第25話 近づく破滅

 カエトスは後ろ手に縛られた状態で椅子に座らされていた。

 正面には鉄で補強された木製の扉があり、天井に吊るされた霊鉄製の照明が、扉の脇に立つ二人の警備兵を冷たく照らしている。周りを取り囲むのは無機質な石壁で窓は一つもなく、五人も入れば息苦しさを覚えるほどの広さしかない。

 

 王城アレスノイツ中郭には、司法全般を管轄し重大事件の裁判・監獄の管理・刑罰の執行などを職掌としている刑部省があり、その管轄下には犯罪者を収容する施設もある。カエトスが連行されたのは、その中にある取調室だ。

 

 非常に危険な状況だった。

 身分詐称の容疑でカエトスを連行した王城警備隊の中には、その職務とは関係ないイーグレベット隊長ヴァルヘイムがいた。そこから考えられるのは、その主である王子クラウスが公に動いたということだ。

 これまで表立って干渉してこなかったクラウスが方針を変えた理由は容易に想像がつく。カエトスを確実に葬り去る算段がついたのだろう。啓示する書物イルミストリアは、それを察知したためにカエトスに警告を出したというわけだ。

 早急に事態を打破しなければならない。そしてイルミストリアに指示されたようにレフィーニアに接触し、事情を説明するのだ。

 

 カエトスは手首を縛る縄を解こうと試みていた。しかししつこいほどに厳重に縛られた縄はまるで緩むことはない。また警備兵に油断する気配は微塵もなく、目を盗んで小細工するのは不可能。カエトスにとって頼みの綱はもはやネイシスだけだった。

 

(ネイシス、今どこにいる?)

(……わからん。どうやらイルーシオを使って何か細工をしたらしい。分厚い布袋に放り込まれただけなのに、周りが見えない。しかも本を奪われてしまった)


 ネイシスの暗い返事に、カエトスの心臓が不規則な鼓動を刻む。ネイシスが拘束されてしまった以上、彼女が所持するイルミストリアに気付くとは思っていたが、やはりそれは現実となってしまった。あの内容がレフィーニアたちに知られたら非常にまずい。


(何とか動けないか?)

(縛られたままで無理だ。くそ、忌々しい縄め……!)


 ネイシスの唸るような声がカエトスの頭に響く。

 ネイシスの力はあてにできない。となるとカエトス自身の力だけで乗り切るしかなかった。今は打開する手立てがなくとも、きっと機は訪れる。カエトスはまだ望みはあると自分に言い聞かせながら、とにかく縄を緩めるべく両手に意識を向けた。

 

 警備兵の目を盗みつつ拘束する縄と戦うことしばらく、入口の扉が鈍い金属音を立てた。鍵が解除された音だ。ゆっくりと扉が外側に向かって開く。

 入って来たのは二人。

 一人は暗赤色の制服を着た岩のような雰囲気の男だ。これはつい先刻カエトスとネイシスを神鉄製の縄で拘束したヴァルヘイム。

 もう一人は波打つ黒髪を結い上げた赤い侍女服姿の女だ。胸や尻の膨らみや腰のくびれがよくわかる体つきをしており、はっきりとした目鼻立ちと気の強そうな目つきは好みが分かれるだろうが、大半の男を虜にするであろう妖艶な魅力に溢れている。

 カエトスは女の顔に見覚えはなかった。しかしその正体は簡単に推察できた。なぜなら、二人の後ろにいた人物の顔を知っていたからだ。


 金糸による刺繍が施された黒服を着たその男は、紫のマントを翻しながら王者の貫禄溢れる堂々たる足取りで入室してきた。太い眉の下の鋭い眼光がカエトスを見据える。

 シルベリア王国第一王子クラウスだ。

 つまり女は王子の腹心である侍女ハルン。港の倉庫街で刺客を引き連れてナウリアを殺害しようとした張本人だった。


 主君に道を譲るように脇に避けたヴァルヘイムが警備兵に目配せした。彼らは無言で頷き、退室していった。扉が閉まる中、クラウスがカエトスの正面で立ち止まり、尊大な目つきでカエトスを見下ろす。

  

 レフィーニアやミエッカ、ナウリアを殺そうと画策した元凶が目の前にいる。その事実がカエトスの内に抑えきれない敵意を呼び起こす。

 するとクラウスはカエトスの考えを見抜いているかのようにこう言った。

 

「おかしなことは考えん方が身のためだ。ここで妙な真似をすれば処刑は免れんからな。もっとも神の使いがいない今、貴様にできることは何一つないが」

(……こいつ、私のことを知っているのか)


