第9話 専用デバイス

 数日後、訓練中に声をかけられた大地は訓練用スペースの奥にある研究室に入っていった。

 彼を呼び出したのは主任研究員の西台高志にしだいたかし

 研究員が暗殺者集団“ノース・リベリオン”の実行部隊メンバーに直接声をかけるのは珍しいことだった。それも主任自らとなると尚更である。

 先日は社長直々に紹介されたのだが、いかんせんタイミングが悪かった。主力のアルファチームが壊滅した翌日だったのだ。

 霞治郎社長は死亡したメンバーに対して弔いの言葉を述べるどころか、まるっきりそのことがなかったかのように振る舞っていた。嬉々として大地を紹介し、彼に対する微妙な空気を作ってしまっていた。

 それに加えての今回の呼び出し。

 大地がいかに特別視されているのかが否が応にも強調されてしまう。

 悪目立ちしてしまった大地を心配そうに見守る豊島茜。

 そしてそんな大地を凄まじい勢いで睨みつけているのは銀髪元ヤンの先輩、桐丘郷。


「し、しつれい……しま……ます」

 大地が研究室に入ると、主任研究員の西台がモニターを凝視していた眼を大地に移す。

 二~三ヶ月ほど床屋に行きそびれたままなのか、やや鬱陶しい長さに伸びてきているボサボサの髪。

 無精ひげ、角張った黒縁メガネ。

 木訥とした雰囲気を醸すこの男は、大地について思考を巡らす。

 赤い髪と深緑色の瞳。日本人離れした容貌は、話によると東欧の血が入っているとか。

 情報は茜からも入っていた。

 大地は人の顔を憶えられないのだという。

 彼が識別できるのは限られた身内と敵対的な存在に限られる。

 その文脈で考えるならば、間違いなく彼は自分が誰であるかよく分かっていないはずである。

 或いは、状況から自分が主任研究員であるという判断はできているのかもしれない。

 しかしこの場にいるのが西台ではない他の人間であっても、大地にはその違いが分からないのだろう。

「おっと、いかんいかん」

 慌てて首を横に振る。

 普段の習慣で、分析対象をついついじっと見つめてしまっていたのだ。

「楽にして」

 西台は自分のデスクの前に置かれた椅子を指差した。

 大地が遠慮がちに座ると、再び視線をモニターに向かわせる。

「デバイス酔いはもう大丈夫かな?」

「はあ、もうほとんどは……」

 ひとつ頷くと西台は笑みを浮かべた。どこかぎこちなく、不器用な笑顔だった。

「この短期間で量子デバイス酔いを克服しているのは驚異的だ」

「はあ……」

「通常はデバイス酔いが始まるのは装着して四~五日程度。それでデバイスに慣れるのにはそれから二~三週間だ」

「そうなんです……か」

 いつまでも緊張したままの大地に、西台は思わず笑いそうになっていた。

「そんなに緊張することはない」

 言ってもう一度不器用な笑みを浮かべる。

 愛想を振りまくということが西台は苦手だった。相手が十五の少年であってもそれに変わりはなく、西台は困ったように腕を組んだ。自分の物言いはぶっきらぼうに過ぎるのだろうか。

