第21話【ROTシステム】VS【ROTシステム】/残された謎

『五光くん、今すぐ機体と一緒に逃げるんだ。このままだと君は多くの人を不幸に導いてしまう』


 新崎の〈コスモス〉に奇術師みたいな動きが加わった――アインの経験が追加されたんだろう。銀色の残滓を残しながら疾走――振りかぶったプラズマブレードが英字を描いた。


「だったら説明すればいいでしょう。隠し事なんてしないで」


 五光の〈グラウンドゼロ〉は金色の残滓を残しながらプラズマブレードで応戦――敵の斬撃を足元へ受け流す。さらにお返しで回し蹴り――〈コスモス〉のシールドを引っぺがした。手首から抜けたシールドはマスドライバーの下へ落ちて不協和音を鳴らす。


 五光はたしかな手ごたえを感じた。以前の自分とは違う。今ならかつて尊敬していた男と渡り合える。


『人の口には封ができない。だからなにも情報を伝えないほうがいいのだ』


〈コスモス〉がプラズマブレードを大上段で振りかぶった――だがフェイント。本命は前蹴り。


 五光とスティレットの反射神経といえどフェイントが綺麗に決まってしまうと対処が遅れる――〈グラウンドゼロ〉の腹部にクリーンヒット。


 真後ろへ吹っ飛ばされた〈グラウンドゼロ〉は、軽くステップしながら体勢を立て直した。五光は蹴りの衝撃力で視界が乱れていたが慌てることなくダメージコントロール。損傷軽微。まだまだ戦える。


「そうやって強引にアインの口も封じたわけですか。その機体に搭載された彼女の脳をイジメるように」

『まったく〈アゲハ〉の整備班はブラックボックスに触れたのか』

「俺は確信してる。校長先生のやりかたは間違ってるってことに!」


 五光はプラズマブレードの出力をオーバーロードさせた。刀身が通常の四倍に伸びて鞭のようにしなる――〈コスモス〉の腕部めがけてプラズマ粒子の鞭を打ちつけた。


 轟々と灼熱する緑色の曲線が〈コスモス〉の手首に巻きつこうとした。


『五光くん、これほどの戦士に成長していたかっ!!』


 新崎の〈コスモス〉は緊急回避――だが〈コスモス〉が握っていたプラズマブレードは、オーバーロードした緑色の蔦に絡め取られて焼き切れた。


 ついに〈コスモス〉は武器を失った。


 だが〈グラウンドゼロ〉のプラズマブレードもオーバーロードで焼け落ちた。


 二機のDSは素手になっていた。


「九州荒野を歩いたことで、凶暴化した野生動物から学んだ。生命は進化するんだ」


 五光は思考回路を徒手空拳に切り替える――〈グラウンドゼロ〉が〈コスモス〉に飛びかかった。まるで空から急襲する猛禽類のように。


 もはやROTシステムによるスティレットの動作の再現は発生しなかった。それ以上に五光が現場で積み上げたオリジナルの動作が強烈な個性を放っていたからだ。


『だがまだ甘い!』


 新崎の〈コスモス〉は優れた格闘家のごとく洗練された動きで迎え撃つ――〈グラウンドゼロ〉の野生的な突進を、計算された力の制御によって抑えた。まるで卓越した合気道の使い手が、野生の虎を制するように。


 しかし五光が蓄積した経験値は侮ってはいけないものだった。【ギャンブリングアサルト】の先輩隊員たちがDS戦で見せてきた技術が四肢に染みこんでいた。


「まだ終わってない」


〈グラウンドゼロ〉は足元に落ちていたプラズマブレードの残骸を手裏剣のように投げた。四国の戦いで〈リザードマン〉たちが倒木を尻尾で投げたことから学んでいた。環境に存在するモノすべてが武器になることを。


『機先を制するのか、五光くん!』


 新崎の〈コスモス〉は手裏剣のように飛んできた残骸を防御せざるを得なかった。もし防御しなければ次の一撃に繋がる起点になってしまうからだ。しかし防御してしまえば次の行動が封じられる――一時的に反撃が不可能になった。


