(16)広がる闇


 王宮の一角で開催された個展は無事に終了し、出席者に名残惜しそうに会場で見送られてから、マークスは馬車に乗り込んで王宮を後にした。

 彼がこの間何とか保っていた笑顔も、馬車に乗り込んで一人きりになった途端、綺麗に消え去り、俯きながら低い声でぶつぶつと呟き始める。それは自分の屋敷に到着するまで続き、マークスは険悪な顔つきで馬車から降り立った。


「旦那様、お帰りなさいませ。王宮での個展は盛況でしたか?」

 実家のダリッシュ伯爵邸から差し向けられた馬車が、車輪を軋ませて走り去る中、玄関で老齢の執事が、笑顔で主人を出迎えたが、マークスは彼を怒鳴りつけた。


「貴様には関係ない!!」

 その叱責に彼は僅かに片眉を上げたものの、落ち着き払って頭を下げる。


「失礼致しました。それでは夕食の支度が整えてありますが、いつ頃お出し致しましょうか?」

「要らん!! ガタガタ喚くな! もう用は無い、下がれ!!」

「畏まりました」

 再び頭を下げた執事に目もくれず、マークスは荒々しく階段を上がって自室に向かい、騒ぎを聞きつけて奥から出てきた主人と同年輩の若い料理人は、呆れた表情を隠そうともせずに尋ねた。


「何なんですか? もの凄い上機嫌で出かけて行ったのに、あの不機嫌さは」

「さあな。取り敢えず今日の夕食は、私達で片付けて良さそうだ」

「全く、気まぐれにも程がある。これだから芸術家なんて気取ってる奴らは……」

 忌々しげに悪態を吐く若者を、執事は苦笑気味に宥める。


「まあ、そう言うな。旦那様は絵を描く事しか能がないお方だからな」

「全く、何であんなお方の面倒を見ないといけないんだか。本邸に戻して貰うわけには、いきませんかね?」

「それは無理だろうな。お互い貧乏くじを引いたものだ」

 そして二人はうんざりした顔を見合わせて、静かに奥へと引き上げていったが、彼らの主人の部屋は喧騒に包まれていた。


「畜生、畜生!! 皆で揃って俺の事を馬鹿にしやがって!!」

 大声で喚き立てながら、手当たり次第に室内の物を壁に投げつけるマークスの表情からは、完全に理性が抜け落ちていた。


「俺の才能を見抜けない、貴様らの目が節穴なだけじゃないか!! ふざけるな!!」

 完全に八つ当たりしながら壁に投げつけた結果、壁際に破片や残骸が散乱する事態になり、他に持ち上げられる物が無くなった時点で、漸く動きを止める。


「はぁ……」

 息を切らして床にへたり込んだマークスは、すぐに虚ろな目で手前の床を見下ろしながら、自分自身に言い聞かせる様に呟いた。


「馬鹿にするな。俺には才能があるんだ」

 そこでマークスはゆらりと立ち上がり、焦点が定まっていない感じでフラフラと隣室へと向かった。


「俺は天才だ……。俺の描く絵は、どれも傑作だ……」

 譫言の様に呟きながら、マークスはベッドの横にある小ぶりの棚の引き出しから、紙袋と煙草用の細長い煙筒と小皿を取り出す。更にその煙筒の彎曲して広がった部分に、紙袋の中から取り出した細かい乾燥葉を詰め込み、そこに火を点けた。

 それからすぐに煙筒の先から白煙が細く立ち上り始めると同時に、葉が零れ落ち無いように開いた口を上にしながら、マークスがその反対側を咥える。そして無言のまま恍惚とした表情を浮かべ始めた彼の様子を、密かにベランダから覗き込んでいたデニスは、「情けない奴」と一言吐き捨てた。

 暫くしてマークスが口から煙筒を離したのを見て、デニスは上の屋根から垂らしておいたロープに手をかけながら、慎重に様子を窺っていると、彼は灰と燃え残りの葉を小皿に落とし、それを手にして窓に向かって歩き出した。それを認めた瞬間、デニスは慣れた動きで音もなくロープをつたって屋根の上に上がり、それとほぼ同時にマークスが窓を開けてベランダに身を乗り出す。

 そして無表情で小皿の中身をベランダにぶちまけた彼は、平然と室内に戻って窓を閉めたが、デニスは念の為暫くそのまま様子を窺い、少し時間が経ってから再びベランダに降り立った。


「これで大丈夫か? 取り敢えず持っていってみるか」

 独り言を呟いたデニスは、注意深く室内の様子を窺いながら小さな匙で灰の残骸をすくい取り、小さな紙袋に取り分けた。それを懐に入れた彼は、何事も無かったかのようにロープをつたって地面まで降り、静かに暗闇の中に消えて行った。



