勉強の天災 ニュー・ホライズン

@kuronekoya

旅の外国語指導助手

こっちセルデシアあっち地球の時間の流れってどうなってるんだろうね?」

 と誰に問うともなく五十鈴さんがつぶやいた。


「シロエさんの野望計画どおりにこっちの世界とあっちの世界を行き来できるようになったとして、もしもあっちも同じだけ時間が流れていたとしたら、わたしたちもう1年以上行方不明だよ。

 自動的に学校留年しちゃうよ?」


 それは私がいつも考えまいと後回しにし続けてきた問いだった。

 家族は恋しい。

 友人たちはどうしているのか。

 でもトウヤの足のことを考えると、このままこの世界に居続けるのもいいのでは? と考える私もいた。


ログ・ホライズンギルドの大人組の皆さんに意見を聞いてみましょう!」


 やけに弾んだ声でセララさんが言った。

 うん、魂胆はわかっている。

 ニャン太さんに会いたいだけだよね。


 それでもとりあえず私たちがギルドハウスに向かうべく、カフェの席から立ち上がろうとしたときだった。


「たとえあちらでは一瞬のことだったとしても!」


 突然、知らない女性の声が割り込んできた。


「キミたちはここで1年以上の時間を過ごしてきたんでしょう?

 英単語、すっかり忘れちゃってるんじゃない?」


 金髪をサイドテールにまとめてちょっとアホ毛っぽいのが立っている、碧眼で童顔なくせに、出るべきところは出て引っ込むべきところは引っ込んでいるという小柄なくせにけしからん体型の女性が青っぽい服を着て立っていた。


「英単語なら、こっちにきてからもいっぱい覚えたぜ!

 ヘイト、パーティー、リキャストタイム……」


「トウヤさん、恥ずかしいからやめて!」


「ねぇ、ミス・五十鈴。あの女性が今言った『エイタンゴ』って一体何なんだい?」


 みんなその女性のことを忘れてすぐに勝手に話し始めてる。

 ちょっといい気味、とか思う自分が嫌になる。



「はーい! みなさん、こっちに注目!!」


 手をパンパンと叩いて、その女性が声を張り上げた。


「今はみんなにとって、いわば『長い夏休み』みたいなもの。

 ただ冒険しているだけでいいのかな?

 いつあっちの世界に戻ってもいいように、ちゃんと予習復習しておいたほうがいいんじゃないかな?

 私ならそのお手伝いができるわ。

 私の名前は、エレソ・ベイカー。旅の外国語指導助手ALTよ」


 と、キメ顔で言った。

 なんか、この人ウザい。

 っていうか、あざとい?

 反射的にそんなことを思う自分にまた自己嫌悪。


 ふと周囲を見渡すと、カフェにいるのは生産系ギルドの人ばかりで戦闘系ギルドの人たちはこっそりいなくなってしまっていた。

 そんなに勉強が嫌いだったのか、戦闘系ギルドの人たち脳筋野郎どもは。


 なんとなくその場の流れで英語教室が始まってしまった。

 いつの間にかやって来たカラシンさんや直継さんが、授業参観の親みたいに生暖かい目をしてうしろで見ている。

 恥ずかしい。


「はい、ではリピートアフターミー」


 エレソ先生が笑顔で言う。


「「「Who are you?」」」


「ねぇ、ミス・五十鈴、あのレディが何を言っているのかさっぱりわからないのだが?」


 とルンデルハウスさんが小声で五十鈴さんに訊ねた。


「こらっ! そこ、おしゃべりしない!!」


 ルンデルハウスさんの眉間に白墨チョークがヒットした。

 ルンデルハウスさんとて冒険者。そのこめかみにクリーンヒットさせるとは……。

 っていうか、ルンデルハウスさん白目むいて気絶してるし。



「これって、中1レベルだよねぇ?」


 うしろで直継さんに乗っかっていたてとらさんがヒソヒソ声で(思いっきり聞こえてたけど)隣のマリエールさんに言った。


「はいっ! そこもおしゃべりしない!!」


 なぜかてとらさんだけではなく、直継さんとマリエールさんまで連帯責任で両手にバケツを持って立たされた。


「こんなの久しぶりやなぁ」


 と、マリエールさんは笑うけれど、立たされたことあったんだ!?

