内閣情報調査室情報分析官 五代衛②

 警察官というものには、キャリアもノンキャリアも関係なく、彼らの間でのみ作用する独特の「臭い」がある。

 それはおよそ地方の差も越えて、互いへの認識を早めることに有用ではあった。現に五代の隣を歩く安村に注がれる視線は、嫌悪こそ含まれているが、その枕詞に「同族」の付与する類いのものである。

 結局彼らは同じ集団の中に常に存在し、その中で互いを牽制し、排除しようとする。

 内調職員は警察庁からの出向者が多勢を占める。その中で五代は今と同じ安堵してしまうような疎外感をよく覚えた。

 五代は内調プロパーから情報分析官にまで登り詰めた。生え抜きのスパイ――周囲からのその呼称が蔑称でしかないことを五代は重々承知している。

 応接室に通された五代と安村は、十分ほど待たされたあとで、愛知県警察本部長直々の面談を行うことになった。この十分の間に、五代は安村に応対は全て自分に任せてほしいと釘を刺しておいた。一介の巡査である安村に海千山千の警視監と腹の探り合いはできないし、立場上からも不可能だった。

 まずソファに座っていた五代と安村が立ち上がり、一礼。愛想なく座ることを促され、着席する。これでもう安村の出る幕はなくなった。

「内閣情報調査室情報分析官の五代衛です。彼は警視庁交通部交通捜査課の安村龍造巡査」

「愛知県警察本部長の坪井つぼいまことです。本日はご足労いただきまして、感謝いたします」

 会釈も愛想笑いもない。慇懃な言葉遣いはそれだけで一気に威圧感を増す。

「しかし、私は特定大規模テロ等特別対策室からの連絡員がいらっしゃるとお伺いしたように思うのですが」

「私どもは無論、特定大規模テロ等特別対策室の職員です。ただこの組織の特質性ゆえに、原則元来の役職名をお伝えすることになっています。混乱を招いてしまう点には私も頭を悩ませているのですが」

 謝罪と自嘲で粉飾した、その程度を察するだけの思慮を求めるある種の挑発。これを受け取れないような相手であるはずもない。そして、それに鼻白む素振りを欠片も見せないだけの余裕は常に持っている。

「愛知県、岐阜県、三重県、それに静岡県――この四県の県警察に多大な負担をかけてしまっていることには個人的に忸怩たる思いでいます」

 不明ナローシュの捜索――その範囲は東海四県を重点に据えていた。アンサモンシステムの発見場所である愛知県――そこを中心に地理的文化的に近しい岐阜県美濃地方、三重県北中勢地域、静岡県東部には、各所轄レベルにまで例のふざけた指令を行き届かせている。

 現場の警察官からすれば、理由も聞かされない正しくふざけた指令であり、それゆえに全国の都道府県警には伝えこそすれ、所轄署にまでは届かないように配慮してあった。

 だが草の根を分ける必要性の高いこのエリアでは、悠長なことは言っていられない。どれだけ不信や不興を買おうが、その代価を払うしかなかった。

「苦労するのは現場の人間です。それはそれとして、やはり先方は納得しておられないようですが」

 五代は妙なおかしさと悪寒に歯噛みをする。豊田スタジアムが丸ごと吹き飛んだ――その位置する土地の名の由来である大企業を仮にも本部長が『先方』と呼ぶ。企業城下町である豊田市――引いてはこの県に絶大な影響力を持つ相手といえども、ナローシュの件は秘匿する必要がある。その思惑を勝手に飛び越えることを見越して、最初の事件の当事者である愛知県警にも徹底して情報を隠匿してある。

 伝わっているのは特定大規模テロ等特別対策室の存在、特テが県内のテロの事後処理に全面介入した事実、そして「死人を捜せ」という指令。

 これでこちらを信用しろというのも無理な話ではある。五代が内調の肩書を使うのには多少なりとも信用性を高めるという意味合いも含まれているのだが、残念ながらそちらを信用してもらうために働く「臭い」が五代にはなかった。

 なので、厚顔を張る。

「対象者の絞り込みはこちらで行いました。こちらが」五代は鞄からB4の茶封筒を取り出し、へりくだる素振りなく丁寧に坪井に差し出す。「対象者のデータです」

 データと言ったのは五代なりの皮肉だった。メールで送信すればすむだけの情報を、わざわざ相手の陣中を見舞ってまで手渡す。それだけの機密情報であるという理由もあるが、それ以上に相手への誠意や思いやりといった上辺だけの思惑だった。そして五代にとっては上辺だけにしか思えないその思惑が、この世界では何重にも思惑を上乗せして用いられている。

