反逆する者

三ノ月

第一章 〈HEART〉

第1話 〈HEART〉 -A-


 名も知らぬ少女は言った。


「さあ、叫ぶと良い。臆面もなく、恥ずかしげもなく、大の大人が白昼堂々声高々に!!!!」


 その表情は、冒険者に伝説の剣を渡す女神のような――そんな綺麗なものではなく。

 少なくとも俺からすれば、非常に意地の悪い、悪魔のような笑顔だった。


 ◆


 21XX年、地球は突如として滅亡の危機を迎える。

 地球が存在する次元よりもさらに高みからやってきたという、異次元からの侵略者。当時の地球では比べ物にならないくらいのオーバーテクノロジーを手に、次々と人類を殺していった。

 そこまでは単なる殺戮だった。しかし、人類もやられっぱなしでは終わらなかった。ゆえに、これは戦争までに発展する。


 人体改造。禁忌、神への冒涜。人の身体に手を入れ、まるで野菜の品種改良であるかのように、作り変えていく。こうして生み出された新人類は、侵略者とも互角に渡り合った――かのように見えた。


 結果として、戦争に勝利したのは侵略者であった。


 初撃で多くの人類を失ったこと、急造の兵士では数が足りなかったこと。そして何より、後手に回ったことが人類の敗因であった。

 そうした経緯を経て、100年後。


 旧ユーラシア大陸、現バルトアシア帝国領土の中心に存在する帝都にて、俺は頭を抱えていた。


「財布、落とした……!」


 いつも尻ポケットに入れているはずの財布がそこにない。なんてことだ、アレには定期や保険証、学生証などそう簡単にはなくせないものを多く入れてあるというのに。

 お金は最悪どうとでもなる。元より大した額も入っていない。


「スられたか……? いいや、さっき自販機でサイダー買うまではあったんだ。それから先、人通りのない道ばかり通ってきて、スられる可能性なんてゼロに等しい!!」


 こんなお約束な展開があってたまるか。ひたすらに面倒だが、今来た道を引き返そう。どうせ、尻ポケットへの押し込みが足りずに落ちたとか、そんなところだ。

 街灯に照らされるも薄暗く、姿勢を低くし、目を凝らして必死に探す。その時だった。


 ドン。俺の頭に、固い何かが当たった。


「あ、すみませ――」


「…………」


 そこに立っていたのは、白い少女であった。

 背はちょうど、このまま突っ込まれれば俺のみぞおちに頭が来る程度。印象に残る白髪を揺らし、水晶のような青い目で俺を見下ろしていた。


「あの……」


 少女は黙るばかりで、何も言おうとはしない。沈黙に耐えられなくなり、腰を低くしたまま問う。


「お、俺の財布……見なかったかな。こんな感じの、」


 身振り手振りで伝えようとすると、少女は首を傾げ、ようやく口を開いた。


「――いいや、知らないな。悪いが他を当たってくれ」


 と、ミステリアスな見た目の通り、しかし少女らしからぬ落ち着いた口調で答えた。そして少女は俺の横を通り、去ってしまった。

 印象的な少女だった。青い目、というならばいくらでも目にするが、白髪といえばそうでもない。老人のそれとは違う、光ですらすり抜けてしまいそうな透明感。夜道を照らす街灯に溶けそうなほどであった。


「……それより、」


 財布の行方であるが。見つかる可能性が低くなってしまった。今少女は、俺が来た道を通ってここまで来た。人通りの少ない一本道。少女が目にしていないのならば、簡単に見つかる位置には落ちていないだろう。もしくはもう、誰かに持ち去られたか?


「人通りが少ないとはいえ、今みたいに誰かが通ることはある。財布を拾って引き返した可能性だって……あー、クソ、頼むからそこら辺に落ちててくれよ!?」


 ガリガリと頭を掻きながら、先程と同じように低い姿勢でまた財布の捜索を始める。


 ――この時、とっとと財布を諦めていれば、俺の人生はまた変わっていたのだろうか。

 後々になって、いつもこの日のことを思い出す。ここが、こここそが、分岐点だったと。


「自販機のところまで戻ってきたけど、やっぱりどこにも無いな……あーツいてねえ。学生証は、まあ、しばらくは無くても大丈夫。学校に届ければ……問題は保険証と定期だ。あ、あと免許証も入れてたっけ? っかー、キツい」


 ため息とともに、上半身をすっくと起こす。そこで視界に入ったのは、一面の白であった。


「――――あ?」


 先程見た、透き通るような白ではなく。光沢のない、光を飲み込むマットホワイト。

 駒だ。母親が趣味で集めているボードゲーム、その中のチェスというゲームの駒に使われている、ポーンだ。見たことがある。

 ただし、見たことがあるのは手のひらサイズのものだけ。こんな、


 こんな、博物館の彫像のように大きな駒は、見たことがない。


 しかも、それが何十と存在し、俺の前に並んでいる。


「なん、」


 ビキリ、と駒に亀裂が入った。それはひとつだけではなく、視界に映る駒全てに入ったのだ。ビキリ、ビキリ。そうして駒は割れて行き……人型を取った。

 気味の悪い人形のような。頭に当たる部分に走る、三日月形のヒビ。そこからケタケタと笑い声が聞こえる。


 ケタケタ、ケタケタ、ケタケタ、ケタケタ。

 ケタケタケタケタ、ケタケタケタケタ。

 ケタケタケタケタケタケタケタケタ。


「あ、ああ? ――ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?」


 ◆


 荒れる呼吸。ケタケタと笑う駒達は、ただ笑うだけで動こうとはしない。尻もちをついた俺を、ただただ嘲笑う。

 これはなんだ? 夢を見ているのか? それとも、


 


