教皇


 この男が何を言っているか理解できなかった。


「……今、なんて言ったの?」


「ん? ああ、聞こえなかったかね。『もう来る必要はない』と言ったまでだよ。本当に惜しいがね」


 アシュは哀しそうにため息をつく。


 リリーは、非常に美しい少女だ。細く流れるような金髪。不可思議な輝きを放つ深緑色の瞳。天使を描いた絵画のように整った顔立ちに添えられたその特徴は、まさしく未来の彼女候補の1人に連ねられたのに。


「……一応言っておくわ。私はこのホグナー魔法学校で筆記も実技も学年1位だった」


「ほう。それは、素晴らしいな。よく、努力したのだね」


 アシュは彼女を労うが、リリーは馬鹿にされているとしか思えなかった。


「あなたなんかに評価される覚えはないけれど、私はライオール理事長の教えを受けるためにずっとずっと頑張ってきた。それでやっと特別クラスに選ばれて……そんな中、あなたのような最低な教師に突然変わると言われた私の気持ちがわかる!?」


「ふむ……その批判は、ごもっとも。ライオール、この可憐な少女が可哀想ではないか。生徒の意見を真摯に引き受けてこそ理事長という者だろう」


 見事に矛先を流されたライオールは、少し困ったように首をすくめた。


「リリー、君の意見はわかった。しかし、これはホグナー魔法学校の生徒を思ったゆえの判断であるのだよ。君の意見を踏まえた上で、アシュ先生を特別クラスの教師に迎えるという決定を変える気はない」


「だ、そうだよ?」


 アシュはリリーに満面の笑みを浮かべた。


 な、なんて嫌な奴……優等生美少女は歯ぎしりをしながら全力で性悪魔法使いを睨みつける。


「君だけじゃなく、他にも僕の授業を受けたくないという生徒はいるかい?」


 アシュの問いに、リリーを含む全員が手を挙げた。恐ろしいほどに生徒たちの意見は一致していた。


「そうか……結構」


「ほら、みなさい。ライオール理事長、早くこの男を――「全員、もう来なくていいよ。お疲れ様」


 !?


「あ、あんた。なにを言ってるの? 生徒がいなかったら授業なんて……」


「ん? ああ、他のクラスから補充する。まだいるだろう?」


「「「……」」」


 こともなげに答える性悪魔法使いに、生徒一同、空いた口が塞がらない。


「しかし、君たちは勇敢な決断をしたものだ。このナルシャ国はかなりの学歴社会だと聞くが、中途退学とは。影ながら君たちの就職活動を応援しているよ」


 愉快気に放たれたその一言に、生徒たちの表情がいっせいに青ざめる。


「な、なんで私たちが退学なんですか!?」


「なんで?」


「ふ、不当です! 私たちが退学しなきゃいけない理由を言いなさいよ」


 とにかく納得がいかないリリーである。気分としては過去最悪。この最低な教師に教わるぐらいなら、もう別のクラスでもいい。でも、退学を突きつけられるなど。ただの担任に、そんな権限までは持たないはずだ。


「ふむ……理由。理由か」


 アシュは目をつぶってその場をぐるぐる回りはじめた。一見、考えているような風に見えるが……完全にフリである。必死に心中のざわめきを抑えている。


 そう、彼は、傷ついていた。


 意気揚々と張り切ってホグナー魔法学校に入ってくるや否や、美少女からのこれまでにない拒絶。生徒一同からのハッキリとしたボイコット。そのメンタルはすでに満身創痍だった。


「呆れた……理由すら明確になってないのに、あなたは私たちに退学を突きつけたわけ?」


 リリーは皮肉めいた笑みを浮かべてライオール理事長を見た。この教師のダメさ加減を理事長に見せつけて、彼を担任の座から降ろしてやりたい。そんな算段をしながら。


「難しいものだな……僕は直感で答えたものを言語化するのは。なあ、ミラ」


 一方、アシュ。この小生意気な小娘をどうしてくれようか。その自尊心をグチャグチャのメッタメタにしてやりたい。反論の余地すらないほど論破したい。傷つけられた万倍の傷をこの少女に刻んでやりたい。そんなことに頭を巡らせるサディスト魔法使いだった。


