第12話 王子の宣戦布告

 親衛隊ヴァルスティン隊長ミエッカの頭上には青空が、眼前には固く踏みしめられた剥き出しの地面が広がっていた。四方は高い石壁に囲われ、その上には近衛軍団所属の兵士たちがずらりと並んでいる。その人数は数百以上。彼らはこれから行われる霊獣討伐隊の選抜試験を見学に来た者たちだ。

 ここは屋内練武場に併設されている屋外練武場。中央付近には訓練用の皮鎧を着込んだ百人ほどの男女が十列に並び、やがて始まる試験をいまかと待っているところだった。

 

「姉さま、何で王子までいるの?」


 小声で問いかけてきたのはレフィーニアだ。細部の構造や意匠は異なるものの、いつもと変わらない真っ白なドレスに、煌びやかな宝石が象嵌された腕輪や額冠、そして三日月を模した首飾りを身に付けている。そんな彼女は微かに眉を寄せて、不快そうな不安そうな何とも言えない表情を浮かべていた。

 

 屋外練武場には屋内のものと同様、貴人が滞在するような設備はない。そのためレフィーニアは、昨日も用いた臨時の演壇の上に設えられた即席の玉座に座していた。

 その横にはミエッカが控え、演壇の周りは濃紺の制服をまとった親衛隊ヴァルスティンの隊員十数名が取り囲む。試験はそれなりに危険も伴うため、万が一の事態に備えて厳重な守りを敷いているのだ。

 

 居心地悪そうにもぞもぞと座る位置を直す王女の視線は、親衛隊員の向こう側に向けられている。そこにはこれも昨日と同じように、クラウス王子がいた。ただ昨日は一つの演壇の上に二脚の椅子を設えたが、今日は演壇そのものが二つ用意されている。これは、クラウスも急遽試験に同席すると発表したからだった。そのため作業の指示が別々に下り、わざわざ二つの演壇が設置されたのだ。

 

「殿下と同じく、試験を受ける者たちを激励するためと聞いています。それと姉さまと呼ぶのはやめて下さい」


 ミエッカは試験を管理する兵部省の担当者から聞いた内容を答えつつ、クラウスへとそれとなく目を向けた。

 王子もレフィーニアと同じく、暗赤色の制服を着た親衛隊イーグレベットの面々に囲まれながら、即席の玉座に座していた。紫の外套を羽織り、漆黒の服を纏う姿はいつもと変わらぬ覇気に満ちている。

 クラウスが試験に臨席すると決めたのは、激励だけではないとミエッカは見ていた。これは全くの勘であり、はっきりとした根拠があるわけではないが、レフィーニアが試験に同席すると言い出したのと決して無関係ではないはずだ。なぜなら王子にはある重大な疑惑があるからだ。


「そうなんだ。……あと、カエトスはまだ来てない?」


 ミエッカの思考は、レフィーニアが発した一言に引き戻された。その名を聞くだけで不快さと怒りが蘇ってくる。

 クラウスが試験に同席する理由はわからないが、レフィーニアがこの場に来たがった理由なら心当たりがある。

 それはいま王女が口にした男──カエトスだ。

 どういうことか、レフィーニアは昨日突然現れた男を妙に気にかけているのだ。

 明確に法を犯しておきながらそれを裁こうともしない。それどころか側近である親衛隊に入れるなどと言う始末で、姉のナウリアともどもその理由を尋ねたものの、答えをはぐらかされてしまい、真相はわからないままだ。それがミエッカは気に入らなかった。

 そして一番気に入らないのは、姉であり彼女を守る盾でもあるミエッカよりも、カエトスを強く気にかけていることだ。レフィーニアを守り支えるのは自分と自負しているミエッカにとって、それは絶対に認められず、許せないことだった。


「まだのようですね」


 冷静な口調でレフィーニアに答えつつ、内心ほくそ笑む。

 ミエッカはこのような異常な状態を座視するつもりはさらさらなかった。カエトスは速やかに追放されなければならない。そしてそのための策はすでに実行されている。それがカエトスに命じた使いだ。

 工房にて受け取るように指示した銃槍と弾丸は、三十人以上の人手を用意するか動力車を手配しなければ到底運べるものではない。そのどちらの対策もある程度の時間がかかるため、試験の開始時間までに終わることはないのだ。

 カエトスは仕事を取るか、試験を取るかの二択を突きつけられることになり、どちらを選んでもミエッカは、仕事の放棄、もしくは試験への遅刻という、カエトスを責める材料を手に入れられる。


 もちろんカエトスは反論するだろうが、ナウリアに口裏を合わせるように頼めば何とでもなる。カエトスが抗弁したところで、昨日今日やって来た人間の言い分よりも、ミエッカの言い分が通るのは自明だ。

 問題はレフィーニアの反感を買わないかという点だが、それも姉と二人でじっくりと説得すれば理解してくれるに違いない。

 ミエッカは練武場の入口へと目を向けた。石壁に設けられた鉄扉は固く閉ざされている。じきに試験開始の時刻だが、カエトスがやってくる気配はない。カエトスはどうやら試験よりもミエッカの与えた仕事を遂行することにしたらしい。

 

「まったく、殿下が直々に試験に推薦してくださったというのに、それをすっぽかすなどヴァルスティンの一員としてあるまじき大失態。やはりあの男はヴァルスティンには相応しくありません。ここは速やかに──」

