やすでに影も形もなくなっていることを、六条の御息所は思い知った。


「かげをのみ   お姿を遠くからだけ

 みたらし川の  見たみたらし川の

 つれなきに   あの方の冷たさに

 身のうきほどぞ この身の不幸が

 いとど知らるる 思い知らされた」


六条の御息所はさめざめと涙を流した。普段は人前で泣いたりしないのだが、泣かずにはいられなかった。そしてそんな目に遭ってもまだ、一目でも光源氏を見られたことを喜んでいる自分をどうしようもなかった。

(年を取っているせいだわ。)

 彼女は葵の上一行が帰り、通り道があけられると車を六条邸に向けた。

 通り道では、お供も普通以上に高位の者で固められて一際輝く光源氏の姿を、めかしこんだ受領の娘や下層民の遊び女、尼や歯のない庶民の老婆でさえ、興奮気味に噂している。


 言い寄られている皇族の「朝顔の宮」も遠くの桟敷からその姿を見た。

「どうだね?お前。まぶしいばかりではないか。前よりも美しくなられたな。神様に見込まれそうなお姿だ。」

 父親の式部卿(桐壺院の弟)は娘に言った。

 朝顔の姫君もその姿に心惹かれると認めざるを得なかった。

(長い間たゆむことなくお手紙を送り続けてくださる。他の人ならとっくにあきらめているところだわ。そのうえあの美しさですもの。捨てられてみじめな思いをすると分かっていても惹かれてしまうのも無理はないわ。)

 周りの女房達がいっそう色めき立って女主人とくっついてほしいと舞い上がる中、彼女は今まで以上に光源氏を避けることにした。



 光源氏はお供から車争いの話を聞き、六条の御息所がひどい恥を受けて恨んでいることは容易に察しがついた。御息所は細かいところによく気の付く反面、どんなにささいなことでも自分が馬鹿にされたと思うことに敏感で、長い間恨み続けるので、光源氏もその点いつも気を付けていたのだ。葵の上の考えが足りないことをぶつぶつ言いながら六条に機嫌をうかがいに行ったが、「みそぎを受けた斎宮が穢れを受けるといけませんから。斎宮が宮中に移られてからお越しください。」という丁重な追い返しを受けた。

「やれやれ。女同士のけんかはやめてもらいたい。お互いに同情しあって気遣えばよいのだ。」

 どちらの女性もそれほど好きではないのに振り回されることに嫌気がさし、光源氏は二条邸に帰って若紫と過ごした。



 翌朝は葵祭の2日目である。

 光源氏は若紫を祭り見物に連れて行ってやろうと決めていた。若紫は今年14歳になる。日ごとに美しさも色香も増して、来年にはすっかり女性になるだろう。妻にしたら一生屋敷から出すつもりはなかった。光源氏も高位の女性は人目を避けてめったなことでは家の外に出てはならない派である。敷地内はおろか、建物の縁側にさえ出すつもりはない。将来若紫が触れる外気は庭のそれに限られる。それも部屋の奥から眺めるだけだ。軟禁生活に入る前に、これが祭りを見物できる最後の機会なので、是非に連れて行ってやるつもりだった。


美しく化粧し、着飾った若紫は、髪も洗い立てでいつもより清らかだ。光源氏は髪をなでてやりながら、すそがそろっていないのが気にかかった。祭り見物に行っても若紫を誰にも見せるつもりはないが、やはりぱりっとした格好をしてほしい。

「長い間削いでないな。暦博士に聞いてこい。今日は髪を切るのに吉日か?」

 もちろん暦博士は吉日だと言って光源氏の都合にかなう日時を提案した。


 光源氏は待つ間に若紫の友人役の女の童たちの髪を切らせた。そろいの浮き紋の袴に切りたての髪がかかって並んだ姿は見ものである。別の牛車で出発するのだ。

「お前の髪は私が切ってやろう。」

 光源氏は自らはさみを手に取り、量がたっぷりとしてまっすぐで太い髪束を手に取った。

「おっと。量が多すぎて切りにくいな。」

 光源氏は喜んだ。

「髪の長い方でも額のところは短くなってしまうものだが、この子の髪は額でも縮れた髪はない。」

 若紫に新たな値打ちが加わったことにひたすら満足しながら切り終えると、彼は髪を切った後のまじないを唱えた。

「千尋(千尋まで髪が伸びますように。)」

 乳母の少納言は若紫が順調に愛されているのを見て、幸福だった。彼女と若紫の実家の女房達は、むずがる若紫に髪の手入れやお化粧の大切さを言い聞かせ、光源氏の留守の間は教養素養を叩き込み、飽きられないよう次々に新しい着物を作り、その材料や人手を調達するのに執事とも連携して、いつも大車輪で働いているのである。財産もコネもなく、美しさとかわいらしさしか提供できない姫君を、引き取って大切に世話をしようという若い力のある貴公子など、他にいるはずもないのだった。光源氏も若紫が愛する藤壺に似ているのでなければ、そこまでしようとは思わなかっただろう。若紫の女房達のほとんどが、生活のために老人と結婚していた。


 光源氏は歌を詠んだ。

「はかりなき  測れない

 千尋の底の  千尋(2000メートル)の底の

 海松ぶさの  海藻のようにふさふさしている髪の

 生ひ行く末は 伸びていく将来は

 我のみぞ見む 私だけが世話をしよう」


 若紫は恥じらって紙に書き付けて返事をした。

「千尋とも    千尋だと

 いかでか知らむ どうやって分かりましょうか

 定めなく    決まった法則もなく

 満ちひる潮の  満ちたり引いたりしている潮(=光源氏)は

 のどけからぬに じっとしていないものでございます」


 遠慮がちな恨みごとである。日頃光源氏がいなくて不安なことを訴えている。

(器用に書くが、若々しくてきれいな字だ。)

 光源氏はその筆跡を見ても満足が止まらない。


 今日も大変な混雑である。光源氏は近衛府の馬場に車を停めるつもりで来たのだが、すでに上達部の車がぎっしり立て並んでいて、光源氏でも簡単に押しのけるわけにいかない状況である。

 すると、ぎっしりと乗り込んで、今にも女房がこぼれ落ちそうな女車から、扇が出て光源氏のお供をさしまねく。

「こちらにおいでください。隣に場所を開けましょう。」

「どこの浮気者だ?」

 心当たりがありすぎて困るのだが、招き方が気に入ったし、場所もよかったので、車を寄せた。

「こんないい場所をよくぞおとりになった。うらやましいですよ。」

 と、お礼かたがた相手の正体を探りにかかると、相手はすぐに扇の端を折って返事を書き付けて渡した。

「他人の持ち物の葵ゆえ 神の許しのある今日の葵(「あふひ」=逢う日)を待っておりました」

 そのすばやいやり方の粋なこと、と感心しそうになったが、筆跡を見ると、年をとっても

男遊びのやめられない例の源典侍だった。

「あなたの葵は何人のために飾ってあるか分かりません。あてにできないですね。」

「悔しくも名前を当てにして飾ってしまいました。ただの草だというのに。」

 葵祭では社殿にも牛車にも人にも、葵の葉を飾りつけるのである。



 その日、恋愛めいたやり取りはこれだけだった。

 光源氏がすだれを上げず、誰かと乗っているのは確かなのに誰と乗っているのか見せないので、周りの人々はしきりに噂をした。そして、昨日の美しい光源氏を見た後で、気楽に出歩く彼を見てチャンスと思うものは多かったが、気兼ねしてあえて話しかけようとするものはなかった。誰だか分からないが愛されている美しい女性に違いない。若紫はここでも猛烈な妬みを買ったが、誰にもその正体は分からなかった。



 六条の御息所は気が休まらない日々を送っていた。

 光源氏の恋人になってから、評判は言うまでもなく落ちる一方で、「光源氏に飽きられている」「年甲斐もなく」と陰で噂されて、心のどかな日というものは少なかったのだが、今まで以上に心乱れて仕方がない。辛くて都を離れれば評判を気にせずにすむと思うが、いざ行ってしまえば、京都―伊勢間は、電車のある現在でさえ近くはない。気軽に行き来できるものではない。光源氏に逢えなくなるし、自分のいなくなった都ではさぞ皆が笑いものにしているだろうと思う。しかしこのまま都にとどまれば、いつまでも「世間で馬鹿にされている」と思っていたたまれない。とてもいられない。


(「伊勢の海に 釣りするあまの うけなれや 心ひとつを 定めかねつる(古今集:伊勢の海に釣りをする漁夫の浮きだろうか。私の心は一つに定められない)」

 古今集の歌のようだわ。今の私の心は。)

