それから


 それから、一週間が経過していた。


 トントントン。


 いつものように、禁忌の館の一室に軽快なノック音が響き渡った。


「失礼します」


「……読書をしていたのだがね」


 主人は不機嫌そうに、右手の本を机に置いた。


「申し訳ありません」


 執事は深々と頭を下げる。


「何か用事かい?」


「ライオール様がいらっしゃってます」


「……まったく。忌々しい男だ」


 やっと身体が動くようになってくると思ったら、ちょうどのタイミングでやってくる。


「どうなさいますか?」


「僕は今、読書で忙しい。出直して来てもらいなさい」


 悔しい。完膚なきまでに消滅させられて、圧倒的に悔しい、負けず嫌い魔法使い。


「そう言われると思って入ってきました」


 すでに、ミラの後ろにいるライオールが柔かな表情を浮かべながら入ってきた。


「……不法侵入はマナー違反じゃないかな?」


「時にはマナーを忘れるぐらいの情熱を持って接するべきだーージュリアン=ドドーレス。58年前にあなたが引用した言葉を引用させて頂きました」


「……」


 まったくもって面白くない。確か、セザール王国での晩餐会、第一王子の無礼を足蹴にして、強引に婚約者パートナーとのダンスを奪おうとした時の台詞だったか。ちなみに、その女性からは壮絶な情熱ビンタを喰らう羽目となった。


 余談ではあるが、反逆罪として指名手配されて国外追放の憂き目を受けた後、『マナーを忘れるぐらいの情熱は、熱い情熱によってしか昇華されない』という意味不明な迷言を自叙伝にしたためているキチガイ魔法使いである。


「それで、何の用事かな? 僕は読書で忙しいのだが」


 そう言いながら、再び本を手にとって読むフリをする。表紙のタイトルは『教師と生徒の禁断情事〜そ、そこはダメです先生』……少なくとも、会話を差し込んではいけないほど重要な内容ではないだろうと、ライオールは話を続ける。


「お変わりなさそうでなによりです。ロイドの思考が残っていたらどうしようかと思ってましたが」


「フッ……君の方もお元気そうで」


 明らかに失った右腕を愉快げに眺めながら、性格最悪魔法使いは勝ち誇ったように返す。


「ええ、おかげさまで」


 ニッコリ。満面の笑みを返す好々爺が益々気に入らない器最小魔法使い。


「断っておくが、僕は思考を侵されていたため、本来の二分の一……いや、百分の一まで戦闘力が落ちていた。運よく、僕に勝利できたからと言って、僕よりも強いなんて思わない方がいいね」


「はい」


「それに、君はすでに右腕も失っている。もう、僕と対峙しても絶対に勝てないことを重々思い知るんだね」


「はい」


「そもそも、あの決着の後、傷ひとつない僕の執事であるミラが控えていたんだ。仮に僕が一時的に消滅させられようと、僕の勝ちは揺るがなかった。唯一誤算だったのが、なにを勘違いしたのか、主人の意図をしっかりと理解しない残念な執事が君を治してなどしてしまうから、あたかも君が勝利したかのように見えるのだが、実は限りなく僕の勝利寄りの引き分けだったというのが僕の考えなのだが君はどう思う?」


「はい、私もそう思います」


「……」


 ネチネチネチネチ。言い訳と自己弁明と責任転嫁をひたすら続ける性格最低魔法使い。一方で、ひたすらその妄言に耳を傾け続け、果ては『ワザと負けを選択したのではないか』などと言うファンタジーな妄想を抱く性格最高魔法使い。ミラは、二人を交互に眺めながら切実に思った。


 違えば違うものだな、と。


          ・・・


 それから、さらに一方的な話は続き、罵詈雑言が自慢話へと変わり、果てはヘーゼン=ハイムの悪口へと変わり、陽が真ん中に上がって沈み始めた頃、


「……まったく。しかし、君の覚悟に免じて、僕への裏切りは水に流すとしよう」


 ようやくアシュはため息をついた。


「ありがとうございます」


 実に10時間以上。拷問とも言えるその苦行に対し、いつもと変わらぬ表情を浮かべるライオール。


「……あのローランという魔法使いはどうしている?」


「意識が戻った後、去って行きましたよ。『次に会った時は、負けない』だそうです」


「まったく……感謝のカケラすらないのか。アレにの価値があるとは、僕は思わないのだけどね」


 ローラン=ハイムは、ライオールの助けによって生き延びた。


 しかし、ライオール=セルゲイという聖闇魔法使いの名は、確実に死んだ。


 両手指を駆使して戦闘を行う魔法使いにとって、右腕がないなど明らかな欠陥品だ。もちろんライオールほどの魔法使いなら、そこらの魔法使いとは比べものにならないが、ロイド、ローラン、アシュなどの猛者にはもう勝利することはできないだろう。


 現在、アシュが魔力を込めた義手の製作に取りかかっているが、人間の肉体との繋ぎがどうしても上手くいかない。少なくとも、10年。同じように動かせるようになるのに更に10年はかかるのではというのが現状の見通しだ。魔力の衰えは肉体よりも遅いが、それでも現在の実力に戻すにはあまりに歳をとり過ぎている。


「私は期待しているんですよ。彼の器ならば、もしかしたらあなたを超えうる魔法使いになると」


「……ふぅ。まあ、これも時代か」


 模造品レプリカの運命を課せられたあの青年が、今後どう変わっていくのか。ライオールはそれに賭けたということなのだとアシュは思う。自らが変わらなくても、他者に託すことで変えることができる。アシュ自身がそんな風に思うことは決してないだろうが、歳を取るということは、きっとそうことなのだろうと想像する。


 不老不死の魔法使いには、ライオールの姿が少しだけまぶしく感じた。


 その時、


「まったく……なんで授業放棄をしている教師を迎えに行かなくちゃいけないのかしら。私は、こんなダメな大人には絶対にならない」


 ブツブツと。


 つぶやきにしては、二階まで聞こえるほどハキハキとした声が聞こえる。窓の外を見てみると、怒り顔のリリーとなだめ顔のシスがいた。


「まったく……この場所は気軽に来れる遊び場じゃないんだがね」


 ここには、アシュの飼っている魔獣がウヨウヨいる。侵入者を排除する役割を持つが、シスにかかればペット同然。数万の人間を殺戮してきた魔獣たちが、彼女には背中を地につけて、お腹すら見せる始末だ。


「とにかく、アシュ先生には、この一週間の不在の理由と国別魔法対抗戦にほとんど欠席していた理由。そして、なによりも、なんで味方である私たちに毒を盛ったのか。その理由を是が非にでも話してもらわなくちゃ!」


 プリプリと、ハキハキとしたリリーの声だけが通り、シスの声はそれにかき消されている。


「はぁ。騒々しいな。ミラ、暑苦しいからシスだけ入れなさい」


「……そうすると、リリー様が魔獣に襲われる羽目になりますが?」


「そのように命じたんだよ」


「……かしこまりました」


 相変わらずの性格の悪さに、『シネバイイノニ』と心の中でつぶやきながら、ミラは部屋を去って行った。


「さて。予定があるので、そろそろ私は行きますかな」


「相変わらず忙しいね。こんな夜中になっても、まだ予定があるのかい?」


「たまには、師匠に会いに行こうかと思いまして。ご一緒しますか?」


「絶対に嫌だ」


「フフ……では、失礼します」


 ライオールは深々とお辞儀をして去って行く。


「さて……」


 アシュは、館の扉から出てきたミラが、二人に説明する光景を眺める。その言葉に金髪の美少女はますます怒り顔になり、青髪の美少女は一層なだめ顔になる。


「……ククク」


 愉快そうにそれを見つめながら。
















 アシュはフッと息を少し吐いた。


 







 

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