第10話 ファースト・ミッション

 専用デバイスを装備しての格闘訓練、そして魔法の発動。

 加えて限界を超えたフィジカル面での特訓。

 銀髪の元ヤン、桐丘郷によるしごきは熾烈を極めていた。

「おらおらおらおら、ナメてんのかゴルァアアアアアッ!!」

「なんだなんだなんだ、この出来損ないがぁッ!!」

「根性ねえのかよ、この腐れチキンがッ!! タマついてんだろうがアアンッ!?」

 少しでも動きが鈍れば足で蹴られる、グーで殴られる、ビンタが乱れ飛ぶ。

 茜のおかげで肉体的な暴力には多少の抗体がある大地ではあったが、情け容赦ない罵倒との組み合わせは初めてで、精神的に堪えきっていた。

 あたかも大地をいじめ倒して追い出そうとしているかのような苛烈な責めが毎日続いていたのだ。


 百人ほどの構成人員を持つ株式会社クリーン・スイープは、全員が暗殺者集団“ノース・リベリオン”のメンバーではない。大半の社員は裏の顔を露とも知らず、会社が単なる既得権受益者であるとしか認識していなかった。

 暗殺者集団という真の顔を隠すために、会社は暗殺者とそうでない者の部署をはっきりと区分けし、メンバーと非メンバーのコンタクトを極力減らすようにしていた。

 その結果、大地は昼も夜も桐丘郷の指導下に置かれるという救いようのない状態にあった。

 しかも相手が誰であれケンカ上等を地で行く茜が、郷のしごきに対しては大地を守ってくれないのだ。それどころか、最近は大地を避けているような素振りすら感じられる。

 大地は孤立感を深めていた。

 それでも茜を助けるという決意に揺らぎはなく、その想いだけでつらい仕事にも訓練にも耐え抜いているのだった。


「ミンナー、注目ゥウウウウウ!」やたら軽薄そうな甲高い声で、社長が嬉々として宣言した。「期待の大型新人、赤羽大地クンの初出動が遂に明日となりましター」

 昼間の勤務を終えてからの訓練開始直前。

 先日の宣言に変更がないとわざわざ皆の前で明言しにきた社長。

 暗殺者達が困惑しながら、大地を注視していった。

 アルファたちエースチームが斃されたというのに、社長はずっと大地のことで浮かれたままで、ことあるごとに大地の話ばかりしていた。

 これまでの活動で最大の貢献をしてきた三人への弔いも、感謝の言葉もないままに。

「茜クンが持っていた最短記録をあっさりと更新して、衝撃のデビューッ! これは盛り上がってきましたよォオオオオオ!」

 社長はバイザーを装備したままの大地の横に立ち、その肩をわざとらしくバンバンと叩いた。

「ガンバッて、エースを目指してくださいネ、大地クン」

 ご満悦という表情でそう言い残すと、社長はクルリと体を反転させてスキップしながら訓練スペースから出ていった。あたかも周囲の憮然とした空気を愉しんでいるかのように。

 大地はバイザー越しに微妙な空気を感じてしまう。

 これまで他人の視線を無意識に排除してきた大地ではあるが、その場にいる全員のオーラが不自然なまでに揺らいでいる。さすがにこれは意識せざるを得ない居心地の悪さだ。

 