「あ、来たみたい」


 ミエッカが滔々とカエトス追放のための理由を述べていると、レフィーニアが嬉しそうな声を上げた。

 ミエッカは目を疑った。ゆっくりと鉄扉が開き、そこからカエトスが入って来たのだ。しかしミエッカが驚いたのはそれ以外にも理由があった。

 

「……馬鹿な。あれを担いで来ただと」


 カエトスの肩には厳重に縄で縛られた木箱が七つ乗っかっていたのだ。あれの重量は六百ハルリー(約千三十六キログラム)を超えているはず。人間が一人で持てる代物ではない。方法があるとすれば、それは引力に干渉できる源霊マールカイスの力を借りることだ。


「やっぱり、あいつはあの技を使うのか……」

「姉さま、何か言った?」

「いえ、何も」


 小首を傾げるレフィーニアに、ミエッカは冷静さを装いつつ答えた。視線をカエトスに注いだまま、その姿をさらに詳しく観察する。

 ミエッカは昨晩、王城の中務省内にある図書館である調べものをしていた。そこで得た情報から、カエトスの能力についてある仮説を導き出していたのだが、目の前の光景はそれを裏付けるものだった。


「姉さま、カエトスが持っているのは何?」

「え、あれは、その──」


 再び尋ねるレフィーニアに、ミエッカは思考を中断させられた。何か答えようとするも、言葉に詰まる。あの木箱について答えることは、つまりはミエッカがカエトスに無理な命令をしたと自白するようなもの。正直なところ、命じた使いを完遂し、かつ試験時間に間に合ったときの対応を考えていなかった。

 

「あれは、私が引き取りに向かえと命じた備品です。もちろん試験に間に合うように時間を考えたんですが、まったくあの男ときたら、こんなに時間をかけるとは。例え新人だとしても、もう少しまともにこなしてもらわないと、こっちが困ってしまいます。ははは」


 ミエッカは乾いた笑いを上げながら、ちらりとレフィーニアに目を向けた。愛する妹はじっと姉を注視していた。明らかに怪しんでいる。

 レフィーニアとの付き合いの長さは、彼女の年齢と同じで、ミエッカの癖など把握していることだろう。それとミエッカの態度とを照合して、姉が何を考えているのかを分析しているのだ。あとでナウリアとしっかり打ち合わせをしておかなければ、妹の信頼を失いかねない。

 内心冷や汗をかきつつ、ミエッカはあることに気付いた。

 

(……姉さまはどうしたんだ?)


 カエトスと一緒に行ったはずのナウリアの姿がない。試験に間に合わせるために、ナウリアを置いてカエトスだけが来たということだろうか。

 

「……まあいい。じっくり見させてもらおう」


 来てしまったものは仕方がない。カエトスを糾弾する材料は得られなかったが、試験を行うことでカエトスの能力の正体が判明することだろう。

 カエトスは落ち着き払った動作で周りを見渡すと、入り口の鉄扉脇に肩に担いだ木箱を置いた。受験者が集まった広場の中央に早足で向かう。

 ミエッカはきっぱりと頭を切り替えると、カエトスの一挙手一投足を見逃すまいと目を凝らした。

 

                 ◇


「遅れて申し訳ありません」


 ナウリアと別れてからほとんど全力で走って来たカエトスは、弾む息を落ち着かせながら皮鎧をまとった教官と思しき壮年の男に頭を下げた。

 教官の前には受験者らしき男女が整然と並んでいる。練武場の端に設えられた即席の玉座に座るレフィーニアが顔を綻ばせ、そしてその隣のミエッカが渋面を作っていることから、試験開始の時間には間に合ったようだ。

 教官が手元の書類に目を落とし、次いでぎろりとカエトスを睨み付ける。


「貴様が王女殿下に推薦されたイルエリヤ・カエトスだな」

「そうです」


 教官は何か言いたそうにしたが、ふうと息をつくと小さく頭を振った。

 おそらくカエトスを叱責しようとしたのだろう。しかし王女の関係者に余計なことを言って面倒なことになりたくない。教官の顔にはそう書いてあった。

 

「ところであれは何だ。あんなところに置くと、流れ弾が当たるかもしれんぞ」

「は。すみません。すぐにどかしましょう」


 教官が親指で指したのは、カエトスが引き取って来た銃槍と弾丸が入った木箱だ。カエトスが歩き出そうとすると、それを手で制する。

 

「貴様は試験の説明を聞け。あれは別の者に移動させる」


 教官は面倒くさそうに言うと、後ろに並んでいた試験の補助教官らしき男たちに動かすように命じた。その中の三人が指示に従って鉄扉の方へ向かう。

 

「お手数かけます。ですが、あれは重いですよ」

「貴様一人で持てたものが、三人で持てないわけがなかろう」


 説明を始めようとした教官が、早速話の腰を折られたことに眉をひそめながら、カエトスと、そして木箱に目を向ける。駆け寄った三人が木箱を縛る縄に手をかけて、そして案の定びくともしなかった。


