25話:事件は突然に

 人の手を離れれば、どれほど貴重で高価な素材を扱おうと、あるいは意匠を凝らしても、急速に本来の姿は失われていくだろう。

 正面入口には、屋根付き玄関カバードポーチが大きく突き出し、二階部分が屋根上空間ルーフバルコニーになっている。背面には緩やかな勾配の切妻屋根ペディメント。整った中央部とは打って変わり、建物の両端から伸びる青味がかった尖塔は左右非対称だ。

 二階部分は回廊ロッジアになっており、重厚さを醸し出す格調高いコリント式の柱頭が、半円アーチを支える。

 洋館全体を覆うようにして蔦が巻きつき、元は純白であったであろう荘厳な壁面は見る影もない。辛うじて昆虫も生息できているのか、命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールドでは珍しく蜘蛛の巣が張り、一目で廃墟とわかるほどに痛々しい。


 魔導歴制定後は、生活圏を魔大陸へと移した現在、命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールドは、徐々にではあるが本当の意味での死を迎えつつある。

 植物に及ぼす魔素の影響は軽微。このことが一般常識になって久しいが、動物はそうではない。高濃度魔素地帯ハイデンシティスポット以上では生命活動に支障をきたし、滅びは免れない。こうなれば植物もいずれ枯れ果てフォレッタ領のような岩石砂漠地帯へとなる。


 ルネッサンス様式の洋館を隠すように生い茂る木々を、どこからともなく吹く微風が揺らす。

 地球と違い、ここ狭間の世界は一般論が通用しない。太陽もなければ月もない。雲がなければ当然雨が降ることもない。これら全ての自然現象を別の形で再現させた先人の知識、努力は計り知れないだろう。


 魔法実技の関係で、魔導学園に通うことのなかったショウはこれらを独学で学ぶ必要があり、知識に偏りがあるのは否めない。最も、偏りがいささか極端に過ぎるのはご愛敬だ。

 それを補って魔法指輪マジックリングの製造法、魔導式の構築を理解しているのは、中等部どころか魔導研究機構の職員以外では皆無に相違ない。

 放棄されたこの地で、いまだ機能していることに興味を示しつつも、ショウは右手を地面に伸ばし枝を拾うと、左腕で挟むように抱える。


「さすがに腰が痛い」

「魔法使いに限らず、現代人にこの作業は堪えるわね」


 隣で同じようにして枝を集めていたキサも、胸を逸らして腰を伸ばす。

 救助が来るまで待機となったこともあり、当面の生活準備のため二人は外へと出ていた。

 新人類党の拠点である洋館は、聖戦で制圧したのち、調査に必要な物資以外は全て取り外され押収されている。つまり、火の魔石など用途の限られるものは残されていないということだ。

 この状況下で、節水を考慮しなくていいのは精神的な側面から非常にありがたい。そこで女性陣による満場一致で、まずはお風呂を焚こうということになったのが、つい数分前の出来事である。

 とはいえ、どうやって? の部分に関しては、さすがはアイヴィー。任せとけ、と親指を立てられれば従うだけである。こうして、薪とは名ばかりの枝拾いをショウとキサ、風呂炊きの準備をアイヴィーとユイで担当することになった。


「魔法使った方が絶対体力温存できていいと思うんだけどな」


 ぼやきつつも律儀に手を動かしていく。それもこれも事前にアイヴィーに釘を刺されたからである。


 回復魔法、もとい治療薬ポーションは万能ではない。

 そもそも魔法とは、人間が知覚できない現象を、あたかも本当に起こっているかのように脳が見せる幻なのである。

 例えば、雷や光魔法。常識的に考えれば両者は同じものであるにも関わらず、性質が異なる。更にどれだけ身体強化しようとも、人間の反応速度で避けるのは非現実的だ。それでも当然のように回避する。それはなぜか。本物の雷や光ではないからに他ならない。


