放蕩息子、夏に行く

工藤索

第1話

友昭は頭脳明晰だけど、学歴という面でいったらさっぱりの出来だった。本人がそういうものに興味ないのが一番の原因で、さらに付け加えて言うなら、彼の親もまたそういうものに全く興味がないのも良くなかった。

 彼に父親はなく、唯一の肉親である母親は東京と千葉の間でカルト宗教の教祖をやっている一種の世捨て人だった。一昔前にアメリカからやってきたヒッピー文化に感化された友昭の母、友子はそのままマリファナ最高!ありのままの自分って自然体って奴で最高!という思想を肥大化させていき、社会のレールから外れたまま生きていくことになった。どこで道を間違えたの?と友子に尋ねれば、常に間違った、という答えが返って来そうな人生を送ったのだ。彼女のやっている宗教の名前は、「エブリシング・イズ・ファイン」と言い、名前の通りの終末論も審判の日もコンドームをつけるなとも言わない能天気な宗教だった。

 その宗教の経典はどこにでも売ってる新書が多く、要はその時その瞬間に友子自身がハマッている本が経典ということだった。そして預言者、宗教には常に付き物の預言者は彼女の息子、友昭だった。

 つまり友子のやっている宗教は出鱈目なのだ。まるで一貫性がなく、それまでの宗教象を覆すようないい加減さで運営されているのだ。

 だから信者もいい加減な人間ばかりで、まず代表的なのは友昭が物心ついた頃からいる喜美代という女だ。

 彼女は友昭と初めて会った時から、中年のオバさんで今も中年のオバさんだった。

「中年っていつまで経っても終わらなぁい」

 友昭の家の居間で煎餅を友子と食べながら、水戸黄門の再放送を横になりながら見ている。

どうして喜美代がそんなことを言ったのか、学校から帰って来たばかりの友昭には想像が及ばないが、母であり教祖でありその喜美代を導くはずの友子は、月桂冠を頭に載せたままで同じように煎餅を食べて頷いているだけだった。

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放蕩息子、夏に行く 工藤索 @kudou_saku

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