「……あれは何が入っているのだ?」

「銃槍二十丁とその弾丸が一万発だそうです」

「一万!? 貴様はそれを担いで持ってきたのか……?」


 教官の驚きの声とともに、受験者たちの視線が一斉に木箱に集まる。

 補助教官は何度か持ち上げようと試みたが、すぐに諦め外壁の上にいる兵士たちに声をかけた。五人ほどが練武場に飛び降りて木箱に手をかけるも持ち上がらず、兵士たちが追加される。木箱を縛る縄を切って木箱を一つずつにしたもののまだ持てずさらに増員。最終的には木箱一つに対し四人がかりで練武場の外に運び出していった。

 

「いま、三十人くらいで運んだよな……」

「あれを一人で運んで来たのか……?」

「何者だ……?」


 ひそひそと受験者同士が話す声がカエトスの耳に届く。

 カエトスは腕力ではなくマールカイスの力を行使して持ち上げただけで、腕力そのものは人間の常識の範疇にある。しかし聞き耳を立てるに、受験者たちはどうやらカエトスが怪力の持ち主と思ったようだった。


(誤解が広まっているな……)

(お前は手柄を立てて、周りに認められなきゃならないんだろう。都合がいいじゃないか。このまま放置しておけ)


 ネイシスの声が頭に響いた。

 彼女は練武場に入る直前にカエトスの肩から飛び立っている。これから起こる何かに備えるためだ。

 

(おかしな点はあるか?)

(今のところはない。まだ本に記された時間じゃないから、近くなったら教えてやろう。それと私は王女の近くに移動する。お前の方の対処が遅れるかもしれないから注意しろ)

「静かに。貴様はそこに並べ」


 ネイシスに了解した旨を伝えていると、教官がざわつく受験者をたしなめた。先頭の列の一番端を指差し、カエトスが移動するの待って口を開く。

 

「まず始めに、今回の試験はクラウス殿下、レフィーニア殿下の御臨席を賜っている。霊獣討伐に挑もうという諸君らを激励するために、わざわざご多忙な時間を割いて足を運んでくださったのだ。試験とはいえ無様な姿を見せることは許さんぞ」


 教官の訓示に、受験者たちが姿勢を正すことで答える。

 

「では試験についての説明を行う。今回はミュルスをどれだけ防御的に扱えるかを確認する。合格した者はその力で霊獣の攻撃を防ぎ、攻撃部隊の補佐を行うことになる。試験は二種類だ。さっそく一つ目の試験を行う」

 

 教官が、木箱を運び終えて戻ってきた補助教官に目配せした。

 補助教官は布袋を手に待機していた同僚とともに受験者たちの列に向かうと、袋の中から棒状の物体を取り出して、一人一人に手渡していく。

 彼らが配っているのは鉄製の持ち手のついたろうそくだった。後ろに続く補助教官が先端に指を当てると、次々に火が灯っていく。熱を司る源霊リヤーラに命じて芯を加熱しているのだ。


「試験の内容は簡単だ。これから風を起こす。その風を無効化し、いま渡されたろうそくの火をそのまま保てばよい。消えたら不合格だ。では等間隔に広がれ。早速始めるぞ」

 

 カエトスたち受験者は互いに距離を取った。それを包囲するように補助教官たちが移動する。

 

「各員準備せよ」


 教官の号令とともに、受験者たちが一斉にミュルスへの呼びかけを始めた。彼らの口から紡がれるのは、多少の違いはあるものの『ミュルスよ、汝の力をもってわが周囲に減衰場を展開せよ』という言葉だ。互いの声が重なり合って生じた和音が、練武場内に高く低く響いていく。

 そんな中でカエトス一人だけが左手で剣を抜いた。

 回転式の鍔の穴位置はつい先刻、この屋外練武場にやってくるときに使ったミュルスを対象としたままだ。

 右手に持ったろうそくの炎が消えないように気を配りつつ、縦横に素早く刃を翻す。ミュルスへ命ずる内容は、崖から転落したリューリを救出したときと同じく動体減衰場を展開させるものだ。

 

 周りの受験生がカエトスにちらちらと目を向ける。そこにあるのは戸惑い。言葉を使わずに源霊に呼びかける技法はこの地域には伝わっていないため、何をしているのかわからないのだ。


 カエトスはそれら好機の視線を無視しようとしたができなかった。視線の一つが尋常ではない気配を伴っていたからだ。レフィーニアの隣りに控えるミエッカが、食い入るようにカエトスを見ていた。六十ハルトース(約七十二メートル)以上も離れているのに強い威圧感を感じる。

 

 ここまで堂々と見せてしまうと、さすがにカエトスが何をしているか気付くだろう。ミエッカとの決闘でカエトスが勝利を収められたのは、ミエッカが剣舞の存在を知らなかったからだ。それもここで失われる。早急にミエッカとの関係を好転させなければ、万が一刃を交えるようなことになったとき、本当に殺されかねない。

 

 しかし今は将来の懸念よりも目前の試練。カエトスは頭を切り替えつつ、剣を順手から逆手に持ち替えた。剣舞完了の合図であり、ミュルスへの実行命令となる動作だ。ミュルスがそれに応え、空気が張り詰める。

 

(ネイシス、状況は?)