「“ハイドロ”が持っていた四週間という記録を塗り替えるなんて、たいしたものじゃないか?」

 その場で浮いている大地に話しかけてきたのは、同じ班の青山という青年だった。

 髪を金色に染めていて、育ちのよさそうな顔立ち。

 鼻にかかった声がある種の人間に反感を植えつけてしまう。

“ノブルス”というのが彼のコードネームだ。

「えっ? 茜姉ぇの記録なんじゃ……?」

 青山はフッと鼻で笑う。

「社長の記憶力は時としてひどく偏りがあるものでな。気にしないでよい」

「はあ……」

「ま、いずれにせよ我が輩の足を引っ張らないように、頑張ってくれたまえよ」

 青山はキザな笑みを浮かべてから、社交ダンスのようなステップで去っていく。

 彼が貴族の第二子であることは、茜から聞かされていた。

 社長の理念に共感し、恵まれた環境を捨てて暗殺者集団に志願してきたという。

 だが量子デバイスの適性は、辛うじて魔法が使える程度のレベル。

 貴重な適応者であることに変わりはないが、公安相手の実戦では力不足は否めない。

 そのため魔法レベルが低くても通用する処刑者=エグゼキューター役を任じられていた。

 簡単に言えば、無抵抗の相手を殺害するという役割だ。

 組織に加わってから日は浅いが、最初の警察官僚を皮切りに既に四人も殺害していた。

 青山はその任務をむしろ誇りをもって受け入れていた。

 相手が貴族とはいえ、直接に命に手をかけるのは相応の精神的な負担を伴う。

 高貴であるからこそ、その心的苦痛に耐えられるというのが青山の考えである。

 誰かがやらねばならない汚れ役を率先して引き受ける――

 青山はそれをノブレス・オブリージュと表現し、自らのコードネームもそこから取っていた。

 もっとも、その鼻持ちならない態度のせいで大抵の人間から反感を買ってばかりなのだが。

 その代表例が桐丘郷だ。

 二人は昼間の勤務も同じ班なのだが、仲の悪さが高じて業務に必要な会話すら交わそうとしていないのだった。


 不愉快そのものという表情を隠そうともしないのは、その銀髪細マッチョの元ヤン、桐丘郷。

「とうとう新人くんに抜かれちまったな?」

 などというからかいの言葉はそのまま無視して、唇を噛む。

 誰にも聞かれないように声を押し殺す。

「ったく、ナニ考えてやがんだよ、社長――ッ!」

 そんな郷の震える指先を心配そうに見つめていたのは、茜ただ一人だけだった。


 翌日。大地に初のミッションが言い渡された。

 ターゲットは元厚生労働省の審議官。

 本来ならばエースチームが狙うはずだった対象だ。

「相手は赤坂恭一郎あかさかきょういちろう

 ブリーフィングをおこなっているのは、隊のリーダーである郷だ。

「厚労省の審議官時代に汚染された血液製剤の存在を知りながらも、故意に見落としていた」

「それって……」茜が驚いた表情を見せる。

「ああ。ノンキャリ職員の失態として大問題になった事件だ。貧困層向けに出荷された血液製剤がHIVウィルスに汚染されていて、無駄に病人を増やしていった。しかも対策が遅れに遅れたせいで重篤な患者を何十人も出しちまった。だが、コイツには真の元凶がいたんだ」

 赤坂は被害が一部で問題化すると、責任を下級役人になすりつけ、せっせと証拠隠滅に勤しんできた。

 ノンキャリアといういくらでも叩けるスケープゴートを与えられたメディアが嬉々として視聴率争いを演じているさなか、赤坂は密かに退官して規定通りの退職金を受け取る。しかも官舎に無賃料で居座ったまま関連団体へ再就職。そして官製貧困ビジネスで質の悪い薬剤を下民向けに流通させ、巨額のマージンを天下り団体にもたらしていった。彼の業績により、天下りの席が三つも増えたとして、厚労省内部では英雄扱いとなっている。一方で血液製剤の汚染問題は、同省では都合よく忘れ去られていた。国民のためになる仕事よりも、国民を犠牲にしてでも天下り先を増やす。そのような省に貢献する人間こそが尊敬を受け、目標とされる。赤坂は老後の幸福を約束された功労者だった。


 ひととおり対象についての説明を終えると、郷は大地を威圧するように睨みつける。

「なんでこのタイミングで、こんなド素人を入れなくっちゃなんねえんだよ!?」

「郷……」

 茜の弱々しい抗議を完全に無視すると、郷は怒りを撒き散らす。

「まったく、社長の考えがサッパリ分かんねえよ。エース三人を殺されたってのに、ひと言もナシだぜ? それどころか新入りのことで浮かれたまんま。まだド素人なのに実戦投入なんて正気の沙汰じゃねえよ。役立たずを庇わなくっちゃなんねえオレらの身になれってんだ。……それに最近じゃパワハラの噂だってあるし。あの常磐って秘書が毎日暴力を振るわれて――ッ!?」

