第13話

 土曜日。私は有明ありあけのイベント会場で開催されているテレビゲームの新作発表会に来ていた。朝一番でりんかい線に乗ってやってくると、午前中は会場の設営と入場者の誘導を手伝い、そして午後になってからは阿久津あくつが参加するトークショーの観覧かんらんをしていた。タイミングを合わせて拍手や笑い声をあげるよう徳見とくみくんから事前に言われていて、つまりはサクラをやっていた。隣に座っているテッペイによると、ワークショップの参加者がこのようなイベントに駆り出されるのは珍しいことではなく、「こういうのに参加するのも君たちにとっていい経験になると思う」と去る水曜日のイベントの最後に阿久津が恩着せがましく言っていたように、我々は「参加させてもらっている」立ち位置なので、もちろん給料などは出ない。体のいいただ働きでしかないのだが、テッペイは無期限のバックステージ・パスを貰ったかのようなはしゃぎようだったし、私も映像技術のすいを集めた展示の数々に目を奪われ、そこまで悪い気分ではなかった。

「フォーチュネイト・フューチャー・ファイティング」、通称FFFエフエフエフは私でも名前だけは知っている人気ゲームのシリーズで、今度発売される最新作ではネット通信を活用して世界中のプレイヤーたちと同時に対戦することが可能で、加えてゲームの自由度が上がってクリアーを目指す以外にも様々な遊び方があるという触れ込みだった。だが、一番のセールスポイントはなんといっても実写と見紛みまごうばかりのCGで、「技術の発達でそのうち俳優もらなくなる」とある映画監督がテレビでぼやいていたのも全くの間違いではないと思わざるを得なかった。

 そんな中でも、気がかりなことがひとつあって、それは「阿久津にはゲームの知識がないのではないか?」ということだった。少なくとも私が調べた限りでは阿久津がゲームに触れたことはなさそうで、それどころか「RPGロールプレイングゲームみたいなゲームメーカーが用意した一本道の話を文句も言わずにプレイするのは奴隷どれいの楽しみだ」とまで以前は言っていたくらいだ。それなのにトークショーに参加して大丈夫なのか、とワークショップに参加しているうちに情が移ったかのような心境になってしまっていたのだが、その不安はなかば的中していた。

「まあ、とにかく映像がきれいだよね。僕らが子供の頃からは考えられない。段違いだね。モンスターにやられると思わず“うわっ!”と叫んじゃう。そのくらいリアル。もはやこれはゲームを超えたもうひとつの現実だね。タイトル通り僕はこのゲームに未来を見たよ」

 開始してからずっとこのような内容のない話の繰り返しである。トークショーの司会を務めるクイズ番組によく出ている知性派の若手女性タレントも、PCパソコンに向かっているよりは湘南しょうなんでサーフィンをしているのがずっと似合う日に焼けた精悍せいかんなゲームディレクターも、阿久津の話に付き合うのに苦労しているのが伝わってきたが、それでも2人とも笑みを絶やさないのはさすがプロだと感心させられた。「半ば的中した」というのは、それでも阿久津が観客の顰蹙ひんしゅくを買うことなくそれなりに笑いを取っているからで、ひとえにそれは今日の阿久津のファッションによるものだった。全身に白い布を巻きつけているのはおそらくローマの貴族の着ていたトーガのようにしたかったのだろうが、あまりにもたくさん巻き付けすぎていて、ジュリアス・シーザーではなくミシュランのマスコットのようにしか見えない。さらに何故か一人だけ黄金の竜が巻きついた高さ3mほどもある玉座ぎょくざと呼びたくなるくらい豪華な椅子に座っていて、ここまで来ると紅白歌合戦でトリを飾ってもらうしかない、とまで思えてくる。あれが自分たちの主宰者しゅさいしゃかと思うと恥ずかしい限りだが、他の観客は阿久津のファッションをファンサービスの一環と好意的に受け止めてくれているようで、壇上にいるミイラのなりそこないに生暖かい視線を送っていた。むしろ身内の方が辛辣しんらつなのかもしれなかった。