(妙な兆候はない。安心して試験に挑め)

「選考開始!」


 頼りになるネイシスの言葉と、教官の号令が響くのは同時だった。

 補助教官が受験者たちに右手を向ける。

 次の瞬間、練武場内に暴風が巻き起こった。砂埃が舞い上がり、視界が塞がれる。まるで嵐の中にいるような光景だ。ろうそくの火を保つどころか、自分自身の姿勢さえ維持できないほどの風力。現に、たちまちのうちに十数人の受験者が、ろうそくの炎もろとも大気の牙に薙ぎ倒された。

 彼らもカエトスと同じく動体減衰場を周囲に展開していた。それのおかげで開始時は風の影響を受けなかったものの、止まることなく襲い来る風の力に耐えきれなかったのだ。

 その一方でカエトスは平然としたものだった。

 体から十レイトース(約十二センチメートル)ほど離れた辺りに膜のようなものがあり、その外は大気が荒れ狂っているが、内側は平穏そのものだ。この膜はカエトスが展開した動体減衰場の境界だ。

 風に巻き上げられた砂埃は、動体減衰場に侵入した瞬間に運動エネルギーを全て奪取され停止する。その後、普通なら引力に引かれて地面に落下するが、下に向かおうとする力も減衰場が奪うため、砂埃は宙に留まり続ける。このため普通は目視することのできない減衰場が、砂埃に覆われる形で可視化されているのだ。

 

 そして砂埃は、ただの一粒も減衰場の内側に入り込んでいない。

 カエトスが持つ剣の材質は神鉄。それに宿る魂は神と同質であり、発する音は人間の呼びかけとは比較にならない強さで源霊を従える。この程度の風量であれば、完全に運動エネルギーを奪取し、無効化するのは容易いことだった。

 

 さらにこの減衰場にはもう一つの特徴があった。それは内部に音が届くということだ。

 音とは空気の振動であるため、動体減衰場で全周を囲ってしまうと、空気の動く力すらも奪取してしまい内部は無音の空間となってしまう。

 しかし戦闘において外部からの音を遮断するのは、危機回避や情報伝達の観点から好ましいことではない。その打開策として考案されたのが、複数の半球状の減衰場を鱗のように重ね合わせる手法だ。減衰場同士に僅かな隙間を設けることで、物体の侵入は阻みつつ、空気の振動だけはある程度内部に伝わるようにしてあるのだ。

 

 不意に風が止んだ。

 舞い上がった砂埃を、遅れて吹いた一陣の風が奪い去っていき、視界が晴れる。

 小さなつむじ風が練武場のあちこちに出現していた。不規則に大気が荒れ狂った名残だ。それも時間の経過とともに収まっていく。

 

 カエトスは左親指で剣の柄を弾いて回転させた。命令を受けたミュルスが活動を停止する。減衰場が消失し、境界に留まっていた砂埃が音もなく地面に落下する。

 剣を鞘に戻しながら練武場内を見渡すと、当初の半数ほどが自分の足で立っていた。ろうそくの炎を保った者はそのさらに半分の二十人ほどだ。

 

「よし、終了だ。火を維持できなかった者は帰ってよし。そのろうそくは今日の挫折を思い出すために持ち帰り、さらなる修練を積む糧とせよ」


 教官の無慈悲な宣告を受けた脱落者たちは、肩を落とし、あるいは倒れた仲間に手を貸したりしながら練武場を後にする。不合格ではあったものの、霊獣討伐の候補に挙がるだけあって歩けないほどに負傷した者は一人もいなかった。


「残った者はろうそくを返却し、こっちに来い」


 脱落者を厳しい表情で見届けた教官が練武場内を移動する。カエトスたちは袋を携えた補助教官に火を消したろうそくを渡して、その後に続いた。

 いまの試験を行った場所から数十ハルトース離れたところに土嚢が壁状に積まれている。教官はそこで足を止めた。

 

 再びカエトスは視線を感じた。正面の教官や補助教官、そして周りにいる二十人ほどの受験者がカエトスをそれとなく観察していた。外壁の上にいる兵士たちが指を差しながら周りの人間と会話している様も確認できる。その理由はカエトスが行った剣舞にあることは明らかだ。

 自身の力を周囲に知らしめるのはレフィーニアの望みに合致しており、それはカエトスの目的にも利する。ただやはり好奇の視線の対象となるのはあまり気持ちのいいものではない。

 カエトスが居心地の悪さを感じながら待っていると、教官が説明を始めた。


「次の試験は、実際の攻撃を模したものを防いでもらう。名を呼ばれた者から一人ずつそこの土嚢の陰に立て。我々教官が反対側からあの投石器を使って石つぶてを撃つから、それが土嚢に当たる前にミュルスの力を用いて防ぐように。つぶての数はおおむね二百。土嚢への命中数が五つ未満で合格だ。無論、少なければ少ないほうがいいのは言うまでもない。全弾阻止を目指すように」

 

 教官が持ち上げた腕で指しているのは、胸元あたりの高さの土嚢壁と、それと向かい合うように設置された鉄製の器具だ。

 それは三脚の上に円筒状の容器を乗せたもので、筒の大きさは人間がまるまる入るほど。漏斗状にすぼまった底面から下方に向かって鉄管が伸びていて、地面と平行になるように曲げられている。円筒容器に石を投入すると、鉄管から石が転がり出るという仕組みらしい。それをミュルスの力で加速させて撃ち出すというわけだ。

 

(カエトス、この人間どもの力を見る限り、試験そのものは大したものではなさそうだな)

(おかげで周りに意識を向けられる)


