第6話:「サミング・アップ」モーム

「サミング・アップ」はモームの自伝的な回想を主にした長いエッセーで、人生論や道徳、宗教、演劇など話題があちこちに飛ぶ。

 この中に文体に関する考察もあるので、カクヨムにいる人の参考になるかもしれない。


 モームは、

「もともと私は文章が下手だった。しかつめらしい、自意識過剰な文を書いていた。自分の書くものに独自の型を与えようとしていたのだが、そんなものは一向に見当たらなかった。」

 と自覚しており、ドライデンやスウィフト、ヴォルテールなどから学んだという。

 やがて何本か芝居の脚本を書いた後、以下のような自覚に至る。


「文章を飾るのがいやになり、可能な限り気取らずに素朴に書きたいと願うようになっていた。頭の中に書きたいことがいくらでもあるので、無駄な言葉を使う余裕などなかった。」


「自分には叙情性が欠如していると分かった。語彙が少なく、何とか増やそうとしても効果なしと分かった。隠喩を使う才能はないし、独創的で魅力的な直喩などめったに頭に浮かばなかった。私的な飛躍とか想像の翼を大きく羽ばたかせるとかいったことは、とうてい私に出来ることではなかった。そういうものが他の作家にあるのに感心することは出来た。」


 モームは欠点を把握している一方で、「観察眼」「論理的に考えるセンス」「言葉の音、響き」には自信を持っていた。

 その結果、


「じっくり考えて、私が狙うべきは、明快、簡潔、音調のよさだと決めた。この三つは私が大切だと考える順に決めた。」


 というのが結論である(この後にもそれぞれの要素別に文体論は続く)。

 こういう風に自己分析をする癖は、日本人にはあまりないように思う。

 自己分析の結果、こういう文体になりました、という説明をする日本人の作家を見たことがあまりないし、カクヨムの中の近況や創作論でもあまり見かけない。


 私自身も少し創作を書いてみた結果、言葉を削る癖らしきものは何となく身についてきた。

 それでも「膨らませるべき箇所を削っているかもしれない」という不安がつきまとう。

「削る」という意識と「膨らませる=書き足す」という意識が逆向きなので、正しいバランスがどうにも見定めがたい。

 誰かが横でアドバイスしてくれる訳ではないし、そもそも何が正解なのか曖昧である。読者は完成品しか読まないので、助けが来ない無人島で書いているのと同じである。

 自分だけがそうだという訳ではなく、あらゆる「書く」という行為には常にそうした難題が含まれている。

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