最低魔法使い
・・・
「……シュ様……アシュ様……アシュ様!」
ミラが揺さぶり、ネボスケ魔法使いが瞳を開く。
「なんだね? 主人の目を強引に覚まさせるとは、執事失格とも言われかねない行動だとは思わないかい?」
「教師失格のあなたに言われたくはありませんが。それより、シス様がそろそろ100周達成しそうです」
「ほぅ……早いな」
そう唸って、視線を彼女に向ける。
シスは割合元気そうに、そしてコンスタントに走っていた。
「どうやら、マラソンが趣味らしいですよ」
有能執事が彼女にまつわる情報を述べる。
「……つまらんな。あの可愛い顔が苦悶で歪む表情が見たかったのに」
その発言に、ミラ思う。
変態ロリサディステック魔法使い、と。
そんな中、シスが100周目を走り終えアシュの方に駆け寄ってきた。
「はぁ……はぁ……アシュ先生。リリーはもう、100周超えています。100周じゃ駄目ですか?」
「……開口一番が他人の心配とは。いつか、その優しさにつけこむ悪い輩が現れないかと、僕は君の未来が心配になるよ」
そうシスの頭を優しく撫でるロリ魔法使いに、ミラ、思う。
悪い輩は、あなたです、と。
「しかし、免除してやることはできないな。この授業には深い意味があるからね」
闇魔法使いは不敵な表情で笑った。
「……わかりました。じゃあ、ちょっとリリーを応援してきます」
そう言い残し、マラソン大好き美少女は彼女の元に走っていく。
「まったく……意外な才能を発揮してくれる」
シスの方を眺めながら優しく笑う。
「しかし……他の生徒たちは、足が止まり始めましたね」
ミラの言葉で周りを見渡すと、生徒たちのスピードは激減していた。もはや、人目を憚らず歩き出す生徒、止まっている生徒までいる。残り30周から40周。しかし、どうしても足が前に運ばない。
「頃合いか……」
アシュは立ち上がって、生徒たちが走っている校庭まで歩く。
初めて動き出した闇魔法使いに一同注目が集まる。
「楽になりたいかね?」
アシュは大きく目を見開いて、尋ねる。
「……」
生徒たちはなにも言わないが、その表情はすでに答えを出していた。
「フフフ……いい
「……」
「一度堕ちてしまったら最後。魂ごと縛られ、元の生活には戻れないだろう。一生、親友も、恋人も、家族でさえも裏切り続ける人生が待っている。まさか、そんな日々を望んではいないだろう? だから、君たちは心を鍛えるのだ。いいね?」
「……はい」
生徒たちはみんな大きく頷いた。
「さあ、今日の授業は終わりだ。みんな、帰り支度を始め給え」
その瞬間、一斉に生徒から歓声があがる。
「……うまく後づけしましたね?」
執事のミラが淡々と指摘する。彼女は確信していた。この性悪魔法使いは、ただデートで待ちぼうけを喰らった八つ当たりをしたかっただけなのだと。
その証拠に13時間。アシュがデート場所に到着し、あきらめて帰るまでのちょうど13時間を生徒たちに走らせていた。
「なんのことかな?」
満足そうな笑みを浮かべてとぼける性悪魔法使い。
「でも……アシュ様、彼女はまだ走っているようですよ」
ミラが指さした先には、一人走っている生徒。
リリー=シュバルツである。意地っ張り美少女は闇魔法使いの言葉など耳に入らず、一心不乱に走り続けていた。
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」
「……君たちは、もう終わりだ。リリー君以外は戻って帰りたまえ」
「先生!」
シスが悲痛な表情で訴えかける。
「君もだ。これは、教師としての指示だよ。心配しなくても、僕は教師だ。彼女の最後を見届ける義務があるからね」
アシュの声が響く。
「……はい」
シスも渋々了承し、他の生徒たちと共に校舎へ帰っていく。リリーの走る姿に幾分か後ろ髪引かれる生徒もいたが、その疲れから誰も立ち止まる者はいなかった。
誰もいなくなった校庭で闇魔法使いは、歪んだ笑みを見せる。
「さて……応援してくれる者も、共に走る者もいなくなったよ」
「ぜぇ……ぜぇ……ごほっ……ごほっ……」
リリーは聞こえていないのか、アシュの言葉を無視して走り続ける。