「校長先生がちゃんとアインと対話していたら、この流れは発生しなかったろうな!」


 五光の〈グラウンドゼロ〉は弾切れになっていたプラズマライフルを拾った。棍棒みたいに両手で握る。力任せに〈コスモス〉をぶん殴った。


 隕石が衝突したような激突音。


 真横に吹っ飛んだ〈コスモス〉はマスドライバーから落ちていく。


 実質的な勝利であった。〈コスモス〉をシャトルから引き離してしまえば、敵は勝利条件を達成できなくなる。


 五光は急激に進化していた。野生動物の素朴な狡猾さと、特殊部隊の計算された技術――二つの経験が合体して霧島五光を模っていた。


 だが――戦いを中断するものがあった。


 分子分解爆弾のカスタネットの音が――ネコが爪とぎする音にかわったのだ。


 四川の絶望する声が通信で響いた。


『なんてことだ。もうこれ以上は留まっていられない……』


 五光も絶望した。せっかくみんなの努力で困難を切り抜けられるはずだったのに、分子分解爆弾が起動してしまえばすべてが台無しだ。


 そうやって一瞬でも集中を切らしたのが若い五光の甘さだった――いつのまにか新崎の〈コスモス〉がマスドライバーをよじ登っていて〈グラウンドゼロ〉の足首を掴んだ。


「しまった……!」


 五光はコクピットで嘆いた。パイロットのうろたえる動作が追従システムに読み取られて〈グラウンドゼロ〉は人間臭くじたばたした。


『大人の泥臭さが勝利するのだよ』


〈コスモス〉は〈グラウンドゼロ〉の足首を引っ張ると、マスドライバーの下へ引きずり落とした。


「肝心なところで油断するなんて! 俺はまだまだ子供なのか!」


 五光は落下する機体の中で恨み言を口にした。だが地面に激突する前にマスドライバーの骨組みを掴んで持ち直す。


 まだだ、まだ諦めてはいけない。もう一度マスドライバーをよじ登って〈コスモス〉を引きずり落とせばいい。


 しかし無情にも〈コスモス〉はシャトルに乗りこんでしまった。


『〈コスモス〉は宇宙へ上げて、〈グラウンドゼロ〉は地上に留まらないとダメなのだ』


 マスドライバー起動――シャトルが猛烈な加速でレールを滑っていく。レールから飛翔したところで旧時代の技術であるロケットエンジンに火がついた。ノズルから白煙がぐんぐんと伸びていく様は、まるで上昇していくお星様だった。


 第一宇宙速度へ到達する直前に、新崎が通信で叫んだ。


『五光くん。機体と一緒にトリプルフィフティの爆発半径から脱出するんだ。なにがなんでも生き延びてくれ』

「いわれなくたって生き延びるさ。そして校長先生を邪魔してやる!」


 叫び返してから、本当に生き延びることを考える必要が出てきた。


 さっさと分子分解爆弾の爆発半径から退避しなければ。


 ●      ●      ●


 ROTシステムを使ったせいで〈グラウンドゼロ〉の間接パーツは焼け焦げていた。爆発半径の外へ逃げなければならないのに、脚部が脆くなって移動速度が低下していた。


 普通なら乗機を捨てて、適当な乗り物を拾って逃げるんだろう。


 しかし〈グラウンドゼロ〉にはスティレットの脳が入っている。彼女を見捨てるわけにはいかなかった。


(いいんじゃないかな。あたしはもう死んでるんだし)


 スティレットは投げやりなことをいった。


「生き延びるんだよ。みんなで」


 五光は〈グラウンドゼロ〉にダメージコントロールを施していく。


 まずは痛んだ足腰パーツに応急処置グリスを塗りたくった。武装や索敵のポートを閉じてしまって、無事なリソースをすべて歩行機能へ割り振っていく。さらにメインカメラもサブカメラがおかしくなっていたので、コクピットを解放して肉眼による視界を確保した。


(死者のために五光くんが死ぬ必要はないでしょ)

「そうやって生き延びたところで後悔するだけだ。俺は俺の信じた正義を守るしかない」


 色々な大人たちが誰かを切り捨ててきた。ちょっとでも都合が悪くなると己の保身を最優先して。新崎がアインを黙らせたことだって、昔の大人たちが分子分解爆弾で敵ごと資源を消滅させたことだって、根元の動機は一緒だ。


 ああいう卑怯な振るまいを否定すること――それが五光の正義であった。


 機体が歩行可能な状態まで持ち直したので、五光は四川に通信を繋いだ。


『四川、退避するぞ。急げよ』

『僕は今すぐ逃げる。だがバックギャモンは残るらしいんだ』

『なんでだ!?』


 五光が動転すると、バックギャモンがしみじみと語った。


『分子分解爆弾が最大出力で起動すると、せっかく育った九州の自然が資源と一緒に消滅する。これ以上人類は地球の形を不自然に歪めてはいけないのだ。だから時間ギリギリまでハッキングを試みる。もし起動を阻止できなくとも、最低限出力を落としてやらねばな』