 あまりに一つのことをつきつめ過ぎて、心が浮き出してどこかに行ってしまうような気がした。


 光源氏が止めてくれれば、反省して今まで以上に愛情を示してくれればいいのだが、いざ「娘について伊勢に下ろうかと存じます」と言い出したところ、「こんな私をお見捨てになるのも当然ですが、こうなったからには最後までお付き合いくださるのが浅くない愛情と申すものです。」とそっけない。

 光源氏の本音は、遠くに行ってほしいのだった。たまに逢う分には、美しくてセンスの良い高貴な女性だ。好きでいられる。ただそんな風に六条の御息所が都から離れると、「光源氏が冷たい」と態度で示しているようなものなので、桐壺帝に怒られるのが嫌なのだ。

止めてくれてはいると思い、六条の御息所は安心しようと自分に言い聞かせたが、賢い人なので光源氏の本音を察しないわけにいかなかった。

(あの日一目だけでも見たいと、祭りになど行かなければこんな悩みを抱えずにすんだのだ。)

 六条の御息所の悩みは深くなり、彼女を苦しめていつ果てるともしれない。



 左大臣家では身重の大切な葵の上が物の怪に取りつかれて、苦しむようになった。左大臣家では心配すること並大抵のものではなく、こんな時にそばにいて一緒に心配していない光源氏を心底恨んだ。その恨みは今までの比ではない。光源氏は一切の遊び歩きを中止して左大臣家に詰めて通い、かわいい若紫にもたまに会うだけになってしまった。それも「うちでも祈祷を行わせるので」という名目で帰れるに過ぎない。帰れば二条邸で、加持祈祷を何度も行わせた。何と言っても光源氏の子供を無事に産むための手配である。光源氏は自分の子供が好きだった。藤壺の皇后の時は祈祷を行えなかったが、今はやれる。


 取りついた物の怪は、祈祷を受けると「依りまし」(霊感の強い童女がよく使われる)に乗り移り、「私は〇〇の生霊/霊です。△△の恨みでとりつきました。」と白状して、験者がそれぞれのやり方で追い払う。

 しかし葵の上に取りついた物の怪の中に、一つだけ、依りましにさえ乗り移らない者がいた。特に目立った苦しめ方をするわけではない。ただ葵の上に片時も離れずくっついて彼女を苦しめる。その執念深さたるや、名のある験者も「これは並の物の怪ではない」と言わしめたほどだった。

(光源氏の思い人の怨念が苦しめているに違いない。)

 左大臣家の面々はかなりうがったものの考え方をした。たしかに光源氏は方々の女性から恨みを買っていた。葵の上が、そこまで深い恨みを買ういわれはない。

(これほど深い怨念となると、六条の御息所か、二条邸に引き取っておられる謎の女性だろう。)

 そう当たりをつけて、験者が物の怪に問いただすが返事がない。

 ほかの物の怪はそれほど深い恨みのものではない。先立った乳母の霊や、左大臣家に代々たたっている物の怪が軽めに出てきたなど、散発的に現れるだけである。

ただ執念深い物の怪だけが、びったりととりついて、葵の上を絶え間なく苦しめていた。葵の上はさめざめと涙を流したり、時には息ができずに苦しんだりした。日ごとに状態は耐えがたくなっていく。左大臣家は焦って「もしものことがあるのではないか」と心痛は一通りのものではない。桐壺帝も心配して自分のところでも祈祷を行わせた。

世間が葵の上を案じ気遣うのを聞いて、御息所は心穏やかではなかった。葵の上は無礼にも同等かそれ以上の彼女に恥をかかせた相手なのだ。供回り風情に牛車を押しのけられるという屈辱を受けたのだ。車争いがあるまでは、正妻がいても意識したことはなかった。光源氏は一度も葵の上を御息所よりも優先させるような言動をしなかった。いつも御息所を第一に置く言い方をしていた。彼女も葵の上にそれほど愛情がないことを感じとっていた。だから関心はなかった。しかし今では自分以上に光源氏から冷たくされ、評判が地に落ちて、世間からつまはじきにされるのが見たい。そうでなければこの屈辱は癒されない。


人の生き死にがかかった事態に、その原因が車争いにあるとは、光源氏は思いつかなかった。そんなことがあったことも、記憶の中でかき消えていた。5月(旧暦4月)にあった葵祭から、ずいぶん経っていた。


気分の晴れない御息所は別の屋敷に移って、加持祈祷を行った。聞きつけた光源氏は、立派な屋敷ではないので変装用の粗末な服を着て、仮の屋敷に訪れ、「ご加減はいかがですか。」と優しく尋ねた。


日頃の冷たさを許してしまいそうなほど、「私の本意ではないのです」と、優しく言葉をかけ、御息所の苦しみを心から(本音のところはどうなのか誰にも分からないが)心配した。

「私はたいしたことはないと思っています。しかし左大臣様や奥方様がずいぶんご心配になるものだから。そちらの方をほってはおけず。その事情を汲んで理解していただけるととても嬉しいです。」

 これだけ優しく言葉をかけてもなおも悩みの淵から浮き上がれ切れないでいる御息所を、彼は憐れんだ。

(何か月も逢いに行かなかったので気に病んで病気になったのだろう。おまけに正妻に子供ができるとあってはな。)


 慰め続けて明け方、肌を合わせることなく帰っていく光源氏の華麗な後姿を見送って、やはり彼のことを思い切れないと、御息所は伊勢行きをとりやめることを決意した。このまま光源氏の愛人として都で生きていこう。

(しかし葵の上には子供ができたのだ。)

 待ち続ける生活に違う悩みが出てきかけたところ、夕方になってやっと光源氏から「後朝の文」が来た。


「すこし容態が安定していましたのに急に苦しがりはじめて行けなくなりました。」


(どうせ口実だ。夕方に手紙を送ってくるとは。)

 御息所は返事を書いた。


「袖ぬるる    袖が濡れるような

 恋路とかつは  恋路と前もって

 知りながら   分かっていながら

 おりたつ田子の 田んぼに入る農民は

 みづからぞ憂き 自分から 私も自分からこの恋愛に入り込んでいることが辛い


 悔しくぞ 汲み初めてける 浅ければ 袖のみ濡るる 山の井の水

(古今集:悔しくも汲み始めてしまったのです。(あなたの心が)浅いので袖ばかりが濡れる山の井戸の水を。)

 この歌の意味がよく分かります。」


 光源氏はその手紙を見て筆跡が美しいと改めて思った。しかしこの人には「光源氏は正妻の病気でとても大変だ」と察する心はないのだった。

(難しいものだな。心が美しいとか、姿が美しいとか、それぞれにとりえがあって捨てられない。かといって誰か一人と決められるほどでもない。)


「私は全身濡れるほどこの恋路に入れ込んでいます。袖が濡れる?それは愛情が浅いからです。」

 これは在原業平の「浅ければ 袖もひつなり 涙川 身こそ流ると 聞かば頼まめ(浅いから袖が濡れるのです。その涙川、体ごと流れると聞けば信じて頼りにしましょう。)」からとった返事である。

 そして最後にこうあった。

「この返事、直接申し上げないのはよくよくの事情があるからだとお考え下さい。」


(今日もお越しにならないのだ。)

 御息所は手紙を置いた。光源氏はいつもこういう言い方をする。決して自分の愛情が浅いから来ないのだとは言わない。言い訳だけはいつも非の打ち所がない。


 御息所には心配事があった。左大臣家の姫に取りついているのは、御息所の父の大臣の霊だというのである。それは、「御息所の生霊だ」と名指しで言えないのでおこる噂だった。


(私には葵の上を呪い殺そうなどというそんなことを思う意志はない。けれど物思いにふけると魂が抜けだすという。)

 彼女とて平穏な人生を送ってきたわけではない。この世の苦労はし尽くしたと思っていた。それでもこれほど思い乱れたことはない。葵祭の日の車争いから、光源氏の愛情の浅さを恨めしく思う気持ちがすべて葵の上に向けられて、自分を身分の低い者扱いした恨みがどうしても消せない。うたた寝をすれば、葵の上らしき美しい女性が清らかな住まいに寝ているところに行き、つかみかかって、普段の彼女らしくもない暴力的な思いに駆られ、何度も殴りつける、そういう夢をたびたび見る。


 普通に考えれば自分の生霊が葵の上のところに行ってたたっている、今左大臣家が姫君が死にそうだと大騒ぎしているのも、桐壺帝や光源氏が祈祷に祈祷を繰り返しているのも、すべて彼女のせいということになる。

 御息所はぞっとした。もしそれが本当なら、それが分かったら自分の評判は地に落ちるどころではない。

(死んだ後で祟りになるのも罪深くて気味悪がられるのに、ましてや生きている我が身でこんな生霊になったと後ろ指をさされるのか。

 世間の人々はたいして悪くなくても悪く言うものだ。そんな悪口の種があれば何と言われるか分かったものではない。

 ああもう源氏の君のことなど忘れるのだ。)