 忌々しさと微かな驚きを含んだネイシスの思念が届く。

 カエトスも彼女に負けないほどに驚いていた。

 クラウスはネイシスの存在に気付いている。それは先刻ヴァルヘイムがカエトスを捕縛したとき、迷うことなくネイシスも捕まえた理由を説明してもいたが、その情報源にまるで見当がつかなかった。

 

 カエトスが源霊術では説明のつかない能力を振るっていたことから、神々の関与を予測するのはまだわかる。しかしそれだけでは、実際にネイシスのような存在が近くにいるという結論にはならず、カエトス自身が神の力を使ったと考えるはずだ。なぜなら、神域に関わる生物が域外で目撃される例はほとんどないからだ。

 

 一体どのような経緯でその情報を入手したのか。

 カエトスがクラウスの言動を分析する中、王子はさらに続けた。

 

「私は貴様のような不遜な者であっても、法に則って行動する。無実を証明できればここから出ることが可能だ。これからいくつか問う。生き延びたければ慎重に答えるがいい」

(生かすつもりなどないくせによく言う。お前の口を軽くするための方便だな)


 ネイシスが怒りの混じった刺々しい口調で言う。カエトスも全くの同感だった。法に則る輩が暗殺に手を染めるはずがなく、カエトスを生かしておく理由も彼らには存在しない。


 クラウスが一歩下がって鷹揚な仕草で腕を組んだ。代わりに傍らに控えていたヴァルヘイムが進み出て、冷徹な目つきでカエトスを見下ろす。

 

「最初の問いだ。まずは貴様を拘束した理由である出身地についてだ。貴様は自分がエディースミルド西部のリターム出身だと王女に伝えたというが、我々の調査ではその土地には町がないことが判明している。本当の出身地と身分は何だ。答えろ」


 カエトスは内心呻いた。

 この短時間でそこまで調べるとは、完全にカエトスの誤算だった。

 現状を知られた以上、事実を告げるしかない。そもそもこれは話しても問題のないことなのだが、それを伏せていたのはあまりに突拍子もない話であり、到底信じてはもらえないと考えていたからだ。

 果たしてクラウスが信じるか否か。カエトスは懸念を抱きつつ答えた。


「本当も何も私の出身はリタームで、そこを治めていたイルエリヤ家の一員です」

「……嘘をつくのは得策ではないと殿下が仰ったはずだが。お前……死にたいのか?」


 カエトスの返答に、ヴァルヘイムは表情はそのままにすっと目を細めた。室内の空気がぴんと張り詰める。

 

「嘘ではありません。無人になったのは二百年ほど前の話で、それまでは町があって人が住んでいました。そこまでは調べていないのですか?」


 狼狽えず動揺も見せることなく答えたカエトスに、クラウスとヴァルヘイムが怪訝そうに眉をしかめた。クラウスの傍らに控えるハルンがすっと主君へと歩み寄り小声で告げる。

 

「殿下。取り寄せた情報によれば、確かにエディースミルド建国時の戦が起きる前には、そこに町があったようです。そしてかの国の建国は約二百年前です」


 クラウスの眉間のしわが深まる。ヴァルヘイムに脇を退くように手振りで示し、カエトスの前に立った。

 

「……貴様はかつて存在した町の出身だと、そう言っているのか?」

「その通りです、殿下」

「では見た目通りの年齢ではないということか?」

「いえ。私は普通の人間ですから、時とともに年を重ねていきます。そもそも私は歳は二十一で、二百年も生きてはいません」

「ならばなぜ二百年後の今に貴様はいるのだ」

「ある神に眠らされたからです」

「眠らされた……? その神とは、貴様とともにいた神の使いと関係があるのか」

「あれとはまた別の神です」

「その二柱の神の名は」

「私を眠らせたほうがイリヴァール。あれと関わりのある神がネイシスです」

「……聞かん名だな」

 

 二百年も眠らされただとか、一般には全く知られていないネイシスやイリヴァールの名を出せば、普通は虚言と断じられてもおかしくはない。しかしクラウスの反応はカエトスが予想していた以上に落ち着いており、そしてどこかカエトスの答えに納得しているようにも見えた。その理由はすぐに明らかになる。

 

 クラウスが上着のポケットに手を差し入れ、おもむろに何かを取り出した。それは手のひらに収まる濃紺色の物体。カエトスがネイシスに預けていた啓示する書物イルミストリアだ。


