夜の王城で

「───では、おやすみなさい。アリシアさん」


「......うん。おやすみなさい」


ガチャン


 ───部屋から去っていく駿を微笑んで見送ったアリシア。


 その表情からは、喜びが感じられる。


「......これで、良いかしら」


 そうやって、両手をグーにして小さくガッツポーズをしたような行動をする。


「ふふっ......」


 先程のことを思い出すと、つい心が弾んでしまう。


───名前を呼ぶときは、二人きりの時だけにしてほしい。


 アリシアが恥ずかしさで熱く、破裂しそうになった時に、思わず口走ってしまった言葉。


 正直、あの時どういうわけか体が勝手に動いてしまい、駿の服の裾を掴んでしまった時にはバクバクと爆発音のような鼓動を響かせて、心臓がはね上がってしまった。


 しかし、何とか自分の今言いたいことを絞り出せた時、「確かにそうですね......まだ呼ぶのが慣れないというか......結構恥ずかしいですからね」と、駿は微笑んで応えてくれた。


「......これから二人きりの時は名前呼びかぁ......」


 思わず頬を緩ませてしまう。


 そんなことを思いながら、事務作業を再開させるために椅子に座り込む。


 羽ペンを手に取り、手を動かそうとすると、不意に


「───あ、でも」


......こ、これって二人だけのひみつとかになるのかしら......


 そんな考えが頭に過る。


「っ......!?」


 そう考えると、頬に熱が集まり始め、恥ずかしさで一杯になっていく。


な、ななな何を考えてるのよっ......今は一刻も早くゆっくり出来るように報告書をやっつけるんでしょ私!


「......!」


 一人でそんな事を考えながら、恥じらいを紛らすように、羽ペンを勢い良く掴んで目の前の報告書に没頭し始めるのだった。





= = = = = =





 アリシアの部屋を後にして、駿は自分の部屋に向かっていた。


結局、透明マントのことと屋敷で魔物堕ちしそうになった話できなかったな......まぁ忙しそうだったし、師匠が暇になった時にでも話すか......


 四階から自身のへや部屋がある二階まで、螺旋階段を降りていく。


 コンコンと靴音を静かな城であるため、余計に響かせながら、考え込む。


名前で呼べか......結局呼んじゃったけど師匠で慣れてからマジで恥ずかしかった......二人きりの時って指定してくれたときは嬉しかったわ~......だって人前で名前呼びなんかしたら本当に心の方がヤバくなってくる。絶対人前でキョドりたくない


 畏怖してると、不意に今日あった出来事が脳裏に過った。


「......」


 そして過った時には、心が温かくなっていた。




 ───今日一日丸ごと使った城下街での体験は、これから忘れることはないだろう。


 最初は伽凛と優真が夕香達三人を相手に、探り探りだったが、過ごすうちにあっという間に打ち解けていた。


 その変化は、伽凛を見ていれば分かることだ。


 知り合ったばかりではないが、まともに話すのは初めてだった夕香の事を最初は「安藤さん」と固い感じで呼んでいたのだが、いつの間にか「夕香ちゃん」と親しみに溢れた呼び方になっていたのだ。


