ソナーに感あり   同日 一二二四時

「……気にしなくていいわ、サリー。砲員たちにもよろしく伝えてちょうだい。以上よ」

 しきりに謝罪の言葉を繰り返す砲術長を落ち着かせると、ホレイシアは受話器を元の位置に戻した。

 羅針艦橋は重苦しい空気に包まれていた。〈リヴィングストン〉が実戦で放った最初の一撃が空振りに終わったため、乗組員である女性兵士たちがすっかり意気消沈してしまったからだ。

 気落ちしてしまっている将兵たちにたいし、一方で彼女とリチャードの様子はこれまでと変わるところがなかった。幹部まで暗い顔をするわけにはいかないからだが、リチャードの場合はこういった事態に慣れているという理由もある。似たような場面に彼は何度も遭遇したことがあるし、いちいちそれで悲しんでいてはきりがない。

「艦長、これからどうするんですか?」

 沈黙を破ったのは、航海長のシモンズ大尉であった。

「決まっているじゃない」

 恐る恐るたずねてきた部下に対し、ホレイシアはきっぱりと断言した。

「私たちの任務は船団の護衛で、そしてあの潜水艦は船団を攻撃しようとしているのよ? 追撃以外の選択肢なんて存在しないわ」

「ですけど、どうやって姿の見えない敵を追いかけるんです?」シモンズ大尉は食い下がるように言った。「敵が潜航した場所はソナーの有効範囲外ですし、これじゃあどこに進むつもりなのかも分かりませんよ?」

 青ざめた表情の部下を無視して、ホレイシアは座席から立ち上がった。そして海図台のほうへ歩み寄り、しばらくの間それを眺める。シモンズ大尉はその隣で、上官を不安そうな顔で見ていた。

 リチャードはシモンズ大尉の態度を、内心で苦々しく思った。

 はっきり言って、彼女の挙動は士官にふさわしいものではない。指揮官が不安げな顔をしていれば部下たちも落ち着かないし、上官に対する批判めいた物言いなど論外だ。必要な場面で助言を行うことは重要だが、代案もしめさずに問題点だけあげつらうのでは意味がない。それどころか、部隊の結束にひびを入れるきっかけになってしまうだろう。無能扱いされる人の下で働きたがる兵はいないし、上官のほうもみずからの手腕に自信を失いがちになってしまう。

 ひと段落ついたところで、航海長にくぎを刺しておこう。リチャードがそう考えていると、不意にホレイシアがシモンズ大尉に尋ねた。

「このまま進んだ場合、目標のこれまでの針路と交差するまでどれ位かかるかしら?」

「交差、ですか?」シモンズ大尉はさっと海図に目をやった。「八分後になります」

「分かったわ」

 ホレイシアはそう答えると自分の座席にもどり、そこに腰かけると新たな命令を下した。

「針路および速力はそのまま。交差地点の手前、距離一海里半で前進原速(一二ノット)とし、ソナーによる対潜捜索を実施します」

「えっ」

 シモンズ大尉はそう呟いてホレイシアに反論した。

「艦長、敵艦がそれまでの針路を維持するとは限りません。このまま進んでも見失う可能性があります」

「おい航海長、いい加減に……」

「大丈夫よ」

 リチャードが思わず声を荒げると、ホレイシアは右手を上げてそれを制する。続いてシモンズ大尉に言った。

「航海長、復唱を」

「……針路および速力そのまま。交差地点の手前、距離一海里半で前進原速。了解しました」

 シモンズ大尉は不安げな表情のまま、与えられた命令を繰り返した。

「ジェシー、心配なのはわかるけど、おそらく問題ないわよ」ホレイシアは続けた。「潜水艦が水中で発揮できる速度はそれほどじゃないわ。このまま全速力で進めば、ソナーの有効範囲から離れる前に敵を捕捉できるはずよ」

「大角度の変針を実施して、あらぬ方角へにげようとするかもしれません」

「その可能性は否定できないけれど、それはそれで構わないわ。そうよね、副長?」

 ホレイシアはそういうと、後ろに立つ副長に目を向けた。

「彼我の位置関係から考えて、敵が船団の針路上へ辿り着くにはかなりの時間を要するでしょう。最短ルートをなんの支障もなく通り抜けたとしても、タイミング的には最後尾の船舶を攻撃できる程度とギリギリになるはずです」