 カエトスはネイシスの思念に答えつつ、視線は正面のまま、意識を全方位に万遍なく向ける。

 先刻は、危機の発生する時刻がわからなかったために対応が後手に回ってしまい、結果としてナウリアを危険にさらすことになってしまった。

 今回は違う。いつ起きるかはわかる。だからこうして身構えておくこともできる。油断はできないが、レフィーニアとミエッカから意識を逸らさずにいればきっと対応できるだろう。

 

 カエトスはそう思いつつも、葛藤に苛まれていた。

 おそらくイルミストリアは、敵が引き起こす事件を利用し、姉妹を意図的に危険にさらそうとしている。そしてそれをカエトスが助けることで、好感を引き出そうと目論んでいるのだ。

 この推測は間違っていないはずだ。

 根拠は二つある。一つは先刻のナウリアの例だ。

 彼女はカエトスがシリーネスで話しかけたことで、ミエッカの使いに同行した。その結果、壁の崩落事故に巻き込まれている。

 もう一つは、これから練武場で起こることへの記述だ。

 姉妹をただ守るだけならば、二人を連れてここから去るのがもっとも確実だ。しかしイルミストリアはそれを記していない。それどころか、レフィーニアの望む結果を出せと告げている。つまり練武場から離れるなと言っているのだ。危険が起こると承知しているのに。


 なりふり構わない手段を選ぶイルミストリアに対し敵愾心がくすぶる。が、それを責めるのは筋違いということもカエトスは自覚していた。

 イルミストリアはカエトスの望みを実現する道筋を示しているだけ。それも常識的に考えて不可能と思われることを。ゆえに道理から外れた手法を選択しているのだ。


 カエトスが女神の呪いを解くことを諦め、そして王女を助けたいとだけ願えば、他人を巻き込むことなく安全に覆す手段があるのだろう。しかしそれはできない。カエトスには目的がある。そのためには女神の呪いで死ぬわけにはいかないのだ。

 カエトスにできることといえば、レフィーニアたち三姉妹を傷つけないこと。これだけは何としてでも成し遂げなければならない。命を賭けてでも。

 カエトスが深く細く呼吸を繰り返し全神経を研ぎ澄ませるなか、二つめの試験が始まった。

 

「では始めるぞ。ピエニ・ウリヤス、前へ!」


 教官に名前を呼ばれた受験者の青年が、厚さ二ハルトース(約二メートル半)ほどの土嚢壁の陰に立つ。その向こう側、二十ハルトースほど離れたところに投石器を操作する補助教官がいる。


「それでは構え!」

「ミュルスよ、我が声を聞け。力現すは我が腕の先なり。汝が全霊をもって我を守れ!」

「ミュルスよ、汝の力、存分に解放せよ」


 教官の号令とともに、受験者は右手を土嚢壁に向かって突き出した。気合い漲る声で叫ぶ。

 一方の補助教官は、受験者の準備が整ったのを見計らって冷静な口調でミュルスに命じる。そしておもむろに投石器に取り付けられた取っ手をぐいっと引っ張った。せき止められていた石が投石器下部の鉄管から転がり出る。そして姿を見せた瞬間、猛烈に加速して土嚢壁に襲いかかった。

 それはまさに石つぶての嵐だった。つぶての大きさは握り拳ほど。その一つ一つに人間の体など容易に貫く威力があり、それが間を置くことなく次々と撃ち出され、そしてあっという間に弾切れとなった。時間にして十ヴァイン(約二十秒)もかかっていない。

 

 補助教官が四人、土嚢壁に駆け寄った。地面に落下した石を数えることもなく、巨大な竹ぼうきで手早く清掃を行う。

 土嚢壁への命中弾の数によって合格かどうかが決まるわけだが、なぜ数えもしなかったのか。それは土嚢壁にほとんど全ての石つぶてが命中していたからだ。


 最初の二十発ほどは、受験者が展開した動体減衰場に侵入した瞬間に砕け散っていた。これは動体減衰場に侵入した先端部分だけが真っ先に運動エネルギーを奪取されて急停止し、そこにいまだ動き続ける残りの部分が激突したことで起きる現象だ。つまり完全に防御したことを意味している。しかし受験者の減衰場はそこで運動エネルギーを奪う力を使い尽くしたために、残るつぶては全て土嚢に命中しそれを穴だらけにしたのだ。土嚢に詰められていた砂が、さらさらと音を立てて流れ落ちる。

 

「貴様は不合格だ! まだまだ精進が足らん! 帰ってよし!」


 教官の怒号が響いた。受験生はがっくりと肩を落としてその場を後にする。

 

「あんなのを防御しなきゃならないのかよ……」

「やべえ、甘く見てた。絶対無理だ……」


 受験生たちの慄く声がカエトスの耳に届く。

 たしかに脅威的な威力だったが、それを生み出したのは補助教官一人が従えるミュルスだ。神鉄製の剣を用いて剣舞を行うカエトスは、その数倍から数十倍の力をミュルスから引き出せる。剣舞を行う時間さえ確保できれば、特に懸念材料はない。

 カエトスは鞘から剣を抜いた。これから起こるであろう事態を予測しながら、小さく刀身を翻す。最低限必要になると思われるものは、動体減衰場の展開と、身体能力補助。これらをミュルスへと命じ、あとは実行命令一つで発動させられる状態で待機させる。

