プロケスタではシーツが床に敷かれる訳



 いいか? 銀貨には必ず表と裏がある。良いも悪いもひと揃えにしねえと、パンが買えなくなるもんだ。


 これは客の来なかった日、アザミモドキの根を苦々しそうにエールの当てとして齧る父が必ず口にしていた言葉である。

 景気と機嫌が裏を向いた時に顔を覗かせるこの前奏を耳にしたが最後、彼が穴の開いたテーブルに突っ伏して、私が麻の掛布で大きな背中を包むまで延々と昔語りに付き合わされることになったものだ。その内容はいつも決まって、彼が生まれ、仕事の基礎を学んだという『御者泣かせ』プロケスタの宿屋から始まる半生の日記のような物だった。

 家の仕事を手伝ううちに宿屋というものの仕組みと接客と金儲けの方法という三つのことを学んだ父は、プロケスタの丘を南に臨む、ここ、エカエルの村で木賃宿きちんやどを開く。そして暇な日にはプロケスタへ出向き、勘当同然で追い出された実家に足を踏み入れようとする客に、もう数刻行ったところに安い宿があるぞと吹聴していたらしい。

 結果、祖父は立ち行かなくなった宿屋を売ってクララなる場所に作られた静養所に入ってしまったというが、母と私を養っていくためには致し方ないことだったと幾度も自己を肯定しているところを見るに、父にも多少の後ろめたさがあったのだろう。

 だがそのように親不孝を卑下するものではない。現に、元は貴族の末娘であったという病弱な母は今際の際まで父のことを尊敬していたし、私も名のある家柄の者と交流を持つようにと、服と手土産はいつも高級なものを当てがわれていたおかげで、こうして誼をもった者が紹介してくれた役人という職に就くことができ、あなたの墓を立派に建てる算段がついているのだから。


 さて、その墓について私には一つの選択肢が与えられた。つまり、父の墓をエカエルの村に建てるか、あるいはプロケスタの共同墓所に作るかという択なわけだ。だが私はエカエルと、貴族階級である知人の所領くらいしか出歩いたことは無く、プロケスタのかび臭い井戸水のことや木々を伐採し尽くした地滑りの多い土地のことを昔語りの夢の中でしか見たことは無い。

 ならばこの機会に彼の地へ赴いてみようと、初めて自らの意志で馬車に乗り込むことは高揚への種火となった。薄曇りの中を馬車が進むにつれ、胸に灯った炎はあれよと勢いを増す。なんせ、小さな頃からずっと聞かされ続け、夢の中に幾度も現れていた父の故郷だ。興奮が馬車に乗り移ったかのように予定よりも随分早く町の外に作られた停留所につくと、建物自体が傾いでいる粗末な土産物屋を横目に昼時前に巨大な門をくぐることになった。

 そして私は驚いた。目の前に広がる光景は、私の夢見た街並みをそのまま映し出したものだったからだ。無理に高級に見せようと、取って付けたように低い石壁で囲んだ、やけに背の高い木造の建物。悪ガキがいくらでも湧いてきそうな細くて曲がりくねった路地。

 ちょっと気を抜くと身ぐるみ剥がれる。父が語っていた通りの街並みを中央まで抜けると、そこには寝苦しい夜でも隙間風には困らなそうな二階建ての巨大な建物が身分不相応にも『プロケスタ一の高級宿』と豪奢な銅のレリーフを下げて、私の冒険の半分はここで終いなのだと告げていた。


 ……だが。まさかここまでの半分が、コインの表面だったとは。私は打ち身と切り傷に歪む顔にこびりついた泥を、噂に違わぬ異臭が鼻を突く井戸水で洗い落としながら、下男に向けて舌打ちをした。


「酷い目に遭った! まさか野犬の群れに私を襲わせて、亡骸から金目の物を奪い取る算段だったわけではあるまいな!」

「冗談じゃねえよ旦那! ほら見てくれ、俺だってようやく足に馴染んだばかりのなめし皮の靴が、アイツらに噛まれて片方だけになっちまった! 今時、麦畑のかかしだって揃えで靴を履いてるってのに!」


 私の隣で血の滲んだ足を洗うこの男は宿屋の下男。宿屋に入って、祖父からここを受け継いだ男と出会った私がひとしきり話を終えた頃合いを見計らって、懐の金袋をチラチラと横目にしながらプロケスタの案内をしたいと話しかけて来た子悪党だ。

 赤茶けた髪をちりちりにさせた、隙っ歯の胡散臭い少年。宿の有様と良く見合ったぼろに袖を通した彼をはなから信用などしてはいなかったが、それでも一人で歩くよりは多少ましかと算段を立てた私が銀貨を奮発して墓場までの案内を頼んだのだ。