『死んだらそれまでじゃないですか!』

『自分一人の命で、大勢の動物たちと貴重な資源が残るなら、マタギとして本望だ』

『なんであなたがやらなきゃいけないんですか!』


『今年で50歳になる。もう十分生きた。それにお前たちは宇宙へ希望を持っているんだろう。だったら宇宙へ飛ぶための資源を残してやりたい。もし分子分解爆弾で北九州基地が消滅したら、設備を再建するために他の土地から資源を引っ張ってくることになる。そうなったらシャトルを作るための資源が後回しになる――10年、20年単位で宇宙進出が遅れるぞ』


 どうやら五光や四川みたいな若者が宇宙という希望をつかめるように自らを犠牲にするつもりらしい。彼は、誰かに切り捨てられたわけではなく、自己犠牲によって誰かの未来を紡ぐのだ。立派すぎてどんな言葉をかけていいのかわからなかった。


 四川が地下の整備通路から出てきた。彼はバックギャモンについて触れるのではなく、決意を口にした。


「いつか必ず……分子分解爆弾をこの世からなくしてやる!」


 分子分解爆弾がこの世に存在しなければ、バックギャモンが死ぬ必要はなかった。そういいたいわけだ。


「四川。この戦いが終わったら宇宙へいこう。でないと今日やったことが全部無駄になってしまう」


 五光は〈グラウンドゼロ〉の掌を差し出した。


「宇宙を意識してわかったことがある。人類が紀元前から争ってきたのは、地球が狭すぎるからだ」


 四川は〈グラウンドゼロ〉の掌に飛び乗った。


「そうか。地球は狭かったのか。たしかにそうだな。技術さえあれば簡単に世界一周できる土地が、広いわけがない」


〈グラウンドゼロ〉は秘密基地の外へ向けて歩き出した。重苦しい足音だった。重量物が移動するからではなく、大切な仲間であるバックギャモンを残して退避するからだ。


 スティレットがコクピットの外に浮遊して、バックギャモンの方角へ敬礼した。


(いつだって立派な人物ほど先に死んでいくのよ。そして卑怯者ばっかり生き残って、世の中がおかしくなっていく)


 彼女は赤い髪を手ぐしですいた。まるで世界の行く末を嘆くようだった。


「その幽霊みたいな女が、コクピットに二人いた理由か」


 四川はスティレットと初対面だった。


「信じるか四川。彼女の脳が機体に入ってる」


 五光はコクピットの底面をカカトで踏んだ。


「ありえそうだな。分子分解爆弾を作るような人類だぞ。その手の技術だって作ってしまうんだろうさ」


 四川はよっぽど疲れているらしく、パワードスーツのヘルメットパーツを外した。


 ――“ダックスフント”みたいな顔が空気にさらされた。


 五光と同じ顔だった。


 違うのは声と髪型と雰囲気だけ。他はすべて一緒だった。


「……俺たちは、いったい何者なんだ」


 五光もヘルメットパーツを外すと、ダックスフントみたいな顔を四川に見せた。


「傑作だな。最後の最後でまた一つ謎が増えたぞ。これじゃあ本当の意味でドッペルゲンガーじゃないか。ドッペルゲンガースーツをドッペルゲンガーが操縦してるんだからな」


 四川が大笑いした。ヤケクソ気味の笑い方だった。


「傑作か。こんな戦い、さっさと終わればいいのに」


 五光はつられて泣き笑いしてしまった。


 バックギャモンは犠牲になる。彼を救う手立てはない。


 彼を犠牲にすることで二人の若者は希望を手に入れた。だがなぜか二人の若者は同じ顔を持っていた。この事実がなにを意味するのか、まったくの未知数だった。


 五光は同じ顔であることの驚きよりも、仲間を失う喪失感と、三つ巴の戦いに対する焦燥が上回っていた。


 ようやく基地の外へ出ると、四川の指示で荒野を南へ進んだ。


 藪に覆われた細長い洞窟を発見した。内部には四川の機体である〈ソードダンサー〉が隠してあった。ありがたいことにフライングユニットつきだから、“仲間”のDSを運べる。