「このイルミストリアを貴様に与えたのは、その二柱の神のどちらかか?」


 カエトスは耳を疑った。本をかざす王子の口から紡がれた言葉は完全に予想外のものだった。そしてそれはネイシスも同様だった。彼女にしては珍しくはっきりと驚いているとわかる思念が伝わってくる。

 クラウスがにやりと笑った。

 

「知らないとでも思ったか? 貴様がイルミストリアを持っていることはすでに推測していたのだ。だが、まさかハーレムを作るなどというふざけた目的を定めているとは夢にも思わなかったぞ」


 なぜクラウスがイルミストリアのことを知っているのか。カエトスの脳裏に一つの仮説が浮かび上がる。そしてそれはクラウスがネイシスの存在を看破したことも説明していた。


「……殿下もそれを持っているということですか」

「尋ねるのは俺であって貴様ではない」


 返答そのものを拒絶するクラウスの口振りからは真偽のほどは窺えない。

 ただクラウスがイルミストリアを所持しているとの仮説が事実であれば、事態はカエトスが考える以上にまずい方向に向かっていることになる。

 なぜなら、クラウス自身が独力では知り得ない情報を入手でき、しかも未来までも予見できるということだからだ。

 

「神から与えられたのでないのなら、貴様はこの本をどこで手に入れた」

「……ティアルクに住む老人から譲り受けました。神は関係ありません」


 カエトスは事態を打破する方策を必死に考えながら答えた。

 クラウスは真偽を見破ろうとするかのように、一時たりとも視線を逸らさない。


「次だ。貴様の真の目的は何だ。それと神の使いの目的だ。イルミストリアに、ハーレムを作りたいなどというふざけた願いを望むはずがない。命がかかっているのだからな」

「それを話す前に、私の左袖をまくってもらえますか」

 

 クラウスはカエトスに鋭い眼光を向けたまま沈黙した。無言の室内に警戒感が漂う。やや間を空けた後、クラウスが侍女へと目配せした。それを受けて、ハルンがほのかに艶を感じさせる仕草でカエトスの背後に回って、後ろ手に縛られたままの左袖をまくり上げる。


「……これは何? 刺青ですか」


 露わになった左上腕部を目にしたハルンが怪訝な声を上げる。そこには大半が紫色に染まった薔薇が、変わることなく肌に刻まれていた。

 

「先ほど申し上げた女神イリヴァールにかけられた死をもたらす呪いです。これを解除するために必要なのが、複数の者から与えられる愛情なのです。イルミストリアにハーレム云々という言葉が記されているのは、その辺りの事情を汲んだ本が勝手につけただけであって、私自身がそれを望んだわけではありません」


 クラウスたち三対の視線がカエトスの左腕に集中する。まるで脈動しているかのように時とともに濃淡が変化するその様は、相変わらず神秘的でありそして禍々しくもあった。

 

「……どうやら嘘を言ってはいないようだな。死の呪いを解くためであれば、ハーレムを作るなどというふざけた目的にイルミストリアを使うのも、納得できなくはないか」


 クラウスが自問するように呟いた。

 カエトスが呪いのことを伝えたのは話すしかないと判断したからだが、クラウスの人となりを見極めるためでもあった。

 そしてカエトスは現状を打開する一縷の光明を見出した。

 クラウスは目的のためには手段を選ばない性格をしている。しかしそれと同時に他者の言葉に傾ける耳も持っている。ならば理を解いて説き伏せることも不可能ではないはずだ。

 カエトスはそのための言葉を素早く組み立てると、意を決して口を開いた。


「聡明な殿下なら、状況を把握されたことでしょう。その上で殿下にご提案申し上げる。レフィーニア殿下の命を狙うのはやめていただきたい。殿下はそのような真似をせずとも、国王になる道があるはずです」

 

 クラウスを王女暗殺の主謀者と断じるカエトスに、ヴァルヘイムとハルンの表情が険しくなった。それぞれカエトスに向けて一歩踏み出す。それをクラウスが右手を上げて制した。カエトスから目を外さないまま告げる。


「続けろ」

 

 手応えあり。やはりクラウスは聞く耳は持っている。

 カエトスは道を切り開くべくクラウスを真っ直ぐに見据えた。


「クラウス殿下は、国王の座を欲しておられる。そのためレフィーニア殿下を亡き者にせんとしたのでしょうが、王女殿下は王位に就くことを望んでおられません。その思いは非常に強く、国王という立場を心の底から忌避しておられます。つまりお二人は、それぞれが別の道を歩みたいと願っているのに、不幸にもそれがぶつかり合っているだけであって、どちらか一方しか生き残れない関係などではないのです。そして私個人の目的と、殿下の目的とがぶつかり合うこともありません。私は殿下の妨害をしようとしたわけではなく、イルミストリアにレフィーニア殿下をお守りしろとの記述が現れたためにそれを遂行していただけです。そしてそれは呪いを解くために必要だからであり、レフィーニア殿下を国王にするためではありません。しかしレフィーニア殿下が命を狙われる限り、私はそれを全力で阻止しなければならない。この呪いを解くためには王女殿下の協力が必要不可欠だからです。そこで改めて申し上げます。殿下の望みは国王の座であって、レフィーニア殿下の命ではないはず。今からでも遅くはありません。皆が納得する落としどころを探っていただきたい」