 上官からの質問に、リチャードはよどみない口調で答えた。

 左右どちらに舵をきるにしろ、針路を変えればそれだけ遠回りのルートを選択することになります。つまり移動に余分な手間をかけることとなり、場合によっては船団に追いつくのが困難になるでしょう。敵の艦長は攻撃を断念するか、あるいは仕切り直すかの選択を迫られます。

 攻撃を断念するのであれば、船団の脅威がひとつ消滅しますので我々にとっては願ってもないことです。仕切り直しを図るとしても、護衛の迎撃を避けていったん離脱しなければならず、そこから船団を再度捕捉するまでの時間をこちらは稼ぐことが出来ます。どちらのケースに至ったとしても、損にはなりません。

「分かってもらえたかしら?」

 副長の説明が終わると、ホレイシアはシモンズ大尉へ諭すように言った。

「私はまだ素人同然の艦長だけど、それでも色々なことを考えて指示を出しているわ。安心して――とまでは言えないけど、私のことを信じてちょうだい」

「……はい、艦長。すいませんでした」

 シモンズ大尉が申し訳なさそうに言うと、ホレイシアは微笑みつつ「いいのよ」とこたえて応じた。

 その後、ホレイシアは受話器をとってソナー室にいる対潜長へ連絡した。号令があり次第ソナーによる対潜捜索を実施するよう伝え、またすぐ攻撃できるように爆雷を準備しておくように命令している。リチャードはその様子を、後ろから静かに眺めていた。

 しばらくして、遠方から爆発音が聞こえてくることにリチャードは気が付いた。強風が吹きつける音にまぎれて分かりにくいが、大きな太鼓をスローペースで連打するような響きが〈リヴィングストン〉の右後方からながれてくる。〈レックス〉〈ゲール〉の両艦による、爆雷攻撃がはじまったに違いなかった。

「爆雷攻撃らしき水柱多数。三時方向、八海里にあり」

「始まったようね」

 見張員が報告の声をあげたあと、ホレイシアは小さく呟いた。

「次は、私たちの番よ」


 ソナーとは音波を利用して、水中を探査する装置のことである。Sound Navigation And Ranging、『音響による航法・測距装置』という言葉から各単語の頭文字をとってSONARと名付けられた。

 このソナーは音波の利用方法の違いから、アクティブ・ソナーとパッシブ・ソナーの二種類に分けることが可能である。

 まずアクティブ・ソナー、これは探信儀(音波探信儀)と呼ばれている。本体は音波を発する発振体と集音マイクからなっており、そのシステムはレーダーの水中版といえば分かりやすいだろう。超音波―探信音と呼ばれている――を発してその反射から目標の有無をさぐり、反射に要した時間などからその距離や方位、深度を測定することが可能だ。

 なお現時点では、発振方法は一回につき一方向にのみ実施するサーチライト方式が用いられている。一度に全方向への探査をおこなうスキャニング方式が実用化されるのは、まだ先のことだ。

 次にパッシブ・ソナーのほうは聴音機(水中聴音機)と呼称され、名前の通り水中を飛び交う音を『聴く』ことで周囲を捜索する。レーダーに対するHF/DFのようなものであり、探信儀と違ってみずから音波を発することはない。

 聴音機は一〇個以上の集音マイクにより構成された装置で、どのマイクが音を拾ったかによって目標の方位を把握する。当然ながらその音が『どこから飛んできたか』までは分からないため、距離を測定することは不可能だ。(ただしベテランの操作員であれば、音の大きさからある程度のをつけることは出来る。また手間はかかるが、複数の艦で同一目標の方位を測定し、そこから三角測量の要領で距離を計算するという手法もある)

 これらのソナーはその性能が一長一短であり、どちらのタイプが特に優秀だと一概には言えない。

 例えば探知情報の質からいえば、探信儀のほうがより詳細な測定が可能という点で優れている。だが探信儀を使用した場合、発振した音波によって相手に捜索中であることが露見するというリスクを常にはらんでいる。潜水艦に搭載された聴音機が音波を拾う可能性があるし、機種によっては可聴域の音波を用いるため、聴音機に頼るまでもなく相手に音が聞こえてしまうのだ。

 また、探信儀の有効探知範囲は聴音機のそれと比較すると半分以下でしかない。超音波はエネルギーの減衰率が高く、通常の音ほど遠くには届かないからだ。加えて発振したあと反射して戻る必要があるため、使用する音波が届く範囲の半分しか探査することは出来ない。

