第2章 広がる波紋

(1)グレイシアの怒り

 休日に後宮を出て、ケライス侯爵家から与えられている別邸に戻ったグレイシアは、留守を守ってくれている老夫婦に礼を述べてから、さほど時間を置かずに姪の一人を出迎えた。


「良く訪ねてきてくれたわね、ユリエラ。ゆっくりしていって頂戴。使用人が少なくて、大したおもてなしもできないけれど」

 そんな事を言いながら二人きりの応接室で、自らお茶を淹れたグレイシアを見て、まだ少々幼さが残っている少女は、座ったまま慌てて頭を下げた。


「そんな! 叔母様が質素倹約を旨としている事は、良く存じ上げています。こちらこそせっかくのお休みの日に押しかける事になって、申し訳ありません」

「構わないわよ? 後宮内に頂いているお部屋を尋ねるわけにいかないし、日中に後宮の取り次ぎ室を訪れるのも、あなたには無理でしょうしね」

「……はい」

 そして二人分のお茶を淹れて姪に勧めてから、グレイシアは早速本題に入った。


「それで、手紙に書いてあった『折り入って話したい事』とは何かしら?」

 その問いかけに、ユリエラは黙ったままかなり迷う素振りを見せてから、恐る恐るグレイシアに尋ねた。


「その……、両親から叔母様に、私の縁談のお話は無かったでしょうか?」

 それを聞いた彼女は本気で驚き、次いで嬉しそうに言葉を返した。


「いいえ? まあ、あなたの縁談が整ったの? それはおめでたい事、ささやかで申し訳ないけどお祝いを」

「おめでたくなんかありません!」

「……ユリエラ? どうしたの?」

 常には見られない吐き捨てるような彼女の口調に、グレイシアが目を丸くすると、ユリエラは覚悟を決めたように話し始めた。


「その……、私の縁談の相手が、ダリッシュ伯爵の三男のマークス・ダリッシュ様なのですが……」

 最近耳にしたばかりのその名前を聞いて、グレイシアは眉根を寄せたが、余計な事は言わずに対外的な評価だけを述べた。


「ああ、あの画家として活動されている方ね。でも申し訳ないけれど最近発表する作品は、評価する価値を見い出せないわ。素人よりはマシなレベルでしょうけれど、初期の作品との落差がどうしようも無いわね」

 そうあっさり切り捨てた叔母に、ユリエラは一瞬呆気に取られてから、安堵したように小さく笑った。


「良かったです。叔母様が正直で、審美眼がおありの方で。両親は『マークス様は才能がおありだから、これからもっと伸びる方だ』と絶賛しているだけなので」

「相変わらず物を見る目が無い上に、権威に弱い方々ね。それで娘の婿に、有名な画家を迎えて箔を付けたいと?」

「そういう事みたいです。『我が家は代々、芸術に造形が深い家系だからな』と言っていて」

 そこまで聞いたグレイシアは、この場に居ない実兄に向かって盛大に毒吐いた。


「はっ! そんなのは、父までの話よ。しかも父は美術品収集に入れ込みすぎて破産寸前までいって、最後は美術品と娘達を売り払って、何とか貴族としての体面を保ったくせに。その遺産を食い潰しながら弟妹にたかるしか能がない男が、何を偉そうにほざいているのよ!」

「…………」

 貴婦人としての体面をかなぐり捨て、本心をさらけ出した叔母を見て、ユリエラは無言で俯いた。それに気がついたグレイシアは、姪に気を遣わせてしまったかと、慌てて詫びを入れる。


「ごめんなさい。あなたに非は無いのに、不快な思いをさせてしまったわね」

「いえ、叔母様が仰った事は事実です。それに更に不愉快な事を、お知らせしないといけません」

「どういう事かしら?」

 無意識に顔をしかめたグレイシアに、ユリエラは真剣な表情で予想外の事を言い出した。


「父が……、ブレダ画廊の仲介でマークス様を紹介して貰ってから、妙に気に入られたあの方に縁談を持ちかけたら、向こうから条件を出されたそうです」

「条件? どんな物を?」

「『今すぐで無くて構わないので、自分に爵位と領地を譲って欲しい』と仰ったとか」

 それを聞いたグレイシアは、呆気に取られた。


「確かに三男なら、それらが喉から手が出る程欲しいのは分かるれど……、随分と傲慢な申し出ね。ペーリエ侯爵家にはれっきとした跡取りの、あなたの兄がいるでしょう?」

「はい、そうです。ですから我が家の爵位や領地ではない他の物を、要求しているのです」

「分からないわね。ペーリエ侯爵家は複数の爵位や領地を保有してはいない筈よ?」

 益々グレイシアが首を傾げて困惑する中、ユリエラがかなり恐縮気味に言い出した。


「その……、今現在叔母様は、狭いながらも領地を保持しておりますよね? 前ケライス侯爵夫人の公称もお持ちですし……」

 そう指摘された彼女は、ピクリと片眉を動かしながらも、冷静に言葉を返した。


「確かにそうだけど、その領地はそこからの税収を私の生活費に充てる為に、ケライス侯爵家から貸与されている形になっているわ。私の死後は、侯爵家に返還されるのよ?」

「それでも私が叔母様と養子縁組みをすれば、私は『前侯爵夫人の娘』として貴族の立場を保てますし、私の結婚相手もその通りになるわけです」

「…………」

 そこで相手の言わんとする事を、薄々察したグレイシアが微笑みを消して険しい視線で姪を凝視し、それを真正面から受けたユリエラは面目なさげに身体を縮めた。しかしグレイシアが、黙り込んだ彼女を促す。