 クラウスとて立場上、王族の暗殺などという行為に手を染める危険性を認識しているに違いない。そしてレフィーニアとクラウスの求めるものが正反対である以上、妥協点は見出せる。カエトスの提案は悪くはないはずだ。


 無論、カエトス自身、クラウスに対してよい感情は抱いていない。何しろ、レフィーニアやナウリア、ミエッカは王子の指示によって殺されかけたのだ。しかし彼女たちは幸いにも生き延びた。そして王子の部下であるヴァルヘイムとハルンも生きている。だからこそ、カエトスを含めた双方に強い復讐心は芽生えていない。今ならまだ、感情的にならずに実利を選択できるはずだ。

 

 カエトスとクラウスの視線が静かにぶつかる。

 クラウスは片時も目を離さずにカエトスの言葉を聞いていた。

 沈黙が落ちることしばらく、クラウスがおもむろに告げる。

 

「貴様の言い分はわかった。だがそれは無理だな」


 返ってきたのは強固な拒絶だった。その瞳にクラウスの内面を表すかのようなぎらつく光が灯る。

  

「貴様が本当に二百年前の人間だとしてもだ、その当時にもしきたりはあっただろう。ゆえにわかるはずだ。それは身分が高くなるほどに、人を強固に縛り付けるものだということがな。あの腹違いの王女がいる限り、俺は何をしようとも王にはなれん。王女がどれだけ譲位を望もうとも、周りがそれを認めることはない。それを打破する唯一の方法は、王女を殺すことだけだ」


 クラウスの声は、王座に就くという揺るぎない信念、そして抑えきれない憎悪と怒りに滾っていた。レフィーニアへの殺意の強さがはっきりと伝わってくる。

 

 このままでは確実にレフィーニアは殺されてしまう。そしてそうなった場合、ナウリアとミエッカはクラウスへの報復に出るだろう。それをみすみす見逃すクラウスではない。その先に待つのは、カエトスがもっとも望まない結末。すなわち三姉妹全員の死だ。

 カエトスは何としてでもそれを避けるべく、さらに説得を試みた。


「確かに殿下の仰る通り、譲位はならないのかもしれません。それならば無理に王位など望まなければよろしいでしょう。殿下のお立場ならば、如何様にも権力を手にすることができるはず。王という立場に拘泥せず、実利を取るべきです」


 カエトスの進言に、クラウスの口元が笑みの形に歪んだ。それは楽しんでいるようでもあり、嘲っているようでもあった。

 

「俺に向かってそのような物言いをするとは、面白い。だがそれこそ無理な相談というものだ。貴様の主張はつまるところ、王女に忠誠を誓えということではないか」


 クラウスが王者たる威厳を感じさせる動作で腕を組んだ。カエトスを見下ろし、自らの思いを語り出す。


「二百年前の人間だという貴様がどこまで現状を把握しているかは知らんが、我が国を取り囲む状況は常に緊張している。何しろ国境を接する国が全て我が国より強大なのだ。上手く立ち回らねば、容易く滅びの危機に瀕する。その点、我が父は巧みに動いていた。隣国の挑発や言いがかりを上手くかわし、戦端を開くことなくここまで来たのだからな。しかしそのやり方では、未来永劫他国の顔色を窺わなければならない惨めな立場のままだ。俺はそれが気に入らない。とくに、たまたま強国の王として生まれついただけの人間が、俺の上に立っていることがな。だから俺は現状を打破する。そのためには全ての権限を掌握し、何もかもを俺が決定し、遂行する力が必要なのだ……!」


 語尾を強めるクラウスの体から他を圧する気配が立ち上る。それはまさに獲物を捕食し糧とする獣のもの。他国を呑み込み、自国の領土としたい野心を何よりも雄弁に物語っていた。

