アンサモン第二号 佐藤吉輝

「アンサモンシステム起動します」

 戸籍謄本。死亡届。簡単な遺品。頭髪が一本。外部から用意されたものはこれだけだった。

 都内ではあるが人の立ち入りのほとんどない山奥――その中に作られた巨大な地下施設。その一画――最も広大な面積を持つこの場所には、そのほとんどを埋め尽くす機材が持ち運ばれていた。

 氷川ひかわいねは頭に取り付けられた脳波測定器の延びる先を見て頷き、頭を切り替える。

「DNA情報構築――現世存在証明確定――死亡日時より現在までの日数経過をフィードバック――アンサモン完了まで、推定残り一分。各員、目を離さないようにお願いします」

 全員が固唾を呑んで見守る中、稲は脳が焼き切れそうになる感覚に必死に抗っていた。最終工程は自分にかかっている――なりそこないであるがゆえのこの苦痛を乗り越えなければ、申し訳が立たない。

「あれ? なんだここ」

 およそ一分の苦痛に耐えきったあとに目の前に現れたのは、絵としてはよく見るが、現実ではまず見ることのない、明らかに実用性に欠くような簡素な鎧を着た若い男だった。

「やれやれ、転移させるなら事前に言えよ。おい駄女神! 聞こえてるんだろ! 俺は今から最難関ダンジョンに潜るとこだったんだぞ。仲間たちはどこにやった?」

佐藤さとう吉輝よしてるさんですね」

 手早く脳波測定器を取り外した稲は、一人で虚空に向かって話している男の意識をこちらに向けさせる。

「なんだあんた? 確かに俺は伝説の冒険者だけど、助けを求めるならきちんと事前に言ってくれよ。あと俺の名前はヨシテル・アースランドだ」

「佐藤吉輝さん。一九九二年六月二十八日生まれ。無職。二〇一五年五月四日死亡。享年二十二歳」

「は? 何言ってんだあんた。だから俺はヨシテル・アースランドだって言ってるだろ。おいこら駄女神! これはなんのプレイだ!」

「佐藤さん、混乱はわかります。どうか落ち着いて、我々の話を聞いてください」

「俺はヨシテル・アースランドだ! 次に間違えたらお前を消し炭にするぞ!」

「ですから、落ち着いてください。佐藤さん」

 稲は挑発を受けて、わざと本来の名前で呼ぶ。こういう力を誇示することしかできない輩には、現実を見せてやることが一番手っ取り早いからだ。

「ほう、いい度胸だな。じゃああの世で後悔するといい! 食らえ! エターナルブレイズ!」

 佐藤は右手を大きく引いて前に突き出す。

 それだけだ。何も起こらない。見る間に佐藤の顔に冷や汗が浮かぶ。

「どういうことだ……? お前、なんのスキルを持っている?」

「佐藤さん、どうか、現実を見てください。ここは都内の国有地内に作られた地下施設です。我々はあなたをあなた方の仰る異世界から呼び戻したんです」

「は? は? は? おい待てよ。なんでステータスが開かないんだよ! 俺はレベル999999なんだぞ! スキルも育て切って、今から最難関ダンジョンに潜るとこだったんだぞ! 駄女神! どういうことか説明しろ! いつもみたいに出てこいよ!」

「ですから」

 稲はただ冷静に、伝える。

「現実を見てください」

 佐藤は絶叫する。稲の言葉を聞きたくないのか、今もって理解を拒むのか。

 随分とおかしな話だ。佐藤は異世界とやらに転生して、それをすんなり受け入れていたのだろう。自分の理解の及ばないはずの異常事態よりも、ただ確かにここにある現実のほうが、身体が受け付けないとは。稲にはまるで理解できない。そして彼らはそれゆえに――。