 

 御息所は娘が斎宮の浄めのため、初斎院に入る準備で忙しいはずだった。予定がずれ込んで遅くなったので、秋には初斎院、10月(旧暦9月)には嵯峨野の野の宮に移らなければならない。そのどちらにも御祓えをしなければならないのに、御息所はぼんやりとしていつも寝てばかりいる。結局斎宮に仕える宮人たちが、その手配を代わりに行った。光源氏も葵の上のことで時間もないところを、何度も見舞いに訪れたが、うまく回復しない。


葵祭の車争いから4か月たった9月(旧暦8月)、葵の上は全く離れることのない物の怪に苦しめられながら早めの臨月を迎えた。


 産気づいた葵の上だが、問題はとりついて離れない物の怪である。

 ほかの物の怪どもは祈祷で退散するが、執念深い一匹だけが離れない。

 左大臣家ではこの日のため、一流と評判の験者たちを頼んでいた。腕利きの験者達は散々物の怪を懲らしめたが離れないので、さじを投げた。

「大変珍しい物の怪でございます。」

 左大臣の怒りがすさまじいので、験者たちはさらに秘術の限りを尽くした。

 さすがに物の怪も泣き出し、音を上げた。

「すこし調伏を緩めてください。源氏の君に申し上げたいことがございます。」

「やはり源氏の君の関係者の物の怪であったか。」

 光源氏は葵の上の近くの小さな几帳の囲いに入れられた。そこは葵の上の寝所に几帳の絹一枚で隔てられていて、出入りするときも葵の上の姿が通りすがりの人々に見えないようにしているいわば二重扉だった。

「物の怪の言い分を聞き、退散させてください。」

 やがて葵の上の口調が息も絶え絶えになったので、左大臣たちは「いよいよ最後か。物の怪が光源氏に最後の別れをするかもしれない」と、声の聞こえないところまで退いて、光源氏と物の怪が心置きなく話ができるようにした。僧侶の法華経の読経も声を小さくして行われた。


 しめやかな雰囲気を感じながら、光源氏は几帳のビラビラを上げて葵の上の姿を見た。

 白い産婦の着物を着ている。その横に添えられた、結んだ長い黒髪の鮮やかなこと。お腹のところだけが盛り上がり、美しい人が苦しんでいる。どんな男でも、一目見たら心乱れるような姿だった。

(こういう姿でこそ、美しさが引き立つ。なまめかしさが加わるのだ。)

夫である光源氏は、やっと愛せそうなところが見つかったのに、その美しい妻が死ぬことを残念に思った。

「ああ。君は辛い目に遭わせてくれるな。」

手を握って泣き続けると、葵の上はいつもは冷たく無関心な顔を上げ、光源氏の顔をじっと見つめた。その眼からは涙がこぼれ落ちる。光源氏は感激した。

 葵の上は泣き続ける。

(両親のことを考えたのだろう。それに私の顔を見たら、未練が出てきたのだろう。)

「そんなに悲しく考えてはいけない。そんなに悪くはないのだ。それに三途の川を渡るときは、初めて関係した男が、背負って渡ると言うではないか。死んだとしてももう一度逢えるのだ。ご両親とも、親子のような深い間柄は切れないというから、来世でもまた巡りあえる縁があるだろう。」

「違います。調伏をやめてもらおうと思って言ったのに、本当に来てくださるとは思いませんでした。

 悩みがあって体から抜け出した魂の話は本当だったのです。


嘆きわび      嘆き悲しみ

空に乱るる     空に乱れる

我が魂を      私の魂を

結びとどめよ    結びとどめてください

下がいのつま   着物の合わせ目の下になる方の端を。そのように私の心の近くにある夫(つま)よ」


(葵の上の気配ではない。)

 光源氏は女性をよく見た。すると、その様子、表情、歌の感じ、御息所以外にあり得なかった。

(なんてことだ。)

 光源氏は何も口にしなかった。壁に耳あり誰が聞いているか分からない。しかし、「この執念深い物の怪は御息所の生霊だ。」という話を、彼はまた嫌な噂が流れるものだとしか思っていなかったのだ。本当だった。今その証拠を彼自身がその眼ではっきりと見た。


(本当に世の中にはこんなことがあるのだ。)

 御息所のことが薄気味悪くなったが、それでも評判は守らなければならない。主に彼自身の。葵の上が病気になり、御息所の生霊のせいだという噂が流れてから、左大臣の彼に対する態度は微妙に変わっている。これほど詰めて通っているのもその機嫌を取り結ぶためである。


葵の上が生き延びてこれまで通り左大臣の婿で居続けられるのならそちらの方がよいことは言うまでもないが、彼は葵の上が死ぬかもしれないと思い、死んだときのことを考えていた。このまま死ねば左大臣は、「光源氏が冷たくしたからだ」と、変な(光源氏にとったら)恨みを抱くだろう。しかし今ここで真剣に気遣う姿を見せれば、人の好い左大臣の記憶に残るのは、「葵の上を本当はとても愛していた光源氏」の姿である。人の記憶は最後のものだけが残るのだ。何が何でも非の打ちどころのない愛情深い態度を見せなければならない。

もちろんただしそれは生霊が御息所だとばれなかった場合の話である。「光源氏がよそで遊んで恨みを買ったので物の怪なんぞが付いた」「大事な一番かわいがっている娘を預けてあんたのことも生活の面でも政治の面でも完全にバックアップしたのにお前のせいで娘は死んだ」。こんな事実が知られたらどんな態度をとろうが、今後の人生、政敵に回ってしまうことは間違いない。


 光源氏はそれまでのやり取りを思い返し、御息所も正体を明かしていないし、自分も御息所だと気づいたようなことは言っていないと思った。

「そんなことをおっしゃっても、誰のことか分からない。どこの誰とはっきりとおっしゃってください。」

 そう言われて光源氏を見つめる目つき、御息所そのままだった。

 「物の怪が退散した」とみなして人々が駆け寄ってきたが、光源氏は後ろめたくて何も言えなかった。


 葵の上が苦しむ声がしなくなったので、「物の怪が退散した。今のうちに」と母親が煎じ薬を飲ませ、座らせてお産の姿勢をとらせると、それから間もなくして男児が生まれた。

 周囲の喜びは限りない。依りましに乗り移らせていた物の怪たちは妬み悔しがり、騒ぐので後産(胎盤の排出)もそれから後のことも心もとない。左大臣は思いつく限りの願を立て、葵の上の出産の無事が確認されたらこうしますああしますと御仏に誓ったが、そのかいあってかお産は無事に終わった。

 比叡山の管長やその他の高位の僧侶たちは額の汗をぬぐい、いかにも自分たちがお守りしたような顔をして退散し、看病の人々はやっと息がつけ、両親も「これでもう大したことはないだろう」とほっとして、祈祷は続けさせたが、今は新しく生まれた男児の世話にかまけるという幸せに浸っていた。

桐壺院からもその他上達部たちからは続々と祝いの品が届いた。生後50日までその祝いの品は続くのである。その品々を夜ごと眺めるのも楽しみだった。左大臣家の大事な宮腹の娘と光源氏の子供、出世を約束された男の子である。方々から忠誠心を示すべく、あるいは敵でないことを示すべく、立派な品が届いた。


嬉しくないのは御息所だった。

一時は危ないと聞いていたので、もしかしたらと思っていたのに、持ち直して男児も出産し、母子ともに無事だという。煩悶は深くなり、うつらうつらすれば、衣には悪霊退散の修法に用いる芥子の香りが染みついている。

(まさかそんな。間違いだ。私が生霊になって葵の上にとりついたなど。)

 髪を洗わせ、服を取り替えさせるが、香りは取れなかった。御息所自身に染みついているのだ。

(人には話せない。絶対に。ただでさえ噂になっているのに。)

 わが身が嫌になり、誰かに打ち明けて慰めてほしいのだが、誰にも打ち明けられない。煩悶は深くなるばかりだった。つまり、自分でもどうしようもなく、うつらうつらしてまた葵の上のもとに行ってしまうのだった。


 光源氏はわが子を宿している妻に生霊になってとりついた愛人(重たくて気も遣う人ですでに持て余し気味)に憤っていたが、その気持ちも時間がたつにつれて鎮まっていった。このままにしておくわけにはいかないが、訪ねて行って「これこれこうだったよ。あなた葵の上にとりついたね?」と切り出すのもおっくうである。生霊になってとりつく女性をほったらかしにしてまた誰かに取りつかれても困るし、かといって顔を見るのは生霊となった姿があまりにも浅ましく不気味だったので嫌だった。

