05:ぬるり。くちゅちゅっ。じゅるるるっ。



「なっ――なにを馬鹿なことを……」


 女神様の声が震えた。

 もうこの手段しかない。そしてあわよくば女神様とえっちな――いや、そんな余裕はないけども。


 とにかく、キスの経験くらいは積まないことには、不安と緊張で死んでしまう。

 大丈夫。女神様は俺を見捨てないはず。このくらい、大丈夫なはず。

 大丈夫だよね?

 勢いで土下座したけど、怖くなってきた。

 けど、言ってしまったからには頼み通すしかない。



「キスもまともに出来ないんじゃ、追い出されるかもしれないです。もし俺が追い出されたら、女神様も困りますよね」

「くっ……痛いところを」


 あれ?

 言ってから思ったけど、なんか、微妙に脅迫っぽい?

 お願いしてるだけだし、違うよね?


 ギシギシとベッドが軋む。

 視界に、女神様の小さくて可愛い生足が入り込んだ。



「……わかりました。ただし、キスだけですよ?」


 えっ、マジで?

 ダメ元だったのに、頼んでみるもんだなぁ。

 顔を上げると、何故か睨まれた。


「じゃ、じゃあ、お願いします」

 俺は両膝立ちになって、目をつむった。


「って、わ、私からするんですか!?」

「お、お願いします……」


 きゅっと唇を噛みしめる。

 念願のキス。生まれてはじめの、キス。妄想の女の子でも、抱き枕の女の子でもない、生身の女の子を相手にした、キス。


「……どこまでヘタレなんですか」


 はあ、というため息の音。

 目をつむっていると、女の子の呼吸音だけでドキドキする。


「じゃあ、しますよ?」


 女神様の手が、俺の顎に触れた。

 来る!

 ついにキス童貞卒業の時!

 ドッドッドッドッド。




「汗がやばいです」

「ご、ごめん」


 袖で額と口を拭いて、深呼吸。


「では、お願いします」


 目を閉じ直した。

 心臓が破裂しそうなほど、激しく動く。生まれて初めてのキス。女の子の、スイーツみたいに甘くて柔らかい唇が、それも、ロリ系美少女の女神様の唇が今――。


 ――ちゅ。

 軽く、温かいものが触れた。


 ぬるり。くちゅちゅっ。じゅるるるっ。

 舌が、入ったんだと思う。

 唾液を吸われたような気がする。

 柔らかくてぬめりとしたモノが、口の中で動いた。



「あーっ! ちゅーしてるーっ!」


 突然、幼女らしき声が外の通りから聞こえた。

 俺は突き飛ばされ、ベランダに尻餅をつく。

 目を開けると、女神様が赤くなって、唇を手の甲で拭っている。

 通りでは、幼女がお母さんらしき女性に手を引っ張られ、去っていくのが見えた。


「……い、今のがキスです。どうでしたか? は、はじめてのキスは……?」


 女神様が視線を宙に向けたまま、言った。



「……なんていうか、普通でした」

「…………はあ?」


 と思ったら、勢い良くこっちを向いて、睨んでくる。



「柔らかいんだけど、思ってたほどでもないっていうか、なんか、妄想ほどすごくないっていうか、こんなもんなのかなって」


 ドキドキはしてる。

 してよかったと思うし、嬉しくもある。

 あるんだけど、なんか気持ちよくはなかった。


「ぼっちで妄想ばかりしてたから、ハードルが上がってたのかな。現実って、案外こんなモンな――」


 ビンタされた。



「ええっ、なんでっ?」

「私も初めてだったんですけど……」


 ぼそぼそと、なにかをつぶやく女神様。


「えっ、なんて?」

「なんでもないです!」


 ぷいっと顔をそらされる。


「って、あれ? 口の中になにか食べ物のような欠片が――」


 なんだろう?

 舌の上で動かしてみる。


「ハッ! まさか、女神様の歯に挟まっていた食べかす――」


 往復ビンタされた。


「と、トモマサさんのじゃないんですか? キスの前はちゃんと口をすすいでください。汚らしい」


 言われてみればその通りだ。

 マナーが欠けてたなあ。

 あれ。でも女神様もお口くちゅくちゅしてないよね?


「……トモマサさんは、女の子の気持ちがまるでわからないんですね」

「……?」


 女神様が俺を見て、それから視線を下に向けて――。


「普通っていうわりには、元気そうじゃないですか」

「……え?」


 俺も下を見る。

 ズボンの一部分が膨らんでいた。


「うわぁっ」


 慌てておさえると、




「……それ、私で興奮したってことですよね」


 ぼそりと聞こえた。




「……真っ赤にならないでくださいよ。そんな反応されたら、気まずいじゃないですか」

「ご、ごめん……」


 これが妄想の世界だったら、


『でも、嬉しいです。私でそんな風になるなんて……』


 という返しが待っているんだろうけど。

 現実はほんと、気まずいです。


「お、怒ってます……?」

「別に……」


 顔だけを後ろに向けると、女神様は不機嫌そうに眉を歪めていた。

 本当に怒ってないのかな?


「……怒ってたら、こんな反応するわけないじゃないですか。鈍感」


 さらに小さな声で、何かを呟いた。


「今、なんて?」

「もう寝ます! 明日はきっちり働いてくださいね! おやすみなさい!」


 女神様はベッドの上段に上がり、布団に潜ってしまった。

 やっぱり怒ってるじゃないか。

 一体何を怒っていたんだ?

 女神様ならキス経験も豊富なんだろうし、あまりに俺が下手で機嫌を損ねたんだろうか。


 でも俺が下手なのはわかっていて、協力してくれたんだよな?

 うーん、女の子はよくわからない。

 なにはともあれ、キスを経験して少しだけ気持ちが落ち着いた。


 俺は布団に入ると、目を閉じて妄想をはじめた。

 お仕事で親しくなった女性騎士に、休日デートを誘われてそのまま童貞卒業!

 というシチュエーションを思い浮かべながら、眠りについた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る