「佐藤さん、別室に移動しましょう。そこできちんと話を――」

「氷川さん――」

 女性技師の一人――榎田えのきだ靖枝やすえが稲を気遣う素振りを見せるが、大丈夫だと手で制す。

 佐藤はしきりにぶつぶつと何事か呟いており、稲は靖枝に目に合図を送る。靖枝は頷き、佐藤の手首にブレスレット状の機材を取り付ける。

「ロック完了です。モニターは?」

 稲はスマートフォンを取り出し、そこに表示された佐藤のバイタルを確認する。

「問題ありません」

 稲は汚らわしいものを見てしまったように眉を顰めてからスマートフォンをしまい、佐藤の説得にかかる。

「佐藤さん、別室に向かいましょう。そこでなら、あなたはご自分のステータスをチェックできます」

 途端に佐藤が勢いよく顔を上げる。

「本当か? そうだよ――そうだよな? だって俺はレベル999999なんだ。スキルもマックスなんだ。これまでの努力は確かに俺の力になっている。そうだろ!」

 稲は無表情で頷き、別室へと促す。

 誰もいない会議室。そこに佐藤を通すと、稲は細心の注意を払いながら頭を切り替える。

「出た! 俺のステータス! レベルもスキルもちゃんとそのままだ! やっぱり俺は最強の冒険者なんだよ!」

 佐藤の血走った目が稲を捉える。

「ならもうお前に用はないぜ! さあ、消し炭にしてやる! 食らえ! エターナルブレイズ!」

 稲は佐藤がこちらを見た時点で頭を切り替えていた。当然、佐藤が手を振るっても何も起こらない。

「どういうことだよ! あぎゃ? ステータスが出ない!」

「佐藤さん、どうか落ち着いて話を聞いてください。それから」

 稲はすっとM360J SAKURAの銃口を佐藤の眉間に向ける。

「次に我々への害意を見せた場合、即座に射殺します。よろしいですね?」

「――はっ! そんなおもちゃみたいな武器で、俺に傷を付けられるとでも?」

 稲は銃口を下げ、足の甲に向けて引き金を引く。

 シンプルな銃声とともに、佐藤の妙な靴に血が滲む。突貫だったがみっちりとやった射撃訓練の成果は出ているようだ。

 佐藤は声も出せずにうずくまり、痛みに悶えうつ。恐らく彼の言う冒険というのは、こうした痛みとは全くの無縁だったか、すぐに魔法か何かで治してもらえたのだろう。

 拳銃で撃たれれば、痛いどころではすまない。急所でなくても、少し太い血管を裂けば出血多量で死ぬ。そして単純に、銃弾が体内を貫くというのは、想像を絶する痛みである。

 痛いのだ。ものすごく、痛い。それは佐藤がこれまで味わうことのなかった、至極簡単な現実である。

「佐藤さん」

 稲は涙と脂汗でぐちゃぐちゃになった佐藤の顔を見下ろし、落ち着いて会話を試みる。

「ここは法治国家です。殺人は許されません」

「なんでだ……俺のレベルなら、あんな攻撃でHPが減るわけないのにっ!」

 稲はてっきり自分の銃撃について糾弾されるのだと思っていたのだが、佐藤にとってはそれよりも自分に都合の悪い現実のほうが頭にくるらしい。

 本当に、どうしようもない愚かさだ。稲はその愚かさを絶対に許せない。その決意はとうに固めてあったが、こうして相対してみると、怒りよりも呆れのほうが勝ってしまうから不思議だ。

 佐藤のスキルとやらで治癒させてやってもいいが、それではいつまで経っても佐藤は現実を見ようとしない。自分に都合のいい部分だけを切り取ってきたような経験しかないということなら、わずかでも都合のいいところを与えてはならない。そんなことをすればどうあっても必ずつけ上がる。

 何より、現実を見ることのできない彼らは、それゆえに仮令その先に自分の破滅が待っていようとも、目の前の相手を害することなど当たり前に行う。

 とにもかくにも、佐藤を無理矢理にでも現実に目を向けさせなければならない。そのためにこの痛みは有効だ。

「佐藤さん、あなたが最強の冒険者だということは認めます。そのために我々はあなたをアンサモンしたのですから」

 まずは相手をおだてる――こちらが佐藤に協力を求めているという立場を明示する。当然、佐藤が最強の冒険者だということなど全く与り知らなかった。ただ、アンサモンできる条件が整った相手が佐藤だっただけだ。どうせ、大して違いはない。こういう手合いは切って貼ったように同じなのである。