 これらの特性を踏まえて、王国海軍では駆逐艦やコルベットといった対潜戦闘の中核を担う艦艇に探信儀を載せ、それ以外――戦艦や空母といった大型艦艇や、輸送艦をはじめとする補助艦艇、および潜水艦は聴音機を装備させるというふうに使い分けをおこなっている。前者は潜水艦を攻撃するために正確な情報が求められているのに対し、対潜戦闘ではむしろ護衛対象となる後者は『敵が周囲に存在するかどうか』を判別できればよいと考えられたからだ。(潜水艦が聴音機を積むのは、探信儀を使用して位置が露呈しないようにするためである)

 ちなみに、〈リヴィングストン〉に搭載されている探信儀は速力一二ノットで探知範囲三〇〇〇メートル、一八ノットで同一〇〇〇メートルという能力を有している。速力によって範囲に差が出るのは機関部やスクリュー、つまりフネ自身が発する雑音が大きくなり、集音マイクの聴音能力を阻害するためだ(聴音機にも同様の欠点がある)。また速力に関わらずスクリュー音が邪魔するため艦の後方は探査できず、さらに言えば雑音の影響で距離が近くなればなるほど、情報の精度は甘くなってしまう。

 このように制約の多い機材をもちいて、ホレイシアたちは水中に潜む敵の潜水艦を見つけなければならないのだ。


〈リヴィングストン〉のソナー室は艦首の一角にあり、対潜科の下部組織であるソナー班の管理下に置かれている。班長は二人しかいない男性乗組員のひとり、ウィリアム・コックス一等兵曹だ。

 彼はもうひとりの男性乗組員で、艦の副長を勤めているリチャードと同年齢である。つまり今年で二三歳になるが、軍歴の長さでいえばコックスのほうが先輩だ。

 コックスが海軍に入隊したのは、志願可能な最低年齢と定められている一六歳のときであった。戦争が始まる四年前のことであり、リチャードが士官学校を卒業した開戦直後の時期には、既にベテラン水兵のひとりとして新人の指導を任せられる程度の立場となっている。下士官に任じられたのは、そのさらに一年後のことだ。

 現在のコックスは班長として、九名の部下を指揮する立場にあった。内訳は下士官三名に水兵六名で、上官であるフレデリカ・パークス大尉も対潜水艦戦を指揮するため同じソナー室にいる。彼は捜索開始の号令がいつ出てもいいように、探信儀の前にある椅子に腰かけて待機していた。

 不意に、コックスは床からつたわってくる震動が少しずつ弱くなっていることに気が付いた。艦の速度を落とすため、機関出力を抑えるよう艦橋から指示が出たのだろう。既に述べたように、全速のままではソナーがまともに機能しないからだ。

 しばらくすると、ソナー室付きの電話員が報告してきた。

「艦橋より、ただいま速力一二ノット。ただちに対潜捜索を実施せよ」

「きたわね」

 部屋の隅に立っていたパークス大尉が小さく呟くと、コックスは腕時計に目をやった。間もなく一二三〇時だ。

 パークス大尉はコックスに言った。

「班長、任せたわよ」

「了解、任されました。……よーしみんな、準備はいいか?」

 コックスは砕けた口調でそう答えると、視線をめぐらせて室内の様子を一瞥した。

 ソナー室の広さは三メートル四方ほどであり、そのスペースの三分の一を探信儀の関連機材が占めている。艦首寄りの壁際、その中央部に操作盤が置かれ、左側にある観測データの記録装置には数名の将兵が既にとりついていた。右に目を向けると二人の電話員――一人は艦橋、もうひとりは艦尾で配置についている爆雷班との連絡を担当する――がヘッドセットを身に着けて立ち、後方では予備のソナー手たちが対潜長とともに待機している。部下たちは準備万端だ。

「いいようだね。じゃあ、始めよう」

 コックスはそう言うと目線を正面にやり、備えつけのヘッドフォンを被ると操作盤のほうへ手を伸ばした。

 いくつかあるスイッチのひとつを彼が押すと、操作盤の正面に設けられている円形モニターがうっすらと光りはじめた。ヘッドフォンからは集音マイクの拾った音が聞こえてくる。探信儀が問題なく作動した証拠だ。

「捜索を開始します」

 コックスは視線を正面にむけたまま、パークス大尉へそう伝えた。ただし、まだ探信音は発しない。

 探信儀は集音マイクを一基そなえているため、捜索範囲は限定されるが聴音機の代わりとして用いることも可能である。彼はまず聴音によって目標の大まかな方位を把握し、そのうえで探信音を放って正確な位置情報を割り出すつもりだ。