「さて、本題に入ろう。既に社長は君の実戦投入を宣言してしまった。言った以上、社長は必ずそうするだろう。だから僕たちも準備しなければならない」

「は……い」

「本来ならもう少し君の敵性を見極めたかったのだが、やむを得ない」

 言って西台は立ち上がり、デスクに置いてあった量子デバイスを手に持った。

「大地くん専用にモディファイしたデバイスだ。付けてみてくれ」

 そのデバイスはハウジング自体は同じエンターテイメント提供型のものなので、外見上の違いはまったくなかった。重量は少し重いくらいで、これも大差がない。

 しかし装備した瞬間、大地にはその違いがはっきりと分かった。

 思わず眼を回しそうになってしまう。

「これまで装備してもらっていた量子デバイスより、格段にスペックを上げている。……というかリミッターを絞っているというのが本当のところだ」

 新しいデバイスは処理能力が格段に上がったことで、演算の規模も大幅に拡大した。

 それはつまり、同期している並行世界の数が圧倒的に増加したということである。

 デバイス酔いは、常に並行世界を認識することによってもたらされる。

 自分自身が存在する世界と、ほんの少しだけ異なる並行世界。その微妙な違いが感覚のズレを発生させ、あたかも乗り物酔いになったような気分にさせられてしまうのだ。

 今の大地は乗っている車の振動が急激に激しくなったようなものだ。

「だが違うのは処理能力だけじゃない」

 言いながら西台はデバイスにバイザーのようなものを取り付けていった。

 表面は鏡面加工されているが、裏側は真っ黒なシールドだ。

 顔いっぱいを覆うシールドのせいで、大地の視界はほぼ完全に塞がれてしまった。

「我が国の量子デバイスは、BMI=ブレーン・マシーン・インターフェイスを採用している。簡単に言うと脳波を計測してそれをコマンドに変換するという作りだ」

「はあ」

「これとは別にBCI=ブレーン・コンピュータ・インターフェイスという方式もある。こちらは脳に電極を埋め込んでそこから情報のやり取りをおこなうわけだ」

「脳に……」

「脳に機械を埋め込んだ際の影響というのは現在でもはっきりとは分かっていない。安心・安全を信奉する和が国においては、BCIは忌避されている。感染症やハッキングの懸念があるからな。結果として脳波によるやり取りがただ一つの選択肢になっているわけだ」

「はあ」

「ところがBMIにも欠点があってな」

「欠点……ですか?」

「IOで言えばOUTしか持っていないというところだ。つまりコマンドは出せるがフィードバックを得ることができない。デバイスは脳波からの受信のみという一方通行になっているわけだ」

「……」

「だから使用者がフィードバックを得るためには視覚情報や音声情報が必要になる。量子デバイスが目と耳を塞ぐ形になっているのはそのためだ。カメラやセンサが得た情報をバイザー裏側のプロジェクタに表示させて視覚的な情報を与えると同時に、音声での情報も提供される。例えば、必要な音だけ聞き分ける機能とかもそうだ」

「はあ」

「ただ、君が付けているデバイスはそうではない」

「……?」

「BMIを発展させた方式を採用していて、脳波への干渉を通じてフィードバックを君に与えているのだ」

 まるで理解が足りていないように、大地は頭を傾けた。

「論より証拠だ」

 西台はデバイスの拡張機能を作動させる。

 すると、真っ暗だった大地の眼に周囲が映るようになっていった。

「――ッ!」

 今、大地の前に拡がっているのは、見たこともない光の海だった。

 様々な色が解け合い、それぞれのエネルギーが溢れている。

 それもプロジェクタに投影された映像ではなく、大地の脳がそうであると認識している光景だ。

「どうだ?」

 声に反応して、大地は西台へ眼を向ける。

「あ――ッ!」

 西台の周囲が柔らかく光っているように見えてしまうのだ。

「僕の周囲に淡い光が見えるか?」

「は……い」

「それは人間が発する微弱な電磁波だ。一般にはオーラって呼ばれている。……これは個人を把握する重要なキーになり得る。例えば戦いの場で敵と味方を見分けることができるようになるわけだ。もちろん、それぞれのオーラのパターンを憶えておければだが」

「す、すごい!」

 大地は強弱入り混ざった光の海にただただ圧倒されていた。

「人間の眼には三種類の錐体細胞しかない。赤・緑・青、つまりRGBだ。この三色の組み合わせで様々な色彩を区別することができるようになっている。だが今大地くんはその四倍の錐体細胞による視界を体験してる。可視光以外にも赤外線や紫外線、それどころか電波さえも見てるはずだ。これはカメラ越しのプロジェクションでは再現ができない。センサーからの情報を直接脳に放り込むことによって、初めて識別できるようになる世界だ」

 驚愕的な光景に立ち竦む大地。

 その視覚野に拡がっているのは、人間が見ることのないはずの電磁波の織りなす光景だった。電波や紫外線が複雑な流れを見せ、何の変哲もない部屋を幻想的な空間に置き換えてしまっている。しかも色の微妙な変化も段違いに細かく見えているのだ。

「もし今の君が虹を見たら、そこには七本の帯ではなくて完全に純粋な色彩のグラデーションが映ってるだろうな」

 可視光以外の電磁波が見えるというメリットは、戦いにおいて極めて有用だ。

 極端な話、物陰に敵が潜んでいることも、そしてそれが誰であるかも、発せられる電磁波によって判断することができるようになるのだ。

 しかもそれは、暗闇の場にあっても変わりはない。

 暗殺という行為においてそれは、何物にも勝る武器となり得る。

 主任研究員の西台高志は付け加えた。

「今後は訓練中と自宅にいる間はそのバイザーをつけてくれ。短い時間で申し訳ないが、次はこの新しい装備に慣れてもらわなければならない」


 シールドを外してもらった大地は、具体的な使い方の説明を受けながらも西台の顔を懸命に見つめていた。

 顔そのものを憶えることはできなくても、各パーツからそれが誰かを判断することはできる。

 黒ブチのメガネと無精ひげ、やや伸びすぎているボサボサの髪。研究者の割には無骨そうな指と、指の背に生えている濃いめの毛、横に長い幅広の爪。そういったパーツの数々をまとめることで、それが誰であるのかを類推するのだ。そして、人によっては声で判断することもできる。