 魔法の行使に必要なものは精神力である。

 つまりは、精神が具現化したものこそが魔法の正体なのだ。これを魔導学では、四次元的干渉力と呼ぶ。

 例えば、怪我をすれば、三次元的に損傷が生まれる。回復魔法とは、この結合を四次元的に結びつけることで結束力を高めるのである。言い換えれば、怪我は一切のである。では、なぜ完治したように見えるのか。それは、欠落した情報を脳が補完しているからである。

 本来見えるはずのない盲点が問題なく認識できるのは、この脳の働きによるものだ。これと同じことが魔法でも起きる。

 そのため、回復魔法による治療で結びついた箇所は、四次元的結束力が解かれると、元の怪我をした状態に戻る。

 こう聞くと、逆に体を動かす方がダメだと錯覚しやすいが、適度な刺激を筋肉に与えるのがいいのだ。ようは魔法で保護している間に、リハビリをして三次元的結束力、自己治癒で治せという考え方なのだ。


「どうせ集めるなら、沈静樹木スティルネイトも集めたいのよね」


 キサは収集した枝を開けた場所へ置くと、近場に生えた木の前に移動する。膝を軽く曲げ、枯葉が重なりゆるくなった土壌に靴跡を残し、飛びつく。

 樹皮の凹凸に手足をかけ、器用に登り始めた。まるで田舎育ちの野生児を彷彿とさせる身軽さで、あっという間に地面から十メートルほどの高さに到達する。

 天辺付近の中でも比較的太めの二叉分枝を選ぶと、またがるようにして足をかける。


沈静樹木スティルネイト? 何か使うの?」


 首を後ろに傾け、樹上に登ったキサを見やる。

 彼女は主に国家運営や書類作成の任務クエストを中心に活動している。武闘派のキサの性質からすると、戦闘任務に就くと思われがちだが、全くそんなことはない。なぜなら、戦うべき相手がいないからである。

 もちろん、魔物という例外はなくはないが、圧倒的に数が限られるため、そもそも遭遇率が極めて稀なのだ。なおかつ、強い。しかしながら、新たに魔法使いとなり狭間の世界にくる人間はこの知識が不足している。特に中途半端にアニメやゲームなどの知識をかじっていると、こうした勘違いを犯す。

 そのため『ギルドはどこに行けばいいのか』『何と戦えばいいのか』問題が度々浮上する。

 よくあるファンタジーに憧れられても、スライムやスケルトンなど存在しないのだ。うんざりした魔法使いが嫌がらせでギルドの場所を教えることもあるが、ちょっと笑えない事態に陥る。

 大戦時ならいざ知らず、現在の魔法王国は至って平和そのものなのだ。


「どうせここからしばらく動けないなら、収集系の任務でもついでにやっとこうかなって思っただけよ。ほら、沈静樹木スティルネイトって大魔導士以上しか受けられない高難易度任務じゃない?」

「集めるだけで高難易度になるの?」


 足をかけた二叉分子を軸に手を伸ばし、短めの枝を折っては地面に落としていく。

 落下してくる枝を避けつつ、ショウは体を前に曲げてそれを拾う。ある程度、目ぼしい太さのものがなくなったところで、キサが飛び降りた。


「そりゃそうでしょ。デッドスポットに入れるのは大魔導士だけなんだし」

「ああ、それでこんな高いのか」


 言いながら、ショウは自身の着ているコンプレッションウェアに視線を落とした。

 一着の値段は六十万エイス。

 かなり高額だがデッドスポットの標準装備としては、ほぼ必須である。これは、素材となる沈静樹木スティルネイトの成り立ちに起因する。魔素は飽和吸蔵魔素圧下でも収束性は失われず、物質の周辺で滞留する。この性質を利用し、着衣者の周囲に漂う魔素の流れを安定化させ、魔法を制御しやすくするのだ。また、副次効果として、聖金属オリハルコンほどではないが、魔法抵抗も宿す。


