第3話 展開するアジェンダ

 「で、呼びつけてなんなのよ」

麻紀はアイスティーをかき混ぜながら問いかけた。

呼びつけた、といってもいつもの学食なんだけど。

「それが……」

私は昨日あったことを簡単に話した。

バイト先の可愛い女の子(真尋ちゃん)の話。

その子が「身体が大きくて優しい人」を気にしていること。

その人とは既にドライブに行くほどに親密であること。

その他諸々。

「いやさ、でもそれってまだ志藤さんとは限らないじゃない」

「でも、仕事で会ったって言ってるのよ」

「お客さんとかじゃなくて?」

喫茶店に来る客にそんな人はいないはず。

だっていたら私が覚えて無いはずないもの。

「じゃあなに、強敵ライバル登場ってわけね」

「なんで楽しそうなのよ」

「簡単に成就する恋なんてつまらないじゃないの」

そういうものなのか。

私はすぐに成就する恋の方が好きなんだけど。

そんな漫画のようには問屋が卸してくれないってことか。

「で、どうするのよ?」

「どうするって……どうするも」

「諦めちゃうの? 志藤さんのこと」

「そんなこと……」

出来るわけない。

だって、好きだし。

でもそんなに親密ならもう勝ち目なんて。

「じゃあさ、アンタもご飯とか誘っちゃえばいいんじゃない?」

「え、そ、そんなこと」

「でもいずれはしないといけないじゃない。志藤さんと働くようになってどれくらい?」

「三ヶ月、くらいかな」

「なら全然おかしくないじゃない。それに別にご飯に誘うだけなんだし」

おかしなことじゃないわよ、とアイスティーの上に乗ったレモンを弄る。

麻紀は簡単そうに言うけれど、そんなこと。

「…………」

「別に、その真尋ちゃん? と付き合ってるわけじゃないんだろうし、まだまだ勝機はあるって、頑張りなさいよ」

「うん……」

すると麻紀があ、と思い出したように手を叩いた。

私が唖然としていると麻紀は小さい鞄からストラップを出した。

小さなぬいぐるみが付いている。

「ほら、これあげるわ」

「これって……」

「アンタ好きでしょ? ぽん太」

ぽん太は『ぽんぽん ぽん太』という日曜の朝にやっているアニメのキャラクターである。

狸王国の王子で、ライバルの狐帝国のコン太と毎週下らない競争でしのぎを削っているのだ。

私は年甲斐もなくそのアニメのファンで、特にそのぽん太が大好きなのだ。

主にそのぽちゃっとしている可愛らしい造形が。

なんだか、志藤さんみたいで。

「くれるの?」

「琢磨が昨日ゲーセンで取って来たのよ。私はいらない……っていうか興味無いから、アンタにあげる。食事に誘う餞別せんべつよ」

ぽん太は低年齢層向けのアニメであるため、大学生で見ている人間などほとんどいない。

「え、ありがとう」

私はすっかり機嫌が良くなって、ぽん太のストラップを鞄に付けた。

ゆさゆさと揺れる丸いフォルムが可愛らしくて、思わず顔を綻ばせてしまう。

「じゃあ、頑張るのよ。明日バイトでしょ?」

「うん……」

「私、まだ講義あるから。そろそろ行くわね」

麻紀はそう言うと颯爽と鞄を腕に通して食堂を去って行った。

残された私は麻紀がくれたぽん太のストラップを見つめていた。





 今日のバイトは休みだ。

なのだけれど、私は思わず喫茶店の前まで来ていた。

今日は確か真尋と志藤が入っているはず。

昨日のことがどうしても気になってしまい、私は気付けば新宿まで来ていたのだ。

私は普通を装って喫茶店の中に入る。

入り口付近で机を拭いていた真尋が私に気付き、駆け寄ってくる。

「いらっしゃいませ……って、あれ。村瀬さん」

バイトで来たと勘違いしたのだろう、少し目を丸くしている。

「いや、その。今日はたまたま近くに寄って。ちょっとお茶しようかと」

訊かれてもいないのに言い訳をするのが、我ながら見苦しい。

「そうですか。お好きな席にどうぞ」

にっこりと笑う真尋を見て、私は近くの席に座った。

客はいつもの通りまばらで、相変わらずどうやって経営がもっているのか甚だ謎だ。

「あれ、村瀬さん。珍しいね」

水を運んできてくれた志藤が一重の目を細めて微笑む。

エプロンはやはりピチピチだ。

「そうなんです、たまたま近くに……」

また嘘を吐いてしまった。

本当は喫茶店に来るためだけに新宿まで来たというのに。

「そっか。ゆっくりしていってね」

「はい……」

私はとりあえずアイスティーとチョコブラウニーを頼むことにした。

