第18話 恋する乙女は妄想に耽る

 それからの藍沢と柚乃の態度は全くもって欝陶しいものだった。


「(次、食事に行く約束とかしてますか?)」

「(いつも昼飯一緒だよ。蕎麦屋でな)」

「柚乃ちゃんとまた遊びに行きましょうよっ、ネズミーランドとかどうです?」

「待ち時間がうざい。二人で行ってこい」


 事あるごとに何かと都合をつけたがる。

 柚乃は面白がっているだけなのだろうが、藍沢は何を考えているのか分からなかった。

 あれだけ積極的に俺に構いに来て置いて、どうして柚乃とくっつけたがるのか。……なんて、考えると自意識過剰すぎて呆れる他ない。

 どちらにせよ互いに互いを誤解しているとしか思えなかった。


 別に柚乃と俺は年の離れた恋中というわけでもないし、藍沢と俺も過去に付き合っていたことがあるからと言って、今後どうなりたいという話でもない。

 そりゃあ男として魅力的だと言われるのは光栄なことだが、どうにもそういう話でもないようだし。ただ単に、「二人はなんだかいい感じらしい」と勘違いした挙げ句、くっつけようとしている。まさにクラス内で起こる学生恋愛のようだ。


 仲がいいからとくっついたところで「異性としてはなんか違った」なんて事はザラにある。それを周囲が促したところでうまく行くどころか破局するのは目に見えているのだ。


「なんだかなー」


 世の中、そこらじゅうの男と女がこんな風にあーだこーだやっているのかと思うとおめでたいものだ。

 つり革に摑まりながら扉を背にしてクスクス笑う高校生カップルが目についた。その向こう側には椅子に腰掛け、微笑んで見上げる若奥様と旦那さんだ。注意深く見てみたらカップルなんてそう珍しいもんでもない。男と女。女と女で男と男なんて組み合わせもあり得るこのご時世。めでたい奴らで溢れてる。


「(なーんかひねくれてらっしゃいますよねぇ)」


 むにゅーと効果音が似合いそうなほどに密着しつつ柚乃は見つめてくる。


「(そんなんじゃ張り切り甲斐がないのですけど)」

「(俺はいつも通りだよ、通常運転)」

「(ぬーん)」


 というか、何故に満員電車で椅子に座っていないんだこいつは。

 どういうカラクリかは知らないが座りたい時には座っていただろう、今までは。


「(妊婦さんに譲ったんですよー、偉いでしょ)」

「(若者の鏡だな)」


 俺なら寝たふりかマジ寝だ。

 大変なのはお互い様。願わくば大変な体で満員電車に乗る必要のない社会へフォーエバー。


「(いつも以上にお疲れのようですね……)」

「(仕様変更でな……昨日遅くまで残業してた)」

「(どおりで。なかなか帰ってこないのでおさきに失礼しましたよ)」

「(わりーな。完全に忘れてたわ)」


 そもそもこいつに謝る理由はないのだが。

 言ってしまえば勝手に待っているだけなのだし。


 ヌーン、と柚乃の態度がうつったように一人ごちる。


 相変わらず満員電車は身動きが取れず、冷房は全くと言っていいほど役割を果たしていない。

 背中に硬いカバンの角がゴリゴリぶつかっているし、柚乃は柚乃でむにむにだ。

 生憎平常心を保てるほどに慣れっこなのだが、それもそれでどうかと我ながらに思う。


「(どうしてお兄さんはひとえさんの事をそこまで突き放すんですか? いいじゃないですか、ひとえさん)」


 口をひらけばまたそんな話。もうとうんざりだ。

 女子高生の恋話好きもここまでくると病気だな。


「(確かにあいつはいい奴だけど俺は別にそういう気はねぇよ。なんども言わせんな)」

「(そうなんです? 本当に?)」

「(くどい)」


 迫られて思うものがないわけではないが、本当にそういうつもりはない。

 単純に、昔付き合っていた頃の名残と、「いい女」に迫られた時の条件反射だ。男としての機能が正常に作動しているというだけの話であって、俺があいつをどうこう思っているというワケでもない。


「(そこまで否定されると、否定するために否定しているようにしか思えないんですよねー)」


 不服そうに漏らし、無言で本音を促してくるが何をどうされたところで俺の回答は変わらない。

 あいつは元カノで後輩だ。同僚で頼れる派遣社員さんだ。

 改めて考えてみたところでこの関係をどうこうしようという気は一切起きてこなかった。という事はやはりそれが真実なのだろう。


「(じゃあ私は?)」

「(んぁ……?)」


 この流れで何を問われているのか理解できず、思わず聞き返した。

 聞き返しておいてなんだが聞かれている内容を遅れて理解し始めていた。


「(私とだったらどうなんです? ひとえさんって私とお兄さんくっつけようとしてますよね?)」

「…………」


 無言になったのは柚乃のことを意識してではない。

 ひとえが俺と柚乃をくっつけようとしていることに対してだ。

 俺の思い違いでもなく、やはり柚乃から見てもそう感じているらしい。だとすれば、あいつも柚乃の気遣いを「そういう風に」感じ取っているのではないだろうか。


 ……なんつーかめんどくセーなー。


 結局、俺不在の一人相撲じゃないか。危うく浮かれて痛い目を見るところだった。いろボケしたガキじゃあるまいに。


「(お前から違うって言ってやってくんないか)」


 誤解をとくなら早い方がいいだろう。そもそもこいつとあいつの間には俺は邪魔者でしかないのだし、そば粉うどんと爆裂堕天使の間柄というのであればそこで仲良くやってほしい。