 受験者が次々と石つぶての洗礼を浴びて、合格者と脱落者とに振り分けられていく。そして十人ほどが終わったところで、カエトスの順番が来た。


「次、イルエリヤ・カエトス!」


 名前を呼ばれて土嚢壁の陰へと進み出る。つぶての嵐を浴び続けた麻袋はすでにずたぼろになっていたが、それも表面だけ。土嚢の壁は五重から六重に重ねられているため、まだまだ強度は十分だ。


(カエトス、もうじき七エルト三ルフス(午後二時ごろ)。時間だ)


 ネイシスの声がカエトスの頭に響く。それはカエトスが待ち構えていた合図でもあった。敵が暗殺を仕掛けるなら、カエトスの注意が逸れるここしかないと考えていた。

 カエトスは全神経を研ぎ澄ませた。五感全てを駆使して周囲の気配を探る。

 

 カエトスの正面には土嚢壁があり、その向こう二十ハルトース(約二十四メートル)ほど先に、投石器を操作する補助教官と、その横の台車に積まれた石つぶての山が見える。右方では約十人の受験者が自分の試験の時を待ち、左方にはおよそ六十ハルトース(約七十二メートル)離れたところに、親衛隊に囲まれながら試験の様子を見守るレフィーニアが玉座に座っている。

 どこからどのように仕掛けてくるのか。上空から何かを落下させるか、それとも足元から来るのか。それとも外壁の上にいる兵士の群れの中に紛れ込み、狙撃でも行うのか。


「では構え!」


 カエトスが考えられる限りのことを並べて身構えていると、教官が準備を促した。

 ふと小さなつむじ風がカエトスの目に止まる。それは石を満載した台車の付近にあった。弱々しく砂を巻き上げていて、いまにも消滅しそうだ。

 ついさっき荒れ狂った暴風の名残りか。

 カエトスはそう思い、別のところに意識を向けようとした。だが何か気になる。風が止んで結構な時間が経過している。もうつむじ風が生まれる要因は乏しい。

 

(カエトス、あと二ヴァイン(約四秒)だ)


 ネイシスが静かに時間を告げる。もう間もなく何かが起きるというのに、カエトスはつむじ風から視線を外せなかった。そしてそれは結果的に正解だった。

 

「みんな伏せろ!」


 カエトスは叫んだ。同時に右手を前方にかざし、左手の剣を逆手に持ち替える。

 カエトスの目の前に天を衝く竜巻が出現していた。小さなつむじ風が瞬時に巨大化したのだ。

 

 渦の直径は三ハルトース(約三メートル半)ほどであったため、竜巻そのものに呑まれた者はいなかった。もっとも近かった補助教官もその範囲からは外れている。しかしカエトスの周りは、いまのたった一瞬の間に阿鼻叫喚の光景へと一変していた。

 受験者や教官たちのほとんどが地面に倒れ、地面にじわじわと赤い染みが広がる。練武場を囲む外壁上でも数十人以上の人間が、姿を消している。

 いったい何が起きたのか。カエトスはそれを完全に捉えていた。

 

 竜巻は、出現したその瞬間に台車に積まれた石つぶての山を丸ごと呑み込み、それを全方位に猛烈な速度で弾き飛ばしたのだ。その威力は投石器の比ではなかった。何しろ、カエトスの正面の土嚢壁が石つぶてによって撃ち抜かれているのだから。倒れたり姿を消した者は、つぶての攻撃を受けてしまったのだ。

 

 背筋にぞくりと冷たいものが走る。

 カエトスがかざした右手の先、土嚢壁の向こう側には半球状の膜のようなものが出現している。カエトスに向かって放たれた数十という石つぶてを防いだ動体減衰場だ。咄嗟に反応できたカエトスは、そのためにかすり傷一つ負っていない。前もってミュルスを待機状態にしていたからこそできた芸当だった。

 

(カエトス、王女のところに向かえ!)

(もう移動してるっ!)


 カエトスはすでに走り出していた。左手の剣を翻し次の命令の準備をしながら、レフィーニアのもとへ急行する。負傷した受験者たちには悪いが、レフィーニアとミエッカを救うことがカエトスにとって最優先事項だ。放置するしかない。

 

 竜巻がばらまいたつぶてはレフィーニアたちにも襲い掛かっていた。背後の石壁に無数のつぶてがめり込んでいる。

 彼女を守るヴァルスティン、そしてクラウスを護衛するイーグレベットの面々は、主を守り切っていた。そしてさすが精鋭ぞろいの親衛隊だけあって、行動不能になるほどに負傷した者はいないようだった。レフィーニアの前に仁王立ちするミエッカが、身振りを交えて素早く指示を出す姿も見える。だが損害は決して軽くはなかった。腕や足を押さえてうずくまっている者が何名かいる。

 

 竜巻の勢力は全く衰えない。練武場内の大気を根こそぎ飲み込むかのように凄まじい速度で回転している。渦の中心では、取り込まれた無数の石つぶてが風に巻き上げられた木の葉のように激しく舞い踊っている。あれが再び放たれたら、親衛隊では防御しきれないかもしれない。


 カエトスが危惧したそのとき、信じられない光景が目に飛び込んできた。

 レフィーニアが、自分を守る親衛隊の囲いから脱け出したのだ。ドレスの裾をたくし上げて一直線に走る。その目はカエトスを真っ直ぐに見ていた。

 彼女が何を意図しているのか全く読めなかった。なぜ自分を危険にさらすのかと。王女は絶対に死にたくないと言っていた。だからこそ、考えられない行動だった。


 だが一つだけ確かなことがある。

 王女はカエトスに向かって真っすぐに走っている。それは微々たるものだったが、カエトスが移動しなければならない距離が縮むということ。

 レフィーニアの傍にいたミエッカは、王女を背中に庇っていたために反応が遅れていた。王女の行動に気付き慌てて追いかける。


(カエトス、次が来るぞ!)