先程学食で食べてきたからそれ程腹は減っていなかった。

視線を逃がすように、私はぽん太を見つめる。

どうしよう。

麻紀の言う通りご飯に誘うべきだろうか。

でも、それだとまるでそのためにここに来たと言っているようなものではないか。

浅ましい女だとか思われたらどうしよう。

「あ、いらっしゃいませ!」

喫茶店に響くような快活な声が聞こえたのは、それから間もなくのことだった。

私は導かれるようにその声の方向へと顔を向ける。

真尋が先程と同じように入口の方へと駆けて行く。

エプロンがなびいて、シルエットまでも可愛い。

「本当に来てくださったんですね」

いつもより楽しそうな真尋の様子に、私はその相手の姿をうかがおうと身を乗り出す。

我ながら出歯亀でばがめ根性丸出しだな。

「今日はお仕事の帰りですか?」

真尋がいつも以上にニコニコと微笑んでいて、こちらまで綻んでしまう。

「そう…だけど、そんなに嬉しいんですか? 俺なんかが来て」

「そりゃあもう、って敬語は止めて下さいよ。来宮さんの方が年上なんですから」

「あ、あぁ……でも、そんな急には無理ですよ」

真尋の目の前に立っている客は、スーツを着た偉丈夫だった。

短く刈り上げられた頭を恥ずかしそうに掻きながら、目線を逸らしている。

え、結構可愛いんですけど。

真尋ちゃん良い趣味してるわね。

「えっと……席はどこに座れば」

来宮と呼ばれた男は困ったようにしながら、視線を泳がしている。

「お好きな席にどうぞ、今お水お持ちしますから」

そう言いながら厨房へ戻る真尋を思わず私は呼び止めてしまった。

「真尋ちゃん」

「はい、なんですか?」

「あのさ……もしかして」

嫌な予感がする。

「もしかしてだけど、今の人ってさ……」

真尋が凄く恥ずかしそうな顔をしてもじもじしている。

「昨日言ってた、気になる人ってやつ?」

「……そ、そうです」

蚊の鳴くような声で、そう呟く。

やっぱり、そうなのか。

私は思わず思いっきり溜息を吐いてしまった。

「どうしました?」

「いや……なんでもない」

何やってる人なの、と思わず訊いてしまう。

別に狙っているわけではないのだが、無性に気になってしまった。

「刑事さんです」

「刑事?」

また随分とお堅い職業だな。

職業狙いで気になっているわけではないのだろうけど。

「でも、どこでそんな……」

刑事とプライベートで知り合うような経験なんて、普通ないだろう。

出来ればこちらから御免被ごめんこうむりたいけど。

「言ったじゃないですか、仕事でって」

「仕事って」

「探偵の助手の仕事ですよ。その時にお会いして、それでここで働いてるから是非来てくださいって……」

そっちかよ。

てっきり喫茶店の方の仕事かと思っていた。

そりゃ喫茶店で見たことがないわけだ。

つまりは全部私の思い違い、勝手な思い上がりだったということだ。

強敵ライバルでもなんでもなく、ただ私が勘違いしていただけ。

とんだ道化ピエロだ。

私はもう一度溜息を吐いた。

自分の愚かさと、真尋の純真さに。


「そんなに溜息吐いて、どうかしたの?」

真尋と入れ替わるようにしてチョコブラウニーとアイスティーを運んできた志藤が、不思議そうに訊いてきた。

「いや……これは」

すると志藤は私の足元を少し見て、あ、と呟いた。

「え、どうかしました?」

もしや知らぬ間に粗相をしていたのだろうか。

「いやあの……可愛いね、ぽん太」

志藤が指差す先にあったのは、鞄に付いたぽん太のストラップだった。

「え、あぁ……って知ってるんですか?」

「あ」

しまった、と言った表情で志藤は少し俯く。

二十四にもなる成人男性がぽん太を見ているという事実が恥ずかしいのだろうか。

そんな私も毎週録画しているけど。

「弟が、弟がね。見てるんだよ。それで僕も一緒に……」

「弟さんいらっしゃるんですか?」

そういえば、私は志藤さんの家族構成も何も知らないのだ。

いや、ただのバイト仲間ならば知らなくて当然なのだろうか。

でも興味はある。

志藤さんの弟ってことは、志藤さん似で体が大きいのかな、とか。

やっぱり優しくて犬みたいな顔してるのかな、とか。

というか、志藤さんのことならなんでも知りたいのだけど。

「そう、小生意気な子でね。いつもプーさんみたいとか言われて……」

可愛いですし良いじゃないですか、プーさん。