 彼は手紙だけを送り続けた。


 葵の上の病はあまりにも苦しいものだったので、治ったと言っても予後も油断ならない。光源氏は引き続き左大臣邸に詰めて、仕事のために宮中に参上することもせず、どこにも出歩かなかった。葵の上が回復していないので、男女関係はないように、顔さえ見せてもらっていなかったが、それでも光源氏は詰めていた。

 いても何かの役に立ってくれるわけではなく、本人及びお供の人々の衣食住の気の張るお世話が増えて下々のものにとったらいてくれない方が助かるが、左大臣たちはそうは思わなかった。いることは光源氏の愛情のあかしである。

 赤ん坊はとても美しい男児である。美人の娘に当代一の美男子を迎えただけの成果はあったのだ。左大臣家の人々は今からすでに下にも置かぬ世話焼きぶりである。左大臣もこれまでの恨みをきれいに忘れ、今まで通り光源氏をよい婿を取ったと思い始めていた。

 ただ葵の上の病がすっきりと治らないことだけは気にかかるが、「あれだけひどい病の後だったのだから」と、もう不吉なことは強いて考えないようにしていた。しかしそれはただの願望に過ぎなかった。


 子供は後に夕霧と呼ばれることになる。


 夕霧の顔が同じくわが子である皇太子によく似ているので、光源氏はもう一人のわが子にも会いたくなった。長い間顔を見ていない。

「宮中に長い間参上しておりません。気になりますので久しぶりに出かけようと思いますが、今日はお顔を見てお話しさせていただきたい。あまりにも他人行儀です。」

「そうだな。取り繕った姿を見せるばかりの間柄でもないのだ。普段ほど美しくはないだろうが。物越しではなく直にお話しさせよ。」

 女房達が葵の上の几帳の中に、光源氏の座る場所を作った。


 光源氏はとうとう葵の上に会ってぽつりぽつりと話をした。葵の上が弱弱しく返事をする。死にかかっていたところからこれほど回復して嬉しいと思うものの、豹変して別の女性が乗り移った時のことが思い出されて居づらい。あの時の葵の上はよくしゃべっていたからだ。

「今日はもう話すのはよそう。お薬を飲みなさい。」

 いつの間に覚えたのか、抱き起して飲ませるのを、女房達はびっくりして見守った。


 とても美しい方がやつれ、あるかなきかの気配で横たわる。そんな状態でもさすがに光源氏にお会いするとなると、髪の毛の乱れはなく、きれいに枕にかかっていて、苦し気ながらも光源氏を見つめる。このままにしておきたいようなかわいらしい姿である。

「長い間この人のどこが不満だったのだろう。」

 と、光源氏は感動して病床の葵の上を見つめた。

「桐壺院にお会いしてすぐに帰る。こうして直に会えたら嬉しいのに、いつもお母上が身近にいらっしゃるから来にくいのだ。無理をしてでも私たちの部屋に戻ってくれ。そこならいつでも直に会える。

 いつまでも子ども扱いでお世話をなさるから、あなたも治らないのだ。」

 光源氏は起き上がれない病人に無茶苦茶を言うと、美々しい参内用の衣装を着て出て行く。その姿を、葵の上は寝たままいつもより長く見送っていた。

 左大臣や息子たちも一緒に参内した。今は秋の定期異動の時期で、秋には中央官の任命があり、誰を出世させて誰を落とすか、非常に微妙な問題であった。他に春の定期異動もまた、受領の任命の決まる大事な時期で、どちらも中下流貴族にとっては、死活問題だ。


 珍しく葵の上の周りが人気が少なくなって、静かになったころ、急に葵の上は胸を押さえて苦しみ始めた。宮中に急変を知らせる使者を送る間もなく、そのまま息を引き取ってしまった。

 知らせを受け取った左大臣、息子たち、光源氏、そしてその一派、彼らに定期異動の望みをかけている大小の貴族たち、全員が宮中を出て左大臣邸に押し寄せた。真夜中なので、比叡山の僧侶を呼んでも来ない。油断していたので家族の嘆きが深すぎて、嘆き悲しみ、錯乱のあまり柱にぶつかる有様で、押し寄せる弔問客もさばけなかった。

「物の怪がまたとりついたのかもしれぬ。このように気絶したことが何度もあったではないか。」

 左大臣の命令で、枕もそのままにして様子を見たが、9月(旧暦8月)なので、2,3日もすると遺体は腐り始め、認めざるを得なかった。

 男女の愛情が嫌になった光源氏は、ふさぎ込んで身分の高い弔問客にも面会するのを避けている。やっと愛せるようになった本妻に死なれてしまって彼はそつのない対応などする気になれなかった。ただし夕顔の時のように病気になるほどではなかった。どちらも彼のせいで死んだのだがそれは光源氏の胸一つにとどめられて誰にも明かされることはない。

桐壺院がわざわざ弔問に訪れるのを見て、左大臣は感涙した。それ以外の時も泣いてばかりいるので彼は涙の乾く暇もなかった。めったなことでは宮中から出ることはできない桐壺院が一女子のためにそこまでするのは、やはり左大臣の心を光源氏に向けてほしいからだった。

 あきらめのつかない左大臣は人が「よい」と言った祈祷はすべて行わせた。もしかしたら生き返るかもしれないと、一縷の望みを託したが、傍らに置いた遺体が崩れていくのを見て、やがて思いつくこともなくなってしまった。葵の上は死んでしまったのだ。

 10日近く経ってから、左大臣は葵の上を鳥辺野へ連れて行った。


 その日鳥辺野には立つ場所がなくなるほど僧侶が立ち並び、読経した。桐壺院、藤壺、東宮(藤壺の息子)の手紙(まだ幼い子供なので)、主だった貴族たち、左大臣が深く娘を愛していたことを知っている弔問客たちが次々に訪れた。娘を将来の女御にして外戚になるよりも、宮中の苦労をさせずにずっと手元に置くことを選んだ人なのだ。だれもその葬儀を、「たかだか娘」とは思わなかった。陰暦の20日過ぎ、つまり月の出は遅くて明け方にも出ている。その明るさの中で、人々は想像していた以上に悲嘆にくれる左大臣の姿を見ることになった。

(「人の親の 心は闇に あらねども 子を思う道に 惑いぬるかな」と言う歌の通りだ。)

 光源氏は泣きおろめいている左大臣を横目で見ながら空を眺めた。葵の上を燃やした煙が天へと昇っていく。

(雲全部が哀れに見えるな。)

 葬儀は夜通し行われ、夜明け前に終わった。


 光源氏は自邸ではなく、左大臣邸に帰り、しめやかに読経を行った。本来婿入りをしたら左大臣邸が彼の家であり、光源氏の生活に必要な家来や調度品もすべてここに用意してある。

(女房達と遊んだことなど、余暇のたわむれに過ぎなかったのに、そのうちに分かってくれるだろうと思い、なおざりにしておいたことが悔やまれる。恨まれたままで行ってしまった。)

 光源氏は本当に悲しいと思っているのに、喪服は薄目の色を着る。妻が死ぬときは薄目、夫の死んだときには濃いめ、と決まっているのである。

(この色も私が死んでいたら葵の上はもっと濃い色を着るのだろうに。)

 読経の様子も美しく、様になっており、「この子がいなければ出家するのだが」と、形見の夕霧を見ては涙を流した。関係のある女人たちへは手紙だけ送り、女色も一切近づけず、精進しつつ故人を弔う。そうは言っても夜誰も近くにいないのは寂しかったので、声の良い僧侶を寝室に入れて夜通し読経させていた。子供が残されていなければ出家していたのにとも考えていた。その姿は、同じ家の中なので、ありのまま逐一左大臣に伝わっていた。心の中では「若紫はさぞ寂しがっているだろう」とちょいちょい思い出していたが、それは左大臣には分からない。

 御息所だけは、娘の禊に差し支えるからという口実で、返事を返してこない。


 母親の宮は葬儀が終わると寝ついてしまった。「このままではこの方も危ない」と、加持祈祷が行われる。主婦の仕事は葬儀に終わらず、この後も決められた日数ごとに法事がある。それも掌中の珠として可愛がっていた一人きりの娘のことなので、悲しみはひとしおで、とても人目を気にしていられるような状態ではない。



 ある秋の深まる明け方、光源氏が「秋吹くは いかなる色の 風なれば 身に染むばかり あはれなるらむ(和泉式部・秋に吹く風はどういう色をした風だから身に染みるほど哀れさが深まるのか)」という歌を思い出しているとき、開きかけた菊のつぼみに結びつけられた喪服色の文が置いてあった。