 だが彼の思惑の内か外か、墓場までの道すがらに野犬の群れに襲われて、こうして命からがら逃げて来たと言う訳だ。


「癖の悪い輩が多いから守ってやると息巻いていたのはどの口だったかな?」

「犬コロどもは管轄外だ! それに、誰が花火を爆発させたと思ってんだよ!」

「うむ、確かに。あれのおかげで犬が逃げて行ったのは間違いない」

「そうだろ!? だったらもっと感謝するべきだ! 夜盗から身を護るために大枚叩いて手に入れたのに、台無しなんだからな!?」


 慣れた行商人なら必ず昼のうちに通り過ぎるプロケスタは、『御者泣かせ』の二つ名が表すとおりにやたらと物価が高い。きっと花火も相当な値がするものなのだろう。私は合点がいかないながらも、彼の立場になって銀貨を二枚ほど渡してやった。


「ちっ、これじゃトントンだ。案内の儲けがまるで飛んじまった」

「そう言うな。代わりに一つ、良いものをくれてやろう」


 私は袖で顔の雫を拭いながら、井戸端を外れて馬車道へ出る。そして最初に見つけた靴屋で、下男に出来和えを一足買ってやった。


「へえ? 旦那、助かったんだけどさ」

「なにか不満でもあるのか?」

「いや、この町でそんなに財布のひもをたびたび緩めてると、幾人もの手が飛び込んで来るぜ?」


 隙っ歯でニヤリと笑うその喉から真っ先に手を出して突っ込んでくる気だな?

 私は警戒しながら金袋を懐にしまおうとしたのだが。


「ってわけで。火打石の代金をまだ貰ってねえ」


 下男の話がもっともだったのと、その屈託のない図々しさに思わず相好を崩して、これが終いだと言い聞かせながら銀貨をもう一枚くれてやることにした。


 ……表の面と裏の面はひと揃え。

 それがこの町、プロケスタ。


 柄が悪く、知人に紹介することが出来なかった父。彼にとっては生まれ育ったこの町こそ、心安らいで眠ることができる場所だろう。私は早速使いを飛ばして、幾日も置いたままにしている棺と墓石を運ばせる算段をつけた。


 そして日も暮れ酒場も賑わいを見せる頃、ようやく下男を伴って宿に戻ると、その受付前の三つのテーブルには所狭しと酒が並び、娼婦と思しき女が今宵の客を見定めて媚びを売っていたのだった。

 この喧騒の上では眠ることなどできはしないだろう。そうは思った私だったが、プロケスタの表と裏を身近に感じてみたいという好奇心が勝ちを拾い、下男に頼んで主を呼んでもらうことにした。


「へえ。酒か? 立ち飲みになるがの?」

「いや、ここに宿泊したい。一部屋用立てることはできるか?」

「一部屋だけあいとるで。食事と酒を合わせて銀貨五枚」

「ん? ……いや、分かった。先に払おう」

「毎度」


 思わず言葉を濁したが、それも致し方のないことだろう。この骨も皿をも食いつくすような町にあって、極めて良心的な代金ではないか。

 私は、自らが暴利をむさぼられることを期待していたことに呆れていると、一つのテーブルから男と娼婦が二階への階段を上っていく。どうやら宿代とは別に、ちゃんと儲ける仕組みがあるようで、それに気付いてほっとする自分に改めて呆れる事になったのだった。


 酒樽に木板を渡しただけのテーブルが、片付けられもせずに私の食卓となる。安物のエールにシカ肉のステーキと焼いた芋。父の好物ばかりを運んだのは胸元をだらしなく開いた女性だったのだが、彼女たちは給仕も兼ねているという事なのか。

 だが、そう色目を使うのは労力の無駄だ。


「私は女を買う気はない。他を当たってくれ」

「あら。変な客」

「それより、ナイフとフォークをお願いしたい」

「銀貨一枚よ?」


 またやられた。これは下手をすると、椅子代まで取られるやもしれん。私は立ったままシカ肉を三口ほど齧ると、早々にあてがわれた部屋へ逃げ込むことにした。

 むせかえるような酒気に当てられながら軋む階段を上って、半ば開いたままの木扉へ手をかける。するとベッドの中では、先ほど席を立った男女が抱き合っていたのだった。


「おい、主! 主はいるか!」

「へえ。どうなさったんで?」

「部屋を間違えているぞ! 私の部屋はどこだ?」

「ここでさ」

「では彼らが間違えたのか!?」

「いいえ?」


 怒り心頭で騒ぐ私に、店主はこの地では当たり前といった顔でこう告げたのだった。


「部屋はあなたに貸しましたけど、ベッドは彼らに貸したんでさ」

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アケルからの旅路 ~ 本当の意味が書かれていない物語たち ~ 如月 仁成 @hitomi_aki

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