 郷の言葉が強制的に止められていた。茜がその胸ぐらを締め上げていたのだ。

 郷よりずっと背は低いはずなのに、茜は腕一本で郷の足を浮かせていく。

 逆らうことを微塵も許さない、底なしの憤怒をもって茜は郷を睨めつけていた。

「社長の批判は許さない――っ!!」

 殺意を感じさせる怒声が、その場にいる全員を硬直させる。

 燃え盛る炎のように情熱的な瞳が、怒りの感情をこれ以上なく撒き散らしていた。

 その迫力は郷の憤りを完全に呑み込み、まるで捕食動物に睨まれた小動物のように郷はピクリとも動けなくなっていた。

「アンタだって社長に見出してもらったから、今があるんじゃないの!? その恩を忘れたっていうの!? 中卒でくすぶってるだけのアンタに目標を与えてくれたのは誰だと思ってるのよっ!! それに――」

 一気にまくし立てると、茜は少しだけ冷静さを取り戻していった。

 ゆっくりと首を絞めている手の力を緩める。

「こういう状況だからこそ、新しい希望が必要なんじゃないの?」

 訴えるような口調で郷に問いかけた。

「希望……?」

「確かにあの三人は絶対的なエースだったし、失ってしまったのは痛手だわ。でも、だからって悲しんでるだけじゃダメ。止まってなんていられないじゃない、ウチらは」

 茜はもはや郷を見ていなかった。

 その視線は郷を越えて遥か遠くに吸い寄せられている。

 まるで何かに取り憑かれてでもいるかのように。

「官僚貴族を、根絶やしにしなくっちゃ……」

 いつの間にか消えていた怒りの表情に置き換わって、能面のような無表情。

 それでいて思い詰めているかのような余裕のない瞳。

「根絶やしに……根絶やしにしなくっちゃ。ヤツらを根絶やしに……」

「茜姉ぇ?」

 透きとおった大地の声に、茜はハッとして我に返る。

 郷の胸元から手を離すと、茜は大地を呼び寄せて、その赤い髪に手を置いた。

 そうやって、自分を取り戻していく。精神のバランスを保っていく。

「この子はウチらの組織を引っ張っていくだけのポテンシャルがあるのよ。社長はそう言ってたし。ウチも、そう思う。この圧倒的な力はゼッタイに組織の助けになる。希望になるのよ。失ってしまった三人の代わりに……」

「で、どもよ……」弱気になりながらも、しかし自説を曲げられないでいる郷。

「イヤなら降りてもいいんだけど、ね」

 論争に終止符を打ったのは、青山のキザったらしい物言いだった。

「どっちみち対象を殺すのは、この我が輩なわけで」

 鼻にかかった青山の声に、郷はギリッと歯噛みをして憎悪の視線を向ける。

 育ちがまるで違うこの二人の相性は最悪のひと言。

 衝突を通り越してお互いに無視し合っているさまを、たった数日で大地は散々見せつけられてきた。

「いずれにしても、社長の命令通りだ。これに変わりはない」

 郷は大地を恫喝するように声を低くした。

「新入りは茜の後についていけ!」


* * * * * * * *


 銀髪の元ヤン、桐丘郷をリーダーとした襲撃班はボックスカーに乗りこんでいった。

 郷以外はそれぞれが漆黒のミリタリースーツにボディアーマーを纏う。

 そして郷はというと、全身を包み込んでいるのは要所要所に防御シールドを装着した、油圧モーター稼働の外骨格パワードスーツ。その気になればちょっとした家屋くらいは一瞬で破壊できるほどのパワーを誇る、組織随一の破壊装置だ。

 このパワードスーツは、威力の強さ故に通常時の移動や仲間の救出といった活動には繊細なコントロールが必要とされている。桐丘郷は魔法こそ使えないものの、量子ブーストによる超感覚で微細な操作をやってのけていた。通常の量子デバイス適応者がこのパワードスーツを装備していたら、ボックスカーに乗る前にクルマそのものを破壊してしまうくらい、ピーキー過ぎて扱いが困難な機体だ。そんな装置を郷は呼吸するかのように自然に扱っているのだった。