「お待たせしました、団長。アルティン殿を連れて来ました」

「ああ、ナスリーンにアルティン。遅くにすまんな」

 夜も遅くなってから、ナスリーンとアルティナが団長室に出向くと、バイゼルが座ったまま謝ってきた。その横に座っていたジェラルドに向かって、アルティナがアルティンを装って声をかける。


「殿下、今日の個展は大成功だったみたいですね」

「ああ、今回黒騎士隊を動かして、申し訳無かった。それに最初に提案したのはアルティンなのに、私とランディスで企画した事になってしまったしな」

「構いません。アルティナは知らない事ですから、殿下方の発案としておくのが自然でしょう」

 バイゼルとアルティナに顔を向けながら、申し訳無さそうな顔になった彼を見て、アルティナは苦笑しながら宥める。 そこで廊下で警戒に立っている黒騎士隊の騎士が、ノックと共にドアを開けて報告してきた。


「失礼します。緑騎士隊のデニスが戻りました」

「入れ」

「失礼します」

 一礼したデニスが室内に入ってくるや否や、バイゼルが鋭い視線を向けながら尋ねる。


「どうだった?」

「荒れ狂っていましたよ。あらゆる物を投げつけて、鬱憤晴らしをしていましたね。タチの悪いガキですね、あれは」

「それで?」

「正直に言いますと、拍子抜けでした。ブレダ画廊と付き合いがあるので、今回の個展でプライドをゴリゴリ削られたら、多少は苛ついて尻尾位は出すかと思いきや……」

 呆れ顔になりながら、懐から小さな紙袋を取り出した彼は、同席していたアトラスに近寄り、かつての上司の前にそれを置いた。


「こちらを。香りが独特ですから、掃除をする使用人にバレないように、窓からベランダに投げ捨てる程度の頭はあったみたいですね」

「窓からそのまま捨てるのは、短絡的過ぎると思うがな」

 アトラスも呆れ気味に応じて慎重に折り畳んだ紙袋の端を開き、顔を近づけて匂いを嗅ぎ始めた。そこでバイゼルが、厳めしい顔付きで声をかける。


「どうだ?」

「僅かに燃え残りがありますな。確かにジャービスです」

「そうか……。カーネル?」

 アトラスの断定を受けて、バイゼルがカーネルに視線を向けると、彼は淡々と調査内容を報告した。


「この間、調べてみましたが、マークス・ダリッシュ邸はダリッシュ伯爵家の別邸の一つで、使用人も住み込みの執事一人、料理人一人、通いのメイドが二人と多くありません。元々偏屈な主の気性もあって、貴族間の付き合いも殆ど無く、出入りする人間と言えば生活必需品を納入する商人の類の他は、ブレダ画廊の人間位です。最近は何故かペーリエ侯爵家の使用人が行き来しているようですが」

 それを聞いたジェラルドが、難しい顔で意見を述べる。


「そうなるとやはり、マークスの所持しているジャービスの出所は、ブレダ画廊、もしくはペーリエ侯爵家と考えるのが妥当だな」

「そうですね。あの様な小物が主導して、何かを企むとも思えません」

「盗作のみならず、麻薬にまで手を染めるとは……、どこまで性根が腐っているっ……」

 バイゼルが頷くと、兄と並んで座っていたランディスが拳を震わせながら呻く様に声を発した為、ジェラルドは冷静に言い聞かせた。


「ランディス。気持ちは分かるが、ここでマークスを捕縛する事はできない。まだ背後関係を掴めていないからな。流通ルートを押さえてから一気に摘発しないと、首謀者に証拠隠滅される恐れがある」

「……分かりました」

 悔しげに頷いた弟からバイゼルに視線を戻したジェラルドは、冷静に話を進めた。


「それではバイゼル、引き続きジャービスの流通経路を探ってくれ。当面の目標はブレダ画廊とペーリエ侯爵だな」

「はい、緑騎士隊の方も調査要員を増やして対応します」

 そこで彼は再び、険しい表情を弟に向ける。


「ランディス。マークスがあまり交流が無いと言っても、美術愛好家とは幾らかは行き来があるかもしれん。その筋で最近体調不良に陥っている者などいないかどうか、探りを入れておいてくれ。万が一、高位貴族間に出回っていた場合、秘密裏に麻薬から離脱させる必要があるからな」

「分かりました」

 険しい表情でそんな会話を交わす兄弟を見てから、アルティナはかつての部下に提案した。


「カーネル。ここはやはりブレダ画廊とペーリエ侯爵邸に、誰か潜入させて情報収集をする必要があるな」

「はい、人選についてはどうしましょうか?」

「画廊にはレンドルとリー。侯爵邸にはデニス、ローガン、ホーンではどうだ?」

「妥当ですね。では早速、そのように手配します」

「ああ、そうしてくれ」

 そして事態を把握しているごく少数の者達の間で、秘密裏に話し合いが進められていった。

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