 少し不安だった駿も、散策を始めて数時間後には、要らない心配だったなと、二人が楽しそうに話しているのを見て思っていた。


 たった一日で、これほど人間関係が変化していくのか。


 そんな驚きと、嬉しさが今沸き上がって来てるようだ。




「......さ、寒い」


 城はすっかりと静かになり、あれほど騒がしく───いや、盛り上がった食堂での出来事が遠い昔にあったことのように思えてしまう。


 龍二が牢番に連れていかれた後、駿にクラスメイト達はこれまで無視や、強要されたとは言え、してきてしまった数多くの嫌がらせの事を謝罪しに来た。


 駿はそんなクラスメイト達に、「......食べないの? 俺食っちゃうよ? 肉」と軽くあしらった。


 しかしその言動は、もう気にしなくていいという駿の真意が込められていて、また軽くあしらわれたクラスメイト達もそんな真意を理解して、静かに瞠目した。


 簡単には引き下がりたくない───というより、罪の償いをしたいクラスメイト達は「でも......」と、困惑した表情をそれぞれ浮かばせながら駿に苦言を申すように言ったが、駿は「......もういいんだよ。終わったことだし、心には残り続けるけど......それでもこれからは、それらを掻き消せるような量の思い出を作って行けば良いんじゃないか? 俺はもう過去の事を思い出したくないし、振り返って後悔するような馬鹿馬鹿しいことはしたくない。もう終わったんだ。だからまた始めようぜ。データ消去からのニューゲームだニューゲーム! ほら、そんなこと言ってる間に俺もう骨付き肉二本頂いちゃったぞ? あぁ~美味しいなぁ~勿体無いなぁ~」と、心からの笑顔を浮かべた。


 ───それからの食堂での盛り上がりようは、何度も言うが凄かった。


 まだ皆には戸惑いがあるものの、本人が許してくれた事には変わり無いため、これまで不本意に溜め込んできた罪悪感という重荷が消え去ったのだろう。久し振りに皆は晴れやかな笑顔を浮かばせて、解放感に満ち満ちていた。


 長い間、龍二、卓、剛一の三人がクラスの実権を力で握ってきた。


 だがそんな独裁者達は、虐めてきた駿自身の手で表舞台から姿を消した。


 そんな革命を起こしたような爽快感で、罪悪感からの解放感でこれまでにないほどに盛り上がった。





 クラスメイト達とはすぐ打ち解けて、全員と友好な関係を築けた駿。


 苦しみを乗り越えて、駿はやっと最高な青春を送ろうとしている。


「今日は......俺にとって最高な日だ」


 月明かりが照らす長い廊下を一人歩きながら、呟いたその言葉。







「───ふ~ん! 良かったねっ! アリシアの可愛い弟子君?」






 その言葉は誰かに聞かれていたのか、駿以外誰一人とて近くに居ない筈の廊下に、出所不明な女の子の声が響き渡った。


「え......」


 少し驚きながら、周囲を見渡すも、変わらない廊下の光景だ。


 誰か居る気配さえ感じない。


 しかし、声がした以上、居るのは確実だ。


 声から思うに、10代の女の子。


 しかも、駿とアリシアの師弟関係を知っているため城の関係者だろうか。


「......」


「───確かシュンだっけ? 君、流石アリシアの弟子というだけあって、そのレベルでも強いね。指を見れば、剣を散々振ってきた証のタコが出来てるよ。凄く頑張ったんだね」


「......は?」


いきなり現れ、いきなり誉めてきやがったぞ......


「そしてこうしてる今でも、警戒を怠らないのも流石アリシアの弟子ってことあるね......」


「............誰? 迷子?」


 こんな時間に、しかも人気の少ない廊下で女の子の声が聞こえるのは、もはやそれしか考えられない。


迷子センター......は、あるわけないよなぁ


「親はどこだ? 一緒に探そうか?」


 心配して姿を依然として見せない女の子に、そう呼び掛けると


「私は子供じゃないっ!」


 と、大声で耳元で叫ばれた。


「───うわぁっ!?」


ってあれ......? 耳元? てかキーンと来たんだけど......


 不思議に思い、叫ばれた右耳の方向へ顔を向ける。


「ヘッ......?」


 そこには、寸前まで近付けられた端正な顔があった。


 いきなり視界にそれが入ってきたがために、驚いて胸が跳ね、掠れた悲鳴を上げる。


 ───アメジストのような透き通る大きくクリッとした紫の瞳。少女特有の可愛げとあどけなさが残る整った顔立ち。綺麗でサラサラな腰まで伸ばした黒髪は癖っ毛なのかは知らないが、少し内側へとカールがかかっている。愛らしさを昇華させるような黒いワンピースを着ているのだが、その上から白銀色の軽装をしていて、背中には華奢な体には似合わない、駿の長剣より少し刃渡りが短い長剣を二本交差させて鞘に差しているので、雰囲気からは不気味に感じてしまう。おおよそ14歳ぐらいだろうか。