(なかなかの風情だ。)

 開くと御息所の手紙だった。


「一人残されたあなた様の袖はさぞ濡れていらっしゃるだろうと思います。」


(まったく白々しい。)

 光源氏の怒りは再燃したが、一つだけは認めざるを得なかった。

(いつもより素晴らしい文字だ。)

 御息所の字は美しく、光源氏も手本にするためにその字を集めていた時があった。よい字というものは才能で、まねはできても自分で新しく書けるものではない。


 

 光源氏は返事を出そうか出すまいか迷った。

 出さなければこのまま縁を自然に途切れさせることができるが、それをすれば御息所の評判は下がってしまう。それよりは光源氏が生霊のことを知っていることを察して、向こうから切ってくれる方がよい。


「いずれ私も行くのです。この世に執着心を持つことほど儚いことはありません。

 あなたも私に執着心は持たないでください。お読みになるかどうかも分かりませんし、これ以上は申し上げられません。」


 御息所は娘の精進潔斎に付き添うのを離れて里に帰っているときだったので、この返事を読むことができた。

(やはりご存じなのだ。)

 そしてこれが別れたいということだと彼女には分かった。このことは御息所にとどめを刺した。彼女はそれまで以上に思い乱れた。しかし葵の上が亡くなってしまった事実は取り消しようもない。

(桐壺院がご自分と同母弟だからとことのほかかわいがっていらっしゃった前の皇太子さまが娘のことを頼むと言い遺していかれたから、『弟の代わりにお世話をしよう。このまま宮中に住むように。』と何度もおっしゃっていただいたのを、自分から宮中を離れてまで評判を守ったのに。この年で浮名を流して、悩んだ挙句に捨てられてしまうとは。

 私の運命は何と辛いものなのだ。)


 光源氏との関係をのぞいては、六条の御息所の評判は大変良いものだった。斎宮とともに移った野の宮に手を入れ、以前よりも趣味の良いものにしたので、人気の文化サロンになって、「殿上人の風情を知る者は今、朝夕紫野の草の露を踏み分けて歩くのを日課としている」と言われたほどだった。

(そうだ。趣味の良さと教養の高さは嫌というほどお持ちだから。

 私との間が嫌になって伊勢に下っていかれたら寂しくなるだろう。)

 光源氏も愛人の評判の高さに少し心が動くのだった。世間で評価の高い女性を愛人にするのは、男にとって鼻が高いものなのである。たとえば「ライバルを取り殺した」というような事実をもかすむのだった。



 法事が終わっても49日が過ぎるまではと光源氏はお籠りを続けている。

 頭の中将が、彼も妹の死をとても悼んで悲しんでいたが、光源氏のように精進潔斎して念仏に明け暮れようとは思わなかった。毎日見に来たが光源氏が相変わらず念仏にいそしむのを見て、内心嬉しかったので、励ます意味で面白い話をしていった。

 二人でおばあさんの源典侍を取り合った話など、光源氏は「かわいそうに。ご老人をそんな風に馬鹿にしてはいけないよ。」と言いつつ肩を震わせて笑う。

 お互いに色事の数々を明かしあって、最後には「それでも儚い世の中だなあ。」と泣いてしんみりもするのだった。


 喪が明けた時雨る秋の暮れ、頭の中将は喪服を薄目の色に着替えて光源氏の部屋に行った。光源氏はしどけない格好で高欄にもたれかかって霜枯れの庭を眺めている。頭の中将がそばに控えると、着物の紐だけを結んだ。頭の中将よりも濃いめの夏服の下に、練り絹の赤の下着を重ねて、喪服がより濃く見えるようにし、やつれてもなお色っぽい。頭の中将は思わず見とれてしまって、いつまでも眺めていたいと思った。

(これほど色っぽいのだ。僕が女だったらこの人から離れられないだろう。まだ葵はこの世にいるのではないか。)


彼は歌を詠んだ

「雨となり    雨となり    

 しぐるる空の  しぐれる空の

 浮き雲を    浮き雲を

いづれの方と  どれが妹なのかと

 わきて眺めむ  見分けて眺めたい」


 光源氏も独り言のようにして返した。

「見し人の   共に暮らした妻が

 雨となりにし 雨となった

 雲居さえ   雲さえ

 いとどしぐれに 涙にしぐれていっそう

 かきくらす頃  今は暗くなる」


 光源氏が心から妹を悼んでいることを頭の中将は感じた。

(妹のことを愛していないのだと思っていた。父上の桐壺院がおっしゃるからとか、父の左大臣がもてなすからとか、母が桐壺院の妹だからとか、方々のしがらみで捨てられないのだとばかり思っていた。気の毒だと思われるときもあったのに、やはり正妻の地位となると、軽々しくは思っていなかったのだ。妹のことを一番に愛していたのだ。)

 分かった今ではなおのこと妹が若死にしたことが惜しくてならない。

 頭の中将はしょんぼりとその場を後にした。光が消えたような気がする。


 その日、左大臣が妻を見舞いに行くと、彼女は光源氏の文に感涙していた。

「草枯れの    草の枯れた

 まがきに残る  垣に残る

 なでしこを   撫子の花を

 別れし秋の   別れた秋の

 形見とぞ見る  形見と思って見ます」


 光源氏はこの歌を、深まる秋の中咲き残っていた竜胆や撫子を摘ませて花束にし、夕霧の乳母に届けさせたのだった。つまり、「夕霧を見ても葵の上の形見と思って見ます」という心である。

 このごろいつも泣いてばかりいる妻なのだが、光源氏が手紙をくれるたびに慰められるのだった。光源氏も兄の息子で肉親である。娘ほどではなくてもやはり近しい。


「大殿様。このまま源氏の君が婿としていてくだされば本当に心が慰められるのですが。とてもお優しいこと。」

「うむ。」

 実は左大臣もそう願っていた。娘に冷たいと思っていたのは思い過ごしだったと、彼も思っていた。光源氏は正妻のことを重んじていた。ただ好みに合わせて関係を持つ浮気相手は別に考えていただけだ。夕霧もいることであるし、縁が完全に切れたわけではない。それにここからが肝心なことなのだが、今までは政治的に光源氏をバックアップしてきたかもしれないが、今やその成果もあって源氏の君は立派な政権の柱となり、皇太子の帝になった暁には太政大臣としてトップに立つことは間違いない。今まで尽くしてきた分を返してもらう時期に差し掛かっている。ここで政治的協力関係を切ってしまうのは得策ではなかった。

(娘が二人いればなあ。)

 あいにくと身分のある娘は一人しかいない。その一人が葵だった。後は男ばっかりである。


 喪が明けた光源氏は人恋しくなり、考えた末に朝顔の宮に手紙を送った。今日の光源氏の寂しさを理解してくれるのはこの姫だと思ったのである。間遠ではあるが途切れず光源氏が文を送るので、朝顔の宮に仕える人々も光源氏の手紙は取り次ぐし、朝顔の宮も光源氏の手紙は返事は書かないときの方が多いが、目を通すのだ。


「わきてこの    特にこの

 暮れこそ袖は   夕暮れは袖が

 露けけれ     露めきます

 物思う秋は    物思う秋は

 あまた経ぬれど  たくさん過ごしてきたのですが」


 その日の空の色をした中国製の高価な紙に、いつも以上に美しい文字で書かれている。さぞ心を配ったのだと思うと、これは返事を書かなければならないと、女房達も言うし、朝顔の宮もそうおもったので、自ら筆をとった。


「秋霧に     秋の霧に

 立ち遅れぬと  行き遅れたと(葵の上よりも後に死ぬことになった)

 聞きしより   聞いておりますので

 しぐるる空も  時雨る空を見ても

 いかがとぞ思う どう思われているかと存じます」


 ほのかに薄墨で書かれた筆跡は心憎い。光源氏の気持ちに添ってくれている。なびかない人ほど好きになる光源氏はなおさら好意を抱いた。正妻もいないのだから、この皇族の姫君を正妻にしてはどうかと少し心が動くが、今の彼はいつなびいてくれるか分からない深窓の皇女より、憧れの人に生き写しの女の子を囲って育てているところだ。この子のことが先だった。


(こういう具合に普段は冷たくてもここぞという時に慰めてくれる。それでこそお互いに年を取るほど情が深まるのだ。それに教養が近くにいて分かるほど出ているのも堅苦しい。こんな風にさりげなくだ。若紫はこういう点に気を付けて育てなければな。)


 若紫はさぞ寂しがっているだろうと、光源氏は子供を置いてきた母親のような気がするのだった。

(どうしているかな。僕のことを恨んでいるんじゃないか。)

