終、土の中で何を思う

 勇王山武雄を倒したあと、鬼天は消耗した身体で最後の死呼を行い、死霊たちを根の国へと帰した。計算結果である予言は、鬼天の勝利確率が約六割となっていた。

 ひと息ついて竪穴から抜け出すと、周囲の田畑はただの荒れ野と化し、かろうじて土俵の隅に引っかかっていたスーツのジャケットを羽織って、またため息をついた。まだ遠くでは地鳴りが聞こえていた。

 疲れた身体を引き摺るようにして、鬼天は自分の事務所に戻ろうと歩いてゆくと、松井が寄越してくれた彼女の部下が岩の向こうから顔を出して助けてくれた。途中までは車で来たのだが、地面の崩壊具合が酷く、そこからは歩いて来たのだという。

 車の中で気付けば眠っていた。目が覚めると、布団に寝かされていた。どこだ、と呟くと、宗太の声で桜風部屋だと答えがあった。あとで聞いたところによると、桜風親方が松井に命じて鬼天をそこに運ばせ、宗太も呼んだのだという。あたしより若いうちに死んじゃあ、良くないよ、などと言う大師匠に、無茶言わないでください、と応じられる程度には回復できていた。

 一晩泊めてもらっている間に聞いたところでは、桜大海夕は一度目が覚めたものの、すぐにまた意識が混濁してしまったという。桜風親方の見立てでは、治りはするが時間がかかるとのことだった。松井はそれに付きっ切りだそうだ。

 翌日の昼に、桜風部屋を去るときになって、ようやくそれが崩壊した元の建物とは違う場所に間借りしている部屋だと知った。大元を辿れば、桜風部屋の建物が壊れたのも王鬼部屋での騒動から発していることだと思った鬼天は、見送ってくれた桜風親方に、頭を下げた。


「すみませんでした。ご迷惑をおかけして」

「なあに言っとるんだね。うちのたちが、随分と世話になったんだ。いいのよ」


 そのついでに鬼天は、また師匠について訊ねてみた。


「親方は師匠オヤジの死に際を知ってますか。遺体がどんなだったのかも」


 けれどその回答は、まだ得られないままだった。協会はいつまでこの件を隠匿し続けるのだろうか。思わず態度に出して意気消沈した鬼天の背を、慰めるように桜風は優しく叩いた。

 それから鬼天は宗太と一緒に自分の事務所へと帰った。その日だけは宗太も、ワイシャツを粉微塵にしてしまったことについて、何も言わなかった。


  ■


 数日経って、鬼天仁太郎は弟子の伊藤宗太を連れて、自分の師匠である王鬼孝之の墓参りにやってきた。そこは市間内郎の家に近い場所だったが、鬼天と勇王山の取組みに影響を受けることなく、静かに木漏れ日の中に柔らかな影を落としていた。

 草むしりをして切花を替え、墓地を管理している寺から借りた手桶から柄杓で墓に水を掛けて、線香に火をつけた。師弟は並んで墓の前にしゃがみ、手を合わせる。王鬼の死呼名を得る前の、戸籍上の苗字が刻まれた墓石を、合わせた手を解いて鬼天は見上げた。王鬼孝之の遺体は存在しない。墓の下に収められるはずの、骨壷に入った遺骨も存在しない。ただ、彼の戒名が記された卒塔婆と墓碑が立てかけられているだけだ。だがそこに、鬼天は兄弟子の最期を報告した。

 隣を見ると、ちょうど宗太が顔を上げたところだった。何をそんなに祈ることがあるのか、見たこともないであろう師匠のさらに師匠の墓に。けれど少年の眼差しは真剣に墓石へと注がれていて、鬼天は改めて問うのはやめた。その向こうに、見知った姿が歩いてくる。


「よお、仁」


 紫の長半纏を羽織った着物姿でやってきたのは、怨動山おんどうざん円斎えんさいだった。ゆったりと近付いてきて、王鬼の墓を見て短く手を合わせる。


「勇王山のこと、聞いたぞ」


 静かに言いながら怨動山は顔を上げ、合掌を解いて鬼天に顔を向けた。現役時代には、ともに大関として勇王山と何度も土俵でぶつかった、そのライバル心は、まだ彼の瞳の底にはくすぶっているようにも見えた。


「結局、あいつに引導を渡したのは、おまえだったな、仁」

「はい」


 怨動山の意図が読めずに、鬼天は短い返答だけをする。引退した後の怨動山は、親方となって協会の運営に携わっている。今日ここに来たのは偶然だろうか、それとも鬼天に何かを要求しようということだろうか。考えを巡らせる事象予報士を見ながら、怨動山は寂しげに小さく笑んだ。


「責めてるんじゃあないぞ、仁。むしろ、すまないとさえ思っているんだ。勇王山あいつの最期を決めてやるのは、このワシの役目だと思っていたからな」


 そういうことか、と鬼天は腑に落ちた。勇王山の墓は、この世のどこを探しても存在しはしない。勇王山がそういう扱いを受けることを、怨動山もよく承知している。だから、彼を根の国へ導いた者が、彼の墓の代わりと言えるだろう。ライバルとして、自らがそうなって、生涯を共に弔いながら過ごすつもりだったのかもしれない。


「いいえ、俺は大丈夫です」


 怨動山の代わりに、その役目を果たすことは重荷には感じていない。鬼天がそう言うと、彼は小さく頷きを返してくれた。それから、じゃあもう行くよ、と背を向ける。


「そうだ、仁。王鬼親方の死について聞いて回っているんだってな」


 遠ざかりながら、怨動山は聞き取れるかどうかのギリギリの声量で、そう問うた。その背に向けて、追いかけるように鬼天は肯定の返事をする。


「はい。怨動山兄さんは知っているんですか。師匠オヤジの最期のことを」

「ああ、知っているよ。だが、教えてはやれない。それに、もう嗅ぎまわるのは、やめろ」


 墓所の間の畦道に立って、怨動山はそう答えると、ふい、と鬼天を見るでもなく顔を横に向けた。その視線の先に何を見ているのか、鬼天に知ることはできなかった。ただ、怨動山は、ひと言を置いていった。


「なあ、土の下で、あいつらは、何を思ってるんだろうなあ」


 鬼天と宗太が顔を見合わせている間に、怨動山は歩み去っていった。彼なりの、勇王山の墓参りだったのだろう。

 そして、ついでに鬼天に釘を刺した。しかし、それで諦める鬼天ではない。真実を手にするまで、少なくともそれまでは、鬼天は死霊とともに計算を続けるだろう。

 徐々に短くなってきている秋の日は、もう傾き始めそうになって、人と墓の影を長く土の上に這わせだす。寺に手桶を返して、家に帰ろう。世界中で半霊半人が暴れる事件は、今も続いている。けれど、鬼天と宗太が今できることは、ただそれだけだ。最後にもう一度、ふたりは揃って王鬼の墓に小さく頭を下げて、歩み去った。

 このあと暫く、市間内郎の行方は誰にも分からなかった。ただ少しずつ、半霊半人の数と凶暴さは増していった。それが市間の得たデータによるものなのかは、今はまだ知り得ない。

 ゆっくりと夜の闇が墓地に立ち込めてゆく。そこに蠢くのは、果たして人か、死霊か、それとも――。


 了

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リキシ・オブ・ザ・デッド 古都村律広 @kotrit

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