35話:空中都市トラリス

 魔導試験の会場となるドームはいつにも増して賑わいを見せていた。それもそのはずである。なにせあの【暴風姫】ことテレサ=ヒメネスが瞬殺されるというのは、それほどの大事件だからだ。

 六年連続一次試験突破、通算五回の二次試験突破は南雲優衣と並ぶ、紛れもないトップランカーの証。A級大魔導士昇級後のランキングは、一桁順位シングル常連どころか常に五位以内。六位以下に転落したことは一度もない。

 アイヴィーと同じ先天性魔力異常を疾患する数少ない魔法使いにして、彼女の広域展開は桁違いに早い。大気中のマナを利用する現代魔法の基礎戦術からすれば、先手で根こそぎ奪っていくこのスタイルは脅威でしかない。

 如何に渦中の【三日月セレネ】月城真奈のやったことが凄まじいか、観衆の反応が物語っている。これでまだ中学生に上がったばかりだというのだから、なお恐ろしい。


「なんか、すごいね」

「そりゃテレサさんを倒すって、それだけすごいことだからな」


 ストローの刺さったカップを手に、ロビーを並んで歩くショウとカナ。

 師匠であるショウはカナの対戦は毎週欠かさず観戦している。今は無事C級魔法使い昇級後の初対戦を終えたところだ。

 大都会の繁華街に負けず劣らずの人混みをかき分け、二人は受付付近に設置されている待合所へと向かっていた。


「広域展開ってそんなにすごいの?」


「戦術面でガラリと変わるんだよ。領域展開って精々半径十メートルそこそこだから、先に使われたとしても前方部分のマナがなくなるだけで、後方のマナは集められる。でも、テレサさんの広域展開は五十メートル強って言われてるから、先手取られたら自発するしかない。というか、先手取られてから自発してる時点で速度で負けるから、広域展開を使える相手と戦う時は、開幕自発が標準戦術セオリーかな」


 この圧倒的優位性を絶対的にするため、テレサは広域展開の速度を最優先で鍛え上げてきた。少なくともA級大魔導士でテレサ相手に速度勝負を挑む人間は誰もいない。対抗できるのは同じ広域展開の使い手であるアイヴィーくらいである。

 とはいえ、そのアイヴィーも現在テレサとの戦績は五連敗と惨敗中だ。


「やっぱ先手取れるって大事なんだね」

「単純に取れる選択肢が増えるからな。毎回同じ戦術の月城は、今んとこその選択肢が不明だから、余計みんな注目してるってのはある」

「こないだまで小学生だったのに、すごいよね」


「そうなんだよ。何がすごいってさ、月城が聖精霊ヒエロス最有力候補なんて言われだしてるんだよ」


「ほえー、小学校卒業したばっかりなのに、本当にすごいね」


 目的の待合所の長椅子に腰を下ろし、すぐ隣にカナが座る。

 カナはショウとの間にカップを置き、魔法指輪マジックリングを操作し、装着者本人にしか見えないメッセンジャーを中空に表示させる。他人から見れば、何もない空間に向かって指を押したり引いたりしているように映る。

 一通り作業を終えたカナが持ち上げていた手を下ろし、カップを手に取り口元へ運ぶ。


「キサちゃんもうちょっとでこっちに来るって」

「アイヴィーさんとユイさんも一緒なのか」


 同じようにメッセンジャーでアイヴィーとやり取りしていたショウは、待機場で合流した旨を受け取っていた。


「ショウ君は試験受けないの? 先週の感じだったら勝てると思うよ?」

「いやー、最初のうちは勝てるだろうけど、タネバレると無理かなぁ……」


 相手の手の内が判明しないうちは、距離を取ったままカウンタに備える。その隙を突いて付与式魔法文字ルーンエンチャントを施すことができるが、階級が上がれば開幕強化型が一般的になる。こうなってくると近接戦闘インファイトが増え、何もできずに負ける。