「勿論、話はそれで終わりでは無いのよね?」

「はい……。今までの話は、両親が夜中に話し込んでいる時に、偶々耳にした内容です。その時に叔母様の事を『せっかく後宮内に部屋を持っているのだから、さっさと王太子を誑し込んで、子爵位やちょっとした領地位、賜れば良いものを。実家に尽くす事など考えもしない、恩知らずな奴だ』と言っておりまして……」

 大好きな叔母に睨まれて、泣きそうになりながらもユリエラは最後まで言い切り、そんな姪の心情を想って、グレイシアはかなりの努力をして内心の怒りを押さえつけた。


「それで兄達の思惑通り、私が王太子殿下の愛人に収まって爵位と領地を賜り、あなたと養子縁組みしてから儚くなれば、爵位と領地はめでたくあなたとあなたの結婚相手の物になると、そういう事なのね」

「儚く……、って!? そんな、叔母様!?」

 一気に物騒な話になった為、そんな事は微塵も予想していなかったユリエラが真っ青になったが、グレイシアは冷静に話を続けた。


「あなたにはそこまで考えられないでしょうけど、兄達だったらするでしょうね。用済みとなったら、さっさと消しにかかるわ」

「申し訳ありません!」

 涙目で勢い良く頭を下げた姪を、グレイシアが大人の余裕で宥める。


「あなたが謝る筋合いでは無いでしょう? それに寧ろ、この間の鬱陶しい手紙の理由が分かって、ある意味すっきりしたわ」

「え? まさか……」

 慌てて顔を上げたユリエラに、グレイシアはここ暫くの間に何通か届いていた兄からの手紙の一部を、皮肉っぽく告げた。


「『女の独り身では、先々何かと心配だろう』とか、『子供も居ないし、お前の行く末が気になって仕方がない』とか、『お前はユリエラと仲が良いし、ユリエラもお前を慕っているから、色々考えてみてはどうだろうか』とか、親切ごかして今更何を言っているのかと、意味不明な言葉の羅列を送りつけていてね」

「父が、そんな事を書き送っていたのですか!?」

「ええ。全て無視していたし、面会要請も跳ね付けていたから、てっきりこの休みに本人が乗り込んで来るかと思ったら、あなたが出向く事になって意外に思っていたのよ。何と言われてきたの?」

 一応確認を入れてみると、ユリエラは苦々しい顔つきで答えた。


「両親は、私が立ち聞きした事を知りませんから。ただ『グレイシア叔母様の機嫌を損ねないようにして、更に気に入られるようにしてきなさい』とだけ言われました」

「なるほどね。高圧的に迫っても余計に反発するだけだと、漸く学習して下さったらしいわ」

「叔母様……」

 盛大な皮肉を口にしてから姪の不安げな視線に気がついたグレイシアは、笑って彼女を宥めた。


「本当に気にしないで。今日屋敷に帰ったら、『久しぶりに叔母様に顔を見せに行ったら、とても喜んで貰えた』と報告しなさい。私があなたと養子縁組みしないうちは縁談が整わないのなら、絶対に養子縁組みはしませんから」

 グレイシアがそう保証すると、ユリエラは途端に表情を明るくして頭を下げた。


「そうして下さい、宜しくお願いします!」

「そんなに嫌なのね。何かあったの?」

 日頃あまり強硬に主張したりはしない彼女の反応に、グレイシアは思わず心配そうに尋ねた。するとユリエラは、少々困ったように弁解してくる。


「特に何かあったわけではありませんし、直接お会いしたのはまだ三回だけですが……。何というか才能が有る無し以前に、あの方の目つきが、人としてどうなのかと……。正直、恐怖と嫌悪しか感じないものですから……」

 ごく最近、マークスの裏の顔をひょんな事から知る事になったグレイシアは、そんな姪の感想を聞いて深く頷いた。


「あなたの判断は正しいわ。自信を持ちなさい」

「はい、ありがとうございます」

 それを聞いて救われたように微笑んだユリエラを見て、グレイシアも笑顔を作りながら、内心で怒り狂っていた。


(少なくとも、他人の作品を平然と自分の作品として発表するような、品性下劣な人間ですからね。ユリエラを、そんな人間と結婚させてたまるものですか。しかもユリエラはまだ十五歳なのに、相手は十歳以上年上じゃないの。考えるだけで腹立たしいわ)

 それからは二人で世間話をして、それなりに楽しくひと時を過ごしながらも、グレイシアはこれからするべき事を冷静に頭の中で考えていた。

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