 覇気をまとうクラウスが改めてカエトスを見据えた。


「それと貴様の言には重大な欠陥がある。それは、人の心は変わるということだ。王女が国政への関与を忌避しているのが事実だとしても、それが未来永劫続く保証はどこにもない。いつか権力を思うままに行使したいと願うようになるだろう。そのとき真っ先に抹殺されるのが俺だ。そんな不安定な立場などお断りだ。そもそも俺は俺以外の者の言うことに従う気はさらさらない。それが王女のように無能な人間であればなおさらだ」


 馬が合わないということなのか、レフィーニアに言及する部分には強い敵意が滲んでいた。

 瞳に強い光を宿したままクラウスは小さく頭を振る。

 

「……惜しいな。貴様は全くもって腹立たしい奴だが、その能力は本物だ。いきなり現れて俺の計画をこれでもかと妨害した手腕に、王子である俺と相対していながら、そして最早先がないと悟りながら、ふてぶてしく自分の目的を達成する手段を模索する図太さ。その武技と機転、豪胆さは手駒として申し分ない。しかし貴様はどう転んでも俺の敵になる。殺すしかあるまいな」


 カエトスは歯を軋らせた。

 クラウスの頭の中では、レフィーニアを殺すことがすでに決定事項として定められており、何があっても覆らないことを強く思い知らされた。

  

 言葉でクラウスを翻意させるのはもはや不可能。王女たちを助けるには力ずくで王子を止めるしかない。だが後ろ手に縛られた縄の拘束は厳重で全く緩まない。ヴァルヘイムとハルンも、カエトスの僅かな動きにすら最大限の警戒を向けたままだ。最終手段として王子を人質にとって脱出するという計画も検討していたが、そんな隙は皆無だった。

 諦めずに打開策を必死に考えるカエトスの脳裏にネイシスの声が響く。

 

(カエトス、そいつらに私を殺すように仕向けろ)

(お前、何を言ってるんだ……!?)


 まさか命を捨てて何かをする気なのか。だとしたら、そのようなことは絶対に容認できない。自分のためにネイシスを犠牲にするなどもってのほかだ。

 カエトスが反射的に怒りとも混乱ともつかない思念をぶつけると、それを宥める言葉が返ってきた。


(落ち着け。正確には私の体を破壊するように仕向けろということだ。私の体は作り物で、人間の感覚で言えば服を着ているようなもの。人間は着ている服を破壊されたところで死なんだろう? それと同じことだ)


 そうだった。人間と同じように接してはいるがネイシスは神であり、形のある肉体は持たないのだ。

 カエトスが冷静さを取り戻すと、ネイシスはすぐに続けた。

 

(ただこの縄は私の体と一緒に本体も拘束していて抜け出せないんだ。そこで体が壊れて死んだと思い込ませれば、奴らは拘束を解くはずだ。そうすれば、お前をそこから助け出せる。力を使うから、呪いは進んでしまうが)

(そんなことを言ってる場合じゃないさ。わかった、何とかしてみる)


 そこはかとなく申し訳なさそうなネイシスに答えると、カエトスは目まぐるしく頭を回転させた。

 クラウスたちがネイシスを殺すように仕向けるには、どのように誘導すべきか。それはすぐに一つの案となってカエトスの脳裏に浮かぶ。

  

「俺を殺せば、王子、お前も死ぬぞ」

「何だと?」


 これまでの慇懃な態度を一変させ、挑戦的な口調で告げるカエトスに、クラウスが目を細めた。ヴァルヘイムとハルンが警戒するように身構える。


「お前たちが捕まえた神の使いは、俺の呪いを抑えるのに力の大半を使っている。俺が死ねばその必要もなくなって、そのための力が全てお前たちに向けられる。そうなれば確実に死ぬぞ。それが嫌なら、俺を今すぐ解放しろ」

「ふん、その荒々しさが貴様の本性か。ならば、貴様を殺す前に神の使いを殺せばいいだけだ」

 

 かかった。

 カエトスは内心拳を握り締めた。だが、それがぬか喜びだったことを即座に思い知らされる。

 クラウスがにやりと獰猛な笑みを浮かべた。


「──とでも言うと思ったか? 神の使いが危険なことは知っている。あれを解放することもな。だからあれは二度と表には出さないように厳重に封印してやろう」

(……この人間め。お前の予想通り、本を持っているな。色々知り過ぎている)


 この上なく苦々しい口調のネイシスに重ねるように、クラウスが冷徹に宣告した。

 

「そして貴様は、確実に命を絶つ手筈を整えた上で殺してやる。ハルン、この男の体を支配しろ」

「承知致しました」


 クラウスの命を受けて、ハルンが妖艶に微笑みながら近づいてきた。

 

「あなたの体、少し借りますよ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る