 そんな少女は、駿に向かって小さい頬を膨らませて、鼻と鼻が少し動いたら触れてしまうのではないかと思うぐらいに顔を近付ける。


「......何ビックリしてるの」


「......い、いや......それはそうでしょ。いきなり現れたら誰だってこうなるぞ」


「ふーん......アリシアの弟子の癖に、ずっとすぐ後ろに居た私の事に気づけなかったんだぁ~?」


「......え? 居たの? ずっとすぐ後ろに?」


「うん。え......もしかして本当に言ってる?」


「お、おう。というか後ろもちゃんと見たはずなんだけど......」


「あぁ......そういうことか。───うん。君は悪くないよ。私がちょっと変な小細工をしたからだよ」


「......というか誰? いきなり現れて平然と話しちゃってるけど」


 思わず指を指しながら首を傾げた駿に、黒髪紫眼の少女は微笑む。


「私はデリア。アリシアの友達! よろしくね」


「は、はぁ......デリアね」


ちょっと待て。アリシアの友達ってだけで城に入れるもんなのか......?


 一応握手を促されたので握り返しながら、城の警備体制に些か不安が募る。


「で、今年で17才だから。子供じゃないから......子供扱いしないでください! 分かったぁッ? 分かったのかぁ? 分かってよぉッ!」


 と、言い聞かせるように胸に指を突きまくってくるデリアに対し、苦笑しながら「分かったから......というかそんなに乳首に集中砲火しないでほしいんだが。態となの? ねぇ?」と、デリアの魔の指から守るように両手で胸を隠す。


「え? 私そんなに弱点突いてた?」


 駿の言葉に、純真無垢な少女を思わせるように、あどけなく小首を傾げて聞いてきた。


くっ......なんか一気に下世話な話をしにくくなったぞッ


 しかし容姿の年齢は違えど、同い年であるため、気圧されずに突き通す。


「うん。マジでピンポイント。インターフォン早押しみたいだった」


てか乳首の事を弱点って言ってる時点で確信犯じゃねえか......


 仕返しに、現代日本語を主に使った返答をしてやった。


「......まーじでぴんぽいーんと? いんたーふおーん?」


 案の定、言葉の意味がわからないのか、ぎこちなく復唱するデリアに、どうだ小娘がといい気分になれた。


しかし...... 


 悩んでるデリアを見て、思ってしまう。


こうしてみると本当に可愛いな......


 アホ毛なのかは知らないが、一本の髪の毛を立たせてピクピクと動かしながら、人差し指を頬に突き、必死に考えるように少し上に視線を向かせて首を傾げている少女に、そう思ってしまった。


でも......背中の得物が怖い方向にいい味出してて、本当に不気味だ


 駿が少女から目を向けたのは、背中に差している二本の長剣だった。


 本当に無垢な少女にしか見えない美少女が、体に見合わない長剣を持っていること。


 これが、不気味に思ってしまう原因だ。


その細い腕で......俺でも最近やっと使い慣れた長剣を子供体型が本当に上手く扱えるのか?


 そんな疑問がより一層少女を不気味にさせる。


「で......えーとデリア......だっけ? 俺今日疲れたんだ。早く寝たいから用があるならさっさと言ってくれるか」


 未だに駿が放った現代日本語の事を悩んでいたデリアに、話を進めるように促した。


「ん? あぁそうだね。弟子君、いきなりで悪いんだけど......」


「......?」






「───模擬戦......しよっか?」










「......はっ?」


 ───照らす月光が普段よりか幾分か明るい夜の王城。


 殆どの者が寝静まった夜更けに、駿は王国序列三位の猛者に、模擬戦を申し込まれた。





 『双氷の裂剣』という聞いただけで大陸中を震撼させる二つ名がある。


 数少ない氷属性を自由自在に操り、攻撃だけで敵を圧倒する戦い方は、その二つ名を大陸中に知らしめるのには、充分な素材だった。


 それは先の大戦で、僅か八歳という幼い年齢ながら、数々の将の首を刈り取ってきた、最強の双剣使い───デリア・フロートの二つ名である。

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