 それだけなら良いのだが、下手に有名な分、魔法を使ってこないと判明すれば、すぐに噂になる。

 魔法使いは、精神力が魔法に直結する分、とにかく負け癖をつけると厄介なのだ。

 噂になる前にエントリーせず、階級を止める手もあるが、勢いや公式戦特有の空気から離脱するのは、今後のことを視野にいれるとよろしくない。

 これは月城の七十二連勝もそうだが、連勝記録というのは意外とバカにならないほど、魔法の過多に影響を及ぼす。気分が乗るのだ。


「そっか。ショウ君も、また魔法使えるようになれるといいね。私はすごかった頃のショウ君知らないから見て見たいもん」


 そう言ってカナが微笑む。

 魔法が使えるようになるかもしれない。このことをカナには話していない。変に期待させてもと、実際に扱えるようになってから話そうと決めているからだ。当然、無用な心配をさせない意味合いもあるが、箝口令かんこうれいの敷かれているキサの件も話していない。

 差し込んだ一縷いちるの望みに、ショウの心は静かに燃える。


「――お待たせ」


 そこへ六人組の男女がぞろぞろとやってきた。

 ショウからすれば、うち五人が知己の相手だったが、全身桔梗色の女性を見て驚く。

 頭頂部の尖った肩幅よりも更に広いつばの帽子に、金の刺繡の編まれた外套とフレアスカート。杖こそ持ってはいないが、誰がどう見ても魔女と呼びたくなるような出で立ち。

 見た目こそ二十代前半の若々しさではあるが、実年齢は四十代と魔法使い特有の年齢詐欺は健在だ。仮に一緒にいるアイヴィーと同級生だと言っても違和感はない。これは彼女の表情の柔らかさから来るもので、悪く言えば落ち着きがないと言ったところだろう。

 大きな帽子の影に入り暗く見えるベージュカラーの髪だが、ひとたび影の及ばない腰付近までくると、立派な大人の女性を印象付ける。その理由は、ベージュの中でもぬけ感のあるオリーブ系の髪を、うなじ部分で捻じって一纏めにし、無造作に流すことで小洒落た感を演出しているからだ。ふわりとした大き目のウェーブが隣のユイとは違った魅力を醸し出す。


「おやおや~、どこかで見たことのあるような顔だな~? クウェキト知ってるか?」


 ショウの顔を覗き込むようにして、その女性は顔を寄せると、顎に手を添え首を捻った。


「そいつがショウだよ」

「おお、この子が息子君か!」


 ポンっと手を打ち、得心したと顔を綻ばせ、茶色い瞳を輝かせる。


「噂はかねがね聞いているぞ息子君。私のチームだと一人だけ除け者だったからな。知っているだろうがドロシー=アルフォードだ。よろしく、息子君!」


 そう言って、屈託のない笑顔を浮かべながら右手を差し出す。握り返したショウの手をもう一方の手で挟み込み、ぶんぶんと上下に振り回す。

 目立つ出で立ちもあって、離れていても人目を引き付けるドロシーだが、感情表現は豊かで愛想がいい。手を振れば振り返すし近寄りがたい雰囲気は一切ない。好奇心旺盛で、民衆の期待には全力で答えようとする。

 毎年中継される三次試験では賢者二人を同時に相手するなど、とにかく派手で支持率はべらぼうに高い。その結果として、三次敗退までが一種のお約束として成り立つ。ルックスと人気ぶりから、魔女っ娘アイドル・ドロシーちゃんの愛称でも慕われている。


「もう、ドロシーばっかりズルいー、ワタシもする」


 そこへ今日は露出少なく、ドロシーとペアルック姿のミリアがショウに抱き着く。

 全く同じ格好だが、小ぶりのドロシーと比べてミリアのそれは圧倒的な存在感を放つ。いくら隠しても、あえて強調するような着こなしをしていれば当然目立つ。

 半裸のクウェキトといい、基本的にこのチームメンバーはリーダーのルースを含め見た目からして注目を集めるきらいがある。


「今日はまともな恰好ですね」

「だってー、今日はドロシーと一緒なんだもん。ドロシーとペアルックとか興奮しない? するよね?」


 顔をすりり寄せてくるミリアに、特段嫌がるでもなく、ただ冷静に押し返すショウに手慣れた感が漂う。

 ドロシーの追っかけを公言するミリアだけあって、細部まで完璧にそっくりに仕立て上げているのはさすがである。

 彼女のドロシーに向ける視線は、変態のそれであり、緩んだ顔から今にもよだれを垂らしそうな勢いである。熱い視線を向けられた当のドロシーは、何もわかってない風に目元でピースサインで対応するなど、アイドル根性が染みついていたりする。