 四川は〈ソードダンサー〉のコクピットへ入ると機体を起動。なにも言わずに手を伸ばした。


 五光もなにも言わずに〈グラウンドゼロ〉の手を伸ばした。


 PMC製の〈ソードダンサー〉は憲兵隊製の〈グラウンドゼロ〉の手を掴むと、悠々と空へ飛び立った。


 二人が手を繋いで空を飛ぶことに、余計な言葉はなかった。ごく自然な流れで危険な爆発半径から遠ざかっていく。


 二人は奇妙なほどに馬が合った。初対面のときの激闘が嘘のように。だが同じ顔を持っていたことから薄っすらと察していた。


 人間、鏡に映ったように自分とそっくりな人間と対面すると、拒絶反応が起きるんだろう。


 だが腹を割って話すことで、価値観が近いことに気づくと、歩み寄ることができる。


 それが異なる勢力のDS同士が、手を繋いで空を飛ぶ結果に繋がった。


 やがて――ついに――ネコが爪とぎする音は――ガラスを爪で引っかく音に変化した。


 バックギャモンは最後の最後までハッキングを継続していた。とっくに起動停止は不可能になっていたが、爆発半径の縮小に努めていた。二十二世紀を駆け抜けたマタギは、十代の若者のために分解されることを選んだ。


 やれることをすべて終わらせると、バックギャモンはパワードスーツのヘルメットを外した。五十代の渋い顔がわずかに溶けていた。起動直前ともなれば立方体からナノマシンが漏れて分解が始まっていたのだ。


「人類もいつかは進化するのだろう。その行程を、あの世で見守ることにしよう」


 耳障りな警告アラートが鳴って、分子分解爆弾が起動した。


 暴風が唸って無色透明の輝きが広がった。


 台風だ。


 ナノマシンが台風に載せられて広がっていく。


 トリプルフィフティの立方体は、元来砂漠地帯を対象とした人工降雨装置として開発された。だが軍事転用されて、ナノマシンをばら撒く装置に“進化”した。だが人類の叡智という意味で考えるなら退化だったんだろう。砂漠に潤いを与えるために作ったはずの道具が、豊かな台地ですら分解してしまったのだから。


 そんな退化の象徴であるナノマシンの台風は、触れたものを無秩序に分解する。有機物も無機物も平等に分解していた。台風という気象現象に触れると発光して消滅する――それはまさに神様が天罰を与えるような風景であった。


 だが今回の分解は範囲が狭かった。秘密基地を中心とした半径10キロメートルを分解するだけで、それ以上広がらなかった。バックギャモンが最後まで抵抗したので、人工降雨装置としての機能が弱まっていたのだ。


「まだ、習いたい技術があったんだけどな……」


 五光は戦死したバックギャモンに敬礼した。


 あの風のどこかにバックギャモンの分子が滞留していて、晴れた日に九州の大地へ降り注ぐんだろう。もし九州の地層を【ソイレントグリーンシステム】で食べたら、彼の技術を継承できるんだろうか。


 そんな気持ちが湧くぐらいには、バックギャモンの志と技術を尊敬していた。


 同時に分子分解爆弾を持ち出した新崎に恨みが募った。


 あれほど尊敬していた校長先生が明確な敵になっていた。どうやら人間の心は大人に近づくにつれて変遷していくらしい。


 やがて異なる勢力である二機のDSが関門海峡に達すると、陸上艦〈アゲハ〉を発見した。海上でホバーしていた。どうやら北九州基地の人たちも〈アゲハ〉に乗りこんで脱出したようだ。しかしバックギャモンのおかげで、彼らは良い意味で無駄足になっていた。


「お別れだな、四川」


 五光は〈グラウンドゼロ〉の手を操作した。名残惜しそうに。


『今度は宇宙で会いたいものだ』


 四川も〈ソードダンサー〉の手を操作した。同じく名残惜しそうに。


 ついに二機の手が離れると〈グラウンドゼロ〉は関門海峡へ緩やかに着水した。開けっ放しのコクピットに海水が流入した。五光は海の塩味を感じながら、遠ざかっていく〈ソードダンサー〉を見送った。