 ネイシスの鋭い警告が飛ぶ。しかし確認しようにも、カエトスは竜巻に背を向けている。正面には駆け寄るレフィーニアとそれを追うミエッカの姿がある。視線を外すわけにはいかない。

 

(ネイシス、攻撃が来る瞬間に教えてくれ!)

(任せろ)

 

 力強い女神の声に背中を押されるようにカエトスはさらに走る。

 まだレフィーニアとミエッカに手が届かない。その距離およそ四十ハルトース(約四十八メートル)。


 剣の柄を手の中で一回転させて、逆手に持ち替える。待機させていた身体能力補助の指示が完了。ミュルスが生み出した運動エネルギーが体に付与されたことで一気に走る速度が増す。地を這うように跳躍し瞬く間に王女との距離を詰める。


(カエトス、来るぞ!)


 ネイシスが叫んだ。竜巻からの第二波が放たれた。

 カエトスの目の前ではミエッカがレフィーニアに追いつき、背後から抱えるようにして捕まえていた。目を見開き、王女を抱き締めたままカエトスに背中を向ける。竜巻の放ったつぶての嵐から、身を挺して妹を守ろうとしている。

 カエトスは凄まじい速度で走るというよりも低空を跳んでいた。このまま減速せずにレフィーニアたちを抱き留めたら、双方ともにただでは済まない。ミュルスに命じて停止している余裕もない。

 ならば方法は一つのみ。

 カエトスはレフィーニアたちの直前で、地面を踏み抜く勢いで足裏を叩きつけた。凄まじい加速を生み出したミュルスの力をそのまま制動に用いて強引に体を停止させる。地面が足型に陥没し、みしみしと骨が軋む。歯を食いしばって衝撃の全てを殺しながら、カエトスは即座に振り返った。つぶての嵐が眼前に迫っていた。

 左手の剣の柄を二回転させて逆手に持ち替え、右手を突き出す。

 瞬時に発生した動体減衰場に、豪雨のように降り注ぐ石つぶてが次々と飛び込み、そしてその全てが粉々に砕けた。

 攻撃はそれを最後に止んだ。それどころか、天に向かって立ち上がっていた竜巻も消えた。まるで幻でも見ていたのかと錯覚するほどに鮮やかに消滅していた。

 実に、出現してから消えるまで一ルフス(約二分)にも満たないごく短時間の出来事だった。しかし地面に横たわる無数の人間の姿が、これは現実なのだと強く訴えかける。

 

 カエトスは大きく息を吸い込んで吐き出した。体温が一気に上昇して、全身に汗が噴き出る。荒くなる呼吸を無理やり抑えつけ、背後を振り返った。

 ほとんど体が触れそうなところに、ミエッカとその腕に抱きしめられているレフィーニアがいた。王女の黒と鮮緑の瞳がカエトスを見上げる。

 

「お怪我はありませんか?」

「うん、大丈夫。ありがとう、カエトス」


 そう答えるレフィーニアの声はしっかりとしていた。しかしミエッカの腕をつかむ手は小さく震え、安堵の支配する瞳には恐怖の影が見え隠れする。彼女はいまの行動をやりたくてやったわけではない。それがひしひしと伝わってくる。

 ならばなぜそんな無茶を。

 カエトスは理由を聞こうとしたが、それはミエッカに阻まれた。


「ええい、馴れ馴れしく声をかけるなっ」


 ミエッカがカエトスの胸を突き飛ばしながら、王女を守るように距離をとる。

 カエトスは激しく動いた直後であるため足の踏ん張りが利かず、転倒しそうになるところをぎりぎり耐えた。


「貴様の力など借りなくとも、私だけで殿下をお守りできたものを、余計なことを」


 そう言いつつ、ミエッカはカエトスと周囲に目を走らせた。眉間にしわが寄る。

 

「ただ……身を挺して殿下を守ったその姿勢は評価してやる。貴様は少し休んでいろ。さあ殿下はこちらへ」


 ミエッカは不快そうな怒っているような何とも言えない表情でカエトスを一瞥すると、レフィーニアとともに親衛隊のもとへと早足で向かった。レフィーニアは何か言いたそうにしたものの、口を開くことなくミエッカに連れられて行った。


「動ける者は負傷者の確認と応急処置、あと医者を呼べ!」


 ミエッカが覇気に漲る声で指示を飛ばすなか、カエトスはようやく緊張を緩めた。剣の柄を左手の中で回転させ、ミュルスへ出していた待機命令を解除、鞘に納める。

 瞬間的に肉体を酷使した反動で、全身がみしみしと軋んでいる。ミュルスの力を借りて肉体を加速させたことで、体にかかる負荷が増大した結果だ。膝に手をついて、無理やり抑えていた呼吸を再開、大きく空気を取り込んでは吐き出す。


 練武場内は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。いや、中だけではない。周囲の石壁の上で試験を見学していた兵士たちも次々と練武場内に飛び降り、倒れている者に声をかけたり、肩を貸して練武場外に運び出したり、応急処置を始めたりと、それぞれが自分にできることに取り組んでいた。

 

(よく一人で乗り切ったな)

 

 腰を曲げて呼吸を整えていると、労いの言葉とともに小さな何かが二つ右肩に触れた。ネイシスの両足だ。よくやったと言わんばかりにカエトスの首筋をぽんぽんと叩く。


(いつもお前にばかり頼ってられないさ。寿命も縮むし。ぎりぎりだったけどな。そっちはどうだったんだ?)