「よう、ショウ。この時間にいるってことは見たかあれ?」


 魔女っ娘二人に囲まれる異常事態に、意に介さず話しかけてくるクウェキトもただ者ではない。


「見ました、月城ですよね、ヤバすぎですよね、あれ」

「くあぁ、やっぱり見たのか。俺たち全員タイミング悪く見れてねぇんだよな。どうだった?」


 額を叩き悔しがるクウェキトは、興味津々にショウに問いかけた。


「確実に自発ですね。威力、術速から推測すると動作技術モーションスキルの上位互換的な固有技術オリジナルスキルだと思います」

「やっぱ、ショウもそう思うか」

「クウェさんも同じ結論ですか?」


 顎に手を当て唸るクウェキトに返したショウの言葉だったが、即座に否定される。


「いやな、さっきまで暴風姫のところにいたんだが、あいつも同じこと言ってたからよ。対戦することで分かることってあるだろう?」

「確かにそうですね。でも、仮に本当に動作技術モーションスキルの上位だとしたら対策どうするんですか?」

「領域浸潤かなー」


 そこへアイヴィーが割り込んできた。

 領域展開が有効領域内のマナを変容させる技術ならば、領域浸潤は任意の場所へマナを注入する技術だ。


「私なら月城の魔法発動のタイミングに合わせて、マナ送りつけて制御乱させて暴発させる」

「でもそれって、すでに他の人がやってダメだったって聞きましたよ」


 同意見だったのか他の人もアイヴィーを見やるが、反応を予想していたのか口角を上げ「私を誰だと思ってんのさ」と一言。

 いち早く気づいたユイが感嘆する。


「超高出力の領域浸潤か。先天性魔力異常持ちだからこそできる技だな」

「その手があるか。でもよ、それってお前と暴風姫しかできなくねぇか?」

「そうだねー」


 勝ち誇るアイヴィーにクウェキトは悔しそうに唸る。


「ドロシーは対応できそうか?」

「ふっふっふ、ユイ君、誰に物を言ってるんだい! このドロシーが負けると思われているとは心外だな」

「お、さすが月詠。やっぱ俺らとは格がちげぇな」

「うんうん、さっすがドロシー。カッコいい!」


 腰に手を当て、再びのピースサイン。チームメンバーのクウェキトとミリアから拍手を送られるだけならまだしも、周囲にいた無関係な人からも拍手喝采を受ける。

 A級大魔導士が雁首がんくび揃えてロビーにいるのだから、人だかりができてもおかしくない。遅まきながら当事者たちも状況を理解し、トーンダウンする。


「私見だが、月城のあれは師匠の紫電一閃並だぞ」

「逆に言えば紫電一閃程度ってことさユイ君。私ならシュラが相手だったとしても五分とは言わないが、十回やれば三、四回は勝てるとも」


 大きる出るドロシーだが、本当にそれだけの実力があるだけに誰も異論を挟めない。そこへ、ミリアが何かを思い出したようにドロシーの服を引っ張った。


「ドロシーそろそろ時間だよー」

「おっと、もうそんな時間だったか、急がねば氷室君に怒られるではないか」

「何かあるんですか?」


 訊ねるショウに、クウェキトが答える。


「大魔導士以上は試験終了後、本部に顔出せってサブマスに招集受けてんだよ」


 何気のない会話に、ただ一人アイヴィーだけが反応を示す。ほんの一瞬の僅かな機微に誰一人として気づくことなく話が進められる。


「それで三人一緒だったんですね」

「おうよ、そんじゃ俺たちはそろそろ行くわ」


 そう言って、クウェキト、ドロシー、ミリアの三人は雑踏の中へと消えて行った。