 彼とはもう戦いたくない。だが運命の歯車によって戦ってしまう予感がしていた。


 人生は、ままならないものらしい。


 ●      ●      ●


 デルフィンは未来都市の展望設備を使って〈コスモス〉を載せたシャトルが打ち上がるのを見届けていた。


「テロリストはなにをしたいんだ? これまではどこかの勢力がなにかしらの作戦を練れば、スパイから情報が漏れていたはずだ。だが今回はまったく掴めない」


 デルフィンは望遠装置を目に当てたまま、秘書に質問した。


「どうやらテロリストの上位層だけで作戦を決めて実行しているようですよ」


 秘書は分析結果を語った。


「そういう問題か? 政府の動きもまったく漏れてこないんだぞ」

「政府は政府で最近は各国の首脳陣だけで作戦を決めているみたいですよ」

「権力者たちによる独断専行か。二十一世紀ならマスコミが袋叩きにするような政治判断だな」

「二十二世紀ではマスコミもグローバル企業の一形態ですからね。国家から離脱して対抗勢力になっているんですから、報道が届くのは未来都市の支持者だけです。たとえ政府支持者に届いたとしても無意味な情報でしょう。未来都市向けに加工してありますから」


 秘書の冷静な分析によって、デルフィンは事件の裏に隠された事実に気づいた。


「そういうことか。なるほど、やるじゃないか」


 デルフィンは葉巻をくわえると――火をつけた。貴重品であるはずのキューバ産の煙を味わいたいほどにターニングポイントであった。


 要点は情報網とエバスにあった。


 となれば政府とテロリストの動きも理解できる。


「デルフィンさま、なにかわかったのですか?」


 秘書は首をかしげた。


「とても大事なことをな。これからは〈グラウンドゼロ〉を執拗に狙え。あれを破壊しておかないと大変なことになるぞ」

「手配しておきます。しかし〈グラウンドゼロ〉を残しておくと、なにが起きるんです?」

「それは秘密だ」

「秘書を信じてくれないのですか?」

「私は誰も信じない。今も昔もな」


 デルフィンは葉巻の煙を胸いっぱいに吸いこんだ。


 グローバル企業の弱点は構成員の忠誠心が著しく低いことだ。


 未来都市そのものに対する幻想は肥大化しやすいのに、所属する企業は手段でしかない。離反や裏切りは日常茶飯事であり、負けたやつが悪い世界だ。だからこそデルフィンが頂点に立てた。かつて所属していた企業を裏切って自分の色に塗り替えることで【GRT社】を作った。


【GRT社】の正式名称は、グレート・リセット・テクノロジーだ。


 グレートリセット――自然災害や戦争によって世界を破壊して、ゼロの状態から再生していくことをいう。


 デルフィンが裏切った企業は、分子分解爆弾を生み出した軍需産業だった。


 地球に人口激減と資源不足というグレートリセットをもたらした企業ともいえた。


 だからこそデルフィンは入社して、彼らのやったことを反復するように裏切って、乗っ取った。


 デルフィンは、二十二世紀の地球を愛していた。


 強いやつが強いまま立ち振る舞うことが推奨されていて、どれだけ弱者を搾取したところで当然の結果だと受け止められるだけ。


 こんなに素晴らしい世の中を愛さないはずがない。


 ダイナマイトを作ったノーベルは自らの行いに苦悩したという。核爆弾を作ったマンハッタン計画の科学者たちも苦悩したという。ついでにいっておくと分子分解爆弾を作った科学者たちも苦悩した。


 だがデルフィンはノーベルもマンハッタン計画の人々も分子分解爆弾の生みの親も尊敬していた。彼らみたいな偉大なるグレートリセットの実現者のおかげで、居心地のよい地球が生まれたのだから。


 だが政府とテロリストは、グレートリセットを台無しにしようとしていた。


 だから二つのことを進めなければならない。


〈グラウンドゼロ〉の破壊と、月の開発だ。


 ●      ●      ●


 現在の日本は、応急処置的な一党制で稼動していた。三つ巴の内戦が50年も続いているため、従来の政治制度では政府が持たなかったからである。


 なお日本だけではなく生き残った国はすべて専制政治で稼動していた。


 50年も続く三つ巴の戦いは、政治制度ですら中世に戻していた。


 そんな時代の日本国の首相だが、宮下卓といった。


 クルーカットのいぶし銀であり、今年で四十八歳。かつての日本ならば若い政治家と呼ばれていただろう。だが騒乱が続く時代だと平均寿命が短くなっているため、国家のリーダーとして王道の年齢となっていた。


 宮下は三十代まで憲兵をやっていた。前線で活躍する将官だった。だがそのときに右腕を失っていて義手を愛用していた。この時代の技術なら本物そっくりに培養したスペアの腕もある。だが宮下は現場で働いていたときの初心を忘れないように義手らしい義手をつけていた。


