皇帝


 リリーは寮を出て、鉄格子で囲まれた校門をくぐる。ホグナー魔法学校の校舎裏には草原、大森林や湖などを有し、手前の校庭ですら一周に1キロを超えるほど広大な敷地を誇る。


「はぁ……はぁ……もう! なんだってこんなに広いのよ」


 ブツブツ文句を言いながら、長い直線をひた走り、校舎の中に入る。


 螺旋階段を上がり、西館の最奥、2年次特別クラスの教室に飛び込んだ。正面には大きなホワイトボードと教壇。その前には木製の長机が幾つも並べられて、クラスメートたちもすでに座っていた。


「ごめんなさい! 遅れました」


 教室に入るや否や、全力でお辞儀をするリリー。


「ほっほっほっ。君が遅刻なんて、なにか理由があるんじゃろう? 君の席は最前列の真ん中だよ」


 理事長であるライオールは、柔らかな微笑みを浮かべる。一見、穏やかな好々爺だが、琥珀アンバーのように多彩に輝く瞳、大きな目は、好奇心旺盛な気質を如実に表していた。


 リリーはホッと胸を撫でおろして自分の席へと座る。


「あっ、シスは――」


「わかっておるよ。このクラスの生徒に、授業を理由なくサボる者はいないことぐらいね」


「は……はい!」


 やはり最高の人物だ、と心の中でつぶやく。ライオール先生だったら……も解決してくれるに違いないわ――そう確信した瞬間だった。


「じゃあ、あとは担任を待つだけだが……」


 !?


「あ、あの……担任はライオール理事長では」


 リリーが手を挙げて尋ねる。


「ああ、今年は違う先生に受け持ってもらおうと思っているよ」


「な……なんですって―――――――――!?」


 優等生美少女の怒号が教室中に響き渡る。


「どういうことですか!?」「僕らライオール理事長の授業が受けたいんです」「そのために今まで頑張ってきたのに」「今からでも撤回してください!」「毎年、ライオール先生がやって頂いているのに、今年だけなんで!?」


 他生徒たちからも口々に不満が噴出するが、老人は表情を崩さず、白く曲がった髭を心地よさそうに引き伸ばす。


「年には勝てないね。なんせこの老体の身ではね」


 ――なにが! 


 リリーはハナで笑った。


 大陸でも有数の魔法使いであり、『最も偉大な魔法使い』候補として選出された身であるのに。アークドラゴンの生態研究論文、魔法次元理論の解析、他にも星数多に素晴らしい発表を成し遂げたほどの賢者であるのに。3ヶ月前に、凶悪で誰も手がつけられなかったレッサーデーモンを討伐したメンバーの1人であるのに。


 何がどう老体なのか、是非お聞きしたいところだ。


「聞いてください。私たちはあなたに教わることを目標にこのホグナー魔法学校を過ごしてきました。みんな、あなたのことを大陸一尊敬しています」


「君たちのような優秀な生徒にそんなことを言われるとは。光栄の限りだ」


「なのに! 今更、別の先生の授業を受けろだなんて、そんな無体を言わないでください!」


「ほっほっ……心配には及ばん。今度君たちの担任となる方は、素晴らしい実力の持ち主だ。この老体とは比べものにならないくらいにね」


「そんな。あなたほどの魔法使いが比べものにならない魔法使いなんてこの世にいるはずないじゃありませんか!?」


 両手を激しく机に叩きつけるが、それでも、ライオールはその融和な表情を崩さない。


 その時、小気味のよいノック音が教室中に木霊する。


「自らの瞳に映るもののみを現実と思い込む。それは愚者の振る舞いである……『モーシャス=セルゲイ』」

 

 その声にリリーが振り向くと、一人の青年が入ってきた。


 黒いテールコートに身を包んだシルクハットの男。見た目はもかなり若いようだが、少なくともホグナー魔法学校では見たことがなかった。その漆黒の瞳は無機質で不気味な陰光を輝かせる。


 なによりも印象的なのは、全てが白く染まった髪。

 

 それに。隣にいるのは恐ろしく綺麗な顔をした無表情の女性。メイド服を着ているところを見れば、この男の執事だろうか。


「噂をすれば……ですな。ようこそホグナー魔法学校へ、アシュ=ダール先生」


「ふむ……大分老いたなライオール」


 ――なっ! 


 リリーが鋭く男を睨みつけた。


「ちょっと失礼じゃない!」


 そう怒鳴ると、男はその漆黒の瞳をパチクリ見開いた。


「……何か僕が失礼なことを?」


「いえ、アシュ先生。あなたはなにも失礼なことを言っておりませんよ」


 ライオール理事長はニコニコしながら口を挟んだ。


「だ、そうだが? 可愛いお嬢さん」


 ぐっ、ぐぐぐ……な、なんなのよこいつ! 


 ムカムカが、リリーの心に募っていく。


「あなたは誰なのよ!?」


「ああ、失礼。自己紹介がまだだったね。ある者は僕を『天才魔法使い』と呼ぶ。しかし、またある者は『稀代の研究者』と。またある者は『生命の探求者』。そして、またある者は――」


「アシュ様、前置きが長いです」


 綺麗な女性が無表情で進言する。


「そうよ! 肩書きなんてどうだっていい」


 リリーはイライラしながら叫んだ。


 こんな、全てにおいて嘘くさい男の嘘くさい経歴などどうだって。


「ん? そうか。まあ、あと100個の異名を持っていることだけ告げておく。僕の名はアシュ=ダール。今度の特別クラスを受け持つことになった。以後お見知りおきを」


                 ・・・


 なん……ですって!?


 リリー以下生徒一同、思考ストップ。


「ライオール理事長……嘘ですよね?」


 嘘って言ってください。頼むから、嘘って。


 何度も心の中で懇願する。


「いや、ほんと」


「いやー―――――――――! なんでですか! よりによって……よりによって……」


 一度会話しただけでわかるこのナルシスぶり。キザで嫌味たっぷりな笑顔。教師どころか、友達にだってしたくない、いや関わり合いになることだって躊躇してしまうような男になんで。


「フッ……人との出会いは偶然、交わりは奇跡。そして、繋がりは運命……『ドエミエコフ=サーリング』」


 絶対にいや――――――――――! 


 リリーの心の叫びと身体中にほとばしる悪寒は、とどまることを知らない。


「撤回してください、ライオール理事長!」


 おそらく彼が理事長でなかったら、胸ぐらを掴みにかかっていただろう。それほどの勢いで彼女はライオールを睨みつけた。


 が、彼は依然として魅力的な微笑みを浮かべている。


「ところで可愛らしいお嬢さん、あなたは自己紹介はしないのかな?」


 リリーの嘆きなど無視して、アシュが興味深げに少女を見つめる。


「あなたになんて明かす名前はない! ここから帰りなさい! 2度と戻ってこないで!」


 真っ向から拒絶するリリーに、肩を上げて首をかしげるアシュ。


 その状況を見かねたライオールが、静かに立ち上がった。


「ほっほっ……彼女はリリー=シュバルツという名前です」


「ほぅ……シュバルツか」


 興味深げに覗き込まれて、ますますリリーの頭に血が昇る。


「私は認めません。あなたが私たちの教師になるなんて。絶対にあなたみたいな人がライオール理事長の代わりなんて」


「結構」


「……えっ」


「君はもう来なくてもいいからね」

 

              ・・・


 リリーの思考は一瞬にして停止した。


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