僕のかぐや姫は男の子

ユキ マツ コトブキ

序章 出会い

「これも全部忘れてしまうのに。─楽しいね。」


 これは、帰っていってしまったアイツを思い出すと決まって浮かぶ、あの夜の台詞。

 ごく普通の男子高校生である自分に突如舞い降りたファンタジーでハーレムな毎日は、期日通りに終わりを告げ、日常はまたなんとなく過ぎるだけのものに戻った。

 始まりは、三年前の夏。


 もし、今後東京などに出て暮らすようなことがあれば、出身地を言うのが恥ずかしいくらいの田舎の町に、かおるは暮らしていた。自転車で、三十分の距離の、町で二つしかない公立高校に通っている。頭のいい子供は、私鉄で駅五つ向こうの私立高校に通うが、勉強も運動も普通、容姿は悪いわけではないがやっぱり普通、身長も普通の馨は、よく冷房の効いた電車での通学の恩恵は受けられない。

 手入れされているのか、されていないのか分からない竹やぶが、立ち漕ぎの自転車の脇を駆け抜けていく。

「ーあっちぃ」

 馨は、立ち漕ぎを後悔した。金曜であるが今日は終業式。いくら早く帰って遊びに出たいとは言え、真上から見下ろしてくる太陽は、自転車を急がせるのには少々無理があった。馨は、自分のみじかい影を少し睨むと、また自転車を漕ぎ出した。


 家は、一軒家。馨が暮らす地区にはマンションなどない。隣の家まで、田んぼを一つ挟む。炎天下の下、タオルを頭に巻いて、その上から麦わら帽を被り、田んぼに出ている隣家の爺さんに、笑顔で会釈をして、自転車を停めた。

 古い家であるため、門がある。その前に、女性がぼんやり立っている。中を伺うようで、特に用事があるわけでもなさそうである。

「なにか、ご用ですか」

 通学カバンを自転車のカゴから引っ張り出しながら、「奥菜おきな」と馨の名字が記された表札を眺める女に声をかけた。女が気付いて振り返る。

ー綺麗な、ひとだな。

 歳は馨よりも少し上だと思えるが、二十歳にはなっていなさそうである。おしゃれに疎い馨でも、この髪型をショートボブと言うことくらいは知っている。馨と殆ど変わらない高さにあるアーモンドのような眼と、その飾りになっている長い睫毛が、瞬いた。

 馨が少し警戒しているのは、女が、真っ白な布を、歴史の教科書の挿絵の、古代のギリシャかローマ人みたいに身体に巻き付けていたからである。

「どうか、したんですか?」

 睫毛が、また瞬いた。

「何か、困ったことでも?」

「名前は?」

 女が、やっと答えた。

「なまえ、名前は、紗耶さやです」


 三年後の、八月の満月まで、馨は紗耶と共に過ごす。それは馨の人生の中で、何にも代えがたい、最も美しい時だった。

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僕のかぐや姫は男の子 ユキ マツ コトブキ @seira519

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