「弟さんも身体大きいんですか? やっぱり……」

「いや、弟はスラッとしててね。女の子にもモテるみたいなんだ。よく家に連れてきてるよ」

「へぇ……」

ちょっと残念、普通に美男子系か。

「村瀬さんもそういうのが好きなのかな?」

「え、私は……」

思った以上に踏み込んだ質問に、私はたじろぐ。

ここで素直に身体の大きな人が好きなんです、と言っていいのだろうか。

でももし言ったら志藤さんのこと意識してますって言うようなものになるじゃないか。

何だコイツ肉食系だな、って思われるかもしれない。

でも嘘を吐くのも嫌だし、答えないのもなんだか印象悪いし。

どうしたものか。

「えっと……優しい人が好きですかね」

なんて月並みで抽象的な言葉なのだろう。

間違ってはいないけれど。

「そうか、優しい人……。そりゃそうだよね、付き合うこと考えたら」

「あの、で、ぽん太お好きなんですか?」

恐ろしく急カーブを描いた話題の方向転換に、志藤は逡巡しゅんじゅんする。

これ以上話が深くなると、結果的に志藤を意識しているようになってしまいそうだったからだ。

「好き、だよ? 可愛いしね」

貴方の方が百倍くらい可愛いですが。

というか志藤の口から好きという文言が出ただけで私は卒倒しそうだった。

もちろん私に向けたわけじゃないのは分かっているけど。

「そうなんですか、あの、じゃあこれ、あげますよ」

そう言ってストラップを外そうとしていると、志藤が両手を出して制止した。

「いいよいいよ、それ、村瀬さんのものでしょ? 悪いし」

「じゃあ……」

一つ息を吸い込む。

「ぽん太のストラップ、一緒に買いに行きませんか?」

言った。

言ったぞ、私。

言った言葉は取り返せない。

外すために握っていたぽん太に少しだけ力が入る。

「……良いけど、いつ?」

意外に答えはあっさりしていた。

志藤は変わらぬ笑顔でこちらを見つめる。

「えーっと、今週末とか」

「今週末か……あ、ごめん。僕実はもう一つバイトを掛け持ちしてて、週末はそのバイトがあるんだよ」

「そ、そ……」

そうなんだ。

別に何が悪いわけでもないのだが、ちょっと泣きそうになる。

志藤が悪いわけでもなんでもない。

でも、あれだけ勇気を出して行った誘いが、こうも簡単に砕けるのは切ない。

「あ、でもさ」

「はい?」

心の中で半泣き状態の私は、顔を上げる。

多分酷い顔をしていると思う。

「そのバイト、夜の七時までなんだ。その後で良ければ……ぽん太を買いには行けないけど、ご飯くらいなら、一緒に食べるかい?」

「え……」

神様、そして麻紀様、感謝します。

もらったぽん太のストラップから、意図せずして食事の約束を取り付けることが出来るなんて。

しかも志藤さんから誘われるだなんて。

「バイトって、何をしてるんですか?」

「笑わないでよ?」

「笑いませんよ」

そんな面白おかしいバイトをしているのか。

「……スイミングの先生のバイト」

「え」

笑いはしなかった。

でも瞬間で志藤の水着姿を脳内で想像して、アドレナリンが大量分泌された。

天にも昇る勢いで鼻血が出そうだ。

「そ、そそそ、そうなんですね。新宿ですか?」

「いや、僕の家の近くのスイミングだから、品川だよ」

「そうなんだぁ……」

というか志藤さん、品川に住んでるんだ。

「じゃあ、そのスイミングスクールで待ち合わせませんか? 七時くらいに行きますよ」

本当は水着姿の志藤を拝みたいだけだが、実際そちらの方が効率は良い。

志藤は水着姿を見られるのが恥ずかしいのか少し唸っていたが、すぐに

「分かったよ。じゃああとでそのスイミングの住所を書いたメモを渡すから、今週の土曜日の七時近くに、そこの中で待っていてくれる?」

そう言えば私は志藤の携帯番号もメールアドレスも知らないのか。

でも、なんだかこれはこれで古典的で良いな。

メモ書きした住所を頼りに待ち合わせ場所に向かう。

まるで一昔前の映画みたいじゃないか。

「それじゃあ、僕は仕事に戻るよ。あとでメモ持ってくるね」

志藤はそれだけを言い残すと、厨房の方へと消えて行った。

「スイミング……かぁ」

余韻に浸るように繰り返すと、再び水着姿を想像してしまう。

絶対可愛いんだろうなぁ。

たかが明後日だというのに、早速私は週末まで待ちきれずにいた。

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