F県警察本部刑事部捜査第一課特殊犯捜査係警部補 海山康一

「被害者は長崎県在住の漁師金田かねだ忠明ただあき四十二歳。三年前に自らの漁船を使って長崎県平戸市の港から韓国に不法残留状態の韓国人三名を不法出国させたとして入管難民法違反で逮捕。送検、起訴され、禁錮一年の実刑を受けています。ほか、主犯――ブローカーと見られる韓国籍の男一人が懲役三年の実刑を受け、一箇月前に釈放されており、現在行方を捜索中」

 集まった面々の前で稲が息継ぎもせずにそうまくしたてると、安村が感謝の目礼をした。

 安村の座ったデスクの上には資料が山と積まれており、安村は凄まじい速度でその山を崩していく。そしてそのペースを上回る量の新たな資料が重ねられていった。

 とにかく関連する――恐れがわずかでもある――捜査資料、司法文書を安村に読み込ませる。特定大規模テロ等特別対策室在庁の捜査官総出で当たっていた資料調査と並行して、一柳は独自にその方針を打ち出した。

 総出と言えば聞こえはいいが、特テはそもそもが慢性的な人員不足である。実際に捜査に当たる能力のある人材を警察から引き抜くことは予想された通り難航した。現場で動くことのできる捜査能力のある捜査官を引き抜くために、それに見合う条件と大義を掲げることができるのか――ナローシュなどという現実離れした存在への対策に当たることで彼らの人生を棒に振らせる恐れは、警察庁警備局警備企画課の理事官――宇内うない魁利かいりによって早期に指摘され、釘を刺されていた。

 非常に痛い一撃であった。

 宇内は俗称、裏理事官と呼ばれるポストに就いていた。

 チヨダ、サクラ、四係――現在知られる名は、ゼロ。事実上の公安警察の最高機関。そのトップに位置する理事官の頭には、「裏」が付け加えられる。

 裏理事官は実質、公安警察の人事権を完全に握っていると言っていい。ゼロに属する捜査官には、警視庁も県警も介さず、ゼロから直通で指揮が下る。

 つまりもし、宇内が特定大規模テロ等特別対策室に協力的な姿勢であれば、公安という巨大な戦力を特テに流入させることが可能であった。

 結局それは「もし」の話である。宇内は特テを信用しなかった。それどころか特テに従事する者の末路を予言するような物言いをして、当時の一柳を大いに狼狽させた。

 なんなら引き継ぎましょうか――と宇内は一柳に詰め寄ったという。ゼロに全権を明け渡し、公安警察によってナローシュの対策に当たる。

 あの時、横から助け舟という名の罵倒を出されていなければ頷いていたと一柳はのちに述懐した。その存在を称えるためではない。ただ一人の存在の大きさをしかと確認するためだった。

 そして苦難のすえ集まった警視庁、各都道府県警から引く抜くことに成功した捜査官総勢十三名。全て直接交渉の上でだった。

「氷川特務捜査官」

 稲をそう呼ぶ相手は限られている。行儀よくまっすぐに挙手した海山みやま康一こういちは、稲の返答を待たずに口を開いた。

「長崎県警がこちらの動きに気付いた恐れがあります」

 特定大規模テロ等特別対策室を覆い隠すために用いる――つまり前職の肩書は、福岡県警察本部刑事部捜査第一課特殊犯捜査係警部補。九州大学を出たのちにノンキャリアで入庁し、十年で今の地位を得た。

「歓迎すべきではないでしょうね」

 稲に視線を向けられた一柳はそう呟いた。

「いえ、むしろあちらは協力的なように思えます。私の私用アドレスに、捜査情報が一部送られてきました」

「弟さんですか」

「出世欲しか頭にない馬鹿ですよ。こちらが完全に秘した特テの存在を嗅ぎつけたところは褒めるべきなのでしょうが、特テに恩を売ったところで――失礼」

 海山の弟はキャリアとして長崎県警本部に務めている。長崎と同じ九州の福岡県警出身の海山がこの場に呼ばれたのは、当然その身内の存在への期待があった。

 利用できるものは利用できるように――あらかじめそれも見越しての人選であった。海山の弟に特定大規模テロ等特別対策室の情報を流すことを――平然とやったであろう人間に稲は心当たりがある。

「では、それを踏まえて捜査方針を提案しても?」

 集まった面々が頷く。海山は生粋の捜査官である。実際の捜査会議で指揮の経験はないが、やれと言われれば当然のように執ってみせた。

「まず第一に追うべきはブローカーの韓国人です。彼が出所した時期と金田の死の時期が重なることから、無関係ではないと留保すべきに思われます。この対象の捜査は長崎県警と連携する必要がありますが、私としては、丸投げでいいと判断します」

 そもそもが九州大学を出てノンキャリアで警察官の道を選んだ時点で、海山が異質であることは明白だった。

 海山は単純に、捜査行為をしたくてたまらなかった。それを見抜かれ、学生時代に実際に行っていた法に触れるレベルの「探偵行為」を突きつけられた。それを直接の脅しに使うことはせず、しがらみも上下関係も無視して捜査ができると条件をちらつかせて、特定大規模テロ等特別対策室に引き抜かれた。

