結び口上、土俵黄泉出し

 鬼天の周囲で風が渦巻き始めていた。ぐるりと、鬼天と勇王山をその中に置いて、風は仮の土俵を作る。まだだ。これはただ、鬼天の死霊回路に反応した現世に漂う死霊たちが、騒いでいるだけだ。しかし、鬼天はこの仮設土俵を用いて、必要な死霊を呼び出す。

 蹲踞から一度立ち上がり、肩幅に足を開いて、膝に掌を当て、腰を下ろす。風の土俵を巻き上げるように、素早く片足を掲げて、素早く下ろす。地に着いた足からまた、風の円が広がる。もう片足も同じく、通常よりも小さめの動作で軽い死呼を行う。そちらの足と地面の接するところからもまた、風の円が広がった。

 黄泉出しよみだし死呼しこ――ただの死霊を呼び出すのではない。土俵作りを行うことを専門とする死霊を呼び出すのだ。その死霊の名を、黄泉出しという。鬼天の足元では、地面から染み出してくるように、薄白い風と見紛うばかりに自在に形を変える何かが姿を現さんとしている。右足を着いた地点から一体、左足も同様に。

 神託工学の研究者の中には、死霊とはただの概念であり、その実態はエネルギー波動として記述可能な量子の流れであると主張する者もあるという。つまり、死霊には個体を識別できるようなものは何もなく、まして死霊ごとに異なる役割があるなどということは、ありえない、ということだ。

 しかしながら、理器士たちは知っている。互いの死霊回路を感じる死霊回路共振を通じて、それぞれの死霊回路が異なることを。同じく、互いの魂が異なることをも。我々は、いずれ死すべき定めの死霊であり、死霊は、いずれ生まれ来たるはずの我々だ。だから、我々の魂がそれぞれに異なるように、死霊もまた、それぞれに異なる。まだ科学がその領域にまで到達していないだけだ。まだ人類の英知が、相撲にまで到達していないだけなのだ。

 鬼天の足元から現れた二体の死霊は、ゆったりと人の形に収まっていく。それは襷掛けをして袴をつけた、おじさんの姿をしている。


『よっこいせ』

『ずいぶんと久しぶりだねえ』

『そうだねえ、こちらの世は相変わらずよのう』

『お、見なよ。なかなかだよ、ここの土は』

『どれ。ああ本当だ。こりゃあ、やりがいがありそうだね』

『やっちゃう?』

『やっちゃうか、久しぶりに』

『いいねー』

『いいねー』


 向き合いもしないどころか、動きすらしないまま、二体は会話めいた音を風に流してから、おもむろに踊り始めた。人の姿は仮の形である。ゆえに日本舞踊の動きも、言ってみれば死霊たちの感情を表しているようなものであり、その間にも次々と土が自ら動いているかのごとく掘り上げられて、風の土俵に混ざりこんでゆく。


「仁、まさかこれほどとはな」


 汗ひとつかいていない鬼天を見て、勇王山は感嘆の呟きを漏らす。鬼天の死霊回路が、平常とほとんど変わらない落ち着いた稼動状態にあるのを感じてのことでもある。特定の死霊を呼び出すことは、精密な死霊回路の制御を要するため、極めて難しいこととされていた。ただし、それは相撲の強さには繋がりにくいため、修得しようという者はほとんどいない。強くなろうとして死霊回路の制御技能を磨いたために、結果として特定の死霊を呼び出せるようになった理器士が、歴史上に何人かいたのみだった。


「そうでもないさ」


 鬼天の返答は、あながち謙遜でもない。土俵を必要とする協会には、必ず誰か黄泉出し死呼を行える理器士がいる。彼らによって両国国技館の土俵などは保守されており、その儀式を見ることこそ滅多になかったが、彼らそのものの存在はよく知られていた。黄泉出しという語が、そうした理器士のことを指して用いられることもある。黄泉出しは、予言を行う理器士とは異なる、専門の稽古を積まされる。ゆえに、あまり理器士として認識されることはなかったが、その基本は同じであった。

 風の仮設土俵が、ゆっくりとその勢いを弱めていくとともに、舞い落ちた土が地に山を築いてゆく。そのところどころで、見えない手で叩かれるようにして、土の山は押し固められ、徐々に正方形の四辺を顕かにする。広がる四角の領域に巻き込まれないように、鬼天と勇王山は後退して、土俵の外に立った。ふたりの膝ほどまでの高さになると、土の山は成長を止める。

 二体の黄泉出したちは、完成した土俵の土台に上がって、今度は円を描いて舞う。盆踊りのように。その通り道には草が芽を出し、細長い茎を伸ばし、稲穂をつけ、枯れ落ちて束になり、中に土を取り込んで、細く小さい俵となる。円形に俵が配置されれば、ようやく土俵の形は整う。だが、それはまだ、ただの土の山でしかない。土俵には、その土俵に個有の芯がある。

 土俵の円周を踊り回っていた黄泉出したちは、俵の完成をみるや、つい、と中央に集まった。そこには穴が開いている。二十センチ四方、深さは三十センチほど。二体の黄泉出しは、縁起物の霊を根の国から現世へと呼び出しては、交互に身体から絞り出すようにして、穴の中へ落としていく。勝栗、昆布、米、スルメ、塩、そしてカヤの実。最後に、そこに神酒を注ぎ、二体は別れて土俵の四隅にも同じく神酒を注いで捧げた。余った神酒は穴へと落とし、それに続けて二体ともが吸い込まれるように、その穴へと収まった。仕上げに、穴へ土を被せて封じる。

 完成した正式な土俵は、幽かな黄金色を纏っていた。黄泉出し死呼を行える理器士が少ないことに加えて、ひとつの土俵に二体の死霊が宿るため、あまりに数多く正式な土俵を作ることはできない。土俵作りができるほどの霊力を持つ死霊は、そう多くないのだ。ゆえに稽古用の土俵は、土鏡を用いる。土鏡は、黄泉出しの化身や形代とされているからだ。噂では土鏡は、理器士を指して言う方の黄泉出しの、死体から作られているのでは、とも言われている。

 いずれにしても――。


「さあ」


 鬼天が呼びかける。


「おう」


 勇王山が応じる。

 ふたりの理器士が、踏みしめて土俵に上がり、俵を跨いで根の国と結ばれた円形領域に両足で立つ。両者、同時に蹲踞の姿勢をとった。


「せっかくの正式な土俵だ。予言を成そう」


 おもむろに勇王山が提案する。確かに鬼天も引退してからは、こうして自分で作る以外で正式な土俵に立つことは、ほとんどなかった。勇王山ならば、もっと長い間、このような相撲を取ることはなかったであろう。久しぶりだ、という気持ちがその言葉になったのかもしれない。


「いいだろう。何を計算する」

「我輩の未来など分かりきっている。仁、おまえが決めろ」


 問いかけを、そのまま譲り返されて、鬼天は、そうか、と腑に落ちた気分になった。未来は分かっていると言いながら、予言をしようと提案するのは、勇王山が高揚しているからだろう。この取組みに、期待しているのだ。大関であった自分を超えて夜虚綱となった弟弟子を、乗り越えられると信じる、この一番に。


「ならば、この勝負、その結末の予言を導くとしよう」

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