「供給があっても、収集する人が圧倒的に足りてないもの。私だって時間あるなら任務クエスト受けるけど、デッドスポットって当選率低いし、二時間制限だし、それだったら修練して終わりでしょ? そんなに報酬高いわけじゃないし」

「それもそうか。でも、そうしたら誰が収集してんの?」

「知らないわよ。賢者だったり、他の探索系の任務クエストのついでにやってるんでしょ」


 デッドスポット内での収集任務は、それだけ割に合わないということだ。しかも、このレベルの実力者となると基本的にお金に困っていない。殊更、受託する意味が薄れる。

 あらかた集め終わると、一か所にかためていたものと合わせて両脇に抱えていく。


「てことは、まだノルマ達成してないってこと?」

「当り前じゃない。ノルマのないD級魔法使いあんたと一緒にしないでよ。魔導士級ならちょっと多めに受けるだけでいいけど、大魔導士って本気で任務熟さないとノルマ達成できないからね」


 魔導歴十一年。現実世界での暦では、西暦二〇四五年現在。

 行き過ぎた資本主義の限界と課題を踏まえ、魔導歴と合わせて法律が制定された。富める者に一定の責務を与えることで、国民不満に対する緩衝材としているのである。

 六月末の階級を基準に、毎年階級証明書ライセンス更新を行う。この際、課されるのがノルマである。仮に未達だった場合、階級証明書ライセンスの更新ができず、魔導試験を受けられない上に特権剥奪、魔法指輪マジックリングの使用に制限がかかる。問題はここだ。狭間の世界での売買は基本、指輪決済が用いられるのだが、これができなくなる。


「ああいうのってコツコツやるもんじゃないの? あのアイヴィーさんですら、もう終わったって言ってたぞ」


「やってるわよ。そもそもアイヴィーさんと一緒にされると困るわよ。あの人が受けてる治療薬ポーション制作任務クエストの数知らないでしょ。国から勝手にどんどん送られてくるから他のことしてる余裕ないらしいわよ。普通は自分から発行所行って探さないといけないんだからね」


「それでも期限ギリギリ過ぎないか? あと三ヶ月だろ? 普通はもうちょっと余裕持ってやるもんじゃないのか?」

「さっきも言ったでしょ。そんな暇あったら賢者昇級試験のために修練するわよ。この時期にノルマの分やるのは、今更じたばたしてもしょうがないってことよ」


 不満気に鼻息を荒くしたキサを先頭に、帰路へとつく。

 雑草を踏み潰していく様は、今にも足音が鳴りそうなほど荒々しい。

 午前八時を過ぎた時分としては、やや陽光に乏しい森林地帯にあって、洋館から零れる明かりがうるさいくらいに主張する。


「じゃあ、ユイさんもまだなのかな?」

「ユイさんも私と同じで運営系の任務ばっかり受けてるからまだなんじゃない? 私は小夜花お姉ちゃんの助手としてだけど、ユイさんは師匠の【悪魔の人格シュラ】の助手ってだけで、やってることは一緒のはずだし。この時期は運営系の仕事多くなるから効率いいしね」


 そう言って、屋根付き玄関カバードポーチ前の段差を上ったところで、扉を開けるために一旦抱えていた枝を地面に置く。


「――ほう、俺がなんだって」


 しゃがんだ際の一瞬の出来事だった。

 ショウとキサの間に割り込み、突然肩を抱きかかえるようにして何かが上から覆いかぶさってきた。

 決して、警戒をしていないわけではなかったのだ。

 魔物の生息する命刈り取る死の領域アイソレイト・フィールドに置いて、わずかな気の緩みが命取りとなる。それでもなお、二人に一切の気配を悟らせなかった相手に恐怖を抱く。

 一歩も動けず硬直する二人に、その何かが目的を告げた。


「アイヴィーと交渉したい。案内しろ」

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