「……ミラ、なにをしようとしている?」
アシュは、リリーに駆け寄ろうとしている執事を制止する。
「今の咳……恐らく走りすぎて肺がやられております。治癒魔法を――」
「必要ない」
闇魔法使いの冷たい言葉が響く。
「しかし――」
「死にはしないさ……いや、死んだところで。己の限界を超えてまで意地を張り続けるほどの愚か者は、自業自得というものだろう。そうではないかね、リリー=シュバルツ君」
「……ごほっ……ごほっ……ぜぇ……ぜぇ……」
もはや、彼女の足取りはふらついていたが、それでも走り続ける。もはやアシュの声は聞こえていないのだろう。その瞳はグラグラと揺れ、意識を保っているかどうかも定かではない。
「……彼女は阿呆だな」
呆れながらそうつぶやく闇魔法使い。
「恐らく、あなたにだけは負けたくないのでは?」
ミラは淡々と答える。
「……ふぅ、こんなくだらないことでもかい? 大した負けず嫌いだ」
意地の張りどころが間違っているとは、アシュだけの感想ではないだろう。
「もしくは、単にあなたのことが嫌いなのでは?」
「……まあ、見届けようじゃないか。彼女の状態では、どうやったって完走は無理だからね」
彼女の皮肉をスルーして、視線をリリーに向ける。残り、13周。もはや、肺の痛みをギュッと押さえながら足を引きずりながら走っている。
・・・
ドサッ
残り10周。とうとう、リリーは前のめりに倒れこんだ。すぐに、駆け寄って彼女の側でしゃがみこむ。
「どうした? まだ、残っているぞ? やはり、君も口だけの生徒なのかい?」
アシュは容赦なく、リリーに挑発的な口調を浴びせる。
「ぜぇ……ぜぇ……ごほっ……ごほっ……ひゅー……ひゅー……」
その時、リリーの口から血が噴き出し、肺から変な音がし始めた。その表情は顔面蒼白でチアノーゼの表情が見てとれる。放っておいては、命すら危ない。
「はぁ……こんな意地っ張り、初めてだよ。彼女を治療してくれ」
「治してもよろしいのでしょうか?」
「……早くしろ」
アシュは不機嫌そうにつぶやくと、すぐに彼女は治癒魔法を始めた。
・・・
2時間が経過した後、リリーが目を覚ました。
「……ここは?」
あたりを見渡すと、校舎の廊下だった。
「やっと……起きたかね」
声の方を向くと、最低魔法使いの背中が目の前にあった。次の瞬間、おぶられていることに気づいた。
「……アシュせんせ――「こ、こら! 動くんじゃない! 落ちるだろうが」
そう言って慌ててバランスの崩れた態勢を必死に立て直そうとする。
「私……そうだ、120周は!?」
「……忌々しいが、無事完走したよ」
「えっ……本当に?」
90周ぐらいまでの記憶はあるが、そこからはよく覚えていない。
「僕が君を喜ばせるために嘘をつくとでも?」
そのアシュの発言には多大な説得力があった。
「そっか……へへ……そっか……」
嬉しそうに、リリーは、はにかむ。
「しかし……君には足りていない箇所があるよ。完走できなかった生徒と同じくね……どうしてリタイヤしなかった?」
「……」
「自分の限界がわからぬ者は、みんな早死にする……『サルバトール=ドサニコ――」
カプッ
「
アシュの首に歯を突き立て、思いきり噛みつくリリー。
「
「
その攻防は、しばらく続けられた。
・・・
日付を超えて午前0時。やっと、自室に帰ってきたアシュとミラ。
「ふぅ……今日はあのお転婆のせいで疲れたな……イタタタッ」
そう言いながら、アシュは首についた歯型の跡を抑える。
「私の魔法で治療なさいますか?」
「……いや、いい」
「……」
「……なんだい? 女性に多少傷つけられたからと言って、いちいち治療魔法を使うほど僕は軟弱じゃない。それだけだよ」
「なにも言っていませんが」
「……もう、寝る。今日は、疲れた」
不機嫌そうに自室に向かうアシュ。
「そうですよね……彼女をおぶって10周は疲れましたよね」
「……別に」
闇魔法使いはバツが悪そうにつぶやいて、自室のドアを閉じた。
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