 藍沢も、その方が楽しいとは思う。

 夕暮れの、文芸部の部室が脳裏に浮かび、なんでまた夕焼けなんだと感傷に浸りそうになる自分を笑った。

 いい大人なのにバカみたいだ。


「(きっと私が気を遣ってるってひとえさんは思うと思いますよ?)」

「(だとしてもだ。それにお前も俺とあいつをくっつけようとするのはやめろ。うざいから)」

「(えぇええーっ)」


 まさに反応がおもちゃを取り上げられた子供のそれだ。

 やっぱり面白がってるんじゃないかこいつ。

 呆れつつも構ってやってる自分を物好きだとも思う。いい加減見捨ててしまえばいいものを。


「(そうできないのがお兄さんの良いところで、私は漬け込んでいるのですっ)」

「(いやほんと、良い迷惑なんだけどな……)」


 そのことを含め超能力で察していたのだとすればとんだチートだ。欲しくは無いが便利だな超能力。


「(でもでもおにーさん。実のところを申しますと私の同人誌って女子高生陵辱モノが大半なので、しょーじきひとえさんでえっちな想像されると私としては微妙と申しますか、やはりお知り合いの方をモデルにするのは抵抗があるといいますか……)」

「(安心しろ、そんな想像しないから)」


 全くもってさっぱり。本当にこれっぽっちもそんなつもりはないし、そんなつもりも起きはしない。


「(……想像していただけるように促したんですけど本当に全くですね)」

「(一応な)」


 男は狼だというがそれぐらいの分別はつく。

 流石に誰それ構わず頭の中で脱がせているわけでもあるまい。

 そもそもそんな想像する奴は中学生かこいつのようなーー、それこそあのなんだ。肉丸屋だったか? あいつらのようなエロ同人作家のするようなことだ。


「(あー!! またそういうこという!! ダメですよ! 偏見反対!)」

「(でもお前はするだろう?)」

「(そりゃぁあ、可愛いヒロインが悲鳴をあげてあんなことやこんなことされるの想像したら我慢できませんよっ……)」


 モジモジと何が我慢できないのかは知らないが身体を擦り付けるのは心底心臓に悪い。これも男としての正常ななんとかだ。


「(あのなぁ……)」

「(わっ……私でえっちなのもダメですからね!!)」

「(分かってるよ)」


 何度繰り返すんだよこのやりとり。

 男のことをわかっているのかいないのか。気を遣うなら別のところだとは思うのだがどうにもそうはいかないのがこいつの残念な所だ。

 好きなものに一直線という意味では確かにオタクらしいのかもしれない。

 エロ同人と恋バナ、どちらに一直線の方が健全なのかは歴然だが厄介なことにどちらにしても迷惑なのにはかわりない。人を巻き込まないで欲しいものだが。


……なんで俺に拘るかなぁ……?


「(どうなんだ、そこんとこ)」

「はい?」

「(読んでなかったのか)」

「んぅ……?」


 頭の中を暗号化させていたつもりはないし、読まれていること前提で問いかけたぶんもう一度聞き直すのはなんだか気恥ずかしい。


「(なんでもない)」

「(むゥー)」


 なんの理由があるにしろ迷惑なことにはかわりないのだから好きにすればいい。

 そうしてあわよくばさっさと飽きて他のことに興味を移らせてくれ。

 1クールごとに嫁が変わるんだろう? オタの考えることはよくわからんが。

 ウダウダ考えつつもそうこうしているうちに目的地、終点だ。

 会社に向かう途中で藍沢に出くわしそうだなーなんて思いつつも開いた扉から吐き出されていくとくいっくいっとスーツの裾を引っ張られた。


「んぁ……?」


 まだ何かあるのかとうんざりしながら振り返ると実に嬉しそうな笑みを浮かべ、柚乃は俺を追い抜いていく。


 なんなんだあいつは……。


 呼び止めるのも変な話なので流れに沿って歩いて行くと改札口で柚乃に追いついた。

 改札を出たところで珍しく足を止め、こちらに向きなおっている。これではまるで誰かを待っているかのようだ。


「(私は悪い気してませんよっ? おにーさんとくっつけられよーとしていること)」

「……はぁ?」

「(ひとえさんには悪いとは悪いと思ってますけどね)」


 ひょいひょいっと人混みをすり抜けて消えて行く後ろ姿は「わっけーなぁ……」と思わざる得ない。

 あっという間に見えなくなり、俺も足も自動的に会社へと向かい始める。

 ポリポリと頭をかきながらもどーにもこーにも好き勝手言ってくれやがると気持ちの在りどころを測りかねた。


 案の定、藍沢とは会社に向かう途中、コンビニから出てきたところに出くわした。


「おはようございまっス、せーっんぱい?」

「……おはよ、こーはい?」


 なんだか藍沢には全部見透かされているような気がして、


「今日、仕事終わった後ちょっといいか」

「はい?」

「ちょっとな」


 自分から潔く退路を絶っておいた。


「……りょかいでっす」

「…………」


 今日は何としても残業しないように頑張らないとなー。

 いまいち回らない頭でぼけーっと暑くなりそうな空を見上げる。

 雲ひとつない晴天だった。

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