 ただし実際の手間は子供ほどかからず、若紫は待っていることが分かっているので、会った時どれだけ喜ぶだろうという、くすぐったいような楽しみの気持ちしかない。喪も明けたので、明日にはお籠りをやめるつもりである。


 その夜、光源氏は葵の上に仕えていた女房達を集めて夜通し話をした。中には光源氏の忠実な愛人だった「中納言の君」もいるが、お籠りの間、彼は一度も手を出さなかった。中納言の君はそのことで、かえって光源氏に惚れ直していた。


「お籠りの間皆にはすっかりなじんだ。この後あまり会わなくなるのは寂しいな。まったく先のことを考えると耐え難い。」

 女房達は一斉に泣きだした。

「悲しいということは申し上げません。気持ちが暗くなるばかりですから。ですが源氏の君がこれからまったくこちらにお越しにならないことを考えますと…。」

 光源氏はぐるりと一同を見回した。

「まったく会えなくなるとは。私を薄情者だと思ってくれたものだ。先になればわかるだろう。しかし、そこまで長生きできるかどうか。」

 涙に潤む目で灯を見つめる、その姿に女房達はノックアウトされた。


 光源氏は喪服姿の小さな女の童に目をやった。「あてき」という名前で、身寄りがないがとてもかわいらしく、葵の上がとくに目をかけて庇護していた子供の召使である。その子は喪が明けても人よりも黒く染めた喪服を脱がず、子供用の上着も袴もすべて黒に染めたものを着て、いつも泣いていた。葵の上がいなくなると、彼女には頼る相手がいないのだ。どうして生きていけばよいのか、小さいだけになおさら不安だった。

「あてきは今は私を頼りにしているようだぞ。」

 光源氏が言うと、あてきは体を震わせて泣きだした。


「いいか。昔の恩を思うならば、辛いこともあるだろうが離れず夕霧に仕えてやってくれ。昔のように皆がいてくれないと私も来にくくなる。」

「もちろんでございます。」「いつまでもお仕えいたします。」「そのつもりでございました。」

 女房達は口々に誓ったが、心の中では光源氏は何と言ってももう来なくなるだろうと思った。主のいない場所で所在なく仕えていくのは心細い。まず収入があてにできない。将来もあてにできない。かといってすぐには移れるところもない。何よりのネックはもう光源氏に会えないことだ。葵の上の女房には顔よし、教養あり、技芸あり、他でも働ける若い美しい才能ある女房達が集まっていたが、そのほとんどが光源氏に惹かれていたし、目にとめてもらうのを待っていた。目に留まって主のお手付きになってしまうのは、そして一生日陰の身のまま主に仕え続けるか、もしくはすげなく使い捨てにされるのは、女房業の宿命である。身分の差ははっきりとあり、身分の高い主にとったら、身分のつりあった家付き娘の葵の上でさえ一切の口答えができず、出てこないことが唯一の反抗なのだから、女房の人権など犬程度しかない。どれほど嫌で泣いたとしても結局は従うしかないしあきらめるしかない。どうせそうなるのならば、光源氏のように嘘でも嬉しい口説き文句をささやき、心ときめくような美男子に身を任せたいと思うのは当然である。光源氏にもう会えないのならここにいることはないではないか。



 左大臣はその話を聞き、葵の上の形見を女房達に配った。布地はお金なので、実際にはこれは臨時ボーナスのようなものだ。かつては忌々しく思った光源氏のお手付き女房たちですら、今はそのままいてもっと光源氏を呼び込んでくれと思う。ただしこれを期に離れる女房がいては困るので、形見分けだとはっきりとは言わなかった。「今後とも夕霧に仕え続ければ手当は私が出す。心配しなくてもよい。」という左大臣の意思表示である。



 翌朝光源氏は桐壺院にお会いしに行くからと車を言いつけた。

 寒空に雨の中、見送る人々の心はこれで源氏の君ともお別れになるのだと、寂しい気持ちでいっぱいだった。左大臣邸で仕えていた光源氏の召使たちも荷物をまとめてつぎつぎに二条邸に引っ越ししていく。その様子を見ながら、左大臣も奥方も悲しみが深まるのだった。


 光源氏はそうなることを見抜いていた。奥方に手紙がくる。


「桐壺院からどうしているのかとお尋ねがあり、参らねばなりません。出かける準備をしていてもよく今日まで生きていたものと思います。ご挨拶に伺えば悲しくなりますのでこのままお目にかからずまいります。」

 奥方は泣き伏して返事も書けない。左大臣はさすが男で、大急ぎで光源氏を見送りに来たが、泣き続けているのを隠して袖が顔から離れない。光源氏も涙するが、こちらはみっともないというよりもなまめかしく美しい。

「まったく申し訳ない。年のせいで涙もろくなっておりましてな。こんな有様ですので院にもお目にかかれませんわい。何かのついでにそのように申し上げてとりなしていただけんかな。

 この年で子供に先立たれるとは。」

「まったく。遅れ先立つは世の習いでございますが、これほど悲しいものだとは。まったく耐えがたいほどです。院には大臣がこのようなご様子であることをお伝えいたします。お分かりいただけると存じます。」

「では。時雨も続いては夜になってしまう。さあ、お出かけください。」


 出かける娘婿について行きながら周りを見回せば、開いたふすまの陰、几帳の後ろなどに、30人ほどの濃い色や薄い色の喪服姿の女房達が寄り集まって、泣きながら光源氏を見送っている。どうフィルターをかけて見ても葵の上が死んだ時よりもずっと悲しそうである。

「夕霧がおりますので何かの折りには立ち寄ってくださるだろうとあてにしております。

 しかし女房達の中にはこれで源氏の君がお立ち寄りくださらなくなるだろうと、葵の死んだ時よりも嘆いております。とぎれとぎれのお越しでしたがいずれは腰を落ち着けてくださるだろうと頼みにしておりましたのに、このようなことになるとは。まったく心細いことです。」

「仰せの通りです。私もいずれはと思っておりましたのでのんびり構えていました。それでお目にかからない時も多かったのですが、今は先のことは思えません。おろそかにはいたしませんよ。」


 左大臣は娘婿の車が遠ざかっていくのを見送った。

 再び入る屋敷の内は、何も変わっていないはずなのにセミの抜け殻のような思いがした。

 几帳の裏に光源氏の書き流した反故が残されていたので、涙をぬぐいながら左大臣はそれを手に取ってみた。女房達は位高い老人がそんなことをするのがおかしいのでほほえましく見ている。

 故事や名文を書き写した中に、光源氏の歌がある。


「二人で寝た寝床に寝るのは悲しい。そなたの魂も離れないで悲しんでいるのだろう。」


「花を見ても寝る人がなく塵の積もった寝床に涙の露を払いながら幾夜寝たことだろう。」

 この歌には枯れた菊の花が添えてあった。奥方に贈った手紙につけた花の残りだろう。


 左大臣はこの和歌を急いで妻に見せに行った。

「娘に先立たれてしまったのはあきらめがつきそうだが、時間がたつほど娘が恋しくなるのと、この源氏の君が赤の他人になってしまうことが本当に残念でならないな。

 1日2日お帰りにならなかったのさえあれほど悲しかったのに、この先朝晩の光を失ってどうやって生きていけばよいのやら…。」

 左大臣は声を上げてわあわあ泣いた。年を取った女房達ももらい泣きしている。

 若い女房達は今後どうしたらいいのか、光源氏の言った通り夕霧にお仕えしてこの寂しさを紛らわせるのがいいのか、それとも他家に移るのがいいのか、と仲間内で話しつつ、「ちょっと里に帰るわ」といなくなってしまう女房もいた。



 桐壺院のもとに参上すると、院は光源氏のやつれ具合を心配した。

「精進料理ばかり食べていたのだな。」

 桐壺院は食べ物を取り寄せて食べさせ、何かと世話を焼いた。左大臣を怒らせずに味方のままで残したその振舞に感心し、労わった。


 正装し、しかし喪服姿のやつれた光源氏は次に藤壺の元に向かった。

「時間がたってもさぞお悲しいことでしょう。」

 藤壺は直接ではなく、取次に言わせた。

「この世が儚いことは知っておりましたが、経験すればもっといとわしく、思い乱れましたが、何度もお手紙を頂戴しましたので何とか。」

 上着は紋なし、下着は喪の色、正装の冠をつけたやつれ姿に、女房達は今まで以上の色気を感じて一層熱心に姿を見た。

「皇太子さまにも長くお会いしませんでしたのでお会いしたい。」

 光源氏は長く会っていなかった我が子に再会し、しばらく過ごしてから退出した。

 帰る先は左大臣邸ではない。二条邸である。


 二条邸では邸内を磨き上げ、男も女も光源氏の帰りを待ち構えていた。光源氏付きの上臈たちが皆正装し、我こそはと化粧して飾り立てているのを見ても、左大臣邸の暗い沈んだ空気が思い出される。正装を脱いで若紫に会いに行く。いない間に季節は夏から冬に移り、衣装も几帳の垂れ布もすべて冬ものに取り替えられ、仕える女房も童女も光源氏の目を楽しませるように鮮やかで季節感がある。乳母の少納言が一切をとりしきって落ち度のないように仕上げているのだ。