 稲はあの目を思い出す。端から相手の全てを見透かしているようで、その実とっくりと検分しながら、最終的に相手の全てを見抜いてしまう、あの目を。

「我々が全力をあげるべきなのは、ナローシュの密輸計画の完全な阻止です。そのために全人員を割く必要があるほどに、重大な――いえ、ここから先は室長方のほうが詳しいでしょう」

 そう――蒼白な顔で眉間に皺を寄せる五代を見ずとも、彼の想像した最悪の局面を誰もが理解していた。

 五代と安村は同時に同じ結論に至っていた。アンサモンシステムが発見され、ナローシュによるテロ行為が実際に行われた愛知県内で発見された、長崎県の漁師の異状死体。

 長崎県からボートを用いて国外に密出国する外国人は絶えない。その中にもし、ナローシュを紛れ込ませることができたなら――最悪の兵器の流出は、想定以上に容易であった。

 国はとにかく、ナローシュを完全な秘密裡に掃討することを目標としていた。それゆえあまりに冗談めいたこの存在を、一切公けにはしていない。無論、外交上でも同様だ。

 ナローシュが無節操にはびこっているかもしれない国内情勢を露わにすること以上に、そのナローシュを国家が兵器として運用している事実という爆弾を抱えていることが問題だった。

 ナローシュはあらゆる兵器を凌駕するであろう、全くふざけた産物なのである。もしも存在が漏れれば、そこに理解を示せと言うより早く、世界から完全に孤絶する。

 激しく統制が困難であるという点を、言い訳として用いる腹積もりもあったのだろう。人格を有する個人であるという点を強調すれば、こちらが無視している人権を尊重する緩やかな気運は世界中で醸成されている。

 だが、それが勝手に国外に持ち出され、テロ行為に利用されてしまえば――全ては終わりである。

 最悪の殺戮兵器を生み出し、あろうことか隠匿し、さらには自国で運用を目指している。

 世界から孤絶すればまだいいほうだろう。史上最悪のテロ支援国家として歴史に名を刻む程度ですめば万々歳だ。

 不明ナローシュは最低でも一体は存在する――特テはこの前提で動いている。そのナローシュは独自に毒者と接触し、金田を殺害。彼の所有する漁船を強奪し、それを用いて国外への密出国企てている。

 概略は組めるが、詳細については不明な点がまだ多すぎた。

 不明ナローシュの身元。能力。潜伏先。

 毒者の存在。人数。接触方法。思想。目的。

 金田殺害の意図。ボート操縦技術を有する毒者が存在するのか――。

「『スキル』を保有している可能性はあります」

 疑問点を海山が挙げていく中、稲はそう声を上げた。

「佐藤吉輝もそうですが、ナローシュの多くは技能を自ら身につけるのではなく、『スキル』として付与している場合が多くみられます。それは当然個人の技能ではないので通常時は発揮できませんが、毒者が観測すれば活用可能になります。これは佐藤吉輝でも実験ずみです。佐藤吉輝の場合は治癒や『鑑定』というものが主ですが、転生した異世界によっては、これらスキルが大きな意味を持つパターンも多く、そうしたスキルはたいてい不可能を容易に可能にしてしまうものを付与されます」

「つまり、船舶の操縦も可能になると?」

「毒者の観測下でなら、ですが。異世界で該当するスキルを所得していなくても、スキルそのものを生成するスキルを持っていた場合は毒者の観測下で新たにスキルを獲得することも可能になります」

 稲と安村を除いた全員がげんなりとした顔になる。ふざけている。ふざけきっている。理解はしていたが、いざそんなものを相手取るとなると、匙を投げたくもなる。

「氷川特務捜査官の意見は重要ですが、毒者、あるいは協力者が船舶免許を持っている場合も考えられます。いずれにせよ不明ナローシュはまず間違いなく日本人ですから、ブローカーを通じて国外への密出国を手配するのは手間取るでしょう。船舶を操縦可能であるのなら、船を奪ってしまうのが最も手っ取り早い」

「どこまで周到な計画なのか――ここにも疑問が残ります。先のテロ組織は非常に短絡的でした。力を使ってみた――そんな調子で豊田スタジアムを消し飛ばした。思想信条を尋問する前に殲滅したのが悔やまれますが、彼らが国際テロにまで手を染めるだけの知能と伝手があるようには思えません」

「特テの目の及ばない国外逃亡のためか」

「全く別個の組織が動いているか」

 海山と稲は同じ考えに至り、同じように沈黙した。

「リザイエイ?」

 五代が携帯電話を耳に押し当てながら呟いた。

「五代さん! 李在詠イ・ジェヨン!」

 安村が書類を吹き飛ばしながらがばと立ち上がり、五代に向かって叫ぶ。

 五代ははっと頷いて、電話の向こうの相手に短く何事か告げて通話を切った。

「行方を追っていた韓国人ブローカー、李在詠ですが」

 全員が身を乗り出さんばかり一度口を閉ざした五代を見つめた。

「神奈川県警が、多摩川で死体を発見しました」

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