 彼はまずモニターの下に設けられた小さなハンドルを回し、艦底に取り付けられている探信儀本体の向きを調整する。それを終えるとヘッドフォンのほうへ意識を集中し、そこから聞こえる音の聞き分けを試みた。

 しかし、海中に広がる世界は静寂としか言いようのないものであった。ソナーの集音マイクは性能が高く、鯨の鳴き声や海底火山の噴火といった大自然の営みを捉えることが時おりあるが、今はそういったものすら聞こえない。〈リヴィングストン〉のスクリューが回転していることを示すゴウンゴウンという低音が、ノイズをかき分けて小さく響いているだけだ。

 コックスは再びハンドルを回し、探信儀の向きをわずかにずらした。だが結果はかわらず、目標はまだ発見できない。彼はハンドル操作を何度もおこない、根気強く聴音を続けていった。


 状況に変化が生じたのは、捜索をはじめて一分ほど経過したころのことである。

 コックスは不意に、それまでなかった音がヘッドフォンから流れていることに気が付いた。音量が小さく、ノイズやスクリュー音に紛れているため分かりにくいが、メロディとテンポが異なるまったく別の音であると彼は確信する。その正体をはっきりさせるべく、コックスはヘッドフォンの設定を調整していった。

 聞こえてきたのはタイプライターを連打するような、カタカタカタカタという金属質の響きであった。間違いなく人工物が発するものであり、コックスにとっては開戦以来、幾度も戦場で耳にした音だ。彼は即座に上官へ報告した。

「潜水艦のモーター音らしきもの。本艦の正面、距離不明」

 その声がこだました途端、室内は瞬く間に緊張感に包まれる。その場にいる将兵たちは声こそ出さなかったが、不安そうにお互いの顔を見合わせていた。

(意外に音が小さいな)

 周囲の慌ただしさとは対照的に、コックスは自らの得た情報を冷静に分析した。

 敵が潜航した時点における彼我の距離は五海里で、現在の〈リヴィングストン〉はそこから二海里ほどの地点にまで接近している。敵艦も低速とはいえ移動しているはずであり、船団を攻撃するつもりならそれほど離れた位置にいるとは思えない。

 よって敵は艦の近くに所在し、その航行音もそれなりの大きさで捉えることが出来るとコックスは予想をつけていた。だが実際には、集音マイクの設定をいじってようやく判別できる程度の音しか聞こえない。こちらの追跡を逃れるべく、相手が何かしらの対策を講じたのだろう。

 考えられる敵の行動は、おそらく以下の三種類に大別することができる。大きく舵をきってソナーの探知圏外に向かおうとしたか、音を聞かれないようモーターの出力を抑えたか、あるいは海中の奥深くまで潜ったかだ。どれが正解かは、おおまかな方位しか分からない現状では判断することが出来ない。

(まあ、調べてみれば分かることだ)

 コックスは内心でそう呟くと、いつの間にか隣に立っているパークス大尉に言った。

「探信音を放ちます」

 上官が固い表情で頷いたのを確認すると、彼は操作盤上にあるスイッチのひとつに手を伸ばした。

  ピィーン

 その響きから『ピンガー』とも呼ばれる、探信音の甲高い音がヘッドフォンから聞こえてきた。コックスは注意深く耳を傾けるが、目標発見を意味する反射音は聞こえない。彼は探信儀の向きを調整しつつ、発振を繰り返した。

  ピィーン

  ピィーン

  ピィーン、ピィーン

 集音マイクが反射音を捉えたのを、コックスは聞き逃さなかった。モニターに映し出された情報から、彼は目標の位置を素早く計算してパークス大尉に報告した。

「ソナーに感あり、数はひとつ。本艦より右八度、距離一・三海里、深度九〇」

 相手は出来る限り深く潜るつもりなのかと、リチャードは声をあげつつ思った。

 潜水艦の潜航可能深度は二〇〇メートル前後だが、通常の水中航行では二〇メートル、深くても五〇メートル程度の深度を進むことが多い。設計上は問題ないとはいえ、高い圧力で船体に負荷をかける深深度に向かうのを、艦長たちは避けたがるからだ。

「艦橋および爆雷班に通報を」

 パークス大尉は電話員たちにそう言うと、続いてコックスに指示を出した。

「班長、引き続き目標を捕捉。敵の針路と速力を割り出してちょうだい」

「了解、すぐ取り掛かります」

 コックスは一瞬だけ上官のほうを向いて応えると、再び操作盤へと意識を集中させた。

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