第3章 龍の探求

真夜中電話相談室、もしくは無茶な要求

 真冬の札幌は夜になるとよく冷える。特に晴れているときは雲がない分、いっそう冷えた。

 まっくらな郷土史研究会のサークル部屋をパソコンの画面が光源になってうすく照らしていた。暖房は点いていない。点けようにも、建物すべての暖房に電源を入れるかどうかは大学事務局が管理していて、一々要求する必要があった。

 “お尋ね者”扱いになっている――少なくとも三毛や白猫はそう考えていた――三毛は、コートを着込み素顔であるところの獣面でパソコンのキーボードを叩いていた。顔周りはいかにも毛深くなっていたが、手だけはパソコンのこともあって人間のままだった。

 画面上に映るメールフォームには、汀直樹教授にレポートの第一校を送るに際して、ここ数日の三毛の概況が書かれていた。

 あの大通での騒乱から五日が経とうとしている。

 三毛がメールを送信して、しばらくのち。冷めた缶コーヒーを飲んでいたところで、三毛の携帯電話が鳴った。通話アプリが起動した画面には、N.MIGIWAと表示されていた。三毛は画面をタップして応答する。


「めんどうな段取りを踏むねえ」


 ノイズに紛れて、汀の声が聞こえてきた。




 雪下ゆかなことユカノシタ先輩に助けられて大通駅から脱出した三毛と白猫は、そのまま彼女の管理する札文大附属図書館の隠し書庫に居候している。

 あの決別の後、よもや旭京が庇ったことなど露も知らないため、鴉天狗らの追跡を恐れたのだ。

 悪いことに、白猫が人間へと変化出来ない、という理由もあった。人外は人間の社会に隠れ住んでいなくてはならない。原因の解明には、雪下ゆかなが、

「なんとかしようじゃないか」というので、三毛は任せている。




「念には念を入れて、ってところですね」


 三毛が汀と連絡を取るために使ったのは、暗号化メールサービスだった。インターネット通信による情報交換が監視されていることは既に知られている。政府や特定企業からの妨害を避けるためにジャーナリストの間で普及しているこの技術について、汀はかつて雑談としてゼミの中でしゃべったことがあり、三毛はたまたまこのITサービスのことを覚えていたのだ。


「君の天狗の知り合いにも困ったもんだね」


「僕としては、この騒動を起こしたアホを恨むところです」


「そんなものかい」と苦笑まじりに返した汀は、本題へと話を移した。


「送って貰った要約を読んだけど、まだ第1章までしか読んでないんだね。僕はもう読み終わったよ」


「まじすか」


「マジだよー。これでもアメリカ外交の研究してるからね、英語文献ぐらいはそれぐらいで読まないと」


 語学を専攻した身として三毛は恥ずかしい限りだと思った。


「でも、まあ、僕が読んだところだと、今回のテーマに関係あるのは一、三章ぐらいかなあ」


「二章は飛ばしてもいい、と?」


「うん、あんまり良い読み方じゃないけどね。情報を抜き出すためには必要なことかな」


「了解です」


 そのとき、ふと汀が気になったこととして訊いていた。


「ところで声、少し枯れてない?」


「ああ……。通信が悪いのかも知れませんね」


 三毛はまだ、人外としての獣面をさらしたままだった。


「ところで、このあとはどうしましょう? 三章を読んでそのまままとめるか……」


「そこがキモになるはずなんだよね、日本の龍の話をしているから」


「え、そうなんですか!?」


「しかもそれ、北大の先生から聞いた話として出てるんだよね」


「えっ、えっ!?」


 北大とは当然、北海道大学、札幌市北区にある国立大学であり、天狗、旭京が通うところでもある。


「え、はっ……。 ちょっと待って下さい!?」


「うん、待つよ?」


 ひとしきり狼狽した三毛に苦笑しながら汀は応えた。


「もしかして……。もしかして、ですけど!?」


「うん」


 愉快そうな汀の声音に三毛は嫌な予感を覚える。


「三章まとめたら、インタビューにいったほうがいいかもしれないって話だったり……?」


 汀は少し笑って、


「わかってるじゃん」


 声を荒げようとして、三毛はなんのために深夜のサークル棟に忍び込んだかを思いだしてグッと堪えた。代わりに、小声で、


「マジすかあ……!?」と確認。


「マジだよー」


 汀は続ける。


「書いてあることは、まあ読んだらわかるんだけど、その先生は子どもの頃に龍を見たことがあるって話をしてて、それをきっかけにアジア圏の龍について研究をしてきてるんだよね」


 三毛は頷いて、


「そこに書けなかった、あるいは書かなかった話を聞いてくることが目的って話ですね」


「そのとーり」


「気が重い……」


「べつに天狗の子と会うわけじゃないのに?」


「あいつは大学近くの寮に住んでるって、以前に言ってましてなあ……」


「あー……」


 ここに来てようやく汀も三毛の態度に得心いったようだったが、


「まあ、頑張って見つかんないようにしな?」


 あくまで他人事だった。


「……了解です」


 三毛の憂鬱はなかなか晴れそうになかった。

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人外の学業;龍についての卒業研究 小柳三毛 @mike-koyanagi-westhil

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