 ボックスカーの荷台スペースに乗りこんだ郷に向かって、茜が厳しい声を投げつける。

「“ハイドロ”っ!」ミッション中であるため、名前ではなくコードネームで呼ぶ。「社長の批判はウチが許さないからね」

 郷はチッと舌打ちをしながら低い声で応じる。「分ぁたってんだよッ!」

 すると茜は態度を一変して隣のシートに座っている大地の頬に掌を当てた。好戦的な顔付きが、一瞬にして慈愛を帯びた優しさに満ちていく。他人からすれば唖然となるほどの変貌ぶりだ。

「大地、ミッションの内容は理解してる?」

 深緑色の瞳で、頼もしい茜を見つめたまま大地はゆっくりと首肯する。

「対象は再々就職するから近いうちに住所が変わってしまうかもしれない。だから、やるなら今しかない。官僚の“渡り”については、知ってるでしょ?」

「う……ん」自信なさそうな大地の返事。

「天下りをした官僚は、再就職先には何年もいないわ。すぐに別の会社とか公益財団法人に移っていくの。たった二~三年しかいないのに、それもたいした仕事もしていないってのに多額の退職金をもらって、別の組織に迎えられていく。もちろん高い給料で、それなりの役職で、でも次の職場でも碌に仕事なんかしない」

「うん」

「そうやって天下り後に退職金をもらって、転職して、また高額な退職金を受け取ってから別の仕事についていく。それを繰り返していくのよ、貴族たちは」

「それが、“渡り”……?」

 そう、と茜は頷く。「もちろん、そのお金がどこから来るかというと、税金だったり、バウチャー取得企業の利益だったり――国民のために使われるはずの財源よ。手を変え品を変え、低所得者へ回される分が削られて、貴族の贅沢に回されているのよ。……今回の対象は、そんな貴族の象徴的な存在。しかも下民を食い物にしてきた悪鬼。ゼッタイに許せないわ」

「うん。分かったよ、茜姉ぇ」

 そこで茜は心配そうな目をしてみせた。

「気になるのはアルファチームを壊滅させた公安の新戦力ね。戦闘ログからは“ホワイト・メア”ってのが新手みたいだけど。いったいどんな戦い方をするかまでは拾いきれていないの」

「いいか、新入り」

 話に割ってきたのはいつも以上に低い、ドスの利いた声を響かせる郷。

「負けたら頭ごと吹っ飛ばされる。つまり、首ナシだ」

「――ッ!」

「それが公安のやり口だ」言って郷は親指で首を切る仕草をして見せた。

 すると郷の言葉を茜が引き継ぐ。

「たぶん、テロリストを裁判にかけたくないのよ。ウチらは存在しないことになっているから。それで拘束した瞬間に量子デバイスごと消去してしまうの。頭を吹き飛ばすという残忍な殺し方で――」

 だから、と郷は続けた。

「ちょっとでもヤバくなったら、全力で逃げろ」

「に、逃げる?」意外なひと言に、大地は思わず繰り返してしまう。

「今のオマエじゃあ、そこまでの相手に敵うハズがねえ。だから、危険を感じたらその瞬間に逃げるんだ。全力で――見栄も外聞も捨ててとにかく逃げきるんだ」


 やがてボックスカーが官舎の近くへと到着する。

 ゆっくりと後部ドアが開き、強化外骨格パワードスーツが静かに路上へと降り立った。

「不確かなるかなその在処、朧気なるかなその移ろい……。いずこに、いかように、されど宜なるかな捉えること能わざるなり――――惑」

 同時に“幻影”こと茜が量子魔法を発動。セキュリティシステム内の時間の流れが停止する。

 そうしながら彼女は、左手首に巻かれた装置の状態を確認した。

“ノブルス”は自らを鼓舞するかのように、薄っぺらな笑みを自身に強いていく。

 大地を含む四人は、音もなく官舎の裏口へと向かっていくのだった。

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