(少納言もやるではないか。)

 光源氏は合格点を心の中で出して、小さな几帳を上げて若紫を見た。


 姫君は見ない間にずいぶんと大人びて色っぽくなった。美しさは言うまでもない。今日は今まで以上にきれいにしている。見られると恥ずかしそうに顔をそむける姿、かわいくて見飽きることがない。灯を受ける横顔、髪の感じ、心から愛している藤壺とそっくりだった。

(少しも違っていない。思い通りだ。)

 光源氏はとてもうれしかった。近くに寄って、会えない間どれほど会いたかったかを聞かせながら、そろそろよいのではないかと思ったが、まだ若紫は「裳着」をすませていない。これをすめば正式に大人なのだが。自分で囲っている以上、光源氏の裁量一つなのだが、まだもう少し待った方がよい、と光源氏は思った。しかし今までのように無心に隣で添い寝はできない。

「もっとお話ししたいが喪が明けたばかりで不吉だから他で休んでからまた来よう。これからは毎日会えるから、私が嫌になるかもしれないぞ。」


 乳母の少納言はその会話を聞きながら、「嬉しい」と思いつつも「どうか分からない」とも思った。正妻がいなくなったとはいえ、若紫は正妻格にはなれない。父親は皇族だが、母親の身分が低い。提供できる後ろ盾も財産もない。その上光源氏はあちらこちらの身分の高い姫君とひそかな噂がある。朧月夜の右大臣の娘やら、朝顔の姫君に熱心に言い寄ってもいるらしい。時には外出も許されている女房達の噂話ネットワークは、閉じこもっている割にすごい情報伝達力なのである。

(また代わりの正妻の方が出てくるに違いない。その時姫君はどうなるだろう。)


 光源氏は本棟に帰って中納言の君に足をもませて、共寝した。起きると若紫に手紙を送り、彼が選んで練習させた筆跡の心にしみる返事を見てしみじみと感慨にふけった。


 喪が明けたばかりで特に用はないので方々の女性を訪ね歩いてもよいのだが、光源氏は若紫が気にかかった。他の女性と比べ物にならないほどの美しさ、愛らしさ、愛しい人に生き写しでいつでも身代わりにすることができるという誘惑、出歩く気になれない。14歳は平安の立派な大人である。結婚もできる。光源氏の目から見てももう十分大人なのだから、裳着がまだでもよいと決めて、いろいろと言いかけてみるが、若紫の教育の中に性教育は入っておらず、何の話か全く分かってもらえない。結局一日碁を打ったり、偏継ぎ遊びをして過ごしているのだが、顔を合わせれば合わせるほど、そのねじ曲がったところのない素直で聡明な優しさ、光源氏を信じ切っているゆえの愛嬌、ただの遊びでも目を見張るほどの筋の良さは光源氏を感心させる。今は「可愛い」も色っぽさが沿って、今までのような幼さはない。


 若紫が分かってくれなくても問題はなかった。光源氏と彼女は共寝する習慣だったからだ。周囲も若紫も、それが不思議だとは思わなかった。かわいそうだとは思ったが、同意を得ないで夫婦になることにした。その朝、光源氏は早く起きたのに、若紫は起きてこない。

「体調がおよろしくないのかしら。」

 女房達が心配する中、光源氏はすずりの箱を若紫の寝所に入れて本棟に帰った。

 誰もいないときに若紫が上掛けをかぶったままかろうじて顔を上げると、結び文が枕元に置いてある。


「あやなくも   わけもなく

 隔てけるかな  隔てていたものだ

 夜を重ね    ともに過ごした夜を重ねて

 さすがに慣れし そうはいっても慣れていた

 夜の衣を    夜の衣を」


(こんなおつもりだとは知らなかった。)

 若紫はみじめな思いをこらえた。ほかに生きていく家はない。頼りにできる人もいない。だから光源氏の評判が下がることを恐れ、周りの女房に聞こえるように泣くわけにもましてや誰かに話すこともできない。

(こんな方をこの世で一番頼りにできる方だと思っていたなんて。)

 几帳の内に差し入れられた硯箱を見た。あれで返事を書くようにとのお心なのだ。しかし今の彼女には恨み言しか思いつけない。何もしないままただ上掛けをかぶっていた。


 昼頃機嫌よく光源氏が様子を見に来た。

「具合が悪いんだって?どんな様子だい?今日は碁も打たないのか?寂しいな。」

 顔をのぞき込もうとするので、若紫は上掛けの奥に引きこもった。光源氏が若紫に近づいたので、物を出したり下げたりするために控えている女房達は気を利かせて場を下がる。それを待ってから、光源氏は顔を近づけてささやいた。

「こんなもてなし方はいけない。意外に意地悪な人だったな。周りのものも変に思うじゃないか。」

 かぶっている上掛けを引きはがすと(こういう強制ができるところが正妻と違って可愛いのであるが)、汗でびっしょり濡れて、前髪が額に張り付いている。

「おや。これはいけないぞ。」

 光源氏は機嫌を取ったが、若紫は怒って返事をしない。

「よしよし。もう会いに来ないよ。まったく胸が痛むな。」

 軽く恨み言を言いながら硯箱を開けるが、返事も入っていない。これは十分に教育してきたことに反する。返事を書くのは妻の務めだとさんざん教えたのに、反抗である。とはいってもかわいらしいものだ。彼女は几帳の中から出ることも光源氏のことを周りに悪く言うこともできないのだ。

「まったく逆らうんだな。」

 光源氏はこの小さな逆らい方をかわいく思って一日かけて機嫌を取ったが、若紫の機嫌は直らない。その刃向かい方も、光源氏にたてつくのではなくて、すねて隠れているだけなので、実にかわいらしいものだった。光源氏は機嫌を取りながら、幸せを感じた。こういうものが夫婦というのだ。


 その夜は「亥の子餅の日」、旧暦10月3日(11月3日)の亥の日に子孫繁栄、万病を除くことを祈願して餅を食べる日であり、二人の夕食には檜皮の箱に入った餅が並んだ。喪が明けてから間がないので、それほど豪華ではないが、その分念入りに飾り付けてある箱が、二人の前にだけ出された。

 光源氏は屋敷の外に控えている惟光を呼ぶために縁側に出た。

「この餅を、こうたくさんではなく、明日の夕方もう一度出せ。今日は日が悪い。」

 言いながら主がふとほほ笑んだのを見ただけで、惟光は主が若紫とついに結ばれたことを察した。このところ本邸に居続けだったので、そろそろ正式に夫婦になったころだろうと勘ぐっていたのだ。そして、新婚3日目には餅を食べるのが決まりである。その餅をご所望なのだ。

「なるほど。愛情はじめは日を選ぶべきですな。それでは「子の日の餅」はいくつ必要でございますか。」(「亥の日」の次の日は「子の日」)

「これの3分の1ぐらいだろう。」

 惟光はすっかり飲み込んで立ち上がった。さすがに慣れている、と、数々の恋愛のお供をさせてきた光源氏は感心した。

 主がどれほど若紫に思い入れしているか知っている惟光は、人に知らせず実家に作らせた。惟光が作っていると言ってもいいくらいに小うるさく監督して、餅を用意させた。


 光源氏は翌日も一日、若紫の機嫌を取ったが、まだすねている。まるで昨日はじめてさらってきたという気がするのも新鮮だった。(もちろん彼には人さらいが悪いことだなどという考えはない。この時代の高位の男性にとったら、低位の女性をさらうのはその後の生活さえきっちりしてやれば何ら問題はないのだ。さらわれた側の女性がひどく悲しむのは時代が古くても変わりはしない。たとえ相手が光源氏であっても。)

「長い間可愛いと思ってきたのは切れ端にも満たなかった。人の心ほどうす気味悪いものはないな。今は一夜でも離れるのは嫌だ。」


 惟光は人目を忍んで、夜更けに餅を届けに来た。

(少納言は年を取っているからこういう話は嫌がるだろう。)

 少納言の娘は、若紫の乳母子なので同い年なのだが、すでに裳着をすませて成人し、「弁」という名前で若紫に仕えていた。そしてその弁を呼び出して、餅だと知られないように香物入れに偽装した箱を渡した。