「――賑やかだったわね。ごめんねカナちゃん蚊帳の外で」

「ううん、いいんだよ。でもビックリした。私でも知ってる人いっぱいなんだもん」


 それまで傍聴していたキサとカナが、互いの両手を合わせて、全身で再会を喜ぶ。

 今にも飛び跳ねそうな空気感は、中学生らしさを前面に醸し出す。


「カナちゃん今日の私服は先週とはまた違った感じで可愛いわね」

「でしょ。キサちゃんに貰った魔石でいっぱい稼いで買っちゃった」


 瞬間、キサから笑顔が消え、ショウも高速で首を振りカナを凝視。初対面のユイとアイヴィーは遠巻きに、訳知り顔で「事案だねー」と呟く。

 明らかに変わった空気に、カナが小首を傾げるのも無理はなかった。

 勝気な性格からボーイッシュな私服が多めなカナにしては、キサの言うように今日は少し女性らしさが見える。春らしい薄桃色のロングタイプのサロペットスカートに、白地のブラウス。首元はV字型に開きつつも、しっかりとした襟のあるチェルシーカラー。

 足元は涼しげに、赤いマニキュアを塗った爪が顔の覗かせる茶系のサンダル。


「カナちゃん、親にはなんて説明したの?」


 恐る恐る訊ねるキサに、カナもようやく理解が追いついたらしく顔色が変わる。

 途端、キサの鋭い眼光がショウを射抜く。


「ちょっとショウ、説明してなかったの!?」

「えっと、完全に忘れてました……」


 目を逸らすショウにキサは頭を抱える。

 魔法王国には毎年のように発生する事案がある。簡単にお金を稼げる魔法使いは、二世などの親子揃って事情に精通している間柄なら問題ないことも、子供だけならちょっとした事件になることがままある。

 学生の身分でありながら急に物が増えたりすることを怪しんだ両親が、カツアゲ、窃盗、売春などを疑い酷い場合は警察沙汰になるのだ。

 七月の新規勢が主に階級の上がった冬休み頃を境に表沙汰になることが多く、そういう意味では時期外れなだけにキサが油断していたのも無理はない。


「ど、どうしよう」


 ことの重要性に気づいたカナがキサに助けを求める。

 公務員の仕事の一つに運営系の任務がある。両世界の橋渡し的な業務が半数を占め、今回のケースなどを含めた書類の偽造が行われている。

 現実世界の障壁ゲートは魔法王国が管理しているダミー会社の中に設置され、社会人の多くは、架空の従業員として登録されている。高校生などの学生は主にアルバイトとして登録するのが一般的だ。


「中学生でアルバイトは無理だから、親を巻き込む? うーん、あ、ゲームがあった! ユイさんゲームでありましたよね?」

「ゲーム? eスポーツのことか? あるにはあるが彼女の腕は大丈夫なのか? 偽造するにもしても金額面も考慮しないといけないぞ」


 ユイの指摘に、キサはショウを睨みつける。


「問題ないです。カナちゃんの腕はプロ級なんで。国内大会だと優勝経験あり、世界大会でも上位ランカーに入る凄腕です」

「ほう、それはすごいな。それなら基本情報を貰えれば私の方で書類を用意しよう。今の時期だと忙しいが、事情が事情だ、最優先で処理しておこう」


 そう言って、ユイがカナの前で魔法指輪マジックリングを操作し、当人たちにしか見えない画面をタップし情報交換をする。


「よし、これで終わりだな。書類は私の方で用意はするが、完成前に親御さんに聞かれたら大会賞金だと伝えるといい。今後はエイスから円に換金する際、書類が自動発行されるように設定変更しておくと便利だぞ」

