只野白猫という人外

 三毛夜叉夫と只野白猫は大学で初めて知り合った。郷土史研究会という名簿上の名前はほとんど幽霊部員というこのサークルで先輩後輩の関係になったふたりは、互いに化け猫の係累であることを知って、親近感を持つよりも危機感を持った。互いに抱えた秘密を、同族ゆえに感じうるからだ。

 それぞれの秘密を開陳することでしか三毛と白猫は互いに気兼ねしない関係を作った。だが、歩みよるには2年を要した。


「で、お前は俺がくっちゃべってない話をしちゃったわけか」


「いや、ほんと、すいません……」


 狸小路商店街から創成川を渡った二条市場の向かいに、ビアバー北島はあった。1階はシンプルにカウンターだけ、2階に二人掛けのテーブルふたつ、四人掛けと六人掛けがひとつずつ、というそこそこの広さの店で、江別にある醸造所で造った自前のビールで有名だった。

 その2階の丸テーブルを挟んで三毛と白猫は、向かい合っていた。三毛はほとんど俯いている。


「これが汀さんなら、『きみってホント詰めが甘いよね』ってなじるところだよな」


 汀直樹から直接教えを受けたことはない白猫だったが、その言動は三毛からよくよく聞いていて、鈴川の知る「ゼミの先輩」然とした実力を持つ前の叱られた話を覚えていた。

 白猫は“北島”謹製のヴァイツェンを口にしている。小麦を使ったスパイスの効いた白いエールだ。


「その言葉はマジで効くから止めて下さいよ」


 三毛の前にはブラウンエールが置いてある。ふつうのコップより少し大きい程度のサイズで、あまり減っていなかった。


「こっちはマジ怒ってるんだよ」


「申し訳ありません」


「まあ、ユカノシタさんの強引さはわかるけどな」


「そうなんですよ」と三毛が受ける。


「オマケに、あの身体でどこをどういうふうにしてあんな馬鹿力だしてるんだか。わかんねーっすわ」


「あの人、俺らより人外度高いからな。閉架書庫だってあの人に隠されてるようなもんだし」


 一口、グラスに口を付けた白猫は、


「だからって、お前を簡単に許しはしねーけどさ」とオチをつけた。


「そりゃ、そうですよね」


「恥ずかしいから言わなかったことをさー」


「恥ずかしいから」


「恥ずかしいだろ。大食漢の化け猫ってだけだったらまだしも、それが自分に猫以外の血が流れてるからってのは」


 白猫はまた一口。グラスのなかの白いビールはもう半分もない。


「あの人から『養ってやろうか?』って訊かれたときに、茶化して返してな。そっから気まずいんだよ」


 雪下ゆかなと会わない理由を口にした白猫に、三毛はジト目で、


「白猫さん、それ、サイテーじゃないっすか」


「なんで?」


「ノリで言っててもガチな類の発言では?」


「いや、ねーだろ。ユカノシタさんだぞ」


「ユカノシタさんだからですよ」


 三毛は、雪下ゆかなを自分の感情を誤魔化しながら表すタイプだと見ていた。


「いや、断じて、ない。そもそも情けなさで死ぬわ。ヒモになってたところだ」


「フランスでいうところのジゴロってやつになりますな」


「あれは娼婦に食わせてもらってるやつだよ。情けなさに情けなさが乗っかってる」


「でも、今の白猫さんは、家族に食わせて貰ってる……」


「それはそうなんだけどな……」


 白猫はグラスに視線を落として、


「他人に食わせて貰うのとじゃ、情けなさと申し訳なさが加速する」


 只野白猫は化け猫である。血統書はないが三代は続く化け猫である。彼の祖父――彼に一族の由来を話してくれた愛すべき老人が、人虎と呼ばれる虎の人外であったことを除けば、その種別になんの変哲もない。

 事実、彼の父も彼の母も特段変わったところのない一個の化け猫であった。白猫が生を受けてのち、その身体に真っ白い体毛にちなんで名付けられたが、名付け親にもなった祖父にはいずれ見えるであろう縞模様のことを知っていたかどうか。

 白猫にも、また白猫の両親にもそこのところはわからない。白猫が小学校に上がる頃、彼の祖父は故郷見たさに家族にも知らせず船で密航した。人外の出奔はまずもって許されないが、只野一家にお咎めはなかった。その行方が判然としなかったことで、行方不明ということで決着したのだった。

 白猫にとって、祖父ゆずりの体格と化け猫よりも強い力は持て余すものだった。彼の祖父は兵隊だったが、力を振るうことに怖ろしさを感じる白猫にその道は進めなかった。しかし一方で、人間の社会のなかで一人の人間を装うには、これもまた力が大きすぎた。白猫にとって人間への“変身”は億劫そのもので、3メートルに及ぶ体高を人間の身体に押し込めることには多大な神経を割いた。


「白猫さん」


「うん? なにさ」


 三毛は白猫の頭を指差して、


「耳が出てます」


「お、すまん」


 白猫はパーカーのフードを被って、頭頂に突き出た丸い耳を隠した。その程度で損なう聴覚はしていない。

 アルコールは彼の身体に毒であった。ハーブのような嗅覚を刺激するものもまた不得意であった。後輩から進められたビールの味は格別であったが、彼自身の集中力を削ぎ日頃の不断の努力を水泡に帰す破壊力もまた、あった。

 三毛も同じような苦労をしているが、あるビアバーで正体がバレそうになったとき、旭京に助けられて以来、いっそう気を付けるようにしている。旭とその時知り合ったことで、三毛は札幌の人外たちに避けられるようにもなったが。


「なんかしんみりしちまったわ」


 白猫は空になったグラスを置いた。


「もう一杯飲みます?」


 三毛の手にあるグラスの中には、もう薄く見える程度にしか黒いビールは残っていない。


「いや、帰るわ。晩飯には間に合わせて帰るつもりだったから」


 白猫は立ちあがった。


「とりあえず、鈴川には誓約でもなんでもしてもらって、絶対にしゃべらせないようにしておけよ」


「後輩を信用してない先輩のお手本のようなことをおっしゃいますね」


「信頼してた後輩が秘密を漏らしてるからな」


「本当に、すいません……」


 もう何度目かわからない謝罪をして、三毛は階下に会計を頼んだ。

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