「ったく、にわか丸出しだよ」

 テッペイが聞こえよがしに舌打ちする。ジュンローにも言えることだが、最近の若い人にとって「にわか」というのは死にも等しい罪悪らしい。いつもの銀のスタジャンの下に着た黒のTシャツには“I WANNA BE YOUR DOG”とブロックたいで白く書かれているが、意味を分かったうえで着ているのかどうかは聞かないことにする。

 結局1時間のトークショーを阿久津は映像をたたえるのと過去の武勇伝と美容の話だけで乗り切ってしまった。ここまで来ると逆に凄い、と感心してしまう。開き直りは万能の特効薬なのかもしれない。ゲームとはほとんど無関係なのに例の名探偵ガブリエルの「神よ」という口癖に隠された秘話ひわを強引に披露した後で、来年自らプロデュースしたパフュームが発売されると宣伝まで始めてしまった。トークショーの主催者には気の毒だが、次からはゲストの選定にはもっと慎重になるべきだろう。司会の女性タレントが終了の挨拶あいさつをしたので、終わりだからと力を込めて拍手をしていると誰かに背中をちょんちょんと叩かれた。振り向くと徳見くんがいた。

「社長が退場しますので、動線どうせんを確保してもらえますか」

 別に阿久津ひとりでゆりかもめに乗って帰っても、サインを求められたり襲われたりする心配はないと思うが、ここまでやってきたのだから最後まで与えられた役割は果たしたかった。阿久津がイベントのスタッフに囲まれてステージを降りるのを見てから通路の先へと急ぐ。兵士の視点で敵に銃を撃ちまくるアクションゲームを左に、CGの少女たちが軽快な音楽に合わせて華麗に踊っている映像を右に見ながら出入口付近にたどり着く。特に混み合ってもいないので整理をする必要もないだろう、と安心したが、阿久津たちがなかなか来ない。関係者と話でもしているのだろうか。鎧武者と巫女みこさんが目の前を通りかかったので一瞬ぎょっとしたが、あれも何かのゲームのキャラクターに扮しているのだろうかと思った瞬間、

「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ~!」

 背中に柔らかくふわふわしたものが激しくぶつかってきて、前方によろめいてしまった。転ばなかったのは不幸中の幸いだ。なんだなんだ。パニックにおちいりかけながら振り返ると、目の前に猫の女の子が立っていた。全身は真っ白な毛に包まれているが、ところどころに茶色いブチがあって、顔も白と茶色に塗り分けられている。頭には2つの三角の耳がぴょこんと生えていて、尻尾は地面に届きそうなほどに長い。「女の子」と分かったのは、彼女が肩からポシェットをぶら下げて、スカートを履いていたからだが、それにしても猫なのに何故服を着て荷物を持っているのかよく分からない。幼稚園の頃に近所の公民館で日本で作られた『長靴をはいた猫』のアニメを見たが、その手の生き物なのだろうか。そういえばロングブーツもいている。混乱している私に向かって、猫がいきなりしゃべり出した。

「ソリガチさん、はろはろー」

 あなんか! 疑問がいっぺんに解消して、北極海ほっきょくかいの氷山が崩れ落ちる映像が頭の中で再生された。顔が塗られているうえにご丁寧ていねいひげまでやしていたので分からなかったが、よく見てみると確かに彼女の面影おもかげがそこにはあった。