「ありがとうございます。助かりました」

「なに、構わんさ。こういうことも我々の仕事なのでな」


 頭を下げるカナに、ユイは実に堂々とした大人な対応を取る。これができる女性なのかと中学生三人組だけでなく、アイヴィーまで「おお」と口にする。

 アイヴィーさんは感心される側でしょ、というショウの無言の視線を、うるさいとばかりの視線で返す。息の合った目だけで行われる会話を他のメンバーがいぶかしがる。


「んじゃー、そろそろ私たちも行くよー」


 手を叩き、年長者らしく仕切り始めるアイヴィー。これにカナは自身のカップと、空になったショウのカップを拾い両手に持つ。


「ついでに捨てとくね」

「ありがとうカナちゃん。ごめんね今日は付き合えなくて」

「いいよ。呼び出しなんでしょ? 私は一人で楽しんでくるよ」

「カナちゃんどこか行くの?」


 以前からの付き合いであるショウと違い、キサはカナとクラスメイトであっても会話はほとんどない関係だ。その上、今は春休み期間ということもあり、まともに一緒にいたのは先週の土曜日だけ。

 ゲームセンターに入り浸っているというカナの日課を知らなくても無理はない。


「ゲームセンターだよ」

「また難波?」

「うん、高田馬場は顔覚えられてるから、乱入してくる人が偏っちゃって」


 ゲーマーの中では高田馬場は聖地だ。そこにいてカナはトップクラスの実力者であり、現役女子中学生の肩書が彼女の知名度を確固たるものにする。

 ショウ然り、ドロシー然り、有名税というのは存在するのだ。

 非魔法使いなら店舗を変えるなどで対策するのだろうが、魔法使いであるカナは障壁ゲートというお手軽ワープが使えるため、東京~大阪間を一瞬で移動できる。


「そっか、次会うのは春休み明けだし、休み中はずっと難波?」

「その予定だよ」

「なら、時間ある時は、僕も難波に顔出すよ。キサも来る?」


 二人だけで楽し気に話すのが面白くないと、睨みつけるキサの眼力にショウが負ける。これに待ってましたとキサが破顔し、カナの両手を握った。


「行く行く。私もカナちゃんと遊びに行きたい」

「うん、いいよ。私もキサちゃんと遊びたいもん。じゃあ、私もそろそろ行くね」

「またね、カナちゃん」


 手を振るキサに、両手の塞がったカナがカップを手にしたまま振り返す。


「お待たせしました、行きましょうか」

「私はあんまり気乗りしないけどねー」


 ぶうたれるアイヴィーだが、それはここにいる全員が多かれ少なかれ抱いている感情である。というのも、このメンバーを招集するということは、相手は限られる。

 先日の最重要機密任務シークレットミッションの依頼主である国際魔導機関、その長たる雨宮奏理事長だ。

 帰還してからの数日、シュラを通じて度々指示はあったものの直接の面会は今日が初めてとなる。本来であればもっと早くに招集されるはずだったのだが、理事会側で何か問題があったらしく、対応に追われての今日とのことだ。


「アイヴィーは理事長との面識はあるのか?」

「ないよー、あの人滅多なことじゃ表に出てこない人だかんね。大戦時も魔導研究機構の最高責任者ってだけで、ほぼ無名。初陣を宝玉の魔王撃破で飾ったっていう、まぁ、化け物だね」


 四人は試験会場を後にすると、最寄りの障壁ゲートを通じて、とある場所へと足を踏み入れていた。

 天然の鍾乳洞かと見紛う洞窟の奥に出入り口となる障壁ゲートが設置され、ここを抜けることで初めて目的地となる国際魔導機関へとたどり着く。言い換えれば、国際魔導機関へは障壁ゲート以外の侵入ルートがないことを意味する。

 移動先は魔法指輪マジックリングで指定することで好きな場所を選択できるが、指定がない、もしくは非魔法使いが初めて訪れる場合などは役所へと飛ばされる仕様になっている。

 しかし、国際魔導機関を含め候補として表示されない障壁ゲートがいくつか存在する。それは特定の団体組織が特権として有し、所属員のみに開かれたものだ。

 特に国際魔導機関は十一に及ぶ国々を統括する立場にあるため、本部がどこに存在しているのかすら理事会とそれに準ずるメンバーにしか開示されていない。

 そんな場所を、アイヴィーとユイが先頭に立ち、キサとショウが後方につける。

 背後から視線を向けると、前を行く二人は似たような恰好をしていた。おしゃれしたい年頃のキサと違い、面倒臭がりなショウはラフな格好を好む。どちらかと言えば、アイヴィーとユイは、そのショウに近い装いなのだ。