「はい。非常に難しいものです。リリー様がなぜあなたを認めないのか。私はその理由は1秒で100個ほどは言えるような気がしますが」


 ミラが淡々とした皮肉に、優等生美少女は感謝の眼差しを投げかけた。しかし、その発言をまったく聞かなかったものとしたアシュが突然、目を開けて立ち止まった。


「法とは人が生活する上で効率的な発明だと思うが、君たちはどうだい?」


「……」


 誰も答えない。もはや、その反感は留まることを知らず、いっさいの質問に答える気のない生徒一同。


「ふむ……僕はそう思うのだがね。たとえ、上位権力者と言えど法に反することをすれば罰せられる。国、自治体、そして学校。さまざまな規模の集合体にあったルールを設けることによって、道理に沿って生活をしている人々が不当に扱われぬようにしているわけだ」


「なにが……言いたいの!?」


 リリーが食ってかかるように質問する。


「ホグナー魔法学校を創立したミーシャ=セルラー。彼女もまた偉大な人物であった。彼女の考え方は非常に道理に適っている」


「だからなにが――」


 そう言いかけて、リリーの表情が青ざめた。他の生徒たちは未だアシュの言葉に耳を傾け続けている。


「僕もこの校則を見させてもらったよ」


 アシュは横にいた男子生徒の胸ポケットから生徒手帳を取り出して読み上げる。


『生徒とは知を与えられるもの。教師とは知を与えるもの。知を望まぬ愚者は、我が学校の生徒たる資格なし』


               ・・・


 クラスに静寂が訪れた。


「『知は万人に平等に与えられるもの。与えられる知に感謝し、いずれ与えなさい』創始者であるミーシャ=セルラーはその理念をこう綴った。このホグナー魔法学校は学費が存在しない。全てを有志者の寄付で賄っている。君たちのように無償で知を受ける側が拒否する権利など、本来は毛頭ないわけだよ」


「「「……」」」


 リリーを始め、生徒一同反論の余地は存在しなかった。


「しかし、君たちは愚かにも、教師である僕の授業を拒否したわけだ。これは、校則違反に当てはまると思うのだが、どうだい?」


「「「……」」」


「沈黙が回答と受け取ろうか。じゃあ、ごきげんよう」


 アシュがご機嫌そうに言い放っても、誰も席を動こうとしない。まるで、凍ってしまったかのように。


「ライオール理事長ぉ」


 泣きそうな声で、一人の男子生徒が老人にすがるような瞳を向ける。


「クク……名案だね。君はこの学校の最高権力者に頼むわけだ。さあ、ライオール。君はこの学校の最高規範であり、法律を曲げられる唯一無二の権力者だ。法を犯した者の頼みを聞き入れて、他の生徒たちのお手本にならなければいけないね」


「……」


 心底愉快そうに性悪魔法使いは謡いあげる。当のライオールは依然沈黙を保ったままだが、その表情からは彼の心は読み取れない。


「お、俺はそんなつもりじゃ……」


「ほぅ、違うのかね? なら、どういうつもりだったのかね」


「……」


 男子生徒はそっと瞳を伏せた。


「ああ……HRが終わってしまう。では、一度席を外すから、それまでには、この教室から出て行ってくれたまえ。残りの生徒の人数を見て、補充するから。では、さようなら」


 そう丁寧にお辞儀をして、アシュは教室を後にした。


 廊下を満足げに歩きながら、


「ミラ、どうだったかね?」


 と、尋ねる。


「……なにをどう評価すればいいか、私には測りかねますが、大陸史上最悪の自己紹介でした、とだけ言わさせていただきます」


 執事は、淡々と、答えた。


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