「首相。陸上艦〈アゲハ〉の艦長・今村サイード大佐が、無断で〈グラウンドゼロ〉を解体しようとしました」


 首相官邸にて、官房長官が報告した。


「彼は部下を大切にするからな。そういう意味では適切な判断だ。しかしこの作戦においては不適切だ。彼には相応の処分を下してくれ」


 宮下は執務椅子に座って、過去に思いを馳せた。


 艦長こと今村サイード大佐と同じ前線で戦っていた。だからなぜ彼が部下を大切にするのかよく理解していた。命令違反をしてでも〈グラウンドゼロ〉を解体しようとした気持ちもわかる。だが命令違反は命令違反であった。


「逮捕して刑務所へ送りこみますか?」


 官房長官が電子媒体で公式の書類を作成していく。


「それではやりすぎた。〈アゲハ〉の艦長職を解任するだけでいい」

「むしろ軽すぎるのでは?」

「いいんだ。でないと現場レベルで政府に対する不信感が高まってしまう」

「わかりました。処分を通達しておきます」


 公式の書類が転送されたところで、別件の連絡が入った。


 アフリカ連合のアベベ大統領が到着した。


 勝負どころだ。


 宮下は執務机から立ち上がると、一人で来賓室へ向かう。大切な話をするときは誰も近くにおかない。部下を信頼しているが、どこから情報が漏れるかわからないからだ。


 来賓室に到着すると、黒人の男性が待っていた。


 彼がアベベ大統領だ。


 彼も祖国では軍人をやっていた。そのときに名誉の負傷をして従来の両目を失っていた。現在は生体培養されたスペアの眼球をつけていて、傍目からは健常者と同じに見える。


 だがただのスペアではなく、生体工学によって強化された眼球であった。


「宮下。武器は持っていないようだな」


 アベベは宮下にスキャンをかけて武器チェックをした。


「政治家の武器は権力そのものだよ。撃ちたくなったら部下に撃たせればいい」


 宮下はアベベと握手した。二人とも手が古傷だらけだった。現場で戦ってきた男たちの手である。


「そして責任問題になったら部下を差し出す。政治家だな」


 アベベが強化された眼球でウインクした。


「ああ。政治家になった。俺もお前も」


 宮下とアベベは、現場で戦っていたころに意気投合した仲間だった。国は違えど志は一緒であり、将来は政治家になると息巻いていた。


 そして実際に政治家となって、リーダーとなり、こうして計画を進めていた。


「一号機〈コスモス〉は無事に衛星軌道に乗ったぞ」


 宮下は前かがみになって機密を伝えた。


「こんなにうまくいくと後が怖いな」


 アベベは道化師みたいに両手を挙げた。


「騒乱の時代だからうまくいった。人口も少なく、政治もシンプルで、言語・通貨・文化までもが共通になりつつあるからな」

「あとは国籍だけだな」


 アベベがにやりと笑った。


「時々思うのだよ。人類が分子分解爆弾なんてものを開発したのは、生物の種としての宿命だったのではないかと」


 宮下はポケットからミニチュアサイズの立方体を取り出した。


 5mm×5mm×5mmのトリプルフィフティであった。


「同じようなことを考えていた。生物の種としての宿命。地球人類は自らを進化させるために条件を整えた。そのために核兵器から汚染と寒冷化を差し引いた大量破壊兵器を用意した」


 アベベもポケットからミニチュアサイズのトリプルフィフティを取り出した。


 おそろいであった。二人の友情の証だからだ。


「二十一世紀のSFでは、増えすぎた人口をスペースコロニーへ入植させるなんて話がありふれていたそうだ。だが今思うと、あれは人口が増えたからスペースコロニーを生み出そうとしたわけじゃないと思う」


 宮下は、まるでワインのグラスをぶつけるように、アベベのトリプルフィフティに自らのトリプルフィフティをぶつけた。


「技術の進化は、人類の移動距離だけではなく、自意識が届く距離も延長したんだと思っている。しかし地球のサイズとルールは従来のまま。だから齟齬が生まれて、もっと大きな世界を求めることになる」

「我々はどこまで進むんだろうな」


「火星まではいくだろう。そこから先はわからん」

「太陽系を出られないかな?」

「その前に滅びるかもしれない。火星まで到達する時代の大量破壊兵器は、分子分解爆弾よりも強力だろう。もしかしたら惑星を一撃で両断するかもしれないぞ」

「ならば我々は我々の世代でやれるだけのことをやっておかないとな」


 第1部完→第2部へ続く

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