 動きやすいようにコンプレッションウェアをインナーに、それぞれ黒と黄という色違いはあるもののTシャツとパンツだけの動きやすさを重視したもの。

 練習着と言われても納得できるだろう。


「そういやショウ坊、精霊文字かいどくは順調にいってんの?」


 鍾乳洞ということもあり、気候の穏やかな狭間の世界において、多少の肌寒さを抱かせる。あくまで天然に見えるように作りこまれた人工物というのが正しく、通路はやや広めだが、足場は歩く分には悪くない程度だ。仮に敵に侵入を許したとして、大群で押し寄せることは不可能だろう。

 つらら石に見せかけた光源が洞窟内を、ほんのりと照らし、視覚を確保させる。


「全然さっぱりですね。難解すぎて頭パンク状態ですよ。今日は正直息抜きがてらカナちゃんとゲーセン予定だったんですけどね。絶対何か言われますよね……」

「ん、それはないと思うぞ。いくらなんでもこの短期間でどうこうとは理事長も考えてはいないだろうからな」

「そうだといいんですけどね」

「あんたもあんたで大変ね」


 作りからして敵の侵入を想定したしたものと思われたが、通路は意外にも一本道であり、四人は足を滑らさないようにだけ気を付ける。

 現実の洞窟なら、コウモリを始めとした何かしらの生き物と遭遇しそうなものだが、さすがにそういったことがないあたり狭間の世界特有の異質さがある。

 会話の反響音だけが木霊する中、次第に四人の声に混じって、水の流れる音が前方から響く。音は徐々に大きくなり出口が近いことを知らせる。


「キサはここ数日何してたの?」

「これの使い方を調べてたかな」


 そう言ってキサが右手の人差し指を立てる。それだけで何をしていたのかを三人が理解する。突如として発生したキサの謎の体質のことだ。


「とりあえず全身どの場所も強化できるみたい。皮膚のみみたいなやり方もできたし、汎用性は高そうって感じ」

「まじか。僕もちょっとやってみたけど、指先だけとか無理だったんだよな。手だけ強化って感じで大雑把にだったらいけそうなんだけどな」


 同じように握りこぶしをつくり体内の魔力を移動させる。

 それを見ていたアイヴィーが「当然かなー」と注目を集めさせる。


「シグレ先生に診断結果見せてもらったけど、魔力の性質が違ってたかんね」

「そうなんですか?」


「ショウ坊のゲル状に対して、キサっちはすこーし粘性があるだけで液体に近いんだよね。健常者は気体に近いから魔力を動かそうとすると体外に抜けて行く、つまりは領域展開されるけど、キサっちは表面張力で体表を覆うみたいな感じになるっぽいんだよね。指先まで覆えるってのはきっとこれが関与してるかな」


「なるほど、僕はゲル状で詰まりやすいから、そもそも指先とかの末端まで魔力を通わせられないと」

「ま、そういうことだねー」


 雑談もそこそこに、大きくなった水の音とは別に洞窟内に外界から光が差し込む。

 四人は顔を見合わせ、洞窟を飛び出した。

 出口は切り立った岩壁の上に位置し、崖下にはブルーサファイアを彷彿とさせる湖面が広がっていた。対岸の山からは川の水が滝となって降り注ぎ、湖面で弾かれた水しぶきが紗膜を作り上げる。洞窟内に響き渡っていた音はこれだったのだと理解する。

 地上にいた時と違い、真横から差し込む陽光が全体を照らす。そう、太陽の位置からここが地上ではなく空であることは明白だった。それほど広くない円形の島は、端の切れ目がくっきりとしており、浮遊していることに疑う余地はなかった。

 視界の八割を埋め尽くす濃緑の木々。そして湖面の中央部には孤島が浮かび、水晶を削り取って建てられたのではと思わずにはいられない、透明な建造物が鎮座する。

 あまりに幻想的な光景に、改めてここがどこであるのかと問うてくる。



 ここは空中都市トラリスが国際魔導機関本部、ウテミア宮殿――

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