「これをこっそり主に差し上げてくれ。確実に枕元に置いてくれ。祝いの品だ。よそ見するな。」

「よそ見なんて、まだ知りませんよ。浮気でしょ。」

「浮気なんて不吉なことを言うな。絶対に主の耳に入れるなよ。いいから持ってってくれ。」

 若い人なので深く考えずに言われた通り夫婦の几帳の枕元に差し入れた。中には入れないのだ。しかし光源氏は待っていたので、餅の意味を若紫に教えて作法通りにした。

 

 翌朝、女房達は餅を盛った皿を下げて、やっと結婚式のあったことを知った。

 いつの間に用意したのかお皿は足の美しい立派なもので、上に載せられた餅は特製の形をしている。とても美々しく整えられている。おろそかや間に合わせからほど遠い。光源氏がいかに若紫との結婚を大事に考えているかが分かり、少納言は涙した。

「それにしても私が気が付かなかったなんて。準備なら言ってくださればやったのに。」

「私たちにだけでも教えてくださればよかったのに、惟光も察しが悪いと思ったでしょうに。」

 女房達は噂しあった。


 こうなってから光源氏は、片時も若紫のことが忘れられず、桐壺院や藤壺の元へお仕えに行っている間さえ面影がちらついてどうしようもない。

(「若草の 新手枕を まきそめて 夜をや隔てむ 憎からなくに(古歌:若草の 新しい手枕を 枕にし始めて(=若い新妻と共寝し始めて) 一夜も別れてはいられない 憎くない相手なので)」

 まったくその通りだ。一日も別れてはいられない。)

 光源氏の喪が明けたと知られてからは、通っていた女性たちから恨めし気な光源氏にきてほしいという手紙が届くが、若紫以外のことがとても考えられないので、「今は生きていることさえ嫌になっておりますので、もう少し経ちましてからお逢いしにまいります。」と返事を出してひたすら若紫のもとに通い続ける。

 こういう状態を、左大臣は葵の上にしてほしかったのである。



 今は御櫛笥殿として寵愛を受けるはずの朧月夜は、それでも光源氏のことを一途に慕っていた。光源氏の正妻もいなくなったので、代わりに正妻にしてもよいと、右大臣は思い始めた。

「どうだろう。六の君だが、源氏の君を婿としてとるのであれば、悪いことではないと思うが。今のように御櫛笥殿として宮中に差し上げるよりは。もうあの子は女御にはなれないのだから。正妻も亡くなられたのであるし。」

「とんでもない。ちゃんと宮仕えをするようになったら、忘れますよ。」

 桐壺の更衣のことをいまだに憎く、したがって息子の光源氏も目障りに思っている弘徽殿はその案を一蹴した。息子と妹を結婚させる意志は固かった。この先も右大臣家が繁栄を続けるためにも必要である。そして、朧月夜は「尚侍(ないしのかみ)」として、それもやはりお手付き女官に変わりはないが、それでも御櫛笥殿よりはもうすこし格の高い女官として宮中に上がる準備を着々と進められていく。右大臣家では子供ができたら女御に格上げすることを考えていた。美しくあだっぽい朧月夜が寵愛を受けないはずがないので、見込みはあるのだ。


 光源氏はそれを聞いて、忘れ難い朧月夜のことを惜しいと思いはするが、若紫のこと以外は今は考えられない。

(どうせ短い人生なのだ。愛するのは若紫一人でいい。身分の高い女性はもう懲りた。またあんなことがあってはな。)

 六条の御息所がまた生霊になってとりつかないともかぎらない。


 六条の御息所のことも気になる。身分から言えば愛人の中で彼女は正妻格だった。

(しかしあの女性は一緒にいると気を遣うから。今までどおりの関係でいてくれるのなら、何かの折りには逢ったりするくらいがいいだろう。)

 生霊になって妻を殺したとしても、さすがに捨てられる身分の女性ではないのだ。才芸も高く、世間の評価もある。


 今の彼の関心事は、いよいよ若紫の身の上を世間に公表することだった。そのためには「裳着」をやるのがよい。今までの若紫が単なる子供で、葵の上と張り合う気持ちなどさらさらなかったことが世間に分かるし、若紫が「明らかにできないほど低い身分の女性なのだ」という噂が広まっているが、彼女の父親は皇族のなかでも血筋の高貴な皇族で、藤壺の兄である。この点も知らしめておきたい。「裳着」で一番重要なのは紐を結ぶ「腰結」の役だが、これをその父親にやってもらおうと、儀式全般の準備をひそかに進めた。

 若紫は大々的な儀式を自分のためにとり行ってくれることが大変ありがたいことなのは分かっていたが、それでも光源氏を受け入れずにいた。光源氏は毎日若紫に逢いに来るが、彼女は光源氏を嫌って、顔を見ないようにしていた。返事もしない。本当にささやかな抵抗にしかならないのだが。

(長年こんな方を心から頼りにして、まとわりついていたとは、私は何という事をしたのだろう。お父様の家に行けばよかったのだ。)

 光源氏が若紫を甘やかし、調子のよい嘘をつき、あるいは軽く恨み、機嫌を取っても、逆らえず逃げることもできない若紫の苦しさは勝る一方で、今までのような信じ切った嬉しい表情を見せてくれない。顔をそむけてばかりである。

 光源氏は気を悪くするどころか、可愛さが募る一方だった。いずれは新しい二人の関係に慣れることを知っているので、おもしろがっていた。急ぎ過ぎたことで若紫が機嫌を悪くしたことが、少しかわいそうなだけだ。


「『み狩する 狩場の小野の 楢柴の 馴れはまさらず 恋こそまされ(万葉集:狩りをなさる 狩場の野原の 楢の柴 馴れはしないで 恋しさがまさる)』

 長い間愛情をかけてきたのにずいぶん冷たい仕打ちだなあ。」

 そんな風に若紫にささやいているうちに年が明けた。


 1月1日は桐壺院、藤壺―つまりは東宮のところにあいさつに行き、帰りに左大臣邸に寄った。

 左大臣は年が明けても娘が忘れられず、「新年のころ葵はこうだった」「いついつはああだった。」と妻を相手に娘の思い出話ばかりして寂しがっていたが、光源氏の訪れを聞き、一層涙があふれてきた。

 光源氏は二か月ぶりに会っただけで、男ぶりが上がり、以前より自信にあふれて重々しさが増したようだった。「年を越して一つ年を取られたからだなあ。」と左大臣はまぶしくその姿を見つめる。

 左大臣にあいさつを終えると、彼は葵の上と二人の部屋に行った。


 女房達は光源氏の姿を見て、こらえきれずに泣いている。夕霧がぐっと成長し、光源氏に笑いかけるのが哀れである。

(目元と口元が東宮にそっくりだ。だれか似ていることに気が付いて私と藤壺が密通したことに勘付いてしまうのではないか。)

 心配である。

 部屋のしつらえは以前と少しも変わらない。

 光源氏の衣装掛けに、新しい衣装が掛けてある。ただ、葵の上の衣装が並んでいないことが寂しい。


 奥方から手紙と衣装が届いた。

「今日はとても耐え難かったのですが、こうしてお越しいただきましたら、もっと悲しい気がいたします。

 今まで通りにお作りした着物は、涙で目が曇っておりましたので、色合いなどお気に召さないことがあるかもしれません。ですが、今日だけはどうぞお召しくださいませ。」

 衣装はすでに季節に合った新しいものがかけられていたのに、その上さらに届けられた衣装は、色合いも織り方も信じられないほど手間暇がかけられて心がこもっており、しかも正月に合わせた色合いの下着だった。

 この好意を無にするわけにいかなかったので、光源氏は正月用の自分の着ていたこれも美々しい衣装を脱いで着替えた。

(来てよかった。来なかったら後悔していたところだった。)


「春が来たことを見ていただこうと思い、正月の姿で参上いたしましたが、思うことが多くて直接申し上げられません。


 あまた年    何年もの間

 今日あらためし 今日という日に着替えました

 色衣      正月の色の衣ですが

 着ては涙ぞ   着ると涙が

 降る心地する  降る気がいたします」


 和歌をつけて返事を返すと、奥方からも返事が届いた。


「新年だというのに、一つ年を取って古くなった私の涙が降るのです。」

 左大臣夫婦は悲しみから抜け出せないのだった。





*注:葵の上の本名は作中ではわかりません。便宜的に葵祭の車争いの「葵」の巻に出てくる女性なので「葵の上」と呼ばれています。しかし家族は当然名前を知っていたでしょうし、いつも「妹」や「娘」と呼ばせるのも味気ないので、「葵」と呼ばせることにしました。夕霧やその他の女性たちも同様です。便宜的に通称を名前として使用させていただきます。

 平安時代の女性の名前は、お后にでもならない限り残りません。



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