 ゆえに、佐藤はこちらを見上げ、虚勢を張る。やはり自分は世界に必要な存在なのだと確信しているのだろう。残念ながら、存在自体が許されないゆえにこうして管理しようとしているのだが。

「なんだよ。俺の力が必要なのか? なら素直にそう言えばいいんだ」

 呆れ果てる。正しく処置なしである。

 こちらが少しでも下手に出ればこれだ。そもそも、今佐藤は稲に銃撃されて痛みにのたうち回っているはずだというのに、そんな簡単な事実すら度外視するのか。どう考えても今まさに命の瀬戸際にいるのは佐藤の側である。本来ならばひざまずいて命乞いをしている立場にあるはずが、それすらも理解できないとは。

 とはいえ、相手をおだてることは上手くいった。

「はい。我々にはあなたの力が必要です。ただし、あなたが本来の力を発揮することができる状況は、非常に限られている――それは理解していただけましたか」

 どうせ理解できていないのだろうが、促してやれば頷く。

「ここは、ただ一つの現実です。その現実に当てはまらない、狂った力を振るうことは、現実が許しません。この現実に生きる人々の観測がある限り、あなたは力を使うことができないのです」

 現実はクソだ――それはその通りなのである。だが、それをしかと受け入れなければ人というものは立ち行かない。そしてそのクソのような現実の上に数多の人々が立ち並び、現実というものの強度を確固たるものとしている。

 そして、その現実を認めようとしない者――それは、毒。

「ただし、私のような人間――我々が呼称するところの毒者どくしゃがあなたを観測すれば、あなたはあなたとしての力を振るうことができます。とはいえ毒者よりも現実のほうが圧倒的に強いのは覆せない事実。現実の側に立つ人間の観測がある状況では、毒者が存在していてもあなたは力を振るえません」

「なんだよそれ――それじゃあ、俺は、その毒者がいなければ何もできないじゃないか!」

 何もできないときたか――稲は心中で佐藤を唾棄する。

 現実に生きる人間は、誰だろうと何かをやろうとしている。そこにお手軽に与えられたすごい力云々は介在しない。そんなものがなくとも、何かを成そうとするのが当然なのだ。

 佐藤は違う。どうぞと与えられた力を振るい、自分にだけ都合のいい異世界とやらで好き勝手やってきたのだ。

 それがその力を取り上げられた途端、駄々っ子のように泣き喚く。

 そんな力は、この現実の誰も持っていない。それでも人々は何かを成し遂げてきた。

 同じだ。何も変わらない。何の力も持たないということは当然なのだ。

 そんな当然のこともわからずに『何もできない』――本当に唾もかけたくないような甘え切った思考である。

「そうです。が、逆に言えば、毒者のみの観測下にあるという状況ならば、あなたは存分にその力を振るえるということです。こちらをご覧ください」

 稲は照明を落とし、プロジェクターでスクリーンに画像を投影する。

 広大な更地だ。そこだけが完全に切り離されたかのように地面が露出し、人の存在した気配すら感じさせない。

「愛知県の、豊田スタジアム――跡です」

 そこは確かに豊田スタジアムがあった場所である。だが、断じて解体工事が行われたわけではない。

 一瞬にして、そこは更地となった。

「あるアーティストのコンサートの最中でした。四万人以上の観客、歌手、スタッフは、全員安否不明――公式発表は未だこのままですが、正確には全員死亡と考えていいでしょう。歴史上でも類のないレベルの、超大規模テロです」

 はっきり言って、当初原因はまるでわからなかった。局所的な震災、地盤沈下、どこかからのミサイル、天の裁き――その他様々な憶測が憶測を呼び、陰謀論や昔に流行った滅亡論までが世の中を席巻した。

 ただ、そこに警視庁内のある報告書が明らかになると、政府は真っ先にそれに飛び付いた――極めて非公式に。

 政府はその報告書から、あることを非公式に認めた。

「No Any LAW Servant Hazard」――というのは、名目上の文法もクソもない英語表記。最初から想定された略称は――「ナローシュ」。

 ある種の人間の不可解な不慮の死の連続。そこから導き出された共通点。そして結論。その証明――これらがなされていく内に、ナローシュという存在は確実に認識された。

 現実で不遇な生活を送っている者が、異世界に転生――あるいは転移し、大活躍をする――この形式の一連の作品群そのものの事態が起こっており、そしてその異世界に転生した人間が再び現実に、その力を保持したまま帰還している。