 ちょっと意外。


「さあ、次はセララさんにP69から読んでもらうわよ」


「は、ひゃい!」


 いきなり当てられて声が裏返ってるし。


「セララっち、自然体でいいのですニャ」


 こちらもいつの間にかやって来ていたニャン太さんが、もう保護者の表情かお丸出しで声をかけた。


「ひゃい……」


 セララさん、ますます赤くなってるし。


「次はこれを日本語に訳してもらおうかしら?」


 エレソ先生が笑顔で言ったけれど、目は笑っていなかった。

 ヤバい! 本能的にそう感じた。


 3人先まであてられる順番を予測して、自分があたるであろうところを先に黙読したり和訳したりする「全力管制勉強フルコントロールエンカウント」で先読みする。


「じゃあ、ここは五十鈴さんに訳してもらおうかしら」


 リアルでは高校生だという五十鈴さんはそつなく訳した。

 予測より時間の進み方が早い。


「次は……」


 トウヤにカンペを渡そうとした瞬間、エレソ先生と目が合った。


「何をしているのかしら?」


 エレソ先生だったはずのモノは、「勉強の典災ジーニアス 『ニューホライズン』偏差値65」になっていた。



「クチクシテヤル」



「おや? 英語の勉強でジーニアスといえば、あの黒くて……モゴッ」


「たぶん商標権とか色々ひっかかってきますから、はっきりとその名前は口にしない方がいいと思いますわ」


 うしろではヘンリエッタさんがアカツキさんを捕まえて口をふさいでいた。

 アカツキさんを捕まえるとか、ヘンリエッタさん、ああ見えてただ者じゃないな。



「クチクシテヤル」


 再びニューホライズンが吠える。


「そのセリフならエレソ先生よりもむしろ、進g……モゴッ」


 ソウジロウさんがミチタカさんにヘッドロックをかまされていた。

 どうもあちこちで力関係が逆転しているような。


「ミノリの予測が正しいと思うよ」


 と、背後からシロエさんの声がした。

 が、シロエさんの雰囲気がいつもと違う。

 なんだか自信に満ち溢れた……率直に言うとドヤ顔でウザい。


「あれは『勉強の典災』、すなわち物理攻撃よりも、魔法攻撃よりも、偏差値が上回ることでより大きなダメージを与えられる。

 つまり僕の独壇場だ!」


「ちなみに昔から俺は赤点祭り、追試祭りだったぜ」


 なんだか直継さんの声に張りがない。


「ボクも右に同じだよ〜」


 てとらさんもいつもの元気はどこかに行って、直継さんにぶら下がっているのがやっとみたいだった。

 キツイなら地面に降りればいいのに。


 ニャン太さんは口笛を吹くまねをしてそっぽを向いている。

 意外だ。


 アカツキさんはじっとうつむいている。


「さあ! いつもはうしろでエンチャントばかりしている僕だけど、今日は最前線で戦っちゃおうかなっ!」


 なんか浮かれてキャラが崩壊しているシロエさん、それって何かヤバいフラグっぽくないですか?

 あとちょっとエモい。


「だいたいさぁ、大地人が『英語の勉強』とか言ってる時点で気付こうよ」


 っていうか今のシロエさん、超ムカつくんですけど。


「クチクシテヤル」


 勉強の典災が、なんか放置されてたっぽいせいか不服そうな声で吠えた。


「クチクシテヤル」


「さあ! どんどんワザを出しちゃうゾ!! 『フレミングの左手の法則』! 『ありおりはべりいまそかり』! 『仮定法過去完了』! 『3.1415926535』! 『いい国作ろう鎌倉幕府』!……」


 あ、シロエさん、最後のそれちょっと古い。今は違うくて……。

 シロエさんが逆襲を受けそうになったその瞬間、そろそろ来るんじゃないかと思っていた人の声が聞こえた。


「へぇ〜、『NEW HORIZON』かぁ。私たちの中学校じゃ『NEW CROWN』使ってたなぁ!

 なんか違うの?

 え? 夏休み? 毎年8月31日になると友だちの家に行って宿題写させてもらってたよ!!

 勉強なんて、なんとかなるなる♪」


 カナミさんの空気を読まないひと言に「勉強の典災ジーニアス 『ニューホライズン』偏差値65」はヘナヘナと崩れ落ち、風化して砂のようになって飛ばされていった。

 後には、黒い英和辞典が残されていた。


fin

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