「びっくりさせないでくれよ。今日はコスプレしに来たんだ?」

「うん。このイベントには毎年来てるから。そっちこそどうして? ゲームやんないでしょ?」

「一応、仕事」

「ふうん」

 私の全身を見渡してからあなんがにやにや笑う。チェシャ猫が絵本の中から抜け出してきたかのようだ。

「なんだ、ソリガチさんも私と同じじゃん、って思ったんだけど」

「同じって?」

「だって、それ、殺し屋のコスプレでしょ?」

 そう。今日も私は例によって黒ずくめなのである。まずいところを見られたものだ。

「いや、これには事情があって」

「いいよいいよ、言い訳しなくても。そうだ、せっかくだから記念に写真を撮ろう」

 そう言うと、あなんはポシェットの中からスマホを取り出した。肉球にくきゅうのついた大きな手袋をはめているのに器用だな、と思っていると、まさしく猫のように隣に忍び寄ってきて私の左頬を猫の左手で押さえ込み、あっという間に彼女の顔と私の顔はぴったりとくっついてしまった。スマホを持った猫の右手が私たちの頭上に伸びる。

「じゃあ、“にゃん、にゃ~にゃ”で撮るから。ほら、もっと寄らないと」

「にゃん、にゃ~にゃ」は「ハイ、チーズ」の節回ふしまわしなのだが、今の彼女はあくまで人ではなく猫のつもりなのだろう。阿久津の言うところの「キャラクター設定」に忠実なのはコスプレイヤーとしてはいいことなのだろうが、それにしても猫の毛と髭が私の右頬に突き刺さってくるのはどうにかならないだろうか。痛痒いたがゆくてたまらない。

「にゃん、にゃ~にゃ!」

 肉球の真ん中に握られたスマホからシャッターおんが響き、どうにか撮れたようだ。用事も終わったことだから離れてもらおうとすると、

「なんだかとても楽しそうだね」

 私の目の前に阿久津とワークショップの参加者の皆さんが到着していた。そういえば自分が何のためにここにいたのかすっかり忘れていた。阿久津の目からは冷たい炎が噴き出し、他のメンバーから「クズめ」と言わんばかりの視線が送られてきたが、動線を確保しているはずの人間が猫の女の子と一緒にひっついていたら、誰だって怒るのは当然だ。言い訳するのは不可能だ。そもそも猫の女の子って一体何なんだ。死のう。今すぐ死のう。ここからなら東京湾とうきょうわんも近いからすぐに身投げできる、と短絡的たんらくてきな自殺願望に支配されかけていると、

「こんにちは~。“ハンティング・ワールド”のコノリィでーす。にゃ~」

 私から離れたあなんが阿久津の前に飛び出て、顔の横に両手をくっつける、「いないいないばぁ」のポーズをとった。

「にゃ~」

「にゃ~。にゃにゃ~」

 一瞬呆然としていたが、すぐに我に返った阿久津はあなんのポーズを真似しながら猫のように鳴いてみせた。ノリが悪いとは死んでも思われたくない、そんな鉄の意志を感じさせる行動だった。

「コノリィ、お友達と会って嬉しくて遊んでいたんだけど、迷惑かけちゃったのかにゃ?」

 阿久津が私の方を見たので音が出るくらいうなずきながら弁解する。

「僕の知人です。毎年このイベントに参加しているんです」

 しばらく私とあなんの顔を見比べた後で、やがて白い布の隙間すきまから笑顔がこぼれた。

「やるじゃん、サジッタさん。こんなかわいい友達がいるなんてすごいじゃない。君はまだまだ底が知れないねえ」

 サジッタって何? とあなんが目で問いかけてきたので、いいから、とこっちも目で答えていると、阿久津が大きく手を叩いた。

「うんうん。そうだ。いいことを考えた。この後、新宿で交歓会こうかんかいをやるんだけど、そこの猫ちゃんも一緒に来ない? サジッタさんの友達なら僕の友達でもあるから、それなら仲良くならなきゃダメだよね」