(手を出そうとはしたが、人間どもがよく耐えた。怪我人は出たが、死人まではいないようだぞ。第二波はお前が大半を防いだから、そっちの被害はほとんどない)


 今日はすでに二度ネイシスを頼っている。三度目は避けられたことに安堵しつつカエトス体を起こした。


(ところでネイシス。これはただのミュルスの暴走じゃないよな?)

(うむ。敵はそう見せかけるつもりだったようだが、あそこまであからさまにお前と王女を狙えば、そんな言い訳など通用しない。これは人の技だ)


 ネイシスはカエトスの推論を迷うことなく肯定した。

 暴走とは、ミュルスに限らず源霊全般が関わることで起きる自然現象の一つだ。

 源霊は、世界にあまねく存在する真気を源に、様々な力を生み出したり、逆に力を真気に戻したりしている。これを人間が強制的に実行させることを一般に源霊術と呼称しているわけだが、源霊たちは人間に命じられなくとも、自然の状態でこれらの活動を行っている。その活動が様々なきっかけにより極大化してしまうことを暴走と呼んでいるのだ。

 

 例えば運動エネルギーを司るミュルスであれば、いま目の前で起きたように突然竜巻を発生させたり、荒れ狂う波を一瞬で凪がせたりと、普通ではあり得ない現象を引き起こす。

 それに当てはめてみると、この竜巻はミュルスの暴走と考えるのが妥当となる。現に、竜巻が放った第一波の攻撃は無差別に全方位へと向けられたものだった。しかし第二波は違う。一波と同じく見境なくつぶての嵐を放っていたように見えたが、明らかにカエトスと王女に対してのつぶての密度が高かったのだ。ネイシスの言うように、人為的な干渉がなければそんなことはあり得ない。

 

(どこの誰がやったか、わかったか?)

(さっきの工房のときと同じだ。ミュルスどもがまだ騒がしかったせいで、詳しいところまではわからなかった。兵士どもの中の一人だとは思うんだが──)

(いや……いまわかった)

(何?)


 カエトスは演壇を見ていた。そこには負傷した親衛隊員とそれを介抱する人間がいる。それらに混じって、一際体格のいい男がいた。カエトスの視線を追ったネイシスが忌々しそうに鼻を鳴らす。


(王子か)

(実行犯じゃなくて首謀者だろうけどな)

(ふん。たしかに敵意と殺意をまるで隠していないな)


 クラウスの眼光には離れていてもわかるほどに強い意思が漲っている。まるで王が奴隷を見下しているかのような眼差しだ。 

 

(しかもどうやら奴は、私たちが奴の企みに気付いていることを把握しているな。あの不遜極まりない目つきはそうに違いない)

(同感だ。その上でどうにか出来るものならやってみろってところか。実際のところ、俺が王子を殺すのは立場的に無理だしな)

(まったく面倒な話だ。お前の力なら、いまここで奴を殺してしまえるのに)


 ネイシスの率直な言葉が、カエトスの脳裏に女たちの姿を蘇らせた。

 墜死しそうになった侍女リューリや、カエトスに試験に向かうように促したナウリア、そして事故処理の陣頭指揮を執るミエッカに、恐怖を必死に押し殺そうとしていたレフィーニア。

 今日起きた一連の事故に巻き込まれたのは、彼女たちだけではない。いまも地面に横たわり呻き声を上げる大勢の人間もそうだ。それらは優に百人を超えている。

 

 王子が一連の事件の首謀者であるなら、この場で殺してしまえば、少なくとも今後クラウスの都合に巻き込まれて死傷する者はいなくなる。レフィーニアが暗殺の恐怖におびえることもなくなる。カエトスの内にくすぶる怒りと殺意がそれを実行してしまえと背中を押す。

 だがそれはできない。イルミストリアの記述から推測するに、この本はおそらく王子の陰謀を利用している。カエトスの個人的な感情で先走れば、最終的な目標が達成できなくなる恐れがあった。

 しかしカエトスが思い止まるのは、そういった現実的な判断だけが理由ではない。クラウスに対して心の底からの怒りをぶつけられないことを、カエトスは自覚していた。

 目的のために手段を選ばないその姿勢は、カエトスのやったことと本質的にはまるで変わらない。レフィーニアたちが危機に見舞われることを知っていながら、それを告げずに巻き込んだのだから。

 カエトスは口を引き結び、拳を握り締めた。


(……王子をここで殺さない以上は、絶対に助けないとな)

(うむ。その意気だ)


 ネイシスの小さな手が首筋を叩く。いつも通りの平板な声は、そこはかとなく自慢げな響きを伴っていた。

 カエトスは心中でくすぶる様々な感情を押し込めると、事故の後始末に追われる人々の群れへと向かった。


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