 ところが、彼らナローシュを、現実は認めない。

 ナローシュの絶望は知りたくもないが計り知れない。そこに甘い言葉で近付く相手――毒者を擁するテロ組織。彼らの口車に乗せられ、大量破壊兵器として運用されるナローシュ。

 ナローシュは現実に観測されれば力を失う。それはつまり、現実に観測されない地点から毒者の観測を受けているのなら、自在にその強大な力を振るえるということ。

 異世界を救ったというその力は、大抵ろくでもない。彼らの呼ぶところの「チート」である。現実に持ち込めば簡単に大量殺戮を可能にしてしまう、絶対にあってはならない力だ。

 そもそもチートという言葉は不正を意味し、ゲームでは改造行為を指す。彼らの大好きなMMORPGで行えばアカウントを永久停止されて然るべき行為である。それを誇らしげに掲げる精神がまず、稲には理解できない。

 テロ組織の摘発及びナローシュと目される人物の確保――そして死亡したはずの人間であるということの確認を経て、政府は非公式にナローシュ及びそれを運用する恐れのある組織への対策へと乗り出した。

 そして設立されたのがこの機関――特定大規模テロ等特別対策室である。

 当然、この機関も非公式ということになる。ナローシュの存在を公表することは、政府には全く念頭にない。そしてこの件に関わった全員の総意でもある。

「我々はこのような惨事を二度と引き起こさないために、あなた方ナローシュの協力を必要としています。ナローシュを打倒するためには、ナローシュの力が必要なのです」

 無論、毒者ではない人間がナローシュと相対すれば、相手のナローシュは完全に無力化できる。だが、相手は確実に毒者を引き連れている。そうしなければ自身の力を発揮できないのだから、必ずそうする。そしてこちらの観測外から、圧倒的な攻撃をしかけてくる。

 そのナローシュの攻撃を無力化でき、相手を索敵し、殲滅することが可能な存在――それは結局、同じナローシュだという結論に至った。

 相手もナローシュを運用する以上、ナローシュを観測するのは毒者に限られる。そこに踏み込めば、こちらのナローシュも十全に力を振るえる。

 ナローシュでナローシュを取りにいく必要はない。相手を無力化させつつ、こちらの非毒者の観測下に持ち込めば、あとは通常火器で処理できる。

 ただし、ナローシュをアンサモンするための装置には、生体パーツとして毒者が必要になる。また、呼び戻したナローシュの能力を把握するためにも、毒者は必要だ。それが――裏目に出たことで、稲は今ここにいるのだが。

「どうか、我々に協力を」

 稲は右手を差し伸べる。

 佐藤がそれを取ると、稲は頭を切り替える。

「スキルを使えるはずです。どうぞ治療を」

「ああ……キュア!」

 佐藤の傷口が塞がり、それどころか滲んだ血までもが消えていた。本当に――都合のいいことだ。

「では、お部屋にご案内します。寝食はそちらでお願いします。この施設内――ロックされていない区域なら、ご自由に移動していただいて構いません」

 ただし――稲は淡々と告げる。

「そちらの機器で佐藤さんの位置は常にモニターしています。外部に出るようなことがあった場合は、速やかに射殺します」

「なっ! ふざけるなよ! 俺の人権はどうなる!」

「あなたに人権は認められていません。あなたは法的には死人です」

 激昂しそうになる佐藤に、稲は銃口を向ける。

「どうか、ご理解ください。あなたの力はそれだけ危険をはらんでいるんです。そしてそれは、きっと世界を救う力になる」

 自分で言って反吐が出そうだった。こんな連中が存在すること自体が間違いなのだ。そもそもナローシュさえ現れなければ、こんな事態にはならなかった。あれだけの人が死ぬことも――大切な誰かが死ぬこともなかった。

 そんな稲の心中など知らずに、佐藤は一人でいい気になっている。

 世界を救えるというのはそれほど魅力的な言葉だろうか――稲にはとてもそうは思えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る