「ごめんにゃさい。この後彼氏と待ち合わせしてるのにゃ」

 あなんにいとも簡単に誘いを断られた阿久津の目元にしわが寄って一気に年老としおいたように見えたが、それは一瞬のことですぐに元の「美しすぎる評論家」に戻った。しかし、後ろにいるワークショップの参加者たちはそういうわけにはいかなかった。普段は逆らうことすらできない主宰者が猫の格好をした小娘にあっさり袖にされたのだ。神への冒瀆ぼうとく偶像破壊ぐうぞうはかい尊属殺人そんぞくさつじん。そう言っても決して大袈裟おおげさではない衝撃を受けているように見えた。

「そりゃそうだよね。君くらい可愛ければ彼氏がいないわけがない。それなのに誘ったこっちが悪かった」

 うふふふ、と阿久津は笑っていたが、そんな彼はあなんの拒絶からやはり立ち直れずに、50歳と100歳の間を行ったり来たりしているように見えた。ちょっとしたドリアン・グレイを現実に見た気がしていると、背後から肩に手を回されて柔らかく熱いものが背中にくっつけられた。

「にゃ~」

 またあなんだ。さっき写真を撮られた時も試したが力が強くて離れられない。彼女と腕相撲をやったら易々やすやすと負けるに違いなかった。結構きたえているのだろうか。今はそんなことをやっている場合じゃない、とさすがに怒ろうとすると、

「そうだね。サジッタさんはしばらくその猫ちゃんと遊んでから来るといいよ。僕は全然構わないから。それじゃお2人仲良くね」

 お気に入りのおもちゃに飽きてしまった子供が完全に興味を失くしてしまったかのような口ぶりでそう言うと、阿久津は一行を引き連れて会場を出て行った。徳見くんが誰でもいいから殺したそうにしている目で私をにらんできたので、この後を考えると頭が痛くなる。

「にゃ~。ふふふ。にゃ~」

 まだ背中にくっついているあなんを振りほどく。

「向こうと話をしている途中なのにどうして抱きついてきたんだ」

「そうしたかったから」

 そんなことをまっすぐに言われると怒る気にもなれない。それともまたからかわれているのか。

「今のって阿久津世紀あくつせいきだよね? テレビで見たことある」

 ぽん、と猫の手を叩き合わせて、納得した表情をする。猫耳ねこみみの上に100ワットに輝く電球の幻が一瞬だけ見えた。

「そうか。こないだ高円寺こうえんじで言ってたね。じゃあ本当にお仕事なんだ」

「だから最初からそう言ってるだろう」

 頭痛を抑えるかのようにこめかみを指で押さえていると、ふと彼女の言葉を思い出した。

「今からジュンローも来るんだって?」

「ううん。来ないよ。ジュンくん、今日は埼玉さいたままでアイドルの取材に行ってる」

「いや、だって」

 さっき阿久津に言ったのと違っているじゃないか。そう言おうとしたが、

「あのね、ソリガチさん」

 彼女の方が先に口を開いた。猫の少女ではなく、山崎亜南やまざきあなんという一人の女の子が真剣な面持おももちで私に話しかけていた。この前の夕暮れの事務所の護島ごとうさんといい、彼女たちはいくつもの姿を持っているのだろうか。そういえば、この2人が友達だという話の中身もどういうことなのか知らないままだ。

「気を付けてね」

 一体何に、と問い返そうとしたが、あなんはもう私に背中を向けて歩き出してしまっていた。その背中に向かって最後の言葉の意味を聞こうとして、それよりもっと他に言わなければならないことがある、と気づいた。

「あのさ。あなんはそういう衣装を全部自分で作っているんだろう? 今日初めて生で見たけどよくできていると思うよ。それに、とてもよく似合ってる」

 彼女が私を困らせようとしてあれこれやったわけではないとなんとなく分かっていたから、私もあなんを悪く思ってはいないと、それだけを言いたかったのだが、いざ口に出してみると凄く恥ずかしいのは何故だろう。やはり東京湾に身投げした方がいいのだろうか。

 振り返った彼女は、いつものあなんに戻っていた。

「にゃにゃにゃ!」

 その場でぴょんと飛び上がると、長い尻尾もつられて大きく跳ね上がった。

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