 ――侵略者との戦争で、人類は禁忌を犯した。

 人体改造。それは人の身体を外から作り変え、人でない存在にするもの。その副残物として生まれたのが『異能』である。


 火を出したり、水を操ったり、その他様々な超常現象を簡単に引き起こす兵士。化け物じみた身体能力と異能。これが人類の最終兵器であった。しかし、それでも侵略者には叶わず敗北を喫す。


 異能は負の産物として、あるいは奇跡として、子孫へと受け継がれていった。親と同じ異能を発現する者、まったくの別物を発現する者と様々だが、現代において異能とは、人が持つ個性のひとつとなり得ている。


 かく言う俺もそうした異能を持っているのだが――この状況の打破に使えるかは難しいところであり、そもそも俺にそれだけのことを考えられる余裕がなかった。


「に、逃げ、ひ、」


 逃げようにも足腰の力が抜け、立ち上がることすらできない。

 ああ、なんて非力な。まったく、男のくせに


「情けない」


 それは、俺の声ではなかった。


「単なる雑兵ポーン相手に腰を抜かすなんて、情けないとは思わないのか?」


 つまらなさそうに言う彼女は、ひどく幼く、あまりにも力強い。

 その顔に見覚えはある。ついさっき見たばかりということもあるが、そうでなくても、こんな綺麗な女の子の顔、そうそう忘れることもあるまい。


 その少女は、先の白い少女であった。


「き、みは」


「通りすがりの女神様だ。ひとつ聞かせろ、青二才」


 どう考えたって少女の方が歳下だろうに、高圧的な物言いを続ける。

 ずいと耳元に口を寄せられ、静かに語る。


「女神は、木こりが落としたという斧は『金の斧』か『銀の斧』かと問うた。では私も問おう。――お前が落としたのは、このか?」


 目の前に差し出される手、その上に乗る二枚のカード。どんな原理か、あるいは異能か、そのカードはふわりと浮かび、両目の前にかざされる。

 まるでトランプの、ハートとクラブを模したような記号。数字は『2』。これが何を意味するのか、理解するよりも先に、俺は答えていた。


「違う……俺が落としたのは、ただの財布だ」


「はは、そうかそうか。では、正直に答えたご褒美だ。お前にはこの財布と、〈HEART〉のカードをプレゼントしよう」


 クラブのカードがフッと消え、代わりに俺の手元に落ちてきたハートのカード。そして見覚えのある……俺の財布。


「そら、呆けているのもそこまでだ。ポーンの駒達は、お前のことを『敵』だと認識したぞ。死にたくなければ――死ぬ気で戦え、コガミ」


 ポンと背中を叩かれると、不思議と身体の震えは止まり、足腰にも力が入った。

 依然ケタケタと笑い続ける駒達。ただ、襲ってくる気配の無かった先ほどまでとは違い、その手に槍や剣を構えている。


「あのさ、俺も聞きたいことあるんだけど」


「なんだ?」


「もしかしてこれ、大人しく逃げていれば、特に害は無かったとか……?」


「……さて、カードの使い方を教えようか」


「なあ、ちょっと、……答えてくんない!?」


 涙目で訴える俺の声は届かず、少女はただただ楽しそうに、笑って、

 俺の手からカードを奪い、それを頭上へと投げ上げ、

 名も知らぬ少女は言った。


「さあ、叫ぶと良い。臆面もなく、恥ずかしげもなく、大の大人が白昼堂々声高々に!!!!」


 その表情は、冒険者に伝説の剣を渡す女神のような――そんな綺麗なものではなく。

 少なくとも俺からすれば、非常に意地の悪い、悪魔のような笑顔だった。


「変身、と!!」


 どうにでもなれ。半ばヤケクソ気味に、俺はつられて叫んだ。


「――変身!!」


 頭上に浮かんだカードが光を放ち、たたみ一畳ほどの大きさとなった。青白く光るそれが段々と降りてきて、ぶつかる、その瞬間、俺は自らの顔をかばうように腕を上げ――次の瞬間、視界が切り替わった。


 光を感じていたはずの瞼は、真っ暗へと落とし込められ、静かに目を開けるとそこに文字が浮かんでいる。


〈STANDING BY…〉


〈OK!!〉


「あ?」


 文字が消え、同時に黒い背景も掻き消え。

 先程まで見ていた光景が目の前に改めて広がった。

 違いがあるとすれば、やたらと鮮明になった視界、ややくぐもった己の声。そして、何やら質量を感じる両腕両脚――と、己の身体を見下ろして気づく。


「な、」


 金属質な、光沢のある赤と銀の装飾。まるでサイボーグにでもなったかのような、メカチックな腕や脚。

 そして、おそらくこれが視界不良……良好? の原因であろうヘルメットのようなマスク。


「パワードスーツ〈HEART〉……具合はどうだ、コガミ?」


 俺の身体は、鎧のような何かで覆われていた。



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