 もっとも、それは大地にとって多大な労力を要求する行為だった。

 そして、うまくいかない場合の方が多い。例えば学校の先生が相手だった時のように。

「あと、君のデバイスにはエンタングルメントという機能が組み込んであるが、これについてはまた日を改めて説明しよう」


 研究室から解放されたのは夜中に近い時間で、大地は帰路に就く。貨物用のエレベーターを待っていると、

「あ、お疲れさまです。大地さん?」

 絹のような柔らかな声に振り返ると、仕事を終えた少し太めの秘書が微笑んでいた。

「あっ、この前の、秘書の……人?」

「わぁ、憶えてくれたんですね?」

 常磐らいらは何とも嬉しそうに眼を細めた。

 思わず視線を下に向けてしまう大地。彼女の足首にはもう包帯は巻かれていなかった。

 着ているのはやけに窮屈そうな事務服ではなく、ユニ・ウェアのカジュアルな服装だ。

 ハッとした大地は顔を上げてから、もう一度らいらに眼を向ける。

 信じられないことが、今この瞬間に起きていた。

 ほとんど会話らしい会話もしたことのない他人なのに、顔を憶えることができていたのだ。

 しばらく呆然とした後で、大地はようやく口を開くことができた。

「顔……憶えられた。オレ、憶えられたよ!」

 それだけのことなのに、大地にはひどく嬉しく思えてしまう。

 だから、つい本音を洩していたのだった。

「今まで、身内と敵以外は顔、憶えられなかったのに……」

「身内と敵……ですか?」不思議そうにらいらは訊ねた。

「はい。茜姉ぇと舞と、翼が身内。で、ケンカを売ってくるのが敵。それ以外は顔がゼンゼン憶えられなくって」

「舞さんと翼さん……?」

「はい」大地は嬉しそうに頷いた。「舞は一緒のハウスで一コ下で、来年ここに来ます。それで、それで翼は、翼は、翼は……」

「うん」らいらの優しい声に背中を押されるように、大地は続けることができた。

「翼は、大切な身内……です。どんなに離れてても、どんなに……遠くても、大事な、オレには大事な身内……です」

 そして、その瞬間だけ、決然とした眼をして繰り返す。

「翼は大事な身内です――」

 それまでの気弱な雰囲気とはまるで別人格のようにはっきりと。しかし、自分自身にそう言い聞かせるように断定的に。

 大地が纏うどこか悲壮な空気に、らいらは思わず気圧されていた。

 どうすれば僅か十五歳の少年に、ここまで必死な雰囲気が放てるのか?

 まるで何かに追い立てられているかのように、大地は必死で懸命に過ぎるのだ。

「大地さん、あなたは――」らいらは声を震わせていた。

 中性的でいつも優しそうな表情をしている大地は、一見するとただの大人しい少年にしか見えなかった。だが、彼は茜と同じく施設出身の身。それがどのような境遇であるのかはらいらに知ることはできない。が、想像することは可能だ。

「ううん」そこでらいらは首を振る。「私がどうこう言うべきことではないわよね」

 でも、と言ってから彼女は優しく囁いた。

「あなたのこと、分かってあげられたらねって……」

 らいらの優しそうな瞳が揺らいでいた。

 その瞬間に眼を合わせてしまった大地は、そこで知るのだ。

 彼女は自分を心配してくれている。気にかけてくれている。

 何回も会ったことがないのに。ろくに会話もしていなかったのに。

 そんなまったくの他人に対して、心を動かしてくれている。

 それは奇妙で、不慣れで、しかし言いようのない感覚だった。

 否定することも拒否することもできない、大地にとって未知の感触なのだ。

「あ……」

 らいらが大地の肩に手をかけていた。

 優しい感覚。

 初めて会った桐丘郷のものとも、やたら指の長い社長のものとも異なる、どこまでも優しい温もり。

 慣れ親しんだ茜や舞とも違う、ちょっとドキドキするような気持ち。

 それでいてどこか安心してしまう、懐かしいような感じ。

「がんばってね」らいらが少し無理したように微笑んでいた。「私にはこんなことしか言えないけど」


「(……こういう時、なんて言えばいいのだろう?)」

 大地はその場で固まってしまっていた。

「また明日ね、大地さん」

 大地の困惑を知ってか知らずか、らいらは笑顔のまま手を振り、ゆっくりと歩いていった。

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