 それを読み取れない五代ではないし、如何様にも利用させてもらっているが、やはりどうしても間抜けなやりとりに見えてしまう。一瞬でも気を抜けば足を掬われるのは理解していても、この程度の皮肉を挟み込んでしまうくらいには。

 坪井は受け取った封筒の中身を検めることもせずに横に差し出す。すぐさま応接室のドアの横に控えていた坪井より老齢の制服警官が受け取り、音もなく部屋を出ていく。

「初めから出していただければ、こちらもよりスムーズに協力させていただけたのですが」

「現在進行形で喫緊の問題です。対象者の絞り込みにはどうしても時間がかかります。その間を空白にするより、大きな網を広げておいたほうが賢明だと判断しました」

「我々には網を狭める権限もないということですか」

「その通りです」

 安村が不安げに五代の横顔を窺う。特テは確かに内閣官房に設けられた国家機関だが、ここまでの強権を誇示するだけの地盤はない。有事に振るうことはできても、相手を怯ませるだけの凄味は持たない――そんな歪な権力集中体が特定大規模テロ等特別対策室だった。

 五代はふっと表情を――意図して――緩める。

「先方には、そちらの本社工場を吹き飛ばしかねない相手だとお伝えください。そして、愛知県警察本部が必ず、それを未然に防ぐ――と」

 五代が立ち上がると、一拍遅れて安村が慌ただしくそれに倣う。無言で俯いた坪井に一瞥も挨拶もせず、五代は部屋を出た。

「怖かったですよ……ノンキャリでよかった……絶対出世したくねぇ……」

 平然と苦笑する五代に寄りかかるように歩きながら、安村は真っ青な顔で脂汗を拭う。

「マジで本部長脅すんですもん。俺の肩書巡査なんですよ? クビ飛ばされる理由に一緒にいたっていうだけで充分な木っ端役人なんですよ?」

「そんな人事権は使えませんよ。それに、脅したつもりは毛頭ありません」

 坪井に提示したのは、信頼の総取りだった。

 特定大規模テロ等特別対策室は公けには非公開の組織である。そのため特テが仮に手柄を見える形で上げたとしても、それは公表されず、闇に葬られるか――別の誰かの手柄に成り代わる。

 もしも見える形ならそれを愛知県警に譲る。

 見えない形でも、脅威を防いだという名誉は愛知県警に与える。そのために先方に相手の脅威を伝えることを認めたが――さすがにそこまではしないだろう。

 表に出ることのできない特テの性質を、いいように使ってくれて構わないという譲歩。

 無論それには絶対に被害を出さないという前提が必要になる。その点では安村の言った通り脅しの部分もあるが、その前提においては両者が同一であるので発破として受け取らざるを得ない。

 安村は納得しかかったような呻き声を上げる。理解できない相手に逐一説明をするほど五代はお人好しではない。

 余所者であると名札を下げているような居心地の悪さを応接室からエントランスまでのわずかな時間にたっぷり味わい、やっと解放されると思ったその時、安村がぴたりと足を止めた。

 五代は怪訝に思いながらそれに合わせる。安村の監視は絶対だ。逃げ出すような男ではないことは知っているが、片時も目を離せないものは仕方がない。

「すみません五代さん、堀川っていう川があるんですか?」

「ええ。名古屋城のお堀由来の――ですがそれがなにか?」

「いや、俺、パソコンとスマホで同時に別のラジオ流しても二つとも内容わかるんですよ。そこにテレビ加えてもいけます。それで室長に、それはすごいことだから有効に使えって言われての出張だったんで、ずっとチャンネル全開だったんです。で、ここに入ってから拾えた話、統合するとですね」

 応接室を出た時よりも蒼褪めている安村の顔を見て、五代は表情を変えずに息を呑む。

「堀川。変死体。身元。長崎県警。ボート」

「断定はまだ――」

「死因、凍死」

 誰かが入ってきたことで自動ドアが開く。外からうるさいくらいの蝉の声が侵入し、ドアが閉まったことで遮断される。

「出ましょう」

 安村と蒸し暑い外に出た五代は、身体の底からの寒気に我を失いそうになった。

 一報をまず内調に上げるか特テに上げるか。安村が一柳のお気に入りであるのだから、ここで内調に報告すれば五代は特テでまともに動けなくなる――そんな判断を即座に下せないほどまでに狼狽していた。

 五代は携帯電話を三つ持っている。大学からキャリアを変えていない私用。内調での連絡に使う専用回線のもの。特テでの連絡に使うまた別個の専用回線のもの――鞄の内ポケットに入ったそれを取り出すと、特定大規模テロ等特別対策室の室長室直通の番号をコールする。

 一柳が出た。固定電話であるが相手の番号とそれに紐づけされた名前は表示されるので、名乗ることもせずに五代は短く告げる。

「長崎県、不明エヌ密輸の徴候あり」

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