さよなら


 そこは館と呼ぶにはあまりにも奇妙な場所だった。庭を埋め尽くす程の墓標。常人ならば吐き気を催すほどの死臭。その中心にあるのは無機質な黒鉄で建てられた、まるで要塞とも言える巨大な建造物。


 ヘーゼン=ハイムは、ここを『禁忌の館』と呼んだ。


 アシュ=ダールがモデルにしたこの建物は敷地内の広大な森の中に建てられていた。特殊な結界が張ってあり、主人亡き今、彼の一番弟子であるライオールしか入ることができない。


「久しぶりだな」


 老人の魔法使いは、淡々とした口調でつぶやき、進む。


 館の中に入ると、一面に並べられた本棚だった。本、本、本、至るところ、本ばかり。そのまま、地下の螺旋階段を降り、地下室の扉をあけると、そこにはおびただしい程の死体が保管されていた。


 そして、ライオールは安物のソファに座って目をつぶる。


           *


 遡ること30年余り。


 安物のソファでうたた寝しているヘーゼンは突然目を見開いた。


「ライオールか……久しぶりだな。いつからいた?」


「つい先ほど来たばかりですよ。さすがはヘーゼン先生です」


「嘘をつけ。本当はずっとこの場にいたのだろう?」


「そんな。どこにそんな証拠が?」


「証拠はないが、確証はあるよ。それは君がライオール=セルゲイという男だからさ」


「……はぁ、観念しましょう」


 いたずらっぽく笑う好々爺はまるで少年のような瞳を浮かべる。


「この歳になって、唯一友と言える存在は君だけになってしまったな」


 ヘーゼンは少しだけ寂しそうに笑う。


「そんな……友だなんて恐れ多い」


「いや……正確に言えば君とテスラぐらいのものだろうが奴とは性格が合わんからな」


「フフフ……私はテスラ様こそあなたの真の友だと思っていますよ」


「……そうかな」


「そうですよ」


「はぁ……話がそれた。今日呼び出した理由はわかるかい?」


「見当だけはつきますが」


「フフフ……さすがは我が友」


「アシュさんのことでしょう?」


「ご名答。奴のことだけが、私がこの世界に残した『悔い』だよ」


「……それを幸せなことだとは考えられませんか?」


「思えんね。奴以外の『悔い』は殺したか……死んでしまった」


「……」


「ふふ……ヘーゼン=ハイムとはそういう生き方をしてきた男なのだよ」


「……」


「しかし、私は老いた。もう、奴には勝つことができない」


「……私でもあの方に勝つことは無理です」


「ああ……あのバカ者め。まったく忌々しい」


「ふふ……」


「どうした?」


「二律背反というやつですか……あなたがアシュさんの話をされるときは不思議と楽しそうに見えるものですから」


「……気のせいだろう」


 言葉ではそう隠しながらも。


 憎む以上に愛している。


 愛する以上に憎んでいる。


 ライオールにはそう感じた。


 この世で最も尊敬するこの男に、そう思わせるほどのアシュに、


 少しだけ羨望を感じる。


「だから……奴の封印はロイドに任せる」


「彼にですか。しかし、僭越ながらーー」


「わかっている。やつの実力はアシュには及ばん。しかし、ロイドは最近、魂を捉える魔法を開発した……私には秘密にしているがな」


「……」


「私の心臓に支障を抱えている。もう、いつ発作が出てもおかしくはない。その時に、やつは私の魂を捉えて人形と化すだろう……永劫に動く操り人形に」


「……あなたは」


「私には似合いの末路だ……やつを野放しにしておいて、楽に死ぬことなど許されんのさ。全盛期のヘーゼン=ハイムという名の人形は、全身全霊をもってやつを封じにかかるだろう」


「……」


「しかし、アシュ=ダールという男はそれをもってしても予測し難い。やつがそれでも封じられない可能性がある」


「……まさか」


「不安要素は二つ。一つは、人形であるが故に行動が制限される可能性。ロイドに怪しまれぬために、私は記憶を想悪魔に操作させねばいけない。実際に、アシュと対峙したときにどんな戦闘運びをするかがわからない」


「……」


「二つ目は、アシュの対応能力だ。一度、私はやつに勝った。それから、二度とやつと戦うことは無かったが、対策を講じている可能性は非常に高い。それが、どのような手段なのか。皆目見当がつかない」


「……あなたは恐ろしい方です」


 話を聞きながら、ライオールは湧き起こる戦慄を抑えきれなかった。これが、史上最強の魔法使い。自らの命すら武器にして戦い、それを冷静に分析している。


「ふふふ……その顔を見れて嬉しいよ。君に見破ることができないならば、アシュに見破られる可能性も少ない」


「……」


「そこで、君にお願いがあるんだ。これを……」


 ヘーゼンはライオールに筒状のガラス管を手渡した。中にはなにも入っていないように見える。


「これは?」


「魂を捉える道具さ。ロイドが開発したものを私が見よう見まねで作ったものだ。これを、君に託す」


「……」


「もし、ヘーゼン=ハイムと言う名の人形が破壊されたら、それで魂を捉えてくれ。私は、復活して奴を……アシュ=ダールを殺す」


「……」


「……これは、賭けでもある。奴が私の策に気づき、魂すらの破壊も遂行しようとすれば私の負けだ。しかし、人形とは言え、私との戦闘においてそれだけの余裕はないように思う。そして、なにより……ヤツには身内には甘いところがある」


 淡々と説明するヘーゼンに、ライオールはなにも言えなかった。これは、遺言であり、アシュ=ダールに対する徹底的な意志だ。これほどまでの強い想いが抱ける人間など、この地上には存在しない。


「……肉体は……器はどうするんですか?」


「ああ、器はーー」


           *


「目を覚ましかい、ローラン君?」


 やがてライオールは立ち上がり、鎖に繋がれている黒髪の魔法使いに声をかける。口を完全に塞がれ、その瞳には恐怖の色が映る。


「ん゛ーー! ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛っーー!」


「無理だよ……それは、ヘーゼン先生の造った鎖だ。決して、内部の力では外すことができない」


 そう言いながら。


 ライオールはガラス管を取り出してローランに見せる。


「ん゛ん゛っ!」


「これかい? これは、ヘーゼン先生の魂だよ。君は、これから器となって生まれ変わるんだ。ヘーゼン=ハイムという名の本物に」


「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛っーー! ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛っーー!ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛っーー!」


「私は君の魂を計っていた。ヘーゼン先生からもその許可を頂いて、君がアシュさんを超えられるようなら……しかし、君の精神は残念ながら脆弱過ぎる」


「ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ!」


「私やアシュさん……そしてヘーゼン先生に共通する考え方はなんだと思う? それは、『他人にした行為は、自分がされても仕方がない』。これが、僕らの境界線なんだ……なにが言いたいかわかるよね?」


「ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ! ん゛ん゛っ!」


「君はアシュさんを永劫封じようとした。それは、自分がたとえ永遠に封じられることになっても構わないということ……反論はしなくていいし、受け付けもしない。だから、私から言えることは一つ……」


「ん゛ん゛っ!」


「……さよなら」


「ん゛ん゛っーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」


           ・・・





























「アシュ……私が貴様を殺してやる」


 黒髪